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08年度展示造形パフォーマンスコミュのタイトル

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メーリスにあったとおり、

「境界線」から発展させて、

タイトルに込めたい思いを書いていってくださいハート達(複数ハート)

コメント(10)

マージナルマンいいね。
マージナルマンの語源、関連をのせます。

青年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青年期(せいねんき)は、発達心理学で14、15歳から24、25歳までの性的成熟伴う急激な身体的変化が現れ、心理的には内省的傾向、自我意識の高まりがみられる時期。不安・いらだち・反抗など精神の動揺が著しい。思春期と呼ばれる前半では身体的・性的に成熟し、後半では、自我意識・社会的意識が発達する。近年では、社会環境、生活状況の変化などから30?35歳程度までを(広義の)青年期とする傾向も強い。
ルソーはこれを「第二の誕生」と呼び、ゲーテは「疾風怒濤の時代」、レヴィンは「境界人」(マージナル=マン)と呼んだ。

教えてgooより
マージナル、マジョリティ、マイノリティという言葉について(長文です)
質問者:yab こんにちは、よろしくお願いします。
マージナル(・マン)という言葉の使い方について、教えていただけますか。
例えば、セクシャリティについての話ですが。
異性愛者に対して同性愛者は、セクシャル・マイノリティとして論じられることが多いですよね。
マイノリティ解放運動的に、同性愛者の権利擁護を訴える運動が行われたりするわけですが・・・。
このセクシャリティの問題において語るときに、例えば異性愛と同性愛の中間に位置する両性愛の人々は、マージナルといえると思うのですが。同性愛者は、マイノリティとは言えども、少数の人で構成された集団に属していて、自分たちの権利擁護を訴えることも出来るわけですが、
私の認識では、両性愛のマージナルな人には、異性愛が強いか、同性愛が強いか、グラデーション的に色々な段階の人がいて、マジョリティ集団にもマイノリティ集団にも属することが出来ずに、時として一人で苦しむことがある人々であることがあって・・・マージナル・マンといったときに、こういった集団に属することが出来ずに一人で苦しむことがある、といった意味を含むように、私は感じているのです。
例えば、視覚障害者について。
目が見える人がマジョリティ、全盲の人がマイノリティとして、全盲の人が権利擁護の運動をしたりすることがありますが、中間の見え方の人々、人それぞれ色々な見え方をしていて、集団として区分されず、人から理解されず、苦しむ人をマージナル・マンと呼ぶことがありますが・・・。
そもそも、マージナルという言葉を、「境界の人」というだけでなく、多数派にも少数派にも属さない、境界であって集団に属さない人、という意味で使うことは出来るのでしょうか。
回答良回答20pt
ANo.1 そもそもマージナルマンとは、心理学者のk.Lewinが青年期は児童期と成人期との間に挟まった時期であり、青年は子供の集団にも属さず、大人の集団にも属さない中間の存在であるとした事から、青年を境界人と呼んだ事に始まります。
その後、倫理学的意味合いでは「複数の社会集団や文化の周辺や境界線上に位置し、そのいずれにも属さない人々のこと」と定義しています。
現在では色々捉え方があり、定義通りの意味で通じるかは疑問ですけど・・・。
回答者:Yuki-A
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
05/06/29 22:53
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参考になった:0件
この回答へのお礼 ありがとうございました。

msn百科事典ダイジェストより
地域移動や階層移動、あるいは種族的混淆(こんこう)によって、ことなった文化をもつ複数の集団に属しているために、どちらの集団にも帰属できずに社会の境界に位置する人々のこと。都市社会学者、ロバート・エズラ・パークによってもちいられた言葉。混血(ムラート)や移民、改宗者...


なんかいろいろな定義付けがあるそうです。
境界人っていうのがなんか良いなと思いました。
あらあらかしこ。
マージナルマンについて、銀河晴男さんは多角度的に調べてくれましたねぇ〜あせあせ

「鑑賞者と混ざり合う」 ミクシーでミックスされるように、誰もが誰かと混ざり合いたいんだろうねぇ。ヤマアラシのジレンマのように、大なり小なり寂しくって「他人との同一化」を図りたいのかも・・・あせあせ

過去のパフォーマンスで、男の洋画の先輩に抱きついてる女のパフォーマーがいたのを覚えてる。むふっ
さちこです。音係です。

ATフィールドってすごく私たちがミーティングで言ってることとかを具現化してて便利ですよね 人と人との距離とか。キーワードとして使っていいのかちょっとアレですけど。
最近『ミドルクラス』という便利な概念を学んだんですが、いわゆる『格差社会』の構造のちょうど真ん中らへん(超富裕層でもなくかといってホームレスとかではない)の人たちを指すんですが、階級意識を最も強くもっていて言ってみれば境界線をものすごく強烈に引いている人たちだと思うんです。なわばり意識も強い。自分の庭を脅かしそうな理解不能な存在を[下]とみなし、ことごとく境界線の外に追いやろうとする。勝ち組負け組みたいなことを騒ぐハメになった元凶であると。
マージナル・マンとはまた違った意味での中間人だと思うんですが。
そしてその意識ってたぶん社会人に限らず小学生あたりにももう浸透してて、女子高生とかファッション雑誌とかを見てるとすごく思うんですけどもう日本中がATフィールド全開という気がします。
ミドルクラスが猛威をふるっている。
そしてあきらかに私たちというか総合造形の人間とかパフォーマンスをやろうとしてる学生は境界線の外に追いやられる口ですよね
そんな中『境界線』をテーマになんかやらかそうとしてるのはすごくわくわくしてしまいますね

なにを言いたいんだかわからなくなってきましたが、キーワードを見て思ったことなどでした。
マージナルマンっていろんな意味をもっているんですね。でも、その多義性が色んなものを内包する感じでいい。
地域移動や階層移動、種族的混淆によって…社会の境界に位置する人々云々、を呼んでて、ノマド

(遊牧民、流浪の民etc…空間の分割・固定的な中心・階層性をなくすることで国家的秩序を退ける存在from広辞苑)

という言葉も思い出しました。境界にいるってことは、何かをかき混ぜるパワーをもってることですよね。

さちこさん談では社会格差の話もでてきたけど、社会は弱いものとか異端をある場所とか階級に押し込めることでその構造を強固なものにしようとしてるけど、それに対抗できるのが、その追いやられたもの、境界、または境界の外にいるものなのだと思います。

その意味では、「境界線」って可能性を秘めたテーマですね。

あと、トワイライト・ゾーンってアメリカのドラマがあって、人が変な空間とか時間に入ったりする時間帯のことを意味してましたが、これも境界をあらわす言葉ですよね。

日本でも「たそがれ時」は人間以外のものに会ってしまう時間帯だったりするし。。。

とりあえず、私も書きたいこと書きましたあせあせ(飛び散る汗)


私自身のパフォーマンスに関して考えていることは、ATフィールドのような人と人とを隔てている壁を一瞬でも超えたい、超えさせたい、といううことがひとつ。あとは戦争について。戦争って境界を作る行為でも境界を破る行為でもあると思うんです。歴史的にみても、遠征によって文化が混じり合ったりしてるし。生死に関わるという点でも境界とつながると思います。

まだ、まとまってはいませんが、今考えているのはそんなとこですダッシュ(走り出す様)
体芸中央棟っていう場所もタイトルに組み込めないかなと思っています

体芸中央棟って門というか城壁とみたいな形をしてますよね?

駅からぺデストリアンを通って大学の中心部に行く際に、ここが大学の入り口といった存在感を持っています

何となくこの建物を見る度に昔のヨーロッパの都市国家の城壁とか、古代中国の砦や城、街道の関所とかを連想してしまいます

何かを繋ぐ境目はこういった明確な線引きを持つことが多いですが、筑波大の中でも多少なりともこういう現象があるように思います

これは偏見かもしれませんが、ナンバー学群から見ると芸専・体専は特別視されている傾向が強いように感じます(医学・図情もしかり)

これは勉強している内容もさることながら、やはり各々の生活している場所が強く関係していると思います

大学の中心部から見ると、体芸中央棟の北は中の世界で南は外の世界

大学の外れのほうから見るとその逆

お互いに何やってるのか、どんな人たちなのか分からない( ・ω・)?

このように体芸中央棟はかなり具体性のある境界線な気がします

強いていうなら筑波大の小さな国境ってところでしょうか

あんまり深い考えではないですが、たまにはこういう分かり易いのがあってもいいかと思って色々書いてみました

明日の話し合いは盛り上がるといいですね
すっかり、夜は秋模様ですね。
少し冬の匂いがします。
みんな、いろいろな狭間で関係の中で何かを掴もうとまたは壊そうとしているのかな。
クボリンの視点ってなんか村上春樹とかを喚起させるね。
その感じスゴくわかるな。この界隈はファンタジーな匂いがします。
たぶんそれは、つくばの建築群はポストモダン的な実験的な建築、反近代建築による装飾性、折衷性の回復を目的にできた建築群だから大学機関という機能性のベールの下に象徴的、つまり古典的な建築像を含んでいる。この象徴的っていうのがミソで、象徴性は、ヤリ過ぎなところを過分に含んでいるので、そこは人間の無意識とかの境界線へ流れこみやすくファンタジーっぽくなるのかなと。。。つくばって街を大学を高い場所から展望すると、、、煙突、ロケット、栓抜き塔、大仏もあったりして、フォトショップでコラージュした風景のような、なんかヘンテコで現実的でない空間に感じたりします。
だから、クボリンの視点(”何となくこの建物を見る度に昔のヨーロッパの都市国家の城壁とか、古代中国の砦や城、街道の関所とかを連想してしまいます”実際にそう感じるのは、それとも知識があったからそう思うのか?)は実際にそうだろうし、ポストモダン建築の成功?の証みたいなものなのかもなって思いました。
なんだか、こんがらがってきましたけど、実際に見慣れている風景(大学)が二重の曖昧な境界線上にあって、隠喩しなくても物質的に、実質的にアンビバレンツな空間にいるんだなと、そして、僕たちはそんな空間を実際に生活している境界人で、各境界人が持っている物語をさらにもっと象徴的な”パフォーマンス”というものに再物語化するって、なんか象徴のオーバードーズって感じがしてヘンテコにおもしろいね。
でも、これってきっと筑波だけじゃなく何処にでもあることなのかな〜。
となんだかとりとめなく綴らせていただきました。
まだまだ、起きている人がいらっしゃるなら、何でも、とりとめなくても良いので書き込みよろしくどうぞ。
今見ました。
気づきませんでしたあせあせ(飛び散る汗)遅くてすみません・・打ち上げ係です。

マージナルマン。境界人。
皆さんの書き込みを見ていると、いろいろな境界とかモノの見方ができて面白いですね。

個人的には、銀河鉄道さんやくぼりんが言ってたような「つくば」「筑波大学」の境界線も面白くて、


マージナルマン〜○○○○〜


てきな感じで、取り入れたらどうかなと思いました。

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