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コムロさんのコムニティコミュの小室等最新ライブ〜in「拾得」雑感/

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去る7月25日(土)、「拾得」にて、コムロさんこと小室等のライブを観た。

この日は一日中曇天。夕方、西院から熊野神社方面行きのバスに乗り知恩院前で下車して「拾得」へ。雨がパラついていたが想い出が地面に染み込むほどでもない。

丸太町通りから大宮通りに入ると、前の方に小柄な白髪の爺さんと、スラリとした長身の女性が連れ立って歩いているのが見えた。「はーん、もしかしてあの爺さんは昔のフォークソング世代で、娘を連れてコムロさんの歌を聴きに来たのかな」と微笑ましく思っていると、その2人の横にスーッとミニバンが停まり、運転席の男が窓から顔を出して「今日は行けないんですが、差し入れ持って来ました」などと挨拶している。「そういやコムロさん、今日娘のゆいちゃんと一緒にライブだっけ!」

追い越しざまチラリと見ると、小柄な白髪の爺さんは紛れもなくコムロさんその人だった。スラリとした長身の女性はゆいちゃんに違いない。

グイとテンションが上がり、「拾得」の受付でチャージを払って、ギッシリ埋まった客席を見渡し、さらにテンションアップ。「さーすが腐ってもコムロさん(失礼)!」いや、年齢層は相当高いにしろ、“あの”小室等のライブが閑散といていては似合わない。第一ガヤガヤと人で埋まったライブハウスというのはそれだけで気持ちがいい。

名物の玄米定食をつまに黒ビールを飲んでいると、ゆるりとライブが始まる。まず、コムロさんと同世代くらいと思われる初老の紳士が舞台に現れ、ギターを弾き歌い始めた。僕はこの人のことをまったく知らなかったのだがイザ聴いてみると、まるで年老いた黒人ブルーズマンの如き風格がある。

それもそのハズ、後日ネットで調べてみると、この人は藤村直樹といい、香川県出身で現在の肩書きはフォークシンガー兼医師。1960年代後半の関西フォークシーンに「町工場のブルーズ」をひっさげて登場。高石友也に師事し、中川五郎&イサトなど関西フォークの主要メンバーと交流を深め、岡林信康、フォーククルセイダーズと共に全国ツアーを回るなど実績を残しながらも1970年代に忽然とシーンから姿を消した伝説のシンガーであり、かの高田渡の友人かつ相談医でもあったという。

途中から加わったべースとリードギターにサポートされ、藤村翁が数曲歌ってイブシ銀というかイブシ銅のような演奏を終え舞台を降りると、ベースを弾いていた人がやおらフォークギターを抱え、全編8分に及ぶトーキングブルーズ「老人は国会突入を目指す」(あきらか「青年は荒野を目指す」のパロディー)を弾き語り。この曲は先の藤村翁が作ったものらしく、2007年にリリースされたが放送自粛の憂き目にあったという曰わく付き。そのタイトル通り過激かつコミカルな内容だがオーバー60が作る歌じゃない。お見それしました。

その弾き語りはテンションが高くナカナカだったが、何とこの人は「5つの赤い風船」のベーシスト、長野隆。「5つの赤い風船」は知っていてもべーシストの名前や顔まで知らなかった僕は、自己紹介を聞いて「えっ?あの?赤い風船の?ベーシスト?」と豪華なメンツにちょっとびっくり。リードギターも坂本ふみやという関西ではちょいと知れらた御仁で、女子の追っ掛けもいるらしい(某ホームページ参照)。

「5つの〜」時代の作品など数曲を披露した長井氏に引き続き、その奥様のしっとりした唄&メルヘンな雰囲気を醸し出す「反戦ブラックライト紙芝居(?)」を挟んで、いよいよ大御所の登場デアル。

キターッと思い、つい名物の電気ブランを衝動注文。それをチビチビやりながら、舞台に上がったコムロさんが、馴れた手つきで小振りだが品のいいギターをチューニングしているのを眺めていると、不思議な感慨がこみ上げて来た。

これは、高校時代から吉田拓郎などのコンサートに行く度に感じていたことだが、ずっと離れていた点と点が今、ここで向き合っている!という唐突な実感、のようなものなのだ。巨星、拓郎という点と僕という点が、地球の上を巡り巡ってフェスティバルホールで今、まさに接近し向き合っているリアルな不思議。フォーク界の長老、コムロさんという点が、日本の上を巡り巡って「拾得」で今、まさに接近し向き合っているリアルな不思議。

しかも、ここ「拾得」は友部正人が、かつてその樽のようなテーブルを眺めながら、リリースされたばかりの「ライク・ア・ローリングストーン」を聴いたという逸話が代表するように、関西のフォーク&ロックの拠点として長らく存在し続け、その風貌を変えることなく今、この瞬間にも存在している奇蹟の如き場所であり(マスターのテリーさんの風貌もほとんど変わっていない)、僕自身がここで友部正人や加川良、高田渡のライブを観て来たし、また、僕自身のバンドで何度かその舞台に立ったこともある。

嗚呼…!「拾得」という場で様々な時空が交差しているのだ…とあらぬ(なくはないが)妄想を膨らませながら、僕はビデオカメラの電源を入れ、構える。モニターがチューニング中のコムロさんの指をアップで映し出す。その細くて長い指に惚れ惚れしながら、僕の脳みその血管の中を黒ビールと玄米のカケラと電気ブランが混ざった血が突進し、妄想に輪を掛ける。

チューニングを終えたコムロさん、譜面立てを引き寄せるのに手間取り、隣に立つゆいちゃんが横から手を差し伸べる。「そういうのありがたいんだけど、介護されてるみたいで、どうも腹立つんだよねーこの年になると」と軽口を叩きながら、正確なアルペジオを刻み、その繊細な響きの先端からフワリ、と飛び立つように歌い始めるコムロさん。歌そのものに寄り添い、ハミングするゆいちゃん。崇高な、などと言うと本人は嫌がるだろうが、まさにそう言いたくなるような歌空間が、そこに広がっていく。

年季だな、と思う。ビデオカメラのモニターの中でアップになったコムロさんの顔に刻まれているひとつ一つのシワのように、御大の中で醸成されたすべての音楽が、御大が体験して来たすべての事どもが、今聴いている声、刻まれているギターの音、流れている一曲を通して目の前に刻まれていく。若さがたったひとつ爺さんに敵わないものは年季である。10年20年では到達しない年季。しかも鈍重ではなく軽やかな水車のように回転し、躍動する年季を突きつけられると、誰もがマイッタ!と手を挙げるしかないだろう。

そう、目の前で歌っているのは、日本では最も早い段階でP.P.Mなど洋楽の歌詞を和訳して歌い始め、以来フォーク界の重鎮として幾歳月を生き抜き、スーパーグループ六文銭を率い、吉田拓郎・泉谷しげる・井上陽水と共に音楽業界の革命といわれたフォーライフレコードを立ち上げて、投票の際に自分で自分の名前を書いて初代社長の座に収まり(これは伝説)、拓郎に「ミスターK」という知る人ぞ知る名曲を書かせ…そして、僕の高校時代の深夜番組“鶴瓶のミッドナイトトレイン”で、「生きているということ」の圧巻の弾き語りを見せつけた“あの”小室等なのだ。

また、隣に居るのはそのコムロさんの愛娘であり、拓郎の他にも、かぐや姫、イルカ、長渕剛、風など多くの大物アーティストを輩出したユイ音楽工房(現ユイミュージック)命名の元ネタであるゆいちゃんである。

コムロさんの声は拓郎のように男ッポクはないが、ヤナギに風…そう、風をさらりと受け流しながら、その強さと方向を表現するヤナギの枝の如くしなり、空(くう)を震わせる。その声は、拓郎の声では埋められない場所を埋めてくれる。否、コムロさんの声にしか埋められない場所が、小さな隙間が心のどこかにある、そんな気がする。

タイトル不詳の一曲目が終わり、親指のフィンガーピックでジャラーンとコードを鳴らしたコムロさんが、オモムロに“どーこかでー、だーれかがー”と歌い出すと、客席がドッと湧く。「誰かが風の中で」…僕もすぐさま「木枯らし紋次郎」のテーマのモノクロ映像を思い出した。長楊枝を咥えた流れ者。と、コムロさんは演奏を止めて、「いやー、反応があるもんだなーと思って」「ゆい、これはお父さんが作った歌なんだゾ」などとのたまい、客席を盛り上げて、また歌に戻っていく。

三曲目、「中原中也を歌います」と紹介して、“幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました”と歌い出す。「サーカス」だ。サーカスのブランコの揺れを表す斬新なオノマトペ、“ゆあーん/ゆよーん/ゆやゆよん”という部分が、コムロさんのヤナギに風ボーカルに妙にはまりすぎていて、ちょっと笑ける。はんにゃの“ずくだんずんぶんぐん”を思い出したり。

「中原中也といえば、日本の近代詩の大御所ですが、日本の現代史の大御所といえば…いろいろ意見は分かれるとは思いますが…」「私は谷川俊太郎だと思います」「その谷川俊太郎作詞だというのが、あまり知られてない超有名な曲を…」と言いながらギターを爪弾き始め、“そーらーをこーえてーラララ”と繋げる。

「え?そうなんだ?知らなかった」とビデオカメラ片手に呟く僕。脳みそを循環する血の成分から、黒ビールと玄米のカケラが薄れて、追加注文した電気ブランの濃度が濃くなっている気がする。

その後、ポエトリーリーディング形式で語られた谷川俊太郎の詩「鉄腕アトム2(これ仮題)」が最高。ビデオのモニターの中には高らかにリーディングする御大と目を閉じて聞き入るゆいちゃん。

拓郎曰く“酔っぱらうと必ず、戦争はなぜ起こるって議論を吹っかけてきた”レノンばりの夢想家、コムロさんに相応しく、「この世界が歌の中だけでなく、現実の世界のものならどんなにいいでしょう」という前振りで、五曲目の「イッツ・ア・ワンダフルワールド」が始まる。

他のメンバーを舞台に上げてセッションに移ろうとしたコムロさんに、客席からの「“雨”やってよ」のリクエスト。「…あっ、そうだね。じゃ“雨”やろうか。うん“雨”やりましょう」とゆいちゃんに合図を送り、さらりとイントロを鳴らす。

まったくの余談であるが、僕は「雨が空から降れば」を聴くと、遙か昔に観た「帰ってきたウルトラマン」の封印された第33話「怪獣使いと少年」を思い出す。この話は特撮ヒーローものとしてはあまりにも暗くて異質であり、インパクトが強く、見終わった後、子供ながらに何とも言えない不条理な、イヤーな気分になったものだ。潜在的な差別表現が含まれるとの判断から封印されたらしいが、僕が「雨が空から降れば」を聴いてこの話を思い出すのは、この話の中で「宇宙人」であるとしいたげられていた少年が、雨の中で骨の折れた黒い大きなコウモリ傘を差し、延々と庭に穴を掘り続けていた場面が印象的だったせいだろう。

詩を書いた別役実は、日本の不条理演劇を確立したと言われる劇作家であり、「雨が空から降れば」も、もちろん単なる都会のメルヘンではなく、当時の世相を強く反映した不条理詩なのだろう。雨、想い出、こうもり傘、電信柱、ポスト、ふるさと、さかな等は、おそらく比喩的なキーワードであると思われる。

エンディングでは、出演者全員が舞台に立ち、世界歌謡祭グランプリ曲「出発(たびだち)の歌」と、タイトル不詳の曲を合唱。満員の客席は、年齢の高さのせいか、立って踊り出す人こそいなかったが拍手喝采、ヤンヤヤンヤの大盛り上がりの内にほのぼのとした終演を迎えた。

帰り際、入口の側にいた御大に「握手して下さい」と声を掛けると、コムロさんはくるっと振り向き、僕の手をギュウと握ってくれ、「どうもありがとう」とニッコリ。「いつかここに、拓郎と一緒に来れるといいですね」と言うと、「ホント、そうだよねー」とまたニッコリ。見れば見るほど頭巾が似合いそうな、好々爺顔である。

近い将来「拾得」で、電気ブランをチビチビやりつつ、本人二人の掛け合いで「君と会ってからというもの僕は〜全生涯編」を聴けたら最高だろうな。

(09.08.04/uddy)
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■小室等最新ライブ〜in「拾得」動画/
↓↓↓
小室等/拾得ライブ01/09.07.25
http://www.youtube.com/watch?v=phus88L9scc&feature=related
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小室等/拾得ライブ02/09.07.25
http://www.youtube.com/watch?v=VpTM-5BOYxI&feature=related
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小室等/拾得ライブ03/09.07.25
http://www.youtube.com/watch?v=kD2cFaXRxys&feature=related
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小室等/拾得ライブ04/09.07.25
http://www.youtube.com/watch?v=xxAp3hWBlkY&feature=related
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小室等/拾得ライブ05/09.07.25
http://www.youtube.com/watch?v=62uGgkP59tQ&feature=related
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小室等/拾得ライブ06/09.07.25
http://www.youtube.com/watch?v=E_hrn7XVZ8k&feature=related

コメント(2)

>ふんころさん
ありがとうございます。
小室等命!ですか。
やはりあのキラメク年季のタマモノなんでしょうねー。

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