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新聞小説の楽しみコミュの「荒神」(朝日朝刊)

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3月14日から宮部みゆきの新連載。江戸時代の話らしい。

コメント(47)

地史的設定は興味深いが、蓑吉はやはり庄屋までたどり着けなかったのだな。捨てキャラだったんだろうか?

成仏できずに、違形の怪物となってカムバックしたりするのかな?
直弥は病気療養中で、達之助の妹奈津といいなづけの仲。

達之助はこれから山番で、いわゆる国境警備にあたる。
話がややこしくなってきた。

朱音(あかね)は壇上の妹で35歳、おせん(14)との関係はわからないが、永津野藩に住んでいる。
村人たちが失踪した件は、作者本人がネタばらししているのであまり興味がもてない。

それよりも弾正の出世話のほうが面白そうだ。
「朱音の心の底に氷が張った」持ってまわった言い方だがそんなに悪くはないと思った。

しかし、こうやって書き出してみると、語呂もよくないし、別の言い方はなかったんだろうか?

「氷は張ったままだったが、心の糸は切れた」

切れたのは「緊張の糸」なんだろうけど、しっくりこない。

加介が震えるくらいに怯えているが理由はまだ明かされない。
こんなふうに説明を先送りして読者をじらせるのは作者の特権であり、また普遍的なテクニックでもあるのだろうが、どちらかと言えば卑怯なテクニックだと思う。

で、宮部みゆきはこのテクニックを使いすぎなのかそれとも下手なのか、とにかく私のカンに障ることが多くて、私が宮部みゆきを好きになれないのはたぶんこれが理由なのだろう。

宮部みゆきの小説「理由」でも、ある「理由」についてさんざん引っ張ったあげくに明かされた「理由」がとんでもなく陳腐だったので私は驚き呆れてしまったのだった。

加介の件でも、加介はまず怯えているコアな理由から話始めるはずで、手ぬぐいがどうだこうだという説明的なことから話を始めるのは不自然だ。

これはこのテクニックの使い方を誤っているのだ。あるいはテクニックを過信して、その効果のためなら不自然さも許容されると考えているのかもしれない。

ともあれ、加介が怯えている理由が開示される過程を楽しみにしてみよう。
どうもネガティブなことばっかり書いているせいか、いっとき増えていたコミュのメンバーがまた減ってしまいました。
昨日分だが、「血は止まっており、かさぶたのようになって凍りついている。」

「凍りついている」に違和感。

ここまで読んできて季節感をあまり感じなかったのだが、真冬の話たったのかな。朱音とおせんがぽかぽか陽気の中を歩いているイメージがあったので、蓑吉の事件からは季節が変わっていたと思っていた。

毎度ネガティブで申し訳ないが、「魚の腸の腐ったような臭い」という表現は、誰にでも同じ臭いを想起させるものなのだろうか?

「生臭い」の宮部流文学的表現なのか?
ストーリーにいろいろな要素が絡んできて、これは作者の力量なんだろうけど、過去のストーリーを読み返すことができない新聞小説では読者にとってつらい。

なんだなんだなんだ!?

いよいよおでましかっ?
お出ましにはまだ早いんじゃないか、と思っていたら足跡だった。

しかし、「人間なら足の裏にあたるところは逆三角形」って、足跡の方向を定めずに書くから意味がわからん。挿絵画家も困ったんじゃないのか。

それに、足跡を発見したら、まずそれがどこから来てどこへ行ったのか、いつだったのか、ということを考えるんじゃないのか?
せっかく話がいい感じで進んでいたのになぁ。

こういうのをチェックするスタッフはいないんだろうか?
「怪物」という言葉に違和感。

この言葉はもっと近代になってから使われるようになったんじゃないだろうか。

例えば「モンスター」の訳語として誰かが発明した、とか。
地響きをたてて落ちたことから、建物と怪物の相対的なサイズがわかるかもしれない。

関所は3階建て?四階?高くても15m?
>手妻とは、古来より日本に伝わる日本独自の手品・奇術のこと。
緊迫した状況が続いているわけですが、いまひとつハラハラドキドキしないのは、登場人物に対する思い入れが薄いのと、地理的配置がよくわからないからなのかな?

昨日のことだが、「奥歯で涙を噛み潰す」という表現。これって文学的なんでしょうか?

ドヤ顔で書いているようだけど陳腐だと思う。「奥歯を噛み締めて涙をこらえる」でもまだあざといかな。
右足首に痛みが走るのは立ち上がろうとしたときなんじゃないだろうか。

肩を押さえられ、「言葉を受けるより先に」痛みが走って声がでる、っていうことは、円(字が出せない)秀の言葉より先に声が出たということで、それなら書く順序が違うだろう。

こういうことに無神経なところが嫌い。
「さぁ涙を拭いて、私を背負ってください」って、ものを頼むにしてはずいぶん失礼な物言いだと思うが、なにかの伏線なんだろうか?

だいたい、やじに降ろせと言ったのは朱音だった。やじが女性だから?

などと言いつつ、結構楽しんでおります。
この時代に「酸」という言葉、概念、あるいはそのものが存在したのだろうか?

「酢(酢酸)」はあっただろうが火傷はしないだろうし。

自然に存在する、火傷するほどの強酸といえば胃液(塩酸)だが、その知識が広まっていた?

挿絵については今までにも度々いいたいことがあったのだが、敢えて言わずにきた。画家は読者と同じ立場で作者の文面から想像して描いているものと思っていたからだ。

しかし、今朝の挿絵は山の地図だった。これはどういうことだろう?

文面にはこれだけの情報はなかったから、これは画家の想像?それとも作者からなんらかの情報を得ている?

それにしては関所や朱音たちの現在位置がないとか、どうにも理解に苦しむのであった。
「(登場人物が)あっ、と思った」と書いているのは、読者にも驚いて欲しいのだろうか? でもそんなの誰でも思いつくことだから。

「あっ、と思った」ってほかの作家ではあまり見ることのない表現ではないかな?

また話が一段とややこしくなった。

これだけややこしく入り組んだ要素を読者が納得できる形でまとめあげるには、作者に相当の力量が必要だろう。
ハナが「格別」という表現に違和感。

蓑吉の「素性」ってどういうこと?
↑、「蓑吉、無事だったかい」とか声をかけた人がいたのでこんらんしたが、蓑吉は自分の育った村へ帰ったわけでは、なかったのだな。

それなら「素性」も納得。
庄屋を馬に乗せたあたりのいきさつを全く覚えていないのだが、誰が乗せたのだったかなぁ?


気を失った人間を馬にのせて山道を歩けば間違いなく落ちるだろうし、そうなれば蓑吉にはどうしょうもないのだが、この判断を誰が下したか?
油を入れた土器を投げて火をつける…。

液体には粘性というものがあって、ガソリンならともかく当時流通していた植物性の「油」ではこういうことは無理。「油を売る」の語源を調べてみるといい。

鞍のない馬に子供が一人で乗るのも無理。
怪物の血の色についての記述がない。生き物じゃなくて化け物なんだから何色でもよさそうなものだし、そもそも血が流れていることも意外だったのだが。

まぁ化け物なので作者の自由な発想で書いてもらえばいいし説明責任もないののだが、しゃきっと納得させてもらえると大きなカタルシスになるので、それを期待しよう。
和尚の知識はどうやって得たのか?また、和尚はその知識をどうやって検証したのか、あるいは検証せずに信じているとすればそれはなぜなのか?

こういうことが明らかにされないと、登場人物も読者も納得できないところだ。
今日の挿絵は明らかな手抜き。まぁ、初めてではないけれども今日の「筆一本」というのはひどい。
「やじ」が女性だったということをドヤ顔っぽく書いているわけだが、#30ですでにバレてる。
クライマックスなんだけど変容する怪物の大きさに関する記述が全くないので、なんだかよくわからない。
「怪物は悲鳴を上げ、鐘楼の屋根に倒れかかった」って、作者の頭にはちゃんと怪物のサイズ感があるんじゃないか。それをなんで読者に伝えない?下手か?
エンディングは、まぁいいんじゃないかな。

しかし、この話は出版されるんだろうか?

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