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太平洋戦争からの『音楽文化』コミュの? 民謡風土記(秋田県の巻)/藤井清水(『音楽文化』 第1巻第1号 1943年12月

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内容:

東北6県は優れた民謡に富んでいるが、わけても秋田県には明快で歯切れのいいものが多いと思う。

一口に「東北民謡」といっても、県別に概観するとそれぞれ特殊な色調をもっているように感じられる。

もっとも現存するほとんどの民謡は、旧幕府時代あるいはそれ以前に発生したものであるから県別に考えるのは当を得ないが、相馬藩、会津藩、伊達藩、南部藩、津軽藩などと考えていくと、それぞれの藩領における人情風土の影響が民謡に反映しているということは、容易に首肯される。

/さて、秋田県での代表的民謡に富んでいるのは仙北郡を筆頭に、鹿角郡、由利郡という順であろう。

秋田民謡といえば誰しもまず「おばこ」を指すだろう。秋田では土地本来のものといっているらしいが、一説には、元和のころ唄われていた庄内(山形県)地方の「庄内おばこ」を馬方が仙厳峠越しに鹿角郡に行き来していた当時、その中途にあたる仙北郡の田澤村に置き土産したものがひろまり、静かな山間の気分に融け込んで原曲とはよほど変わった「田澤おばこ」になったのだとも伝えられている。

仙北地方では、ほかにもいろいろな「おばこ」があるが、それらを総括して「仙北おばこ」ともいう。

「庄内おばこ」は単純素朴だが、「仙北おばこ」はとても複雑化していて、前者とは別個のもののようにさえ感じられる。

一般に世間で「おばこ」といっているのは山形県の「おばこ」で、これは誰にも覚えやすく唄いやすいが、秋田県のはなかなか歯に合わない。

/「おばこ」と並んで秋田民謡の雄に「秋田音頭」が挙げられるが、旋律は笛だけにあって歌詞は唄うのではなく、地口めいた文句を囃子のテンポにあわせて「云う」のであるが、ところどころに掛け声が入って明快である。

その内容は郷土を礼賛したもの、滑稽味をあらわしたもの、風刺的なもの、そして猥雑なものなど種々雑多である。

なお、雄勝郡西馬音内(にしもない)町の盆踊り唄、仙北郡の「仙北音頭」も囃子や踊りは、多少相違しているが秋田音頭と同系のものである。

仙北郡には「生保内(おぼない)節」「ひでこ節」などの傑出した唄のほかに、「祭文林坂」「荷方節」「きよぶし」「姉こもさ」などがあるが、角館町の鎮守祭りに奉納する「お飾(やま)囃子」は純粋な意味での民謡とはいえないにせよ、仙北地方の代表的なものであろう。

/鹿角郡には「湯瀬村コ」「毛馬内(けまない)甚句」「検校節」「そでこ節」などがある。

尾去澤鉱山の作業唄「石刀節」は現代的感覚を有し、比較的新しいものと思われるが、いわゆる新民謡的な曲趣の中にも胸を打つものがある。(つづく) 

この夏、放送協会の民俗資料調査の仕事で東北地方の神楽、獅子舞、番楽等の調査採譜に巡歴したおり、花輪町に向かう途上で、すでに採譜した「湯瀬村コ」の純朴な歌詞曲調を通じて美しい幻想を抱いていたこの湯治場が現代的な温泉郷となっていることを車窓から瞥見して幻滅した。

毛馬内町の盆踊りは「大の坂」と「毛馬内甚句」の両方を踊っているが、「大の坂」(上方から移入)の唄はなくなり笛と太鼓だけで踊り、「毛馬内甚句」は唄だけで踊っている。

1943年7月31日には花輪町で民謡を7、8曲採譜したのち、毛馬内町の素封家本田健治氏宅で、「大の坂」の歌詞を記憶しているお婆さんをリヤカーで連れてきて、盆踊りの実演を見せてもらった。

84歳のその人が唄を知っている唯一の生存者であってみれば、民謡の考証上貴重な国宝的存在である。

仕事に取りかかると退色しきった古写真を再生するようなもので、お婆さんの曖昧模糊たる音声は、さながら幽界の声である。

作譜の技術を活用してともかくも楽譜のかたちにした。民謡の採譜は並大抵ではない。

/信州追分の馬子唄が越後を経て蝦夷へ渡り、海の民謡に更生したのが「江差追分」や「松前追分」だというのが定説になっているが、越後からの海路を佐竹藩に寄り道したものが「秋田追分」だという。

ところで由利郡の「本庄追分」は信州の地元から越後の海岸づたいに本庄に根を下ろしてこの追分となったそうだが、その節調は信州の馬子唄としての原曲とも、今日の追分とも全然別個のものに思われるくらいにその形態、曲趣が相似しないのはなぜであろうか。

/南秋田郡には「あいや節」や「出雲節」の流れを汲む「船川節」などというお座敷唄がある。

研究的興味を惹くのは「三吉節」であろう。すなわち「荷方節」「松坂節」「検校節」「八澤木節」は皆同系統のものだといわれるが、採譜してそれらを対照してみても同様の推測が下される。

県内の代表的民謡か主としては仙北の黒澤三一、由利郡の加納初代がいる。

横手町の染子という芸妓もなかなか達者で仙北の「生保内節」「ひでこ節」などが得意らしい。

ほかに一寸平姐さんの「岡本新内」も折紙つきらしい。/秋田民謡を今日あらしめたのは、仙北郡中川村の小玉暁村翁の功績が大きい。

翁はもともと教育家であったが、その一生を秋田県(とくに仙北郡)の民謡の研究と指導にささげ、自分でも達者に唄ったり太鼓をたたく腕前をもち、郷土の民俗芸能や民俗史的研究にいたっては県内随一の学究だったが、還暦を過ぎたばかりの一両年前に急逝された。

この夏には町田嘉章とともに遺族を弔問し、墓所にも参詣した。(完)


【2006年6月23日+6月27日】

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