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masayumeコミュのまさゆめ連載小説 第四話「彼女の事情」

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私が声を出せなくなったのは5歳のころだった。

いろいろなお医者さんがかわるがわる家に来て私を見たけど原因はわからない様だった。

「すとれすによるもの。」とお医者さんが言い残し出て行ったあと、パパとママはいつも以上に汚い言葉で喧嘩を始めるのだった。


私は小学生のときから周りの子が漢字を覚えるのよりも早く手話を覚えた。

言葉を持たない私にとって手話は唯一の世界とのつながりだった。

言葉を話せない以外普通の子と変わらない私は小学校ではそこそこやっていけた。

伝えたいことは紙に書き。人の話を聞くときは極力笑顔を絶やさないようにした。

笑顔を絶やさないようにする事は人間関係の摩擦を減らす私なりの処世術だったのだ。


中学校に上がってから、私の処世術は少しづつぼろが出始めた。

少し派手な子達のグループから小さないじめが始まり。しだいにエスカレートしていった。

それでも世界から切り離されることが怖かった私は

何をされても笑顔を絶やさなかった。

友達になりたいという思いをその方法でしか表せなかった。

「へらへらするな。」といわれてもやめれなかった。

私達のいる世界は一人でいるには広すぎるのだ。


次第に何をされても笑っている私を皆は気味悪がり

中学卒業の時には私に近づく子はいなくなっていた。


卒業式の帰り道

一人で道の真ん中で泣いた。

三年間の悲しさが一点にあふれ出てとまらなかった。

アスファルトに落ちる水滴を見たくなくて家まで走って帰った。


家に帰り鏡を見て気づいた。

私は泣きながら笑っていた。

いつの間にか笑顔でいることが癖になり私は無意識に笑顔でいるようになっていた。




中学を卒業したあとパパとママが離婚をした。

私は高校へは行かず失語症の治療のため知り合いがいる田舎の病院に行くことになったらしい。

これは私の勝手な予想だけれども。私を世間の目から隠すためのものだろうと思った。

失語症の認知度の低さゆえの世間の目は私が一番知っていたし。すべて承諾した。

出発の日、母からプレゼントをもらった。

「電車の中であけてね。」と言われた少し大きな包みと荷物を持って私は祖母のいる町への電車に乗った。







プレゼントは電車のトイレの中であけた。

中身はきれいな蒼いワンピースとお花の髪飾りだった。


私はその場で着替え。

声を出さずに泣いた。








つづく

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