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飛騨*美濃*尾張∞火と水の調和コミュのヒミコと桃太郎 〜“桃”でつながる纏向と吉備と尾張の関係

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ヒミコと桃太郎 〜“桃”でつながる纏向と吉備と尾張の関係
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=21218



犬山の栗栖に伝えられてきた、子供を守護する桃山のカミさま。
その桃山につらなる山々の西端が、白山平山。
http://twitpic.com/du2p1s

その山頂にある東之宮古墳は、尾張最古の前方後方墳。
そこから、卑弥呼の魔鏡がでてきた。
http://twitpic.com/e0dz2u

吉備津彦(彦五十狹芹彦命)と、若建(稚武)彦の、兄弟二人ともが桃太郎だといわれてる。
その姉である倭迹迹日百(モモ=桃)襲姫がヒミコだとすると、ヒミコと桃太郎は姉弟関係となる。

このあと、桃でつながる纏向と吉備と尾張を追ってみます…
http://twitpic.com/e0kolp

尾張一宮の真清田神社の例大祭も、桃花祭。
http://twitpic.com/91hp8k

“往古、当社の周りは桃の木が群生し、この地は「青桃丘(せいとうきゅう)」と呼ばれていました。霊力があると信じられているこの桃の枝をもって身のけがれを祓い、当時神社の近くを流れていた木曽川にこの枝を流して…”
http://www.masumida.or.jp/shinji/touka/

鬼道をあやつる卑弥呼と桃は、切っても切れない関係。
纏向の箸墓古墳に眠るといわれる倭迹迹日百襲姫は、三輪山の神である大物主命の妻であり巫女だった。
この纏向遺跡からは、古代の桃の種が大量に出土している。
http://twitpic.com/e0lsiq

葛城の東側にある纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
そして、祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。
http://twitpic.com/e0lspy

【東海49%】

“纏向遺跡からは、河内・近江や阿波・吉備・山陰地方・北陸地方さらには南関東地方の土器が出土している…”

纏向遺跡に運ばれた外来系土器の比率 (桜井市立埋蔵文化財センター展示)
http://twitpic.com/e0lszt

“唐古・鍵遺跡から、遠く吉備や尾張・伊勢・三河からの土器が出土。さらに、糸魚川周辺の姫川流域で産出するヒスイ製勾玉や丹後産と推定される水晶玉なども出土…”

唐古・鍵ムラに運ばれたもの(唐古・鍵考古学ミュージアム 図録 P30)
http://twitpic.com/e0lt9v

赤椀の世直し。
出雲から広がった銅鐸(ワニ=サメ=水神)を壊して鏡(ゴホウラ=太陽)につくりかえ、3世紀半ばに大和と山城を中心に大連合して建てられた原初畿内ヤマト。
http://twitpic.com/c3odlo

三種の神器は、
勾玉(青いエリア)
剣(赤いエリア)
鏡(緑のエリア)
が和合した原初畿内ヤマト。

弥生時代後期・古墳時代前期前半の地域的まとまりの範囲(桜井市立埋蔵文化財センター 平成25年度特別展 HASHIHAKA 図録)
http://twitpic.com/e0ltk1





▼犬山の桃太郎神社と大神実命 〜栗栖の桃山に伝わる桃太郎伝説
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=76083681&comm_id=3180326

▽浦島伝説とホアカリノミコト 〜龍宮へ行った彦火明命と亀に乗った倭宿禰
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46425692&comm_id=3180326




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コメント(10)

犬山の栗栖に伝えられてきた、子供を守護する桃山のカミさま。
その桃山につらなる山々の西端が、白山平山。
http://twitpic.com/du2p1s
その山頂にある東之宮古墳は、尾張最古の前方後方墳。
そこから、卑弥呼の魔鏡がでてきた。
http://twitpic.com/e0dz2u
吉備津彦(彦五十狹芹彦命)と、若建(稚武)彦の、兄弟二人ともが桃太郎だといわれてる。
その姉である倭迹迹日百(モモ=桃)襲姫がヒミコだとすると、ヒミコと桃太郎は姉弟関係となる。

このあと、桃でつながる纏向と吉備と尾張を追ってみます…
http://twitpic.com/e0kolp
尾張一宮の真清田神社の例大祭も、桃花祭。
http://twitpic.com/91hp8k

“往古、当社の周りは桃の木が群生し、この地は「青桃丘(せいとうきゅう)」と呼ばれていました。霊力があると信じられているこの桃の枝をもって身のけがれを祓い、当時神社の近くを流れていた木曽川にこの枝を流して…”
http://www.masumida.or.jp/shinji/touka/
鬼道をあやつる卑弥呼と桃は、切っても切れない関係。
纏向の箸墓古墳に眠るといわれる倭迹迹日百襲姫は、三輪山の神である大物主命の妻であり巫女だった。
この纏向遺跡からは、古代の桃の種が大量に出土している。
http://twitpic.com/e0lsiq
葛城の東側にある纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
そして、祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。
http://twitpic.com/e0lspy
【東海49%】

“纏向遺跡からは、河内・近江や阿波・吉備・山陰地方・北陸地方さらには南関東地方の土器が出土している…”

纏向遺跡に運ばれた外来系土器の比率 (桜井市立埋蔵文化財センター展示)
http://twitpic.com/e0lszt
“唐古・鍵遺跡から、遠く吉備や尾張・伊勢・三河からの土器が出土。さらに、糸魚川周辺の姫川流域で産出するヒスイ製勾玉や丹後産と推定される水晶玉なども出土…”

唐古・鍵ムラに運ばれたもの(唐古・鍵考古学ミュージアム 図録 P30)
http://twitpic.com/e0lt9v
赤椀の世直し。
出雲から広がった銅鐸(ワニ=サメ=水神)を壊して鏡(ゴホウラ=太陽)につくりかえ、3世紀半ばに大和と山城を中心に大連合して建てられた原初畿内ヤマト。
http://twitpic.com/c3odlo
三種の神器は、
勾玉(青いエリア)
剣(赤いエリア)
鏡(緑のエリア)
が和合した原初畿内ヤマト。

弥生時代後期・古墳時代前期前半の地域的まとまりの範囲(桜井市立埋蔵文化財センター 平成25年度特別展 HASHIHAKA 図録)
http://twitpic.com/e0ltk1

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