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源氏ですコミュの源氏一門に生まれた者の宿命か?

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 四月二日、大雨の中を、信長は予定通り諏訪を立って甲府の大ケ原に陣を移した。その日の午後、躑躅ケ崎の信忠は長谷川与次・関十郎右衛門・赤座七郎右衛門尉らを奉行にして佐々木二郎隠し置く過怠を糾弾すべく恵林寺を包囲した。すでに二度程使者を出して、佐々木二郎らの引き渡しを求めていた。
「引き渡すことは出来ぬ。寺は守護不入、また信玄公の菩提寺でもある。即刻に立ち去れ」
その都度快川は拒絶した。それで、三度目の使者には、光秀自身が行くことにした。一日中降り続けた雨も夕方には止んで、帯那山の向こうには、薄い雲におおわれた落日が白く光を放っている。光秀は湿りけをおびた山門の急な階段を十人の護衛を従えて登っていった。山門をくぐると、僧衆七、八名が光秀を取り囲み、そのまま楼上の僧坊に連れていく。部屋の中央に快川紹喜が座し、その左右に十余人の長老が控えている。
「お久しゅうござります。明智光秀にござります。国師様ご受難とうけたまわり、罷り越しました。どうか、武田の残党をお引き渡しの上、ひとまずこの寺を立ち退きくださりませ」
「いずれは、そなたが参るであろうと思うていた…。のう光秀、当寺は信玄公の菩提所ゆえ、織田の恨みをかうのはいたし方あるまい。されど寺には世俗の権威は及ばぬのが仕来りではなかったか。守護不入の権利は朝廷によって保護されてきたもの…。境内を取り巻く織田の軍勢を早々に立ち去らしめるが帝にお仕え申し上げる武人としてのそなたの役目ではないか」
「仰せごもっとも、なれど、天下布武の信長公に、その理は通じませぬ」
 武家による一元的支配を目指す信長にとって、神社仏閣が持つ守護不入の権は一刻も早く壊滅させねばならぬものである。
その時、国師の後ろに座っている長老が声を発した。
「光秀、わしを覚えているか」
 国師の影に隠れて、その面容を定かに捉えることが出来ない。
 光秀は立ち上がってそこに座る老人を見据えた。
「…土岐のお屋形様では……」
 声の主は土岐頼芸であった。光秀は父と訪れた南泉寺で主家筋に当たる土岐頼純、頼芸の兄弟に幾度も会っている。
といっても、四十年も前のことで、光秀がやっと十五歳になって元服したての頃であった。今、頼芸を思い出すことが出来たのも、快川紹喜からの連想のせいで、その頃も頼芸はいつも快川和尚と共にいたのである。
「光秀、寺は守護不入、武家の権力は及ばぬ。朝廷により保証されているこの権利が信長により覆されるようでは、帝の存続さえ危ういと思わねばならぬ。土岐家は貞純親王を祖とする清和源氏。頼光、頼政と続いた武門の誉れ高き家筋じゃ。取り分け、鵺退治で名高い頼政公は治承三年、以仁王を戴いて平氏打倒の兵を挙げ、宇治の平等院で壮烈な討ち死にを遂げられた。その血をひく光秀が、誇りも信念も捨て去って、平氏を称する信長の走狗に成り果て、わが大導師、大通智勝国師が住持を勤め、土岐家と祖を同じくする清和源氏、信玄公の菩提所、恵林寺毀壊(きかい)に手を貸すとは本末転倒も甚だしい所行と言わねばならぬ。慎め、光秀。そなたは帝より丹波平定を賞され下賜(かし)の品まで頂戴したというではないか。賢きあたりにおかせられてもそなたをたよりにされているのはそなた自身が一番よく知っているはず。光秀、自分の心に恥じることをするものではない」
「……まことに面目なきことながら、…それはかないませぬ。ひとまずこの寺を立ち退き、後日を期してくださりませ」
「光秀にそれが出来るというのか」
 退去を促す光秀に和尚が詰め寄った。その勢いに乗じるように頼芸も言を続ける。
「そなたの心中にわしらが望む後日があるならば、わしは信長に下って、そちの後日を見届けてもよい。ただし、わしの余命は幾許もない。わしが生きている内にわしらが望む後日を実現することじゃ」
 頼芸は高齢である。和尚と共に恵林寺で死ぬもよし、しばし生き長らえて、光秀の心を試してみるもよしの思いであった。
「それではお屋形様、わたしについて、ひとまず下山下さりませ」
「これは面白い、お屋形様、光秀の心を確とお見届け下さりませ。拙僧は三界不変の法輪に仕える身、寺と運命を共にいたし、あの世から光秀の有り様を見届けることにいたしましょう」
 快川和尚は合掌して一礼すると、再び説法を始めた。光秀は身一つで下った土岐頼芸を護衛の武将に守らせて、黄昏の山門を降りていった。

 山門の両脇にはいつの間にか薪が堆く積み上げられている。そして、赤門の真下には床几に座った信忠が交渉遅しとの気持ちで恵林寺を睨み据えていた。光秀は連れ帰った者が旧主頼芸であることを信忠に報告した。すると信忠は頼芸の身柄は恵林寺征伐の奉行に預けるように指示する。
 
 その時である。山門を駆け下ってきた二騎があった。馬上の武者は抜刀している。
 多勢の織田軍めざして、死を覚悟しての討ち入りと思われた。
先頭の武者は目結の鎧を纏(まと)っている。後に続く武者は鞍に武田菱の家紋が入っていた。
二人とも一軍の将に相応しい武者姿である。二騎は群がり寄る織田の軍兵を数人なぎ倒した。
「殺さずからめ捕れ」
 信忠が命令する。長槍を持った雑兵が十数名前面に出て二騎を取り囲む。同時に銃声が響き、馬が撃たれて横転、落馬した二人は取り押さえられた。
「連れてこい」
 再び信忠が命じる。引き出された二人は四人の奉行衆が吟味した結果、目結の鎧の武将は佐々木二郎高定、武田菱の鞍を置いていた武将は若狭武田の五郎信景であることが判明した。
「武田五郎信景に間違いないか」
 信忠は土岐頼芸に尋ねた。
「相違ない」
 頼芸は悲痛な面持ちで答えた。
 武田五郎信景の方は、間違いなく当人であった。武田氏は鎮守府将軍源頼義の三男新羅三郎義光の子義清が甲斐国市河庄に配流されて、甲斐国北巨摩郡武田村に住んだことから、武田の冠者と称された。

 治承四年(一一八〇)、武田信義は頼朝に応じて挙兵、戦功を立て有力御家人になる。六代後の信武の長子信成が甲斐源氏の嫡流となり、三男氏信は安芸武田の祖となった。氏信から三代後の信繁に至り、長子信栄が足利義教に背いた一色義實を討ち、その巧により若狭の守護に任じられて、若狭武田の祖になり、安芸武田の方は四男元綱が継いだ。
 広範な血脈を誇る武田一党であったが、とうとう嫡流の甲斐武田は信長に滅ぼされてしまい、一人傍流若狭武田の五郎信景だけが恵林寺に止まることになってしまった。
 紹覚より甲斐武田の滅亡が知らされた時、信景は、
『自分も祖廟の地に果てるべきだ』
と覚悟した。恵林寺の僧侶らと焚殺されるより、武士らしく戦いの場で潔く死のうと思ったのだ。この決意は、高定一行と恵林寺で別れた時、すでに五郎信景の胸にあった。しかし、言えば従兄弟にあたる高定も必ず残ると言うに決まっている。分かっていたから心ならずも、大和孝宗に、
『武田の祖廟に参ってから必ずあとを追う』
と嘘を告げたのであった。
 一方、目結の鎧を纏っている武将は、高定が幸姫や耀姫を僧形に変えて寺を脱出した際、叔父頼芸を守るように言いつけて恵林寺に残した勘助である。勘助は高定から形見の鎧、兜を貰った時、伊賀の百姓の伜が名のある武将として戦い、死ねることをまず喜んだ。 そして、高定として死ぬことが結果的には主君を助けることの栄誉に通じ、また、主君の恩に報いることでもあると信じて自分の影武者としての振る舞いに誇りと自信を持った。それで、信景が打って出たのを良い機会と見て、ともに戦ったのだ。
「佐々木二郎に相違ないか」
 光秀が勘助に向けた尋問に、
「相違ない」
 勘助と頼芸はほとんど同時に答えた。若狭の武田五郎と名乗った方は、間違いなく当人であることは光秀も知っていた。なぜならば五郎の姉が光秀の母であったからだ。長らく会っていないとはいえ叔父の顔を光秀が忘れるはずはなかった。しかし、佐々木二郎の方は光秀には当人であるかどうか分からなかった。明智十兵衛と名乗り承禎に仕えていた頃は、二郎高定は未だ元服に達せぬ少年であり、大原高保の養子になっていて観音寺の城で会うことはなかったからである。
「こ奴らを匿い、武田と一体して織田を敵とした快川紹喜、および恵林寺の過怠は償うてもらわねばならぬ。ただちに恵林寺に火をかけて棄却せよ。寺も僧もすべて焼き払え」
 信忠の命令を受けた部隊が境内に侵入し、寺内の僧侶から稚児にいたるまで一人も残さず楼門へ追い上げた。階下の薪の上に別部隊が藁を積み上げていく。
 やがて、奉行に命じられた将卒が火を放った。周辺に黒煙が立ちのぼり、猛火は忽ちのうちに燃え広がった。そのうち次第に煙がおさまって炎だけが轟々とあがり始めたとき、光秀や頼芸は目も当てられぬ酷い光景を目撃した。
老若の僧侶、稚児、若衆ら合わせて百五十余人が炎の中で躍り上がり、跳び上がり、灼熱地獄の中で、互いに抱きつき、悶え苦しんで死に絶えていく阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
その中で群僧の首座にある快川和尚だけは微動だにしない。
「碧巌録に思いをいたし、最後の修行をいたそう。安禅必ずしも山水をもちいず。心頭滅却すれば火おのずから涼し」
 灼熱の中で、一同に呼びかけた快川は最期の偈を唱えて死んでいった。やがて楼門は焼けくずれて瓦ごと大きく落下し、人肉の焼け焦げる匂いが鼻を突いた。快川和尚も群僧も稚児もすべてが灰塵と化す。
「光秀、わしは決してこの所行を許さぬ。土岐の一門にとって許してはならぬことじゃ」
 縄を打たれた形相の頼芸が光秀に憤懣をぶちまける。
恵林寺が燃え尽きて鎮火すると信忠は若狭の武田五郎信景と佐々木二郎高定に切腹を命じた。
『これで二郎様を永遠に安全な場所へ移し申し上げることが出来る』
 勘助は喜んで刃(やいば)を腹に当てた。

「馬上の姫君」風一 http://www.ichisiakituna.com/himegimi_nobel.html

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