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belzinaspirit in mixiコミュの#3 プロトタイプ

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一夜明けて、直志は朝看護婦の顔を見るなりしきりに早く退院させてくれと懇願した。朝食を済ませて一息ついた頃、父がようやく見舞いにやってきた。父はまるで他人事のような口調で、
「大丈夫か」
と尋ねた、
(息子が死にかけたって言うのに、それだけか)
少し苛立ったが、感情を表に出している場合でもなく、直志はもっと重大なことを父に頼まなければならなかった。
「父さん、今日か明日にでも退院させてくれるように医師に頼んでくれないか?」
父は、
「大丈夫なのだな」
と、独り言のように呟いた後黙って頷き、直志と一緒に医師の所に行った。
「そういうの、困るんですよねぇ」
中年の看護婦はしきりに嫌みっぽく文句を言ったが、医師は以外にも快諾してくれた。荷物を急いでまとめ、直志はその日のうちに退院した。父には一人で帰ると告げ、病院の玄関で別れた。暫くすると携帯に母から電話がかかってきた、
「あんた一体何処へ行くの、退院したばかりでしょうに」
「竹井さんの所に寄るだけだよ」
竹井さんとは、「自転車店竹井」の店長のことで、地元のライダーはお店のことを「竹井さんの所」と呼んでいた。
「早く帰って来なさいよ」
と言って、母は電話を切った。
「早く早く! 直志歩くの遅いよ」
ベルヅィナは直志の手を引っ張り、翼をはばたかせた。しばし歩き、竹井さんの所に到着した。誰かに納車するのだろうか、コルナゴC40の組み付けをしながら、
「いらっしゃい、大変やったみたいやね」と挨拶をした。
「ロッシンは全損みたいです、それで新しいフレームを見に来たんですけど」
直志はC40の構成パーツを見ながら用件を伝える。
「そうや、ちょうどSPL社から来期モデルのフレームが届いた所なんや、見てみるか?」
竹井さんは直志が答えを出す間もなく二階から少し痛んだダンボール箱を抱えて小躍りしながら降りてきた。
「まだカタログにも載ってない新型や、わくわくやでぇ」
そう言って竹井さんは箱を開けようとして、箱の痛みに気がついた、
「配送の車が事故起こしたらしくてな、その時ついたんやろな」
あまり気にとめる様子もなく箱からフレームを取り出した。
真紅に塗られたフレーム、スローピングしたトップチューブ、シートチューブは翼断面形状に加工され、カーボンバック部分はオリジナルのものと思われ、異形加工されている。そして、トップチューブには「PROTOTYPE」とロゴが入っている。
「なんか聞いていた仕様と違うなぁ、パイプはコロンブス製になるって聞いていたんやが」
竹井さんが訝しがった。ベルヅィナがそのフレームを見るなり、
「これよ! これがあたしの憑いているフレームよ!」
と言いながらフレームを撫でた。確かに、ベルヅィナと初めて出会った時に彼女が持っていたのはそのフレームだった。直志に選択の余地は無かった、
(このフレームと共に、ロードレースの頂点に立つんだ!)
「竹井さん、そのフレームで組んでください!」
直志は竹井さんの目をくっと見つめ言った。 
「まあ、こういう珍しい出物は即決しないとすぐ売れるからなぁ」
と竹井さんは言いながらプロトタイプをワークスタンドにセットした。
「走れるんだ、あたしレースを走れるんだ!」
ベルヅィナは嬉しそうに呟いた。
「明日の昼には納車できるように組んでおくからビンディングシューズでおいでやぁ」と言いながら、竹井さんはプロトタイプにボトムブラケットを締めこんだ。
日が暮れたころにようやく帰宅した直志を母は叱った、そして直志が新しい自転車を組んでいる事を告げるとさらに怒った。
「そんな高い物買ってどうするのよ?また事故で潰れてしまうわよ?」
「自転車代は保険でなんとかなるんだろ?俺から自転車を取らないでくれよ!」
直志が強い口調で言い返したら、
「そりゃそうだけどねぇ…………」
と呟き母は黙ってしまった。
「もう事故だけは勘弁してよね」
それだけ言い残して台所へと行ってしまった。
少し言い過ぎたかとも思ったが、自転車を辞めろと言われるのが、今の直志にはとにかく生きる意味を失うような感じがして嫌だった。

翌日の昼、竹井さんの所に行くと、約束通りプロトタイプは完成していた。
「何というか、SPLらしいマシンやなあ、溶接の所とかホンマ人がやったとは思えんくらい綺麗に仕上げてあるやろ?」
竹井さんはまるで自分の自転車のように嬉しげに直志にプロトタイプを見せた。
「これが・・・・俺の愛車になるんですね・・・・」
直志はトップチューブを撫でながら感慨深げに言った。
「もう完成しとるんや、ちょっとポジション調整がてら乗ってみてやぁ」
直志は竹井さんに勧められるままにプロトタイプに跨った、かつんと乾いた音を立ててペダルにクリートがはまる。ハンドルに手を掛けペダルを踏み出した瞬間、まるでプロトタイプに融合されてしまうような感覚がした。フィット感という次元ではない、本当に体の一部のようだ。
「やっと本当のあたしに会えたね」
ベルヅィナの声がハンドルを通して聞こえてきた。
「これからずっと友達だね、よろしく」
と直志はベルヅィナに言った。直志はギアを3段一気に上げ、力を込めて加速した、サドルから腰を上げ立ち漕ぎでダッシュする。その姿をダンシングと言うのだが、直志はまさにラテンの如く力強く踊った。直志が踏み込んだパワーを後三角が推進する力に変えてゆく、以前乗っていたロッシンのように巌のように硬いフレームのように跳ね返ってくるような感覚ではなく、力をいなしながらもそれを確実に推進力に変換するような踏み味だ。直志は素直にこのフレームに惚れてしまった。
その頃、竹井さんの所に一台のレガシィがやって来た、SPLの配送の車だ。ばたんと車のドアを開け、SPLの社員が車から降りてきて竹井さんにぺこりと挨拶をして、暫く世間話をしてから話を切り出した、
「先日納品した来期モデルのワークスフレームなんですが、実は間違って規格外品が納品されているみたいなので、回収しに来たのですが…………」
と、言い終わる寸前、試乗を終えた直志が帰ってきた、その規格外品のフレームに乗って……。SPLの社員は驚きを隠せなかった、既に回収すべき規格外品が完成車になっていること、そして先日自分が信号無視をしてはねてしまった少年がその自転車に乗っていることに…………。驚きのあまり目が点になってしまっている。しかし、直志も自分をはねた相手が現れて驚いている。SPLの社員は我に帰り、その場で膝をついて、
「先日はすいませんでした!」
と土下座をした。
「まぁいいですよ、済んだことなんですから」
直志はSPLの社員をなだめた。
「それで、規格外品をどうするやって?」
竹井さんが話しを本題に戻した。
「その規格外品のフレームは必ず回収しろと米国SPL本社からの指示がありまして…………」
直志とベルヅィナは顔が引きつった、
「そんな話聞いてないよ、じゃあこのバイクすぐにばらせっていうんですか?」
「はい、そういうことになりますね」
すまなそうな顔でSPLの社員は言った。
「これは何があかんの、不良品か?」
「いえ、私もただ指示されただけでして何が問題なのかは聞かされていないんです」
「ぱっと見たところは試作品みたいな感じやけどな」
竹井さんとSPLの社員が問答している脇で、直志は失意に暮れていた、
(これじゃ生き返る契約が守れない、終わりじゃないか)
「直志、あたしいい作戦ひらめいたよ!」
ベルヅィナは直志にひらめいた(作戦)の概要を話した。
「いい? あたしの言う通りに喋ればいいからね」
「この際どうにでもなれだ、やってみるよ」
直志はベルヅィナに言われたとおりにSPLの社員に言った、
「もしこのフレームを俺に買わせてくれないなら、あなたが信号無視をして事故を起こした事を、刑事・民事の両方から徹底的に責任を追及させてもらいますよ、まだ首も痛いし精密検査の結果もまだ出てないし……ああいたたた」
SPLの社員はかなり動揺しているようだ、
「逆に…………、もしあなたがこのフレームの存在を見逃してくれるのなら、あなたへの重過失傷害罪を取り下げて、ただの物損事故として処理します。さあ、どちらがいいかよく考えて選んで下さい」
(こんなむちゃくちゃな条件叩きつけて大丈夫なのかよ? ほとんど脅しじゃないか)
(完璧に脅しよ、こうでもしないと何もかも終わってしまうわよ。いいから言われた通りやって)
直志は首を押さえなら答えを待つ。SPLの社員はうろたえて顔には冷や汗が滲んでいる。すると竹井さんが、
「例のフレームはすぐ売れた後に落車してひん曲がってしまったから粗大ゴミとして処分したってことにしとくから、それならおたくもやいやい言われんで済むやろ」
と、ことの次第を知ってか知らずか直志を援護した。SPLの社員は頭を抱えながら
「…………わかった……わかりました、そのフレームは見なかったことにしますから」
と、泣きそうな顔で言った。
直志とベルヅィナは強引な作戦により、プロトタイプの回収を阻止することに成功した。ベルヅィナはぼんやりしている直志の手を持ち上げ、ハイタッチをして喜んだ。
調整を終えたプロトタイプを竹井さんから受け取り、直志は帰って問題になるのは容易に想像できたので気が進まなかったが、仕方なく帰宅の途についた。
「直志名演技だったな、おかげで堂々と世に出てレースを走れるよ」
帰途の道中、ベルヅィナが嬉しそうに直志を褒めた、
「俺も嬉しいけど、帰ったら相当怒られるよ」
直志の憂鬱をよそにベルヅィナは、
「まあ結果オーライよ、その後の細々したことなんて、過ぎればなんとかなるのよ」
と、直志の後頭部を叩きながら明るく言った。
「そうかもね」
直志は少しだけ明るく答え、ゆっくりとペダルを漕いだ。

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