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愛する人を亡くした人のコミュ。コミュのお母さん

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はじめまして。

昨年の3月16日。一生忘れられない日。
お母さんは48歳で亡くなった。

お母さんは急性骨髄性白血病だった。
2004年の7月発病。先生から告知をされ、震えていたお母さんを見ているのが辛かった。。。
闘病生活が始まりました。入院1日目の夜、お父さんが夜中にお酒を飲みながらうつむいてる姿がすごく辛かった。。。

抗癌剤の治療が始まり、食事も食べられず、痩せていくお母さん。吐き気に耐えられず、嘔吐している姿。何も出来ない自分。悔しくて、病院の帰り道一人で車の中で泣いた。

それでも絶対に助かるんだと信じて毎日お母さんを励ました。というより、自分のお母さんが死ぬなんて事信じられなかった。信じたくなかった。

移植しなければ治る可能性はないと医者から言われた。4人兄弟のお母さんは骨髄が兄弟と合う可能性が75%あった。しかし、神様は意地悪だ。。。
検査をすると、お母さん以外の3人は一致。お母さんだけが不一致だった。。。病室で声を上げて泣いているお母さん。初めて見る姿だった。何も言葉をかけることが出来なかった。
病気に対する恐怖。死に対する恐怖。今までこらえてたものが一気にあふれ出ていたような感じだった。
兄弟とは骨髄が合わなかったが幸運にも非血縁者の中から一致するドナーが見つかった。

移植するまでの間、自宅療養となった。3ヶ月という自宅療養期間だったが、本当に幸せだった。お母さんいるという空間。家族の団欒。久しぶりに食べるお母さんのご飯。本当においしかった。そんなときはあっという間に過ぎ、入院の日はやってきてしまった。

県内の病院で移植が出来ないため、東京の病院に入院することになった。
入院後はすぐにクリーンルームに入った。そこはガラス越しにしか顔を合わせることが出来ず、会話は電話の受話器を通してしか行うことが出来ない病棟だ。前回の入院時よりもはるかに強い抗癌剤、放射線治療を行い、移植の準備をする。
移植は何とか無事に終わったが、ここからが勝負。合併症との闘いだ。
高熱・強烈な吐き気、ひどい下痢・やけどをしたように肌はただれていく。
辛い日々が続く。お母さんも明日は今日よりも良くなると信じて、気力を失わずに頑張っていた。家族もきっと良くなると信じてほぼ毎日東京の病院まで通った。だが、日に日に状態は悪くなっていった。ベッドから起き上がれなくなり、顔はパンパンに浮腫み、下痢も続き、放射線治療の副作用で目が見えなくなった。受話器を持つ手も震え、この頃から話をするのも辛くなっていった。。。。
移植から約1ヶ月半。お母さんは病院で息を引きとった。
亡くなったとき、私は大声で、子供のように泣き叫んだ。呼べばまた目を覚ましてくれるような気がして、何度もお母さんを呼んだ。さっきまで生きていたのに!!!死ぬって何!?起きてよ!!って何度も言った。。。
亡くなったのは私の大学の卒業式の2日前だった。見せてあげたかったなぁ。妹は今年の1月に成人式を迎えた。見たかっただろうなぁ。もっとお母さんに聞きたいこと、教わりたいことたくさんあったのになぁ。

そんなことを思いながら、1年が経とうとしている。家の中も落ち着いてきたが、やはり、お母さんの死を受け入れるのは難しい。。。旅行にでも行っていていつか帰ってくるんじゃないかっていう気持ちが未だにある。

でも、受け入れなきゃ!お母さんの体はなくなってしまったけど、魂は生きている。私の気持ちの中にお母さんは生きている。きっと近くで見守っていてくれている。そう思いながら、これからも日々の生活を送っていきたいと思う。


コメント(1)

はじめましてmickeyさん。
辛い思いをしましたね。
…わたしの母も、急性骨髄性白血病でした…。
mickeyさんのお母さん、がんばりましたね。そしてご家族も。。。
抗ガン剤って、一体なんなのだと思います。
人間の免疫をボロボロに破壊して、かえって病状を悪化させるような治療は、本人ばかりでなく、見ているほうだってかなり辛い。
一体何のための治療なんだと、憤っていた時期がありました。
でも、出来る限りの手を尽くしたのですから…お母さんだってきっと、心残り、ないかもしれませんね。わたしの母は骨髄移植の年齢制限に引っかかり、移植はできませんでした。抗ガン剤も体に合わず、治療の方法がありませんでした。

死は。本当に大きい経験だと思います。
見守れた人、見守れなかった人、あまりにも突然に、それが起こってしまった人。いくつになっても、例え自分に、その時が訪れたとしても、何をどう、理解していいのかわからないと思います。
突然…目の前に居た人の全てが消えてなくなってしまうのです。産んでくれた人、育ててくれた人、生まれてきてくれた人…愛してくれた人、愛した人。。。理解できなくて、当然だと思います。
だからと言って、死は負けでもなんでもないと思います。

母が亡くなったとき、周りの目が、わたし達家族を哀れんでいました。違和感を感じました。…かつては自分もそうでした。当事者の痛みなど…全くわからなかったのです。
がんばった母を、誉めてほしかった。よくやったと、そう言ってほしかった。ミッキーさんも、きっとそうだったのではないでしょうか? お母さま、本当によく、がんばりましたね。だからきっと、何も後悔はないのではないでしょうか?

>魂は生きている。私の気持ちの中にお母さんは生きている。きっと近くで見守っていてくれている

はい。本当にそうですね。わたしの母は、危篤に陥っていた時、病院の廊下を駆けていたわたしの元に現れました。(上から…)
ニッコニコの笑顔でした。そして言いました。「あ、るる来たの?
お母さん、もう体楽になって楽になって、体軽くて軽くて。」と。^^。言いました。本当に嬉しそうでした。
見えたわけではなく、イメージでした。嫌な予感がしました。
病室に着いたとき、お医者さんが、母の酸素マスクを外していました。

それまでは、霊のことなんて、人一倍疑う方でした。バカにする方でした。母の事を経験してからは、どんなことも素直に受け入れようと思いました。母の体から抜けた魂の、あの喜び方。母は本当に、楽になったんだと、思いました。
それだけで、報われた気がしました。
 
ミッキーさんのそばに、お母さんいてくれると思います。
辛い時悲しい時、きっといてくれると思います。
本当に、見えないだけなのかもしれませんね。
ミッキーさんのお母さんも、桜の季節に旅立たれたのですか?
わたしの母は。4月10日でした…。
お互いもう、一周忌ですね。

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