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銀のさじ(小説)コミュの差し伸べられた手を −最終章− 陽だまりにまどろむ

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病院のガラス戸はとても重いので
両手をかけて、その戸を押し開けなくてはいけない。
由乃が苦労して押していると、後ろから光士郎がひょいと片手で開けてくれた。
あまりにもかるがるとなので、驚いてしまう。
由乃は見上げていることに気づいた。光士郎の顔が高い場所にある。
背が、追い越されていた。
なぜだかはわからない。わからないけれど、息がつまりそうになった。
凛々しくなった。見とれるほどに。

病院の外はコンクリートのあっさりした敷地。歩いてすぐ、車が時折通る道に出る。
道はゆったりとしたカーブを描き、ゆるく上り坂になっている。

足裏にでこぼとアスファルトの硬さを感じる。
その道の歩道を歩く。道の両側には、花屋や八百屋がぽつりぽつりと開いてる。
やっているのかやっていないのか、いまいちよくわからないような店もある。

そして民家があり、また店があり…ふと思い出したように車が走りぬけていく。
日傘を差したおばあさんが通り過ぎる。木の枝が道にせりだしている。
ふいに、道のガードレールの向こうに水田が見える。
田園ばかりの田舎町に、都市を作ろうとして作りかけてそのまま時間が経ちさびれていったものの、住む人はそれを意に介さず案外のんびりと
幸福に暮らしているーあるいは大都市になり損ねたことを喜んでさえいるーようだった。

ほほやまぶたや唇に、日差しのあたたかさと柔らかさを感じた。いい天気だ。
アスファルトを破って生えているタンポポやクローバー。やわらかい緑の花束のように丸く茂っている。

光士郎は黙って歩いている。今日はクリーム色のボタンダウンのワイシャツに、グレーの
ジーンズ。濃いブルーのスニーカー。

ずいぶん長い時間、こうやって二人で歩かなかった。
ずっと忙しかった。心の中の嵐で。

光士郎はすっと由乃の手をとった。自然なとりかたで
由乃も握り返した。

二人はのんびりと歩いて行った。商店街を抜けて、高台の公園に来た。

光士郎は高校の推薦が取れたこと、さつ子の新しい趣味−それは絵手紙だった−のこと
卒業したあと春休みを使って、自転車で日本を一周する計画をぽつりぽつりと話してくれた。

由乃はそのひとつひとつをうなずきながら、聞いていた。
光士郎の言葉の持つ温度はちょうど、今の日差しに似ておだやかであたたかく
陽だまりの中にいるような気持ちにさせてくれる。


良い天気のお陰か、公園では遊んでいる子供や日向ぼっこのお年よりが
ちらほらと見える。

それぞれのんびりと、どこまでも伸びやかに息をしているのがうかがえたのだった。

由乃は戸惑っていた。光士郎から手をとられると思っていなかった。
「あそこは見晴らしが良さそうですね」
光士郎はそう言って、公園の奥にある長い階段を見つけた。
急な階段だ。
一葉のいる病院も、さっき通り過ぎた道も見渡せるような場所。
そこに腰掛ける。

向こうで遊ぶ子供の声も、ここにはそんなに届かない。

「……歩けるように、なりました」
由乃はぽそりと言う。事後報告。それに光士郎が傷ついていないわけがなかった。
「はい」
「譲一さんが好きなのは、亡くなったお母様でした」
「はい」
「私は娘のような、妹のような存在で」
「はい」


この公園ののどかさ。日の光のやわらかさ。
光士郎の放つ空気。自分が話そうとしていることの、重さや暗さが信じられない。
本当にこないだまで自分の居た世界と同じ場所なのだろうか。

「急がないでください」
光士郎は言う。
「……はい」

由乃は涙ぐむ。こういうところが。彼のこういうところが好きだった。

光士郎がさて、と立ち上がった。
「どこかに行くんですの?」
「この階段降りてみましょう。空中散歩です」
「まあ!」
かなりの段数だ。降りきれるだろうか?
「疲れたら、途中で休めばいいんですよ」
やさしい声でなかなか容赦ないことを言う。
光士郎は由乃に手を差し出した。
由乃はその手をとり、立ち上がろうとした。その時、ぐいっと力任せにひっぱりあげられ由乃はバランスを崩す。
「?! 」
そしてそのまま光士郎に抱きしめられた。




「僕を一度も頼りませんでしたね」
少し、恨めしそうに言う。抱きしめられたままだったので、彼がどんな顔をしているかわからない。
「……」
「そんなに頼りないですか?」
「それは……」

彼のことは好きだった。
けれど、頼ったり甘えたり、できなかった。一度頼り出してしまうと、際限なく甘えてしまいそうだった。
そして、そんな自分を見せて嫌われるのが怖かった。
由乃は言葉に詰りながら話した。
「光士郎さんのことは好きです。でも……」
「はい」
「私は」

光士郎はそっと由乃から体を離すと、階段に腰を下ろした。
由乃はその隣に座る。

「譲一さんのことあきらめられません。もうだめだとわかっているのに…。

でも、光士郎さんの気持ちはすごくうれしかったんです。

でも自分の気持ちを言うと光士郎さんが、どこか遠くへ行ってしまいそう

で……」

我ながら、自分勝手な上にめちゃくちゃな話しだった。


光士郎はきょとんとした顔をした。それからふいに笑顔になった。
「今はまだお付き合いできないけど、僕と離れるのはさみしいんですね」
「勝手なこと言ってすみません」
「いいんです」
光士郎が言った。
がばり、と立ち上がる。
「僕は、待ちますよ」
「光士郎さん……」
「急がないでくださいと、言ったでしょう」
「……はい」
由乃はじわっと、湧き出す涙を必死にこらえた。ひざの上に拳を固めて。うれしいのと、申し訳ないのと、情けないのとが交じり合った気持ち。
「ずっと待ってますよ」
うたうように、光士郎は繰り返した。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






その日は霧雨だった。
父と祖母は、何かの用事で出かけたらしく、家はひっそりとしている。

人のいない雨の日の家の中は、
廊下の艶や、電燈の傘が
ぼうとした静けさや
ほの暗さをよりかきたてる。


しんとした部屋。うすぐらい居間のソファの影。

濡れた窓を見ながら、冷めかけた紅茶を口につけた。
そして、ふと思い立ち黒いワンピースに着替え、出かけることにした。

花屋で花束を作ってもらう。花は、可愛らしいうす紫の野菊の花にした。
傘はやわらかい表情の白。墓地に着き、鉄の門の前にくる。

門の前は二股の道に分かれている。
由乃は右側の道から来た。
左はまた別の町に通じている。

門をくぐる。ずらりと墓が並んでいる。霧雨にしめった墓はさみしげでもあり、安らいでいるようにも見える。
墓の奥のほうには深い森が続いている。

通路のところどころには、花が咲いている。その花はこの墓地を守っている墓守の老夫婦が世話をしている。

母の墓の近づくと、人影が二つ見えた。父と、祖母だった。
なぜか自然に笑みがこぼれた。二人は由乃に気づくと振り返り、やはり微苦笑をうかべる。
父と祖母はこの前にもう一つ墓参りをしてきたと言った。
父の歩いてきた左側の道。その向こうには、父の愛していた人の墓があった。


三人で、母の墓前に手をあわせた。

沈黙の中、霧雨が少し強くなり…ぽろんぽろろんと雨音が傘に跳ね返って遊んでいる。長い、長い間、手をあわせていた。






「帰りましょうか」
祖母がそうつぶやく。視線は墓に向けたまま。
「お夕飯はなんにしましょうね」
由乃も応える。
「あたたかいものを食べたいね」
父はそう言った。

「ずいぶんと、やわらかな雨音だこと」
祖母は相変わらず墓に視線を向けたまま、そう言うのだった。


久しぶりに父と祖母とで食卓を囲んでいた。
もうもうと白い湯気が立ち上る。鍋の中には鶏肉とよく煮えてくたりと味が染みた白菜。
由乃はせっせと具をよそっては、父と祖母に渡していた。豆腐や椎茸をよそっていることが、不思議な感じがして、くすぐったいような気がするのだった。


塩味であっさりと整えられたつゆは澄んでいて、具がたっぷたっぷと湯浴みしている。
薬味皿に盛られた柚子の千切りの香り。壷の中には一味唐辛子。柚子と一味、椀の中の具にどちらかを好みでかけるのだ。
由乃は柚子を入れて、せっせと鶏肉をほうばった。祖母や父もそれに習った。鶏肉は柔らかく、噛むと中から肉汁が溢れて柚子の香りと共に口を楽しませるのだった。

言葉少なの食卓だった。
これからも、父は往復するのだ。母と恋人の墓を。ただ静かに墓前に手をあわせるために。
仕事をし、日々のあれこれをこなし、ずっと往復をする。

果てしない時間を思い、由乃は気が遠くなるような気がした。






雨音はずっと、規則正しく続いている。









湯船のへりに両腕を重ね、顎を置いたまま目を閉じる。髪は結わわず、濡れるに任せた。
檜の香りが懐かしく、風呂で一人きりになって初めて、やっと家に帰ってきた気がした。こんなふうに食事をして風呂に入る。そう、ずいぶん久しぶりだ。

そのまま眠ってしまいそうになった。
光士郎のことを考える。彼は遠くの全寮制の高校に行ってしまう。
曰く「修行してきます」と。
由乃はふとしびれるような気持ちになった。痛いような、甘いようなしびれ。
そして、大きな息を一つ吐く。
風呂の湯間近に顔を近づけたために、水面に小さなさざなみが広がる。



春になった。
光士郎は無事に高校生になり−一段と大人びるかと思いきや無邪気な表情が増えた−友達と一緒に撮った写真を時々手紙に添えて送ってくれる。


由乃は冬の間体を慣らすことに専念し、春からは画材屋のアルバイト見つけた。
これは、と思って面接に行くとお店の二階に下宿もできるという。何よりも店主が彼女を気に入ってくれたのは幸運だった。

画材屋の儲けは微々たるもので、従ってお給料も雀の涙ではあったために、絵は鉛筆のスケッチが大半になった。
画材屋にいながら、画材を買うお金がないとはいえ、画材に囲まれているのはなかなか幸福。絵の具や紙、そしてイーゼルなんかが放つ懐かしい匂い。


半引退の店主は版画が売れるから採算がとれると言った。
(−亡くなった版画家の夫の絵を置いている。万人受けしないが、好む人には熱烈に愛された−)
たまにしか売れないが、目が飛び出るような値段で売れていく。

店主は70を過ぎた老女で、美しい白髪を頭のてっぺんでお団子にしている。最近は、由乃の絵も置かないかと言ってくれたが丁重に断った。
絵は好きだったが、描くことに以前のように情熱を注げなくなってしまった。


以前なら狂喜して置かせてもらっていただろうに。

さらさらカリカリ、音をたて、鉛筆で描く。
そうすると光士郎の手や視線を思いだせるような気がして、あの痛いような甘いような胸のしびれが少しだけ収まるのだった。


大学のレポートは相変わらず出しているので、無事に進級できた。
学費は父の好意をもらうことにしたが、生活費は自分でまかなうようにした。
日常では、必要なもの以外ほとんど買い物をしなかった。
図書館で本を借りて読んだり、料理を作ったり、買い物に行ったり。
普段の暮らしを一人で切り盛りするのは新鮮で、それで満足だった。



そして文通が日々の日課になった。

それぞれの近況がプレゼントのように−実際それはプレゼントだった−届く。


光士郎(写真部に入った。曰く「絵が一番好きだけど、写真に目覚めてしまった。将来はカメラマンになりたい」)と、

譲一(仕事をやめて海外を放浪中。曰く「やっとのことで傷心の旅に出られた。時間をかけようと思う。すべてに。まずはそこからだと信じている」)と、

父(大学を辞めて翻訳に専念。ドイツと日本を行ったりきたりしている。曰く「頼まれていたドイツビールは郵送したから別便で遅れて届くはずだ。由乃、君もお酒を飲む年になったか…しかし僕の記憶違いでなければ君はまだ19歳だった気がするがどうだろうか?」)と、

祖母(墓守の夫婦と最近仲がいいらしい。曰く「奥様のほうははお紅茶に羊羹をあわせる変わった好みがおありのようですよ。それでワタクシも倣ってみているところですの」)と。

光士郎とは夏休みには会う約束をしている。きっと一段と伸びた背と日に焼けた顔で帰ってくる。

一葉の手術はあの後無事に成功して、ほどなくして退院した。
学校帰りにすれ違うことが多い。
いつも仲の良い子と三人でいる。最初こそ由乃を見つけると大きく手を振って駆け寄ってきたが、最近は友達同士のくすくす笑いに夢中になって通りすがっても気がつかれないことも増えた。

さみしさのようなものと、うれしさのようなもの。

由乃は自分がふいに透明になってしまったように感じる。そしてその透き通った手を透かして見たくなるのだった。

その透けた手の向こうに見える、一葉の笑顔とたくましい足取り。どうやら、3人メンバーの中ではお姉さんの立ち位置らしい。

そんな様子を見ていると、ふいに透けてしまった体が元に戻るのだった。





休日は、たまに喫茶・実に行く。テンさんとテンさんのランチを目当てに。運が良いと会長にも会える。
ボランティアは、メンバーとして籍だけ残したまま、ずっとする暇のないままだったが、会長はかまわないのよ、と目でふんわりと笑うだけだった。

リューとヨウは時々ふらりとお店に寄ってくれる。何するでもなくぶらぶらと来て雑談をして帰っていくのがリュー。お店のお客さん用にと絵葉書などを探したり、用事が明確なのがヨウ。
その他にも苦学の美大生とか、20年油絵一筋の高校教師とか、水彩画教室の講師など(自宅で教室を開いているらしい)など常連とも顔見知りになった。

彼らの話す世界はいきいきと色彩に溢れている。それをいつも、うすい膜一枚隔てて聞いているような感覚があった。

由乃は以前のような、大きなうねりに飲み込まれるような感覚を失ったあと、途端に世界が透明になってしまったかのように感じていた。

あるいは、自分がこの世界のどこにも存在していない。透明人間の暮らしを営んでいるかのような。
けれどそれは決して不快ではなく、むしろどこか心地よい安心なものだった。






















大学を卒業したあと、画材屋は閉店することになったが店主には今も時たまお茶を飲みに会いに行く。

彼女は美しい白髪を残らず白に近い淡い紫に染め、オードリーばりのショートカットヘアにした。
恋をしているのよ、ほがらかにそう言って微笑しているのだった。


由乃は画材を輸入販売する小さな会社に入った。
会社には従業員の女性があと2人、そして社長と奥さんが切り盛りしている。

光士郎は高校を卒業したあと、写真館に務めている。毎日、家族の写真をもくもくと取り続けているという。






…二人の間でやりとりした手紙の量は積み重ねると月まで届くかもしれない。



















ヨウが客足もとだえた店内を見渡し、そろそろ店じまいかと振り返るとそこに由乃が立っていた。真っ白いふんわりとしたワンピースに、白い靴。小さなハンドバッグまで白だ。

「久しぶり」
「ユウ、いつこっち来たの?元気だった?」
「ええ、昨日実家に泊まって」
「今日はどうしたの?リューも呼んでこようか」
一つの建物を半分に仕切って、半分が美容院、半分がパン屋のこの建物。真ん中はドアで行き来できるようになっている、小さくも誇らしい二人の城だ。
「いいんですの、余り時間がなくて。また改めて来ますから」
由乃は軽く首を振る。
「髪をね」
長い黒髪を指す。
「切ってほしいんですの」
「そりゃまた思い切ったことを」
「ついでに少し明るい色にしてくださいな」
「ええっ?! 」
「いいんです」
にっこり笑う。
「でも…」
「人を待たせてあるんです。お願いします」


ヨウはもったいないとぼやきながらもきれいなボブカットにして、ほんのり日に透ける程度のブラウンに染めてくれた。
「ありがとう」
にっこりと笑って椅子から立ち上がる。
「きれいになったね」
ヨウがしみじみとつぶやく。
「父親みたいな言い方しますのね」
照れた由乃は、ひとしきり笑うと
あっ、と腕時計を見て小さく叫んだ。
「急がなきゃ。もうずいぶんと待たせてしまっていてよ」

ヨウはどうもわからないと首をかしげる。
「さっきからずいぶんあわててるけど、いったい誰を待たせてるんだい?」

その問いに由乃は笑顔で応えた。


「婚約者、ですわ」























































差し伸べられた手を 








コメント(6)

お久しぶりです。
ようやく完結ですね。
ご苦労様でした
こうして読ませていただくと、同じ世界(最も小説ですが)に生きる自分とはあまりに違う生き様であり、そこに流れる時間も違う。
おいらの世界では、たぶん主人公のようにゆっくりとした時間は永遠に与えてもらえないでしょうね。
それこそ馬鹿チョン呼ばわりされてケチョンケチョンにされちゃいます

おいらのいけないところは、固体を逸して、心の動きで読んでしまう。
一抹の不安はその一点。

二人の未来に幸多かれ。といってあげたいです。
あ〜ハッピーエンドでよかったわーい(嬉しい顔)

しかし、ふみさん。文章がきれいでとても丁寧ですね。
なるへそw
なんか大正時代の少女漫画〜って感じもしないでもなかったのはそのせいですねw

おいらも泉はすっからかんになってしまいました
最近な〜んにも涌かないので、前に日々こぼれ落ちる歌たち(童話)にのせた絵本投稿してみたりしました
http://www.intel.co.jp/jp/tomorrow/#/book/read?isbn=5784838737789&&chapter=0
ipadみたいな感じで本が作れちゃうんで、わらっちゃいます

最近は本も読んでないな
そうですねー本でも読んで
又泉が溜まったら書きますねあせあせ

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