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Wattan秘境探訪譚コミュのマニアックな話題

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 すでに、先週から仕事の合間に書き掛けていたものを一部、削除して載せます。
 先日、知り合いのジャーナリストの方から頂いた新聞のコピーに下記の話題に似たようなことが書かれていたのには驚きました。正直、似たような体験があるものだなあと感じ入る次第です。(Wattan.)
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        【マニアックな話題】

 「また、マニアックな銭湯の話題かよ」と思われるかもしれません。
そのとおりなのですが、今回はちょっと違います。

 最近、銭湯で見かけるお年寄りに「大正生まれ世代」のひとがめっきり減ってきたように感じます。彼らは、過去において時期や場所が違っていても、ほとんどの人が体験していたひとつの共通体験がありました。例え、地位や職業の異なる者同士の会話で噛み合わないことがあったとしても、話しの合間でそのツボを突けば「ああ、そおか!」と互いに呼応できること。つまり、若い頃に体験した兵役の記憶が異なる環境で生活する者の溝を埋め合わせるキーポイントになったのです。では、「兵役」について経験の無い人はどうかと言うと、そこはもちろん、各々の共通体験を通しての交流があります。団塊の世代のひとたちは、かつての学生運動や労働運動の仲間たち、スポーツをやっていた人たち、音楽仲間とかです。私なども、元自衛官という前歴から仕事やその他の場所で初対面の人と出会っても相手が元自衛官だったりすると、そこで共通の話題が出来たりします。

 そのようなわけで、銭湯で交わされるその他の人々の会話は、相変わらずマニアックな話しも含め、日常生活の瑣末な話題であふれています。が、ここ20年前くらいから、そこには人と人との異なる関係を埋め合わせる共通の体験が分散化してしまい、互いの垣根のようなものを乗り越えて交流するマニアックなきっかけがなくなっているように感じます。そして、顕著に目立ってきたのが同業関係者たち、或いは世代同士の人付き合いに垣根を作り、自分たちで勝手に盛り上がっている様子を見受けることなどがよくあります。深夜の飲み屋街で騒ぐ酔っ払いたちや、秋葉原のオタクたちは別扱いとして、昔によく見受けられたような初対面でも互いに突っ込み合って交流できる“雑談の賑わい”が日常生活においても、最近はめっきり希薄になってきたように思います。それは単に、私が都会に住みついて長いからかも知れませんが、ときどき郷里のことを思い出しては「昔はもっと人間関係に活気があったよなあ」と考える所以でもあります。

 マニアックな話題に戻します。10年くらい前から、近所の銭湯ではめっきり見かけなくなった「大正生まれ世代」のお年寄りたち。彼らがまだ、社会のOBとして元気だった頃の銭湯では、いい御年を召されたお年寄りたちが日頃の職業や世間体を脱ぎ捨てた全裸の姿で昔話を語り合っているのを見かけたものです。私などが端から観ていると、「ちっ、またヘイタイの話しかよ」などと感じたことが思い出されます。そう、今から12〜3年前、私はよく銭湯を利用していたのです。たぶん、お年寄りたちは「軍隊生活」という互いに呼応し合う体験談を通して、互いの地位や職業のギャップを越える、何か共通意識みたいなものがあったのでしょう。初めのうちは、「思い出しクイズ」のように昔のことをあれこれと挙げては楽しんでいるようでした。しかし、そのうちに段々しんみりと、ため息や愚痴交じりの会話になってしまうのです・・・。

 なぜ、こんな解説するまで彼らの様子を観察していたかというと、私の祖父も1930年代後半に中国の戦地に出兵した過去があるので、幼い頃の私はそういう場面によく出くわしたものでした。当時から、祖父の古いアルバムを開いては中国戦線で兵役に就いていた軍服姿の若い祖父を見て、そこにある「戦争」や「軍隊」という非現実的な存在をはじめて知るきっかけを得たのです。小学生になった私に祖父が買ってくれたおもちゃは、金属製のライフルでした。それは銃口から光を発射すると、的の人形が倒れるという玩具です。今になって考えてみれば、あれが私にとって始めての射撃訓練になったのでしょう。銃の構え方はもちろん、照準の合わせ方、引き金の引き方などすべて祖父から学びました。その後、高校卒業をまじかに控えた私が進学や企業就職の道を選ばず、ストレートに自衛隊へ入隊することになったのは他の要因もありますが、そのような原体験が重なったことも一因だったのかと思い返されます。

 私の祖父は、戦争に行っていた頃のエピソードを子どもの頃の私に、まるで「昔話」のようにして話してくれたものです。「軍馬の話」(自分が世話をした軍馬が敵の弾に当たって倒れ、泣く泣くとどめを刺したこと)や「捕虜の話」(食事を与えても食べない中国人少年兵を世話したこと)や「昇任拒否の話」(上等兵に昇任するときにそれを拒否して、大隊長に階級章をつき返したこと)、「古井戸の話」(上官からのいじめを苦に井戸に身を投げて自殺した新兵のこと)など、他にもまだまだ聞いていたような気がしますが、思い出せるのはそこまでです。今頃になって悔やまれるのは、せめて祖父が生きている間、もっと細かなデテールまで聞いておけば良かったと残念でなりません。そんな私が最近になってようやく・・・と言うか、やっとのことで文筆家の伊藤桂一氏の著作に出会ったのです。彼の作品のなかでも、「静かなノモンハン」や「丘の寺院」は、兵士として戦場にたたずむ人間の心情を描いていて共感を覚えます。 http://mixi.jp/add_community_review.pl?id=357339 それらは、祖父の戦争経験とダブっているからだけではありません。私自身、自衛隊を除隊した後に、ビルマ・辺境民族の下で義勇兵として実戦に参加したことがあるからでした。

 1989年の暮れにビルマ・辺境民族の独立闘争にわずかな一時期に参加した私は、ただ、個人の単純な正義感から、日本で満たされて生活している自分の在り方に疑問を持ちはじめていました。ボランティア感覚で入隊した自衛隊の勤務では、訓練を通じて一貫して学んだことが、「戦わないこと」だったのです。当時の私は、部隊の訓練内容それ自体の目的は本来、「戦争=人殺し」であるはずなのに・・・という矛盾を抱えていたのです。もちろん、日本は憲法で軍隊の保持や宣戦権を禁じられている程度のことは判っていましたので、当時の自分の疑問の理由も理解していました。私が求めていたことは、「ただ、真実が知りたい。真実を経験したい」と、それに尽きていたのです。そのように考えていた私も、その後、ビルマの戦場で嫌と言うほど「真実」を体験する羽目になりました。そんな私が得た過去の体験とフィードバックすると同時に、個人を抑圧される自衛隊での生活を思い出すのです。「大正生まれ世代」が共有している戦争体験談に関心を寄せる自分を我ながら些か滑稽かと思えるほどに、軍隊という組織に翻弄される兵士の悲哀を感じます。

 銭湯で背中を流しながら、兵隊談を語り合っていたお年寄りたちも仲間内にしか話せない過去があったのでしょうか。単なる交流のきっかけを越えて、そこに心の癒しと救済を求める一種のカウンセリングの役割すらも相互に担っているのでしょうか。その辺の深い部分はすごく興味のあるところです。機会があれば、「大正産まれ世代」の人にお話を伺ってみたいところでもあります。しかし、だからといって私は、旧日本軍の行為を賛美するわけではありません。それでも、個人としての兵役経験者を見るときに、軍隊を巨大な「戦争機械」に例える話があります。そのように考えると軍隊組織から見れば、彼らの立場はあまりにも弱く、吹けば飛ぶような塵のような存在でした。一兵卒個人の存在など、「戦争機械」から見れば小さなネジ一本程度の意味合いしか持たないのかも知れません。またさらに視野を広げて考えると、それは何も軍隊に限ったことではないとも言えます。日本の敗戦後に復員した旧軍兵士の大部分は、日本の経済復興のまさに一個のネジとなって、社会の歯車の中で働いてこられたました。おそらく、私が銭湯で聞いたお年寄りたちの「ため息や愚痴交じりの会話」には、そんな世の中へに対する憤りや虚しさを発散させていたのかも知れません。その時代の労働問題の話は、今の私では書けないのでこの辺で終わりにします。

コメント(1)

 およそ世界中の軍隊は、その大義名目は別としても、「戦争=人殺し」という各国共通の本質があります。そのような本質はイデオロギーの区別無く、準国家的な政治党派や民衆解放組織も含む、あらゆる軍事組織のなかに存在するものだと私は考えています。当然、その構成員である兵士たちに対しては、「戦場で相手を殺す資格があるのは敵もまた同じである」という強迫観念の論理を押し付け、多かれ少なかれ兵士は自己犠牲の義務が求められます。本来人間が持つ多様な感受性や異相ある人格は否定され、画一化されたロボットのようなキャラクターを要求されるのです。そのなかでは、戦時であれ、平時であれ、兵士としての個人は人権のない、まさに「消耗品」として扱われる事になるのです。その意味で考えただけでも日本の軍事組織・自衛隊ですら毎年3〜4月の時期になると、多くの隊員が「消耗品」として入隊、そして使い捨てられていくことを世間ではあまり知られていないかと思われます。彼らが何故、自衛隊に入隊するのか、また何故、辞めていくのか。部内で何が起こり問題にされているのかをもっと世間に知らせていく努力をしたいと思います。

 朝日新聞の記事で公表された自衛隊員の自殺者数は、約24万人のうち04年度は過去最高の94人(0.04%)、今年度は70人(0.03%、1月末現在)となっています。なお、 イラク派遣隊員の中で自殺未遂で入院したり、不眠症などで職場に復帰できなかったりするケースも部内で報告されています。帰国隊員を抱えるある師団では、「数十人が似た症状を訴え、2人が職場復帰できていない」と幹部が述べているほどです。 これらの情報は、最近になってよってようやく明らかにされてきました。

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