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かわうその茶道ノートブックコミュの志度寺縁起

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先日のお稽古で「海」に関する「御銘(ごめい)」の話になりまして、潮の香、わだつみ、玉依姫、片男波、磯魚、夕凪、藻塩草、美保松原、田子の浦、海女(海士)、白真珠、太公望、とまぁいろいろと出てきたのですが、夏土用も近いのでそのうちの一つをご紹介しておきます。

謡曲「海人(あま)」の舞台、7世紀頃の香川県でのお話です。



補陀落山志度寺(四国霊場86番)

藤原不比等(ふじわらのふひと、鎌足の息子で光明皇后の父)は唐の皇帝高宗から父鎌足の供養として3個の宝珠を贈られることになった。
ところが宝珠を積んだ船が志度の房崎岬にさしかかると海が荒れて船が難破しかけた。
龍神の怒りを鎮めるため、一つの珠を海中に投げ入れて何とか危機から脱出できた。
その宝珠は面向不背といい、珠の中には釈迦三尊が刻まれていて、どこから見ても仏の背が見えない珍品である。
不比等は非常に残念がり、自ら宝珠を探しに志度を訪ねる。
だが海底に沈んだ珠は見つからず、そのうち不比等は若い海女と親しくなり房前(ふささき)という男児が生まれた。
このとき不比等は23才だったがすでに正妻がいて、房前誕生の前年には武智麻呂が生まれている。宝珠を取り戻すことや都への思いなど不比等の悩みは深かった。
その悩みを打ち明けられた海女は、我が子房前を世継ぎにすることを約束させ、海中に潜った。
海底で龍神の腹の下にある珠を奪うと、乳房の下を剣でえぐって珠を隠し龍神の追っ手から逃れた。
こうして宝珠は不比等の手に渡ったが、海女は血に染まって息絶えた。
房前はのちに藤原四家の北家の祖となり、元正、聖武天皇のブレーンとなる。
後に行基とともに志度を訪れ、母である海女の冥福を祈り伽藍を建立した。そのとき法華経八巻を納め、千基の石塔を造立して志度寺として伝えられている。
現在も20基が「海女の墓」としてのこっている。



母の愛の強さと法華経の功徳を伝えるお話です。

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