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三木 清コミュの 9月26日を「人権の日」に

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また今年も9月26日が近づきました。
何の日かご存知ですね?

三木清の命日です。

彼はこの日疥癬が悪化して獄中でのたうちまわって死んだのです。

 彼は看守から執拗ないじめに遭っていたという話もあります。そうした怪我もあり衛生状態、栄養状態も悪かったので体中疥癬が広がって、実に痛ましい最期だったようですね。

 彼は治安維持法違反で収監されたのですが、共産党員の高倉テルを一夜匿ったのが露見したからです。着替えにワイシャツを与えたら、そこに三木清のネームが入っていたらしいのです。大変ドジな話ですが。

 もちろん共産党にシンパシーがあったわけではありませんが、知人だったし、逃げ回っていて気の毒だと同情したのでしょう。

 それはともかく戦争が終わって40日以上経っているのに、治安維持法はそのままで、だれも三木清の救出をしようとする人はいなかった。面会に行っていれば、疥癬の状態も分かって、救出運動もできたかもしれませんが、みんな戦後の自分の生活をどうするかしか考えていなかったのでしょう。

 三木清の死が報道されてやっとGHQが民主化指令をだすことになります。その意味では「三木清の獄死」は戦後改革のきっかけになりました。

 私はこの日こそ「人権の日」にすべきだと思っています、三木清獄死について、および「人権の日」にすることについて、みなさんのコメントを書き込んでください。供養にもなるのでお願いします。

コメント(23)

三木清の獄中死について、私は母から話を伝え聞きました。
母の父(私にとっては祖父ですが)の学友のひとりが、やはり治安維持法によって投獄されたその獄中で、三木清の死に水をとったということでした。
(ちなみに、祖父の学友は後に社会学者としてご活躍なさったそうですが、たしか「社会」と名のつく学問をしていた、マルクスの本を所有(購入)していた、といった理由で特攻が乗り込んできたと聞いています。本当にムチャクチャな時代です。)

話を思い出すほどに心苦しくなり、三木の著作に向き合うほどにその死が惜しまれます。
 お志には共感しますが、はたして現代のどれだけの人が三木清の名とその業績を知っているでしょうか?学究の方やある程度文化的素養のある方だけが、記憶しているのみと思われます。
 最近の政治状況などを鑑みれば、残念ながら、三木清や人権問題に対する世間の認識の希薄さは自ずと知れたものだと思いますが…。
「人権の日」に相応しいと思ったのは、この日まで治安維持法が生きていたけれど、この死をきっかけに戦前の特高警察による思想弾圧の体制が解体に向かったからです。もうこの種の犠牲は三木清でおしまいにしようという決意をこめて、三木清の命日こそ「人権の日」に相応しいのではないかと考えました。三木清が特に偉大であったとか、有名であったという理由からではありません。
いやはや反応は淋しい限りですね。みんな人権意識が希薄なのかな?

「三木の獄死」は戦後民主改革を本格始動させるきっかけになったわけですが、その死後61年にして戦後体制の清算を最大の課題にする安倍内閣の登場です。

三木がどんな悔しい思いで悶え死んだか、三木清のコミュニティに参加しているのなら、もっと強く感じてくれるものだとばかり思っていました。
人権意識はありますが、苦しい思いをしたのは三木のみでないと思いますし、彼の事件で人権という概念が生まれたわけではないと思います。
また、mothra-flightのおっしゃるように個人によって形容されるものではないと思いますし、三木の思想や哲学への共鳴と、彼個人の人生や歴史的意味への共鳴は必ずしもつながらないと思います。
>mothra-flightさま
お返事遅くなりました。すみません。
前述の社会学者は天達忠雄氏です。
戦後、明治学院大学で教鞭をとられ、主に社会福祉学を研究、8時間労働法の制定などにも尽力なさった方だと伺っております。
2007年9月26日です。
三木清の命日ですね。
三木の獄死の意味をじっくり考えたいですね。
私の恩師船山信一先生は三木に大変世話になったのですが、終戦後も自分のことにすっかりかまけていて、獄中の三木のことを考えたことがなかったと反省されています。
あの当時みんなそういう気持ちだったかもしれませんね。
人権が蹂躙されるというのもそういう人間のあり方と深く関わっているように思います。
でも船山信一先生はそのことをずっと悔やんで、死ぬまで引き摺ってこられました。彼は三木のテーマを引き継いで、ライフワークである『人間学的唯物論の立場と体系』を書かれたのです。
今年も命日が廻ってきましたね。

 三木の獄死を無駄にしないためにも、人権を守っていかなくてはいけません。
麻生内閣が一昨日成立してしまいましたが、私は麻生さんには人権感覚が欠けているのではないかと心配です。

□彼が外相時代に、靖国神社の参拝問題で、天皇の参拝をお願いしたいと言ったことがあります。その理由をテレビで堂々と語っていたのですが、「天皇陛下のために戦って死んだ人」を天皇が祀らなければ、国のために死ぬ人がいなくなるというのです。

 たしかに戦前は、天皇が国家のようなもので、国のために死んだ人は天皇に祀られ靖国の神になるといわれていました。その感覚を麻生さんは持ち続けていて、天皇が参拝しないと国のために死ぬ人がいなくなるから、由々しき問題だというのです。

□しかし日本はもう国のために戦って死ぬということを善いと見なす価値観とおさらばしたのです。国のために戦うのは止めようという憲法を作ったわけです。国のために戦うということは、それを大義名分として、たくさんの他国の人々を殺すことを正当化したということですね。その結果悲惨な戦争を人類は繰り返してきた。もうそういうやり方とはきっぱり手を切って、国のためには戦わないということを国是にして、戦力を持たない平和国家を作ろうと憲法で宣言したわけです。それを国のために多々戦って死ぬ人がいなくなったら由々しき問題だとは、憲法をわきまえない由々しき発言です。

□しかも天皇が英霊を祀ることを聖化するのは、天皇を現人神と考えることですから、これは「人間宣言」を無視したアナクロニズムです。そして天皇がA級戦犯を合祀している靖国神社には行幸しないのがわたしの心だと言われた天皇の心を無視するものです。

□大陸侵攻とそれに続く第二次世界大戦は、人類史上まれにみる大虐殺の連続でした。こういう人権無視の戦争を二度としないという憲法を持ちながら、なおも天皇の権威を借りて、国のために死んでくれる人を絶やしてはならないという麻生さんの発言は、著しく人権感覚が欠如していると言わざるをえません。

□このような著しい憲法無視のアナクロニズム的発言をしても、麻生さんの発言はマスコミではほとんど問題にされなかったようです。もうそういう時代になってしまっているのでしょうか。

 
(本日加入、よろしく)

三木清の死については、ともにハイデルベルクに留学し、三木を兄と慕った羽仁五郎がつとに悔み怒っていたところです(羽仁自身も終戦時獄中にあった)。昨日、日高六郎『戦後思想を考える』(岩波新書)を読んでいたら冒頭で三木の死にふれていました。日高によれば、三木獄死の直接の原因は疥癬、栄養失調と不眠のようだが、疥癬になったのは疥癬をもつ病気を持つ囚人の毛布を三木清にあてがったうたがいがある。。ということのようです。それは巧妙に仕組んだ殺人である、と。

引用します。p3〜4

「9月26日の朝、看守が三木の独房の扉をひらいたとき、三木は木のかたい寝台から下に落ちて、床の上で死んでいた。干物のように。

 日本政府は、敗戦後にも、三木清を釈放しなかった。そして日本人民は、三木清を救い出すことができなかった。。。日本は、戦後、おそらくもっとも重要な思想的な仕事をしたであろうひとりの思想家を失った。

(中略)

 三木清の死が東久邇宮内閣を崩壊に導いたと話したとき、そして、ひとりの人間の人権が蹂躙されたことにたいする一人の人間の怒りが、ひとつの政府を倒した。。

三木清の獄死のニュースを聞いて、ロイター通信の記者がすぐに事情を調べた。そして政治犯のすべてがまだ獄中にいるということを知った。おどろいた外国人記者は、山崎巌内相に面会を求める。すると山崎内相は答えて「思想取り締まりの秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する・・・さらに共産党員であるものは拘禁を続ける・・・政府形体の変革、とくに、天皇制廃止を主張するものは、すべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕する」と語る。そのインタビュー記事は『スターアンドストライプ』紙(日本占領軍将校向けの新聞)の10月4日に発表された。これが問題となりマッカーサー元帥は、4日夕刻に「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃、政治犯の釈放」を指令した。なすすべを知らない東久邇宮内閣は、辞職。9日に幣原内閣誕生。10月10日に獄中18年組をはじめとする政治犯が釈放される。

敗戦後二ヶ月半たって、山崎内相は平気で、しかもおそらくマッカーサー司令部によってさえ支持されるだろうと信じて、こうした信念を吐露したというのはひとつの喜劇である。その喜劇のおかげで、三木清の獄死という喜劇がある。

8月15日、敗戦と同時に、あるいは数日後に、あるいは1ヶ月後に、だれひとりとして、政治犯釈放の要求を掲げて、三木やその他政治犯の収容されている拘置所・刑務所におしかけなかったということは、いうまでもなく日本敗戦の性格を物語っている」引用終わり



三木や戸坂潤の獄死はニッポンジン無責任の象徴です。三木清の死を記念するなら、『日本人無責任の日』と命名すべきでしょう。象徴天皇制が、日本国民無責任の象徴であるように。


戸坂潤 Wikiより:
また、彼は1932年に設立された唯物論研究会の創始者の一人であり、同事務長等を務めたが、治安維持法によって特別高等警察に捕らえられ、栄養失調から全身疥癬に苦しめられ、敗戦の直前(8月9日)に長野刑務所で獄死した。
 古井戸さん、また9月26日が近づいて来た時に、タイムリーにありがとうございます。

 私の直接の師は舩山信一先生と梯明秀先生です。ふたりとも三木清の弟分みたいなところがありましたが、特に舩山先生は転向後昭和史研究会などを通して三木清と行動を共にし、東亜協同体構想その哲学の形成では協同作業をしてきました。客観的には侵略戦争に協力していたことになりますが、主観的には、軍部の乱暴な侵略を牽制し、アジアの諸民族の共存共栄を図れる体制を作ろうという理念づくりをしていたわけです。

 そんな一心同体的に三木と関わっていた舩山信一先生ですら、戦争が終わって、これからどう生きていこうかという自分のことで頭が一杯で三木のことまで考えられなかった、見殺しにしてしまったということを悔やんでおられて、それが舩山信一先生の戦後の人生と学問を規定しているわけです。

 『日本人無責任の日』という表現は舩山信一先生には生きておられたらこたえる表現ですが、賛成されたかもしれませんね。
ども。
小熊英二『1968』上下、という大著を図書館で借りて読んでいる最中ですが。。戦後思想、というのは何を指しているんだい?と気になって日高六郎の小著に思い当たりました。(小粒ですがぴりりと辛い本です)。

梯明秀『ヘーゲル哲学と資本論』『社会の哲学』『経済哲学原理』は学生時代(スト中@1969)に読みました。とくに『ヘーゲル哲学と資本論』は哲学専門でない学生にも(わたしは工学部生)比較的わかりやすく、これを読んで、古書店で『資本論』を買い、夏休みにどうにか一巻だけは通読しました。

やすいさんご専門の廣松渉も三木清には大いに感心(仮想敵?味方?)をもっていたようですね。
誤字訂正:

>三木清の獄死という喜劇がある。


喜劇ーー>悲劇

  
>廣松渉も三木清には大いに感心(仮想敵?味方?)

          感心 ー> 関心
 私は、古井戸さんと大体同じ世代ですが、今は何が専門とは言えなくなってしまいましたが、若い頃は経済哲学が専門だということでした。その意味では梯先生の鬼子みたいなものです。というのが院生時代に、廣松先生の影響で疎外論批判にまわってしまっていたからです。それで「人間=商品」論を人間の歴史的本質として展開して、顰蹙を買いました。でも廣松物象化論は納得がいかず、一貫して廣松学派を論敵として意識してきました。
 
 廣松先生が晩年になられて、私の『歴史の危機』に共鳴していただき、病床にもかかわらず出版に尽力されようとしてくださったことがあり、人柄としては大変慕っておりました。晩年の頃から、東亜協同体思想を再評価されるようになり、三木清にも関心を示されたのではないでしょうか。私もその面では廣松先生には共感を覚えています。

 1980年代になってからですが、「疎外論」を脱却して唯物史観や物象化論ができたという断絶説が正しいかどうか後期マルクスの著作に当たりまして、すべての「疎外」概念の使用例を抜き出して、文脈から疎外論の思想が継承されているかどうか調べ上げましたところ、断絶説は全く当たらないことが確認されましたし、また「疎外論」の意義も改めて再確認できましたので、「青春の甘きすっぱき疎外論、一度捨てたがまた拾いこぬ」ということになりました。

 爾来疎外論復権の旗振りをしてきました。これまでは全く笛吹けど踊らずという感触でしたが、21世紀に入り序序に復権してきて、欧米に起きましてはマルクスブームがありますが、その中身は疎外論の復権ということらしいです。日本でも最近は疎外論の復権はだいぶ進んできたようです。

 三木清につきましては、私が最近「ネオヒューマニズム宣言」を出しましたが、その際に三木清が「ネオヒューマニズム」を唱えていたことを失念していまして、後から気付き、調べ直してまあ少しずれがあるにしてもいいかなんて思ったことがあります。

 以上歳をとるとどうしても回顧が多くなりますね。
「やすいゆたか事典」なんて図々しいのがありますからご参照願えたら幸甚です。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/jiten.htm

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