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終末期のケア・家族への支援コミュの「家族と共に、最期まで自分らしく」

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「自宅で看取る」にこだわり、患者の在宅生活支援。

「千里ペインクリニック」(豊中市新千里東町1)の在宅ホスピスは問診、血圧、血中酸素濃度の測定の後、ガーゼなどの取り換え、薬の処方、痛みを感じる場合の対処法など、医師と看護師がペアで処置する。

介護保険が使える、使えないにかかわらず、ケアマネジャーがデイケアやベッド、トイレなど福祉機器を手配。時にはボランティアを準備することもある。円滑なチームプレーが、同クリニックの強みだ。

松永美佳子院長(41)は麻酔科の医師で、痛んだ神経の近くに局所麻酔薬や炎症止めの薬を注射する「神経ブロック治療」などで痛みをコントロールする、いわば“痛みの専門家”だ。外来と、在宅ホスピスの往診の2本柱で、医師3人、看護師7人、ケアマネジャー1人、事務スタッフ2人の計13人態勢。

通院できないがん患者が対象で、常時15人程度をサポートしている。1週間に医師は1回、看護師は3回の訪問が基本だが、緊急時には24時間、365日出動する。

患者の情報は、毎朝のカンファレンスで共有する。患者の状態、薬の量と種類、家族の状況、今後の治療方針を決める。

04年6月の開業から今月20日までの約17カ月間で129人を担当。108人が亡くなり、その約9割に当たる96人を自宅で看取(みと)った。平均在宅日数は41日。
    
松永院長が在宅ホスピスを始めたのは、大病院勤務の経験からだ。
末期がん患者の病室。体中に管を入れ、点滴で体はむくみ、顔は別人のように変形した。付き添いの家族も連泊で、身も心もボロボロになり、限られた貴重な時間を有効に使う余裕などどこにもなかった。「これが本当にいい最期の迎え方なのか」との疑問を抑え切れなかった。
松永院長は言う。「痛みのコントロールは家でも可能です。家で家族と共に最期まで自分らしい生活を送っていただくことが私たちの願いです」
 
10月24日(毎日新聞 朝刊)

コメント(20)

どんな現場であれチームワークって大事ですね
在宅介護でも家で看取りたくて介護されている人もいます
あたしは訪問入浴に携わっています
以前こんな事がありました
利用者さんが骨折(大腿骨骨折)をしてしまいました
だけど高齢であること、体力が持たない事
そんな理由で安静療法でした
その利用者さんはお風呂が大好きで介護者さんも
お風呂へ入れてあげたい。。って依頼がきました
あたし達はどんな状況の人であれ
医師の了解と家族の了解があれば入浴をすることできます
もちろん骨折したままでも方法はあるわけで
お風呂へ入れてあげられるんだ、、って思ってました
だけど訪問看護師さんが骨折をしているからという理由で
お風呂を断固反対
治ってからでもいいでしょう。。って事でした
確かに普通はそうでしょう
だけど骨折治療が何もできないほどの人です
そのまま逝ってしまうかもしれないほど体力は低下してました


お風呂に入れたい家族は結局訪問看護師さんの
言う事を聞くことになりました
治して入れてあげようって思ったのかもしれません


だけど結局その利用者さんはお亡くなりになりました
後で聞いた話ですが最後まで利用者本人は
お風呂に入りたい。。って言っていたそうです
その話を聞いてなんともいえない思いになりました


サービスを提供する側の連携の大切さを学びました
もっとあたし達が強く出てもよかったんじゃないか
家族や本人の意見をもっと伝えたり
提供者同士で共有したり話し合ったりしてもよかったんじゃないか
その利用者さんが教えてくれた事は大きかったです
>まっさんさん
コメントありがとうございます。

厚生労働省は来年度改定で、医療・介護関係者が「在宅医療チーム」を組んで入院患者が早期退院できる診療計画を作成し、計画に基づくケアを実行した場合、報酬に上乗せをする方針を固めたそうです。
終末期を迎えた患者の尊厳を重視し、自宅で死を迎える人を増やすことと、高額な「終末期医療費」にメスを入れるといった2つの狙いがあります。

今後、在宅医療が拡がっていくことは間違いないと思います。
そういった中で、患者・ご家族訴えに耳を傾けていくことは、まっさんさんがおっしゃるようにとても大事な事ですよね。
私自身、真の訴えを聴くことが出来る、満足してもらえる、そういった介護・福祉を常に目指していきたいと思っております。


>凛コさん
コメントありがとうございます。

凛コさんのやさしさが文章からにじみ出ており、このような素敵な考え方が出来る方がいらっしゃる事に嬉しく思います。

本当に考えさせられる事例だと思います。サービスを提供する側の連携の大切さを痛感します。
養老先生の「バカの壁」ではないですが、理屈は知っていても本質を理解できていない事って自分に当てはめてみても多くあると思います。
せめて、このようの時にはそうではない、真の意味で必要とされるケアが出来たらと切に願います。
在宅死・・難しいですね。
うちの祖父は6年間入院していてそのまま病院で亡くなりました。実家は祖父がこだわって建てた家だったんですが、その家で祖父が暮らしたのは1年にも満たない短い期間でした。
自分がこだわった家に帰ることなく、大好きなお酒を飲む事なく祖父は亡くなりました。しかも誰にも看取られずに・・

いつ亡くなってもおかしくないと診断されてから、1日も経たずに亡くなってしまったんですが、その診断の後すぐにでも自宅に連れて帰り、自宅で最期を迎えることはできなかったのか・・今でも考えてることです。
でも実際問題、自宅には介護を受けている曾祖母がいます。普段主に介護をしているのは祖母です。もし祖父を自宅に連れて帰ってもいいと言われても、そうする事はできなかったかもしれません。
介護する側の高齢化も考えなければいけないところですよね。
私が実家にいて、もっと専門的な事を知っていたら・・と悔やまれます。
>ハリソンさん 和美さん
コメントありがとうございます。

厚労省の人口動態調査によると、在宅死と病院死(診療所などを含む)の比率は、1951年は在宅死が82.5%、病院死が17.5%で圧倒的に自宅で亡くなる人が多かったが、77年に病院死が在宅死を上回って以来、病院死が急増。98年は在宅死が15.9%、病院死は84.1%となっています。
また、痛みや突然の出血など症状コントロールが難しいがんの場合、約97%が病院死となっているのが現状です。
その一方で、神奈川県立がんセンターの調べでは、「家で死にたい」と「病院で死にたい」は約40%でほぼ同じ割合となっています。

病院を望む方であれば現状でも問題はないのかもしれませんが、在宅を望まれる場合、圧倒的に環境が整っていないのはこのデータからも読み取れると思います。
在宅であれ病院であれ、国民が望む終末期を提供していく法・整備の変革が必要だと思います。
場所がどこであれ「家族とともに、その人らしく逝く」ということは
ある程度、可能ではないかと思います。
(家にいることがその人らしいことでもあったりするのですが。)
そのためには普段からの患者と家族のコミュニケーション
ケアスタッフと患者、家族とのコミュニケーションがしっかりと
取れて信頼関係が築かれている事、それにケアスタッフ間で
その人らしい生を支えるという意思の統一などが必要だと感じます。

もちろん制度や体勢が本人や家族の意思を支える為に
整えられることが大切だと思います。
しかしながら設備や介護力にはそれぞれ限界があります、
それでも、そのなかで選択が可能なこともあると思います。

ハードも大切ですけれど、ソフトはより以上に重要だと思います。
人工呼吸器をつけて意識ないまま治療を続けるか、本人の意思を尊重して延命させないか。
そんな選択できません。
私は母に少しでも元気になる可能性を見いだしたくて、延命措置をお願いしました。
母も朦朧としながらそれに同意しました。
でも、麻酔をかけずにそのまま意識を多少でも保ったまま逝かせてあげたほうがよかったのか。
わかりません。
でも、向こうへ行ってしまったら二度とは帰れないから…
私は少しでも生きられる可能性に賭けたかった。
最期の説明に親戚か誰かに立ち会って欲しいと言われ、病院から母の兄弟に連絡するも拒否される。
他に立ち会える人はいないかと言われ…誰もいないのにしつこく聞かれて…
それじゃなくても辛いときなのに、ここぞと孤独と向き合わせるような看護師の言葉に非常に怒りを感じます。
若輩者です。すみません。

終末期という言葉の解釈は難しいかと思いますが、私は治療の効果が期待できない。というあいまいな形での解釈です。

人工呼吸器をつけたことにより治癒が期待できるかどうか。
癌の末期の場合は治癒が期待できず、心臓が止まるのを待つのみ。なので、医療者側から積極的にすすめることはないかと思います。
しかし、肺炎など治るみこみがわずかでもある場合、家族・本人に選択していただくかと思います。

ほんの少しでも可能性を信じ、人工呼吸器を希望される場合があります。
息苦しいというのは本当に苦しいものだといわれており、その苦痛から少しでも楽にしてあげたいと人工呼吸器を希望される場合もあるかと思います。
人工呼吸器をつけることで苦しい時間を長引かせるのはつらい。と人工呼吸器を拒否される場合もあります。

どの選択が正しいか決めるのは本人、ご家族だと思います。
私がいつも心がけていることは決断された結論が正しかったと思ってもらえるようにお声をかけることです。

どの場合においてもメリットデメリットがあるかもしれません。
その決断が正しかったかどうかもわかりません。
しかし、それでよかったどうか心揺らぐとき、それが正しかったと支える立場でいたいと思います。

家族間で話をしてもらいたいのも、ともに決断し、その決断が正しかったか心揺らぐとき支え合っていただきたいから。
一人で抱えるには重たすぎる決断だから。

ただ、その伝わり方が怒りを感じさせるものであったのであれば、どんな伝え方であったとしても看護師の不手際だったのかもしれません。

>人工呼吸器をつけて意識ないまま治療を続けるか、本人の意思を尊重して延命させないか。
そんな選択できません。

では、選択はだれがすればよいのでしょうか?
医師や他の誰かが決めてくれればその選択が正しいのでしょうか?

選択は誰にもできず、でもやはり、本人・その家族がその選択をしなければいけないような気がします。

のりぴーさんは少しでも生きられる可能性にかけた。
その決断にお母様も同意しておられた。
人工呼吸器をつけている間きっと、のりぴーさんも治癒の可能性を信じ、願いお母様を思う時間を持てた。
もし、人工呼吸器をつけていなければもしかしたら治っていたのではないかと後悔していたかもしれない。
人工呼吸器をつけた決断は決して間違いではなかったと思います。


そんなつらい思いをされているときそばに寄り添う看護師がいれなかったことは残念に思いますが。
> ☆みぽ☆さん
ありがとうございます。
母は肺炎です。
呼吸器科の部長の先生とお話しし、体力を信じて、治療を続けましょうということになりました。
今はもう、呼吸器を付けて意識もありませんが、いろいろな数値は安定していて(血圧だけちょっと低すぎますが)、あとは回復を祈るのと、いざというときに心を備えること、そして伝えたかったことを母が生きているうちに耳元で言って聞かせるのに集中します(耳は聞こえているそうなので)。
ICUに移る暇もなく延命措置を施したのでナースステーション横の重症患者部屋なのですが、同室の男性が「(死にかけている人と)同じ部屋は嫌だ。移らせてくれ」と看護師に、私に聞こえよがしに言っていました。
そいつは1分に一度ナースコールして若い看護師を「指名」してる元気なじじいです。
悔しい。
母は、2010年5月30日16時49分に天使になりました。
呼び掛けると、答えるように心拍数をあげてくれました。
泣かない約束を最後まで守り、笑顔で天使誕生を見守りました。
おかあさん、ありがとう。
産んでくれてありがとう。
また、おかあさんの子供に生まれたい。
これから、おかあさんが自慢できるような子になる。
お金持ちとか偉くなるとかじゃなくて、
おかあさんが喜んでくれることはなにか考える。
だから、ずっと見守っていて。

おかあさん、ありがとう。
これからも、よろしくね。
のりぴーさんのお母様、
のりぴーさんを産んでよかったですね。よき最期でした。
まだ、お嬢様のそばにおられますよね。。。

のりぴーさん、
私の母が亡くなったのは一昨年の12月6日でした。かすかに、しかし懸命に呼吸していた母に、「もう行っていいよ。」と声をかけると、こたえるように、心臓と呼吸が止まりました。誰かがそう言ってくれるのを待っていたのだと思います。

その母は、1月2日の初夢に笑顔で現れ、「ご機嫌ね?」と聞くと、「当たり前よ、もう苦しくないんだもん!」と言いました。

そして三日後、母は、先に亡くなった先代犬と共に我が家にやってきて「じゃぁ行くよ!」と旅立ちの挨拶をしてゆきました。

一般的には、旅立ちの準備に死後、魂は49日この世にとどまると言われていますが、母の場合、旅立ちの準備はひと月ですみました。これも、母の死を察して、突然病に倒れ、虹の橋で母が来るのを待っていた先代犬が何かと手伝ったからだろうと思います。

この日、母の願いで迎えた二代目の愛犬は、自分の目線の先(何もない)を見て吠え、次に上を見上げて吠え、尻尾を振りました。姿は見えませんでしたが、私にはにこにこと笑顔で手をふる母と、尻尾をぶんぶん振る愛犬を感じることができましたよ。私が見た(感じた)母の最後の笑顔でした。

私も、また、母の娘として生まれたい、と思います。
お母様にたくさん、話しかけてあげて下さい。
いつもそばにいてくれますから!
義父のことでどうしたらいいかと思い、参考にご意見を頂戴したい者です。

義父は義母と2人で暮らし、近くに義弟夫婦がおりますが、4、3、2才の男子がおり、共働きです。

私は長男の嫁、義父の家からは車で2時間半のところに住んでおります。
20歳の大学校3年、高3、中1と3人の子どもがおります。
週2回の仕事です。辞めることはできない状態です。

義父はガンで去年の5月手術、半年の命と言われ、今日まで元気で手術後退院し、
介護保険で対応しながら、
在宅でやってきましたが、とうとう、死期は近いようで、痛みもあるようですが、絶対に痛いと言いません。

言うと入院させられると思っているのです。
息子たちは2人とも、在宅が希望なら、そうしろ!
と言ってますが、もし、寝たきりになったとして、嫁の私が行くことになると思うのですが、
息子の受験もありますし、痛みを我慢しての在宅介護・看護・医療が
はたして、本人の希望としてもそれでいいのか、判断が難しいのです。

本人の希望はかなえたいがために、痛みを堪えて死んでいくことがはたして、義父の
一番の幸せなのか、分からないのです。。。

医療関係・介護関係に明るい方々、教えていただければと思います。
よろしくお願いします。

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