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台湾紙 ☆自由時報☆コミュの論説:228事件を忘れるな    アンディ チャン

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論説:228事件を忘れるな       アンディ チャン
                        台湾の声より転載


今年は228事件の60周年にあたる。228事件、ニィニィハチ、台湾語でジージーパッといえば殆どの年代層が知っている。しかし台湾においても228事件の詳細を知る人は年を追ってどんどん少なくなっている。日本の人たちと話していると、2・28事件を知らない人が多いこと、ニィ・テン・ニィハチと呼ぶ人も居ることに気がついて愕然としてしまう。台湾の日本語世代にとって日本は中国よりも近い存在だが、日本人にとって台湾は近くて遠い存在なのだと気づかされる。

台湾の法的地位は未決であり、事件が発生した1947年にはサンフランシスコ平和条約も日華条約もまだ締結されていなかった。だから事件が発生した当時の台湾人は法的には日本人だったのである。マッカーサーの戦後処理第1号命令によって蒋介石が派遣した陳儀の軍隊が行った、12万人と言われる大粛清大虐殺は日本人だったのである。大多数の台湾人はこのことを知らない。

●事件のあらまし

228事件に関する報告書はたくさんある。2006年2月に発売された「二二八事件責任帰属研究報告」はもっとも権威性のある報告書だが、このほかにも史明著:「台湾人四百年史」、行政院研究二二八事件小組:「二二八事件研究報告」、李喬著:「埋冤1947埋冤」(小説)など参考資料は実に多い。

1945年8月15日、終戦まもなくマッカーサー指令により蒋介石は陳儀を派遣して台湾を「接収」した。台湾に来た陳儀は直ちに警備総司令部を組織して軍事統治を行い、迅速に日本人を本国に送還したが、日本人の残した資産を国有化、または私有化した。さらに、終戦と同時に中国大陸では内戦が起こり、物資は欠乏し金融危機が起きたので、陳儀は台湾の物資を大量に大陸へ送り、台湾の経済はたちまち疲弊し、金融制度は機能しなくなり、中国の貨幣価値は暴落して巨大インフレがおこり、人民の不満、怨嗟が高まった。

このような時期に闇タバコの取締りで、2月28日に台北の街頭でタバコを売っていた林江邁という女性を拳銃で殴った査察員に人民の憤怒が集まった。あわてた査察員は民衆の反撃に驚いて、逃走しながら拳銃を発射し、これが陳文渓という傍観者に当たって即死したので、たちまち暴動となった。武器を持つ警察や軍隊に対抗するため台湾人民軍が結成され、数日の内に台湾全土に広がっていった。

台湾青年の決起に驚いた陳儀は弾圧と談合を繰り返しながら一方では南京の蒋介石に援軍を要請したので、一週間後の3月8日には福州から憲兵第四団、上海から第21師団が到着し、組織も武力も貧弱な台湾軍がたちまち制圧され、それから中国軍による大粛清と大虐殺が始まった。こうして二二八事件は約三週間で制圧されたが、その後に起こった粛清、無差別逮捕と虐殺は数ヶ月も続いた。

以上が事件の概要だが、銘記すべきことは虐殺された台湾人の人数がはっきりしないことである。事件後の報告書では5万人から十万人と言われていたが、李喬によれば3万数千人という。その後の行政院報告や最近の二二八事件責任帰属研究は1万8千から2万8千、正確な人数は不明という。これは明確に死亡した人数であって、行方不明になった人間は計上されていないと思われる。事件後、淡水河では手首を針金で繋がれた「数珠繋ぎの死体」が毎日のように流れていたという。

林志昇の調査報告によれば、1962年に行われた第一回人口調査では12万6千人が行方不明となっており、この数量がもっとも真相に近いと言われている。

●台湾人に残した228の傷痕

大虐殺で中国人が台湾に与えた影響は60年かかっても消えることがない。粛清と虐殺は無差別にトラックに載せて連れ去られた台湾の若者や社会のリーダー、知識人や金持ちなどである。当時の人口は6百万人と言われるが、12万人つまり2%のエリートが抹殺されたのである。知識階級の大半を失った台湾人は中国人を恐れ、従順になり、こうして台湾人民は奴隷化された。中国人が残した228事件の傷痕は、以下の三つに大別できる:

第一は祖国意識の混乱である。終戦と同時に台湾では大々的に「台湾人は漢民族だ」、「我々は漢民族の祖国に回帰したのだ」といわれ、台湾人は諸手を上げて歓迎した。それが掠奪の果てに大粛清と虐殺、それにに続く恐怖政治。38年に渉る戒厳令が敷かれ、台湾人は中国人の奴隷として生きるようになった。この恐怖心は今でも根強く残っていて中国人に対する不平不満を表現することを憚る人が多い。

第二は台湾人意識、アイデンティティの喪失である。祖国に回帰したつもりが掠奪と虐殺にあい、台湾人は中国人とは違うことがわかった。しかし恐怖心を植えつけられた台湾人は、「私は台湾人だが、同時に中国人でもある」といった矛盾した発言をする人が多い。本心からそう思っている人は少ない。中国人が怖いから言うのだ。

第三は「シナ人根性」を植え付けられたこと。卑屈で自己本位で拝金主義、道徳の頽廃である。陳水扁のように、狙撃されて死に損なっても反論できず、自作自演と濡れ衣を着せられても沈黙している。自分の冤罪すら雪げない、虫けら人間だから中国人は余計居丈高になって馬鹿にする。

中国人が台湾人を軽蔑する傾向は軽減していない。国民党が戦後、私有化した財産を人民に返還する要求が何十年も続いているが、馬英九は要求を無視して、この数年来継続して私有化した財産を売り払っている。売り払ったとはいえ架空の名義書き換えなどで、金銭は人民に還元されていない。

●白色恐怖とその後の台湾

228事件の大弾圧のあと、台湾では長期にわたる戒厳令を敷いて、厳密な人民監視網を作り上げた。この調査局と呼ばれた組織は解散されたように見せかけていたが、監視体制は今でも続いている。電話の盗聴、手紙の検査など、やらなくなったというが実際に犯罪が起きれば電話記録があったと報道されることから見て、秘密監視は今でも続いているし、現政府がコントロールしているのでなく、里長、村長などが国民党員で、人民の監視、密告が続いている。この国民党の組織は選挙になると買収、デマ宣伝をばら撒くことで知られていて、民主自由はウソで公平な選挙さえやれない。

蒋経国は1980年代になると民主化政策を行い、1987年7月15日に「国家安全法」を実施して正式に戒厳令を解除した。世界に類を見ない38年に渉る長期の戒厳令は名目上終ったが、前述したように秘密の監督は終わっていない。

●中国人は今でも謝罪していない

1987年には228事件40周年を期して、「二二八和平日促進会」が結成され、真相究明・名誉回復・犠牲者追慕行事・慰霊碑建立などが推進された。戒厳令解除に続いて、1988年には、「報禁」(言論統制法)、「党禁」(政党組織禁止法)の悪法が廃止された。1990年には、台湾各地で、228記念行事が挙行された。1991年、李登輝総統が228事件の調査研究、遺族の慰労などを、行政院に命じ、翌年、行政院は、228事件調査研究小組を構成し、『二二八事件研究報告』を発表した。1995年2月8日には、台北新公園(翌年二二八記念公園と改称)228記念碑の除幕式が行われ、李登輝総統が政府の謝罪、犠牲者の名誉回復、犠牲者と家族に対する補償を発表した。この発表によって、同年4月7日には、「二二八事件処理及補償條例」が公布され、「二二八事件補償基金会」が設立された。

「二二八補償條例」は、第一条で制定目的を、補償事務処理、真相公開、歴史的傷跡の治癒、族群融和としている。この法の特徴は、
(1)名誉回復・賠償のための機関が基金会(財団)という形の独立機関の体裁をとり、「官・民(専門家)、犠牲者及びその家族」の三者で理事会を構成。
(2)真相究明、特に犠牲者の確定に重点をおいて、第九、一〇条で「基金会」に強力な資料調査権を付与し、拒否するものに対する罰則を定めた。
(3)事業として、名誉回復、補償、記念事業、教育などを定めた。

事件の過去清算法として優れているが、加害者の処罰、訴追規程、つまり(2)と(3)が不十分である。

これらの処置は李登輝が総統となってから力を入れて推進してきたものだが、台湾人が推し進めてきた運動とは言え、中国人が事件について悔恨、謝罪をした記録は絶無である。一部の台湾人は政府が謝罪したから、または金銭で補償したからそれで終わりにしたいと言う。しかし中国人が大量虐殺して、謝罪も悔恨もないのに、台湾人が「中国人は漢民族同胞」、「台湾の自由民主」などと言うべきではない。中国人は謝罪していない、彼らは台湾人を同胞と思っていないのだ。

●断罪すべき人々

12万人のエリートが殺されて、史実も解明されていないまま、人民の税金で金銭補償をしても恨みは消えない。「恨みを忘れ、過去を清算して種族差別を除く」というが、加害者側が勝手に種族差別を除けと言うのはおかしい話である。被害者が寛容を示すのであれば、加害者が悔恨してこそ寛容が成り立つ。

中国人の台湾人に対する傲慢蔑視、最近の紅衛兵騒動や国民党メディアの擾乱報道など、どれを見ても中国人が後悔している気配など微塵もないのである。事件後60年経っても罪悪感がないなら、許すわけには行かない。我々に課された任務とは、金銭補償などに騙されず、事件の正しい歴史、加害者の名前と罪状を後世に残すことである。

去年発表された「228事件責任帰属研究報告」では、第6章で事件の責任者を列記した。蒋介石を始とする軍政人員、情報人員、「半山」と称する中国帰りの台湾人、メディア工作者、密告者などを列記した報告書の功績は大きい。だが、仕事はこれで終わったのではないことも銘記すべきである。罪状を書いて終わりではない、罪状起訴まで持っていくべきである。

●正しい228事件の歴史教育を

228事件がおきて40年経ってから初めて台湾人の総統李登輝によって金銭の補償ができた。しかし中国人の謝罪はない。60年目を迎えて初めて責任帰属の討論ができるようになった。60年経っても台湾人が中国人に虐げられている事実が明白なのである。

「中国人も228事件の被害者だった」と新聞で暴論を述べる不逞分子がいるが、これで焦点を外すつもりなのだ。中国人は罪悪感もないし被害者に対して、われわれも迷惑したなどと勝手なことを述べているのだ。現政府は無力で中国人の暴論、暴力に対抗する勇気すらないように見受けられる。これこそ民間団体の「歴史を正す運動」の課題なのである。中学校や大学の歴史教育で228事件を正しく教えることこそ、歴史を後世に残して、台湾人のアイデンティティを取り戻すことである。

台湾人が銘記すべきはユダヤ人の言葉、「We can forgive, but we shall never forget(赦すことはできる、だが決して忘れてはならぬ)」である。

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