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似而非日記帳コミュの宿仮る夏の記(壱)

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【往路の事】

窓から這入る生暖かい風には、漣めいた微音と塩気た砂粒が混じり始めていました。
車は緩々と牛歩の様な進み具合でした。皆、明石の大橋を渡るのでしょう。延々と続く鋼鉄の行列は、暗灰色の煙を飽きることなく吐き出し続けていました。その煙は寄り集まって濃い靄となり、前景に聳える勇壮な橋桁を半ば覆い隠していました。
大鉄橋の上には揚々と宇宙の果てまで続く水色があるばかりです。
暑気と眠気で既に疲弊し切っていた私は、後部座席にちょこねんと据えられた小さな乗客の存在を半ば忘却していました。
「ねえねえ、うんこがしたいんだけど」
小さな客は、逆光を受けて黒雲母みたいに照り耀く瞳を大きく見開いて、全く唐突にそう切り出しました。
しかし、海岸線に沿って赤錆びた鉄道の線路が延々と走るのみで、便所を利用出来るような施設など見当たりはしなかったのです。
「ほら、あの橋が見えるだろう?あのすぐ近くに海水浴場があるんだよ。だから、もう少し我慢してくれないか?うんこはおしっこよりも我慢出来るものなんだよ」
私は出来るだけ穏和な調子を取って宥めようとしました。彼も納得したらしく、暫くの間は再びちょこねんと座ったまま、煌めく愉し気な波頭と性急に走り去る無骨な電車の交錯する様などを熱心に眺めておりました。
けれども再び、そわそわと小さな身体を捩り始めるに及んで、此方の心も漫ろになりゆき、ハンドルを握る手からペダルを踏む足に至るまで、兎に角落ち着かないのでした。
そんな折、ちょうど一軒だけ道沿いにぽつんと見えて来た釣具屋へ、「しょうがないね、じゃあそこのお店までの我慢だよ。それまで絶対にお漏らししちゃいけないよ。」など言いつつ、車を向かわせる事が出来たのは、この上無く有難い事でした。
彼は殆んど泣きっ面になっていましたので、私はその小さな掌を握りしめて、がらんと静まり返った店内へ足早に入りました。
そこは釣餌や釣具が雑然と積み上げられた、噎せ返るような匂いの漂う、前世紀的な雰囲気の店でした。
私は狭い空間にも拘わらず、なかなか便所を見付ける事が出来ないで、狼狽の色を刻一刻と濃くしていきました。
そうして漸く、便所が外側にある事に気付き、殆んど引き摺る様な勢いで彼を連れて行ったのでした。
「あれま、おしっこだったよ。」
彼はそう言って、にっかと笑いました。薄暗い便所に、突然淡い光が射したような、そんな笑いを笑う彼をまじまじと見詰めながら、私自身も笑っていたようです。

こうして小さくて他愛も無い危機に齷齪しながらではありましたが、我々はどうにかこうにか、目的地である舞子公園に到着したのです。

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