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昆虫記 〜 ファーブルの生涯コミュの友としての机

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平井堅が唄って文部省唱歌からポップスの世界に進出を果たした『大きな古時計』。
人と「もの」との理想的な関わり、言葉を持たぬ「もの」に確かに宿っていたであろう心、そして幸福な関係の終わりを唄った名作ですが、私はこの曲のことを思う時、すぐファーブルの愛用していた机のことを連想するのです。

机、という言葉から思いつくだろうものよりも、それは大変小さく、質素なものでした。ものを書くための紙とインクつぼを置けば、あとはほとんど何も載せられません。引き出しは小さなものがひとつきり。
下記のサイトに、それの前に座るファーブルを写した有名な写真が掲載されています(注:ファーブルの言わば”公式”サイトで、仏語です。「昆虫記」の全文他、貴重な資料を収録)。

http://www.e-fabre.com/e-fabre.htm

アンリ・ファーブルは社会人としてのキャリアを始めたカルパントラスで、この机を買いました。そう、年収700フランの薄給で暮らす学校教師で、ぜいたくどころか食べるのがやっとだった頃のことですね。

机の小ささは、ファーブルにとってなくてはならないものでした。いつでも好きな時に持ち運びできるおかげで、暗い日には窓の前へ、日の光が邪魔なら部屋の奥へ、寒い冬には暖炉の傍らへと置き場所を変え、どこででもものを書いたり読んだりできたからです。いい照明のなかった時代なので、手元に注目するために太陽の光はことの他重要でした。
おかげでこのクルミの板は彼のお気に入りに、相棒に、友達にさえなり、その70年に渡る知的活動ー 学徒としての勉強であれ、家族や友人に宛てた手紙であれ、後半生に書かれた様々な教科書や『昆虫記』であれー を生み出すいしずえとして、ともに働いたのでした。


歳月を経てその主人が老いてゆくと、付き合うように机も古び、ぼろっちくなっていったと、ファーブルは書いています。インクの染みで汚れ、ナイフの傷だらけになり、フナクイムシにトンネルを穿たれ、更にその坑道は狩人蜂の巣穴として使われている。虫の棲家となったこの机ほど『昆虫記』に相応しいものはないー と。
それでも主人そのもののように丈夫で忠実な机に、ファーブルは心からの感謝を捧げ、そして自分がいなくなったあと、この古い友はどうなるのだろうと、しばし自問するのでした。


おまえは誰とも知れぬ他所の人の手に渡り、せんじ薬のびんを置くナイトテーブルにされるだろう。やがてがたが来てしまえばバラバラにされ、ジャガイモの鍋を煮炊きするための薪として火にくべられるのだ。
煙となって消えてゆくおまえは、そこで再びわれわれがともになした仕事とひとつになるだろうー われわれのむなしい活動が最後の安らぎを得るところ、忘却という世界で。


四年前の2002年10月、栃木県立博物館で「プロヴァンス発見」という展示がなされ、ファーブルにまつわる品もここへやってきた時、私はこの机に出会いました。
最初は単に展示物を置くテーブルとしか思わず、キャプションを見た時に思わず声を上げたものです。それほど”彼”は、何の特徴もないただの木製家具に見えたのです。
博物館の展示物とて、写真撮影ができなかったことは今でも残念に思われます。


ファーブルの心配をよそに、机はその主がいなくなったあとも生き続けました。没後91年を経た今なお、国の博物館となったアルマスにて、主が生涯をともにし、その生き方を一番深く体現する品として、大切に保存されています。
でも、と私は思うことがありますー 連れ添った友人に先立たれた机は何を思い、どう我が身を振り返るのだろう。その前に主が座ることも、八つ当たり気味にペンで引っかかれることもない永遠の独りぽっちは、本当に幸せなのだろうかー と。


もちろんそれは、私の取り越し苦労に過ぎないかもしれません。アルマスは何もかもファーブルの生前のままで「ファーブルの霊がまだそこに住みついているかのように思える」そうだから。
永い余生も独りぽっちではなく、いつまでも忠実に誠実に、主に仕え続けているのでしょうー きっと。


資料:「完訳昆虫記・9」(山田吉彦・林達夫訳)
「ファーブル伝」(イヴ・ドゥランジュ著、ベガエール直美訳)

コメント(2)

`Å`宇宙人コペル >さん


はじめまして。大変レスが遅れまして申し訳ありません。


「植物記」私も好きです。ファーブルの著作は何であれ詩的な響きがあって、ただ行を追うだけでも楽しいですね。
理系、文系の読者を問わない作家だと思います。


「机」のエピソードは、昆虫記の中では割と後ろの巻(岩波文庫版では全10巻中9巻目)にあります。
昆虫記には、こういう脱線(読者にとって嬉しい)がよくあって、それからまた元の虫の話に戻っていくんですね。


ファーブルが晩年を過ごした家は、博物館として永久保存されています。「ファーブルの霊がまだそこに住みついているかのように思えるほど」(ドゥランジュ「ファーブル伝」)だそうです。
そういうことなら、机の余生もまた幸せなものであるかもしれません。


今回はコメントありがとうございました。

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