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法華経の真髄(生きた法華経)コミュの父母への孝養は法華経に限る

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今年もはや、『お盆』の季節になりました。本当に一年というものは早いですね。

さて、皆さんもご存知の通り、『お盆』というのは、正しくは『孟蘭盆会(うらぼんえ)供養』といいます。

『孟蘭盆(うらぼん)』は、インドの言葉で『さかさまに吊るされている苦痛』を、意味するのです。

何度も触れさせていただいていますが、決して『果物を盛るお盆』・・・でもなければ、

『おぼんの裏』・・・でもないのです。

亡くなられて、あの世(霊界)に行かれても、今尚、『逆さまに吊るされているほどの苦痛』を

受けなければならない・・・現に受けられている・・・状態をいうのです。

また、その状態を『餓鬼道に堕ちる』・・・とも言います。

そのような状態を誰が想像することでしょうか・・・。

鶴凛も含めて、やはり『人』というものは、何かにつけて『自分にとっての都合の良さ』

ばかりを持ち出してしまうもので、自分の父母・祖父母・御先祖は、

きっと『楽』に過ごしているに違いない・・・と、思っておられることでしょう・・・。

また、そのように、思いたい・・・思い込みたい・・・ですね。

まさか、『餓鬼道』に堕ちて、そのような苦しみに苛まれているなんて、思いもしません。

けれども、現実は、なかなか思うようにはいかないものです。

『餓鬼道に堕ちて逆さまに吊るされているような苦しみを受け続ける・・・』

『餓鬼道』『餓鬼の心』とは・・・何故そのような『苦』を受けなければならないのか・・・

それは、やはり『我先に・・・』『自分だけ良ければ・・・』ということです。

自分だけ良ければ人がどのような苦しみを得ようが、全く関係ない・・・

人が困っていても何等知らない顔でやり過ごしてしまう・・・

人からの施しは当たり前として、自分が施すのは馬鹿らしい・・・

兎に角自分の満足だけを追求して、周りがどのような状態になろうがおかまいなしで

自分の思い通りに全てを通していく・・・

そして、それをあたり前として、何ら反省もせず・・・そのような心と行いを言うのです。


奇しくもお釈迦様のお弟子の目連尊者のお母様もそのようなお方でした。

我が子目連には大変慈悲深い方であったようですが、その他の者には決してそうではなかった・・・

我が使用人が困ろうが、飢えようが・・・一切関知せずに全ての財を自分や自分の子どもだけに

つぎ込み続けられた・・・その使用人の方々にも同じように子どももおられたことでしょう。

我が家がその方々によって支えられていることさえも振り返らずに・・・です。

そして、その心のままに亡くなられて、『餓鬼道(界)』に堕ちられてそのような

大変な苦しみを受けられていることを目連尊者はその神通の力でお知りになられたのです。

当然のことながら、目連尊者は大変驚かれ、また悲しまれ、早速に自分の得た

諸々の神通力を持って救われようとしましたが、ことごとく失敗され、自分の

力では救うことが出来ませんでした。そして、あわてて、お釈迦様にお母様を

救う方法を尋ねられました。

お釈迦様は仰りました。

『汝の母は、大変罪深く、人の力では救うことが出来ない。

雨期明けの七月十五日、お母さんの蓄えた財産でもって、金のお盆150個造って

お母さんの為に沢山の供物を供えて、懺悔の修行に入っている沢山のお坊さんを集めて、

お母さんの懺悔・供養を頼んで、その器で、沢山のご馳走を食べてもらうように。

そして、その時の懺悔の修行に入っているお坊さんへの施しは、仏道を極めようとする

心・行いの助けとなって、より一層、お母さん共の懺悔の思いを深くして、

より一層修行に励むことでしょう。

その功徳というものは、大変広大なものであって、その徳によってあなたのお母さんばかりか

上、七代前までの父母の三途(三毒/地獄・餓鬼・畜生)の苦しみを

脱がれ、救い出すことが出来るでしょう』と。

そして、目連尊者は、お釈迦様の仰るとおりに、お母様の為に大布施法要を

執り行われて、餓鬼道に苦しむ、逆さに吊るされるほどの苦しみからお母様を救われました。

そして、餓鬼道に苦しむ私達の先祖のために、その習慣を残し伝えられたのです。


そして、その盂蘭盆供養を迎えるわけですが、本当に私達はその意味も心も知らずに、

とりあえずは、『ご先祖様が、家に帰ってこられる日』・・・として、『お迎え』の

準備に勤しみます。沢山の供物を用意して、ご先祖様のお帰りを労います。

そして、これは関西地方の習慣かと思うのですが、各々の玄関先で『ほうらく』

という素焼きの焼き物に『おがら』という棒を井形に組んで火をつけて煙を立たせます。

すると、不思議なことに必ずその煙が家の中に入っていくのです。これは本当に不思議です。

コメント(1)

そして、ご先祖様方々が家に入られるのを確認して、何だか安心を得るのです。

そして、お坊さんに施餓鬼供養の塔婆とお経をお願いして、さああとは・・・

みんなで、日頃の苦労を労いながら、自分達がご馳走を頂くわけです。

で、自分の満足を、心残りの解消を得て・・・あとは、おしまい・・・です。

御先祖様への心からの供養をしようという方も確かにいらっしゃるとは思いますが、

大抵は、季節の行事的な捉え方で終わらしてしまいがちではないでしょうか。

それは、そうですものねぇ・・・。やはり、その意味を知らないと、それ以上のことは、

望めるはずもないですね。

もし、我が親・祖父母が、そのような苦しみを受けていると知ったならば、

目連尊者に倣って、お釈迦様の仰るとおり、懺悔の修行に入っているお坊様に

父母の懺悔と救いをお願いして、お経をあげて頂いて、沢山のご馳走を食べてもらって・・・

自分達も日頃からの『餓鬼の心』を仏様にお詫びして、反省して、

また日頃の生活を改め、その反省を活かしていく道を辿るでしょう。

そこに本当の『施餓鬼供養』の意味があるのです。


けれども、その意味すら知らない私達は、ともすれば、『お金が掛かって大変』

だとか、お坊様への『お布施』『御塔婆代』が高いとか・・・

『今日は、いつもよりお経が長い』とか・・・『手間が掛かる』・・・とか・・・

本当にどうしようもなく物金を惜しむといいますか・・・

自分には大そうな金品を惜しまずに手に入れようとしますが、こと、ご先祖様

の事となると、他人事で何もかもが『面倒くさく』思われがちであります。

そう、この『心と行い』こそが『餓鬼道』なんです。お互いに反省しなければならないです。

『餓鬼道』の行く末は、まさに、目連尊者のお母様のお姿です。

自分の行っている心や行動がどういったことに、どういった結末に繋がっていくか・・・

誰もが知れるものならば知りたいとおもうはずですね。

自分や両親の今在る、行っている心と行動が、やはり大変辛い結末を迎えることになる・・・

ということが、判ることが出来たならば、決してその道には入らないですし、

また、入らせないようにあらゆる手段を使って止めさせることでしょう。

また、その反対に、心安心な状態に繋がることが判るならば、素直にその道に

進んで行き、また進ませていくことでしょう・・・。

その現実の繋がりと、心と行いの現実・実際を説き顕したものが『法華経』なのです。


父母の祖父母の先祖そして自身の、今在る心と行いが未来にどういう結末をもたらして行き、

また、今現に受けている様々な結末が、過去のどのような心と行いから生じてきているのか・・・

考え方でもなく、感じ方でもなく、物の見方でもなく・・・

実際の私達みんなが行っている、行ってきた、行おうとしていく心と行いと

その結末の実際を事細かく説いておられるのが『法華経』なのです。

その故にお釈迦様ご自身もこの『法華経』をもって『諸経の王』『最上の良薬』

として、今を生きている私達にこの教えを実行していくことを勧めておられます。

ですから、皆様も法華経以前のお経にプラス、『法華経』もしくは、『お題目』の

一句・一偈でもご自分の手で以て唱え添えてあげて頂ければと思のです。

そして、出来る事ならば、少しでも『法華経』の教えに触れられて、

それを両親・祖父母・ご先祖様の為にも先ずは自身が少しでも実行していかれることを

この機に改めてお勧めしたいと思うのです。


そしてまた、鶴凛自身は僧籍に身を置くものとして、改めて自恣の念を強く持ち

共々の過ちを共々にお詫びして、今在る方々、またお亡くなりになられた方々の

正しい未来を祈念すべく、お参りに行かせて頂きたいと思います。




一天四海 皆帰妙法     

今心より仏心に至るまで 良く保ち奉る    南無妙法蓮華経

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