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JINNJAR'S(神主部屋)コミュの神道神学

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皆さんには神の定義が述べることが出来ますでしょうか?自分の「神観念」を述べることが、ざっくり言うと「神道神学」なんですよね。
今勉強している講義の中で『神道神学』というものがあります。私自身はまだ、これだ!っていうものは持てていないと思い、一生懸命勉強をしている最中なんですが、学んだ事を少し書きたいと思います。
知る人ぞ知る、本居宣長(『古事記伝』)の神の定義から。
「迦微(かみ)とは(古典の神、神社の祭神、山川・鳥獣、人・天皇)尋常(よのつね)ならず、すぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは伝(いう)なり」
安津元彦さんの見解では「尋常」は一般水準を超えて、「徳」は御稜威(みいつ・恐れ多い力と言えばいいんでしょうか)、「可畏き」は賛美・畏敬ー天神地祇(てんしんちぎ、天上界にいる神と地上界を守る神)・戦慄・恐怖ー未浄な霊的存在、の二つの意味を合わせた言葉と説明しています。
またルードルフ・オットー(ドイツの宗教学者『聖なるもの』)は、「可畏き」というのは宗教感情でこの宗教感情をヌミノーゼという造語で表しています。ヌミノーゼとは、被造物感情、恐怖に満ちた神秘の感情、魅するもの、奇異の念を抱かせるもの、圧倒的なものを意味する一つの造語として作ったらしいです。オットーはプロテスタントなのですが、キリスト教ではこれらの感情が合理的な概念と結びついて「人間が作った神への感情」や、「GODの怒り」、「GODの恵み」、「神は超自然的なもの・超越的なもの」などの感情へと進化発展するのだとし、キリスト教はヌミノーゼと合理的なものが最もよく調和したものとして、最も卓越した宗教であると結論で述べています。彼はプロテスタントの神学者であり、宗教学者ですのでこのように結論付けています。
それぞれの考えで、神を理解しようとした結果だと思います。その中でも本居宣長はかなり曖昧ですが、うまく表現していると思いました。
私の神学というと・・・。私の実家は神社ですが、大きな岩がご神体であり、また一方で本殿には蛭子大神(えびすさん)を勧請(かんじょう)、つまり招いて祀っています。一方は原始的なアニミズムという時代の岩自体が神様であり霊力を持つご神体、神が宿る御霊代で、本殿は民間信仰の中から生まれた神様です。そして大地主神、稲荷など、極めつけは不動明王が祀られています。神様の集会所のような処で暮らしてきました。そのような環境のために、神様は見えないが側にいて見守っていてくれる存在で、悪いことも良いこともすべて見ている親のような感じで生きてきました。すごく身近?な存在だったような気がします。一方で大きな岩を目の前にしたり、本殿の神様が祭られている近くによると畏敬、恐怖という感情も抱いていたと思います。そのような意味では、本居宣長の神の定義のような、すべてのものが神であり、そして彼が表現するような定義の中に自分の感情も含まれているような気がします。
夜に書き込んだので、長くなりながらもまとまりませんが、皆さんはどのようにお考えなんでしょうか?

コメント(9)

私にとって神とはユビキタスなものです。
そして、本来多神教というのが、あるべき姿だと思います。
>ヒジュラさんへ
ユビキタスですか。難しいですね〜。
神とはユビキタスと何故そう思うのか具体的に、教えていただければ幸いです。あと、あるべき姿と思われることについてもお願いします。
>ぴあにかんさんへ
エンジニアなんですね。どこかでエンジニアさんは、意外とと言ったら失礼ですが、神の存在を認めたり、宗教を信じる人が多いと聞きました。「物理法則は教典、科学者は預言者」というのは面白いですね。
お聞きしたいんですが、エンジニアさんにとっては色々な事が解明されてきた現代において、神の領域は狭くなってきているのではないですか?また自然科学に神を見出すのはどのような時なんでしょうか?
>ぴあにかんさんへ
人間がコントロールできる範囲と、分からない範囲(神の領域)?みたいな所の境界線上で働かれているから、感じられるんでしょうか。職人さんほど神の存在を信じて、神様をお祀りされるのも、その紙一重のようなところで働いているからなのでしょうかね〜。各々にそれぞれに神観念があるんだな〜と感じます。
神道は、人間では説明できない見えない力を感じ、その力を神の御神意として崇めます。まさにそのような感覚なんでしょうね。
神とはどこにでもいるという風に思っています。
神の遍在性。
太古の昔より、太陽は太陽神として、月は月の女神として
日本でもおくどさんというのも神の種類ですし
それぞれの物にそれぞれを司る神がいていいのでは
ないでしょうか?
感覚としては光のような感じ。
見えるというのでもなく、でもそこにある。
風でもそうです。見えるわけではないけれど
その存在は感じられる。
人間には計り知れないもの、でも存在する。
すいません。うまく言葉にできなくて。
>ヒジュラさんへ
ヒジュラさんはそごくイメージが湧く人なんですね。
言葉で表すよりも多くのものを感じてられるんでしょうね〜。

僕も同じような感覚?を持つことがあるような気がします。
家を建てる時に地鎮祭というのをしますが、神籬(ひもろぎ、樹木の御座所)に降神・昇神する時に、風が吹くんです。色々な状況が揃っていると、風が止んで、そして降りてきてくださいとお願いすると、サーっと風が駆け抜けるんです。それは施主や施工者の人も分かるみたいです。これが、僕が神を感じる瞬間です。
違うかもしれませんが、そのような感覚は少なからずみなさんあるんでしょうね〜。
なにかがみえたりする方ではないので
神様の定義はわからないのですが、

二度ともどらない一瞬に神様がいる、というか、はからいがあるような気がします。
岐路、会う人、出会う風景などなど。
表情、語ること、時間。ほかいろいろ。
こうしてこうやったからこの人と会ったとか、
あーやらなければ、あの場所に立ち会うこともなかった、とか。
なんでここにいるんだろうとか。どうしてこの家族と会ったんだろうとか。
考えてもしょうがないようなことだと思っても
ふと考えます。

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