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【詩】を書く人。コミュの【お題】東日本大震災

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五年前の震災を直接体験された方も
体験されてない方も、なんでもありです

ご自由にお書きください

コメント(13)

「あの日から」

さざめく記憶が
あなたを押し寄せて
閉じた睫毛が不安げに揺れている

もう思い出したくないないかもしれない
もう泣きたくないかもしれない

ただただ 私はここで
あなたが落としていった
悲しみを
こっそり拾い、歩く

もしかすると
大切なものも混ざっているかもしれないから 

もしかすると
次の扉を開けるのに必要なカギかもしれないから

さざめいた記憶にしたがって
過去を旅すれば
あの人は笑顔で

触れた手は意外にも暖かくて
それでやっと、
あなたが優しい涙を流した

私も涙を流した
あなたがあの人を思い出してくれたことに
あなたがカギを受け取れたことに

私も涙を流した
あなたに表情が戻ったことに
あなたが心を取り戻したことに
「手」


私の手のなかで
冷たくなっていくあの日

傷を癒したのは月日ではなくて
毎朝届く、あなたの言葉

私の手のなかで
色彩を濃くするあの日

同じ場所に立つことはないのに
同じ場所でいつも心があなたを待っている

私の手のなかで
何度も抱きしめた恐怖

泥のついた写真は少しずつ
拭いていけばいい

バラバラになった家は少しずつ
建て直していけばいい

分かっているのにね


あなたが大好きで
あなたが大好きで
あなたが大好きで
あなたが大好きで


ゆっくり、ゆっくり
一寸ずつしか
できないけれど

あなたの夢が
輝いていたはずの明日を

特等席で見たいから

ゆっくり、ゆっくり
一寸ずつしか
できないけれど

私はちゃんと私を抱き締める
私はちゃんと過去を抱き締める
震災のあった日




ここからぼくらの町の夜景が見える
点っている町の明りを数えてみた
震災のあった日
ぼくはいらだっている車に轢かれる危険を感じながら街を歩いて帰った
信号はみな消えており、コンビニの入口は開けっぱなし
中に入っても商品の棚はがらがらで
目ぼしいものは何ひとつ売っていなかった
やっとのことで真っ暗な家に帰った
カセットコンロを出して夕食を作った
小さな土鍋を出して雑炊を作ったことを憶えている
真っ暗な居間に持って行って食べた
部屋はひどく寒く、なかなか眠れなかった
毛布と蒲団にくるまっても寒いことに変わりはなかった
ずっと停電だったが、午前二時ごろ電灯が点った
地震があったのは知っていたけれど
ぼくはまだ被害の状況をまるで把握していない
翌日は土曜日だったから
パソコンについていたTVで事実を知った
何メートルもある高い堤防を黒い波はやすやすと越え、街を押し流した
家々が波にのまれ、車が次々流されていった
あの映像の中に多くの命が今まさに失われていることが理解できない
現実とはとても思えず、見ていて涙だけがぼろぼろと頬を伝った
そして四日後の十五日
追い打ちのように深夜ぼくらの町にふたたび大地震が起きた
東海地震が叫ばれてもうずいぶん経つから
家々の耐震対策は万全だったし、割れた窓もほとんどなかった
家具類も固定されていたから
棚のものが落ちるくらいで済んだ
火事が起きなかったのは不幸中の幸いだったと思う
けれどブロック塀が倒れたところがあったし
大抵の家の屋根瓦は部分的にだけれど、落ちた
深夜でよかったと誰もが口をそろえて言った
夕食の支度をしている時間帯に起きたら、どうなっていたかわからなかった
震度六強の揺れだったけれど、ぼくらは自分たちを被災者とは言えなかった
十一日の大多数の被災者に申し訳なかったからだ
あれからもう五年経つんだ
なのに被災地では行方不明のひとがまだ大勢いて
死者の数だってちゃんと把握できていない
そして数ヶ月後、ぼくのいちばん親しい友だちが東京で孤独死した
八月の七日
ぼくらの町ではその夜は七夕で日曜日
宮おどり祭りという一大イベントが行われていた
ぼくはバザーに参加していたけれど、飛び入りで踊ったことを憶えている
月のとてもきれいな晩だった
そのころ友は見るかげもなく衰弱し、ひとりっきりで死んでいた
訃報は二日後に届いた
葬儀は行われなかった
たったひとりの身よりの奥さまが入院中で、おまけに生活保護で暮らしていたからだ
我ながら情けないが、その年のお盆は泣きの涙で暮らした
何を見ても涙が込みあげ、食べものが喉を通らなかった
酒ばかりを飲んで暮らしたことを憶えている
ひょっとすると一生分、あの一週間に泣いてしまったかもしれない
当時糸魚川に住んでいた友人が心配して
山のような食料を送ってくれた(「山のような」はちと大げさだけれど)
とにかくプリンとかフルーツゼリーとか西瓜とか
そういう消化によいものは食べられたから、なんとか食べた
何とか食べていのちをつないだ
体重が案の定激減した
脚や腕の筋肉がごっそり落ちた
何を考える力もなかったけれど、彼の死を一句に詠んだ

月だけが見ているひとりぼっちの死  草一郎

懸命な気持ちで詠んでみたのがこのざまだ
彼のために何もしてやれなかったことが悔しくてならない
だからぼくは今でも毎年自刷りの詩集を作ると
彼の仏前に供えてもらっている
ぼくの詩をこよなく愛してくれた友のことだから
冥途で喜んでいてくれたらうれしいと思う

友よ、ここからぼくらの町の夜景が見えるよ
あの明りのひとつひとつに誰かが暮らしていて
今日という日を生きている
震災から何年経っても、忘れられないことばかりだ
今日も何ひとつ出来はしないけれど
静粛な気持ちで
午後二時四六分を待とうと思う

20160311
糸川草一郎
夢だったらよいのにと思った。

あの日より前に帰れればよいのに、と願った。

でも、否応なしに現実で。

願っても願っても、時間を巻き戻すことはできない。

失われたものは戻ってこない。

前をむいて、行くしかない、と人は言う。

けれど、前を向けない。
失われたものを埋めるものは何もない。

それでも、時はすすむ。

あの日から五年。

遺されたものは、今を生き抜くしかない。
何を書いても何かちがくて
僕はそこにいってとても怖かった。
言葉では表せない恐怖ただそれがそこにあった。
改稿しました。







震災のあった日(前篇)




ここからぼくらの町の夜景が見える
点っている町の明りを数えてみた
震災の最初の揺れのあった二時四六分
ぼくはビニールハウスで花に水をやる作業をしていた
馬鹿にハウスが揺れるので風が強いのかなあと思っていたが
気がつくと自分の身体も揺れているので
地震だとやっとわかった
その時ハウスを管理していた
社長の息子さんが停電だと騒いでいた
聞けば全市内停電中だと言う
いつ復旧するかわからないとも言っていた
ラジオで宮城沖が震源の地震が起き
大津波で福島の原発がやられたと言う
そこは東京電力の発電所で
その影響でぼくらの町も停電しているのだろう、という話だった
送迎車が来て、すぐに町に帰ることになった
待ち合わせ場所まで車で約十五分
そこまで行くのに国道は片側二車線だから
信号なしの交差点を通るのはあまりに危険ということで
大月線の旧道を帰った
待ち合わせ場所で降ろされてから自宅まで約二五分かかる
交差点はどこも交通整理をしている警官の姿もなく
まるで無法地帯のようだった
車は殺気立っているように感じたし
ドライバーはパニックに陥っているように思えた
そもそも車の流れが尋常ではなかったし
みなスピードを出しているようだった
ぼくは轢かれる危険をつねに感じながら歩いて帰った
行く先々に見かけるどこのコンビニの入口も開きっぱなし
中に入っても商品の棚はがらがらで
目ぼしいものは何ひとつ売っていなかった
やっとのことで真っ暗な家に帰った
カセットコンロを出して夕食を作った
小さな土鍋に雑炊を作ったことを憶えている
真っ暗な居間に持って行って懐中電灯の明りを頼りに食べた
部屋はひどく寒く、なかなか眠れなかった
毛布と蒲団にくるまっても寒いことに変わりはなかった
ずっと停電だったが、午前二時ごろ電灯が点った
地震があったのは知っていたけれど
ぼくはまだ被害の状況をまるで把握していない
翌日は土曜日だったから
パソコンについていたTVで事実を知った
何メートルもある高い堤防を黒い波はやすやすと越え、街を押し流した
家々が波にのまれ、車が次々流されていった
あの映像の中に多くの命が今まさに失われていることが実感できない
現実とはとても思えず、見ていて涙だけがぼろぼろと頬を伝った
震災のあった日(後篇)




そして四日後の十五日
追い打ちのように深夜ぼくらの町にふたたび大地震が起きた
東海地震が叫ばれてもうずいぶん経つから
家々の耐震対策は万全だったし、割れた窓もほとんどなかった
家具類も固定されていたから
棚のものが落ちるくらいで済んだ
火事がいちばん怖かったが、その晩はどこも火事にはならなかった
大火が起きなかったのは不幸中の幸いだったと思う
けれどブロック塀が崩れたところがあったし
大抵の家の屋根瓦は部分的にだけれど、落ちた
深夜でよかったと誰もが口をそろえて言った
夕食の支度をしている時間帯に起きたら、どうなっていたかわからなかった
震度六強の揺れだったけれど、ぼくらは自分たちを被災者とは呼べなかった
十一日の大多数の被災者に申し訳なかったからだ
あれからもう五年経つんだ
なのに被災地では行方不明のひとがまだ大勢いて
死者の数だってちゃんと把握できていない
そして数ヶ月後、ぼくのいちばん親しい友だちが東京で孤独死した
八月の七日
ぼくらの町ではその夜は七夕で日曜日
宮おどり祭りという一大イベントが行われていた
ぼくはバザーに参加していたけれど、飛び入りで踊ったことを憶えている
月のとてもきれいな晩だった
そのころ友は見るかげもなく衰弱し、ひとりっきりで死んでいた
訃報は二日後に届いた
葬儀は行われなかった
たったひとりの身よりの奥さまが入院中で、おまけに生活保護で暮らしていたからだ
我ながら情けないが、その年のお盆は泣きの涙で暮らした
何を見ても涙が込みあげ、食べものが喉を通らなかった
酒ばかりを飲んで暮らしたことを憶えている
ひょっとすると一生分、あの一週間に泣いてしまったかもしれない
当時糸魚川に住んでいた友人が心配して
山のような食料を送ってくれた(「山のような」はちと大げさだけれど)
とにかくプリンとかフルーツゼリーとか西瓜とか
そういう消化によいものは食べられたから、何とか食べた
何とか食べていのちをつないだ
体重が案の定激減した
脚や腕の筋肉がごっそり落ちた
何を考える力もなかったけれど、彼の死を一句に詠んだ

月だけが見ているひとりぼっちの死  草一郎

懸命な気持ちで詠んでみたのがこのざまだ
彼のために何もしてやれなかったことが悔しくてならない
だからぼくは今でも毎年自刷りの詩集を作ると
彼の仏前に供えてもらっている
ぼくの詩をこよなく愛してくれた友のことだから
冥途で喜んでいてくれたらうれしいと思う

友よ、ここからぼくらの町の夜景が見えるよ
あの明りのひとつひとつに誰かが暮らしていて
今日という日を生きている
震災から何年経っても、忘れられないことばかりだ
今日も何ひとつ出来はしないけれど
厳粛な気持ちで
午後二時四六分を待とうと思う

20160311
糸川草一郎
海辺の町で僕らは別れた
海辺の町で僕らは泣いた
春になるとふと思い出す
「普段どおり」のいとしさを

貝殻に耳を当てると
あの子の声がきこえてくる
子供のままの声で
懐かしい唄を唄っています


今年はあの子のために、小さな花を買っていこう

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