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バハイ教の聖典コミュの第6 楽園の書簡 1

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ケタベ・アグダス後に啓示されたバハオラの第六の書簡。







   カラマテ・フェルドフィエ[楽園の言葉]






  彼こそは、発言の王国にて「真理」の力によって語る御方なり。



 おお、正義と公平を具現し、そして正直と天の恩恵を顕現する汝らよ!涙を流し、嘆きながら、この虐げられた者は大声でこう叫ぶ――おお神よ、わが神よ!あなたの愛されし人々の頭(こうべ)を離脱の王冠で飾り、彼らの聖堂を正義の衣で装い給え。

 発言の力で主に勝利を与え、立派な振舞いと人格で人々に勧告することが、バハの人々にふさわしい。なぜなら、行動は言葉よりもはるかにずっと大きな影響を与えるが故に。

 おお、ヘイダー・アリ[1] よ!汝に神の賛美と栄光あれ。言挙げよ――正直や美徳や英知そして高徳な人格は人の地位を高めるが、不正直や詐欺や無知そして偽善は人を卑しめる。わが命にかけて誓う!人間の優秀さは、飾りや富にあるのではなく、むしろ高徳な振舞いと真の理解にある。ペルシャの大部分の人々は、ごまかしとたわいない空想に浸っている。これらの人々の状態と、名前の海を越え、離脱の大海原の岸辺にテントを張った勇敢な人々との地位の差は何と大きいことか。まことに、現世代のほんの数人を除いては、最高の楽園に住む鳩のさえずりに耳を傾けることの価値を認める者はいない。「わがしもべらのうちで真に感謝する者は少ない」[2] 。大部分の人々は迷信を楽しんでいる。彼らは幻想の海の一滴を確信の海よりも好ましいと見なす。彼らは名前に固くこだわって内なる真理を失い、空虚な想像に執着して天の印の「夜明け」から隔てられている。願わくば、迷信の偶像を打ち砕き、人々の想像のベールを引き裂けるよう、汝らがあらゆる状況で援助されんことを。啓示と霊感の「源」であり、「復活の日の主」なる神のもとに権威はある。

 問題の当人が、「信教」のある布教者たちについて述べたことをわれは聞いた。まことに彼は真実を語った。ある無頓着な者は、神の名においていろいろな土地を訪れては、神の大業を破壊する行為をしながら、神の言葉を広めているのだと言う。そしてこれは、その「信教」の布教者らの能力は、星のように、聖なる「書簡」の天の至る所でまばゆく輝いているというのに、そのようなことがなされているのである。あらゆる公平な心の持ち主は、次のことを証言し、洞察力あるあらゆる者は次のことを十分承知している――それは、唯一の真なる神――その栄光に誉れあれ――は、人の子らを引き上げ、その地位を高め、ランクを引き上げるものを絶え間なく述べられ、説明されたということである。

 バハの人々は、集会で蝋燭のごとく明るく燃え立ち、神が意図されたことを固守する。この地位はあらゆる地位の中で最高のものである。この世の人々が所有するものを投げ捨て、永遠の最高の主なる神に関するものを渇望する者は幸いである。

 言挙げよ――おお神よ!わが神よ!あなたは、わたしが己の目をあなたの恩恵の地平線の方へ向けて、「あなたの意志の回り」をかけめぐり、あなたの好意の太陽のまばゆく輝く啓示をしきりに待っているのを見ておられます。おお、あらゆる理解力ある心の最愛なる御方で、あなたのおそば近くにいる者らの望みなる御方よ、私はあなたに懇願致します。あなたに愛されし者らが自分の望みから全く離脱し、あなたのお気に召すことにすがりつくようなし給え。おお主よ、彼らに正義の衣を装わせ、離脱の光の輝きによって彼らを明るく照らし給え。そうして英知と発言の軍勢を彼らの援助のために呼び出し給え。そうすれば彼らは、あなたの言葉をあなたの創造物の間で賛美し、あなたの大業をあなたのしもべらの間で宣言するでしょう。まことにあなたはあなたのお望みになることを行う力がおありで、全ての事はあなたの支配下にあります。強大にして常に許し給うあなたの他に神はいまさぬ。

 おお、己の眼をわが顔の方へ向けた汝よ!最近、われを非常な悲しみに落し入れたことが起きた。神の大業に忠誠を誓うと言いながら悪事を働く行をする者らが、誠実と正直、そして正義と公平の手足を震わせるようなことをした。最高の親切と好意を与えられた、ある名の通った者が、神の目に涙を流させてしまうようなことをしでかした。以前、われは勧告と警告の言葉を発したが、彼が注意し悔い改めんがために数年間、われはこの事をふせておいた。しかし全ては無駄であった。結局彼はあらゆる者の面前で神の大業をけなすことに没頭したのである。彼は公平のベールを引き裂き、自分自身にも、また神の大業にも同情することはなかったのである。しかしながら、ある者らの行為は、ここで述べた者ら以前の人々が引き起こした悲しみよりもさらに耐え難い激しい悲しみをもたらした。無頓着な者らが己の発言を撤回し悔い改めるのを、恵み深く可能にして下さるよう、汝、真なる御方である神に嘆願せよ。まことに彼は許し給い、恵み深く、最も寛大な御方におわす。

 和合と調和をしっかりと固守し、神の大業を促進するために努力することは、この時代に住むこの日々においてあらゆる者の義務である。それによりおそらくは、強情な者らが永続する繁栄を得らんがために。

 端的に言って、様々な宗派の間の不和は弱さを引き起こした。それぞれの宗派は自分自身のやり方を選び、ある網にしっかりとつかまっている。明らかな盲目と無知にもかかわらず、彼らはその洞察力と知識を誇りにしている。その中のうちの何人かはイスラム教に忠誠を誓う神秘主義者らもいれば、さらにそのうちの何人かは怠惰と隠遁生活を引き起こすものに耽っている者もいる。神にかけて誓う!それは人間の地位を低くし、うぬぼれを強めるのである。人間は、実を結ばねばならない。実を結ばぬ者は、聖霊[3] の言葉で言えば、実のならぬ樹のようであり、そして実のならぬ樹は燃やされるしかない。

 前に述べた者らが、神の単一性について述べたことは大いにたわいなさと空想を引き起こすであろう。これらの滅ぶべき者らは、明らかに地位の差というものをなおざりにし、自分自身を神と見なすようになった。しかし神は全てを超越して計り知れぬほど崇高なのである。しかしあらゆる創造物は神から放散される神の印を反映し、明示するのであり、それは神御自身ではない。これら全ての印は生存の書の中に示され、また見ることができる。宇宙の形と模様を描く巻物はまことに偉大な書である。そこに、あらゆる洞察力ある者は、「まっすぐな道」へ導いてくれるもの、「偉大なる告知」に達することを可能にしてくれるものを見いだすのである。世界をおおう光を放つ太陽光線について考えてみよ。その光線は太陽から発散し太陽の性質を示すが、それは太陽そのものではない。地上で見ることのできるものはみな、神の力と知識、そして神の恩恵のほとばしりを豊富に実証する。しかし神御自身は全創造物を超越して計り知れぬほど崇高でおられる。

 キリストはこう言った――「あなたは、学識ある者や賢き者らに与えられなかったものを子供たちにお与えになりました」。サブズィヴァーの賢者[4] はこう言った――「悲しいかな!注意して聞く耳は見当たらない。さもなくば『シナイの柴』のささやきはあらゆる樹から聞こえるであろうに」。「模範的真理」の意味について尋ねた。英知ある者への「書簡」の中で、われは次のような言葉でこの有名な賢者に話しかけた――「もしこの言葉が真に汝のものであるなら、どうして世界の頂点から『人類の樹』が上げた『叫び』に耳を傾けることができなかったのか。もし汝はその『叫び』を聞きながら、汝がしかし恐れ、己の命を守らんがためにという望みによってそれに注意を払わずにいるのなら、汝は昔もこれまでも、そして今も語られるに値せぬ者である。もし汝はそれをまだ耳にしていないのなら、汝には聞く力がないのである」。端的に言って、そのような人々は、自分の言葉が世界の誇りであり、己の行為が国々の恥である者らである。

 まことにわれは、わが「栄光のペン」に他ならぬ「ラッパ」を鳴らした。すると、見よ!神がその恩恵の印として救わんとお望みになった者ら以外を除いて、人類はすべてその前で気絶してしまった。彼こそは恩恵の主、「日の老いたる御方」なり。

 言挙げよ――おお聖職者の群衆よ!この「ペン」がその鋭いかん高い声を上げるやいなや発言の王国はそれを聞くための準備をし、そしてその「ペン」の強大で栄光ある主題の前においてその他全ての主題は取るに足りないものに色あせてしまった。

 神を畏れ、自らのたわいない空想や堕落した想像を追うに従うことなかれ。いや、むしろ、否定しがたい知識と不動の確信をもって汝らの所にやって来た「御方」に従え。

 神に栄光あれ!人間の宝とはその発言であるのだが、この虐げられた者は「口」を閉ざしていたその「舌」を動かさずにいた。というのは、不信心な者らが待ち伏せているからだ。しかし、全ての世界の主なる神が保護して下さる。まことに、神をわれは信頼し、神に全ての事を委ねた。神はまことに、われと全創造物に十分なのである。彼こそは、そのお許しとその御命令の力によって、最高の力を持つ「太陽」が世界の地平線上に輝くようになさった御方なのである。「真理」を理解し認める者は幸いなり。片意地で不信心な者は哀れなり。

 この虐げられた者は、賢き者らを常に愛情深く取り扱った。賢き者の意味することは、己の持つ知識が単なる言葉だけにとどまらず、人生に実り多く、永続する結果を生じた人々のことである。これらの祝福された者らを敬うことはあらゆる者の義務である。神の教えに従う者らは幸いなり。「真理」を認めた者らは幸いなり。全ての事柄を公平に判断し、侵しがたいわが「正義」の「網」にしっかりと捕(つか)まる者らは幸いなり。

 ペルシャの人々は、保護者にして救助者なる御方から顔を背(そむ)けてしまった。彼らは、愚かな者らの空しい想像に執着し、そのわなにかかって絡(から)まってしまった。迷信を非常に断固として固守するため、神――その栄光に誉れあれ――の強力な腕以外は、彼らを迷信から切り離すことができないのである。様々な民族や親族を閉め出してしまったベールを、神が、御力の指でもって取り除き、彼らが安全と進歩と発展の役に立つものを得、比類なき「友人」の方へ彼らが急ぐよう、汝ら全能なる御方に嘆願せよ。






   第一の葉


「アブハのペン」が「最も崇高なる楽園」の第一の葉に啓示し、記した神の言葉は次の通りである。まことにわれは言う。神への畏れは世界の人々のための確実な防備であり、安全な要塞である。それは人類を守る保護のための主要な原因であり、人類を保護する最高の手段である。まことに人間にとっては、取るに足らず、ふさわしくない物事から人間を思いとどまらせ、それから人間を守ってくれる機能が存在する。その機能は羞恥心として知られている。しかしながらこれは一部の者に限られており、必ずしも全ての者がそれを持っていたわけでもなく、また持っているわけではない。





   第二の葉


 「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第二の葉の上に記した神の言葉は次の通りである――「最も高遠なる御方のペン」は今、権威の顕示者と権力の源、つまり王や君主や大統領、そして統治者や聖職者や賢明な者らに、宗教の大業を支持しそれを固守するよう勧告し命令す。宗教はまことに、世界の秩序を確立し、その民族らの間の平穏を確立するための主な手段である。宗教の柱が弱まったことは、愚かな者たちを強くまた大胆にし、より高慢にした。まことにわれは言う、宗教が衰えれば衰えるほど、不信心な者たちのわがままが悪化するのである。これは結局、混乱と混雑を引き起こすとなることは避けられない。われの言うことを聞くがよい、おお洞察力ある者たちよ、そして警戒せよ、認識力を授けられたる汝らよ!





   第三の葉


 「最高のペン」が「最も崇高な楽園」の第三の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――おお人の子よ!もし汝の眼が慈悲に向けられているなら、汝の益になることを捨て、人類の益になることにしがみつけ。そしてもし汝の眼が正義に向けられているなら、汝自身に選ぶことを隣人のために選べ。謙遜は人を栄光の天まで高めるのに反し、自惚れは惨めさと堕落のどん底へ人を落とす。

 おお神の人々よ!この「日」は偉大で、この「叫び」は強力なり!わが「書簡」の中でわれは次のような崇高な言葉を啓示した――「もし精神の世界が全て聴覚に変えられたなら、それは『最高の地平線』から発する『声』を聞くであろう。というのも、もしそうでなかったなら、偽りの話によって汚されたこれらの耳は、今も昔もその『声』を聞くのにふさわしくなかったし、今もふさわしくはないのだから」。耳を傾ける者らは幸いであり、わがままな者らは哀れなり。 





   第四の葉


「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第四の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――おお神の人々よ!統治と権力の顕示者たちを自我と欲望の示唆から守り、正義と導きの輝きを彼らの上に放ってくださるよう、「真なる御方」――彼の「名」に誉れあれ――に嘆願せよ。陛下ムハムマド王は、その秀れた地位にもかかわらず二つの極悪な行為を犯した。ひとつは、「恵みと恩恵の王国の主」なる「最初の点」の追放を命じたことであり、もうひとつは「政治的手腕と文学的業績の市の王子」[5] の殺害である。王たちの過ちはその好意と同様に大きなものでありえる。権力と権威がもたらす自惚れによって正義に忠実であることを妨げられず、ぜいたくや富や栄光、そして軍勢や軍隊を並び立てることによって公平の太陽の輝きを失わずにいる王は、天上の「群衆」の間で高く荘厳な地位を占めるであろう。そのような者に援助の手を差し伸べ、親切を示すことはあらゆる者の義務である。己の情欲を厳しく統制し、己の怒りを抑え、不正や残虐よりも正義と公平を好む王は幸いである。





   第五の葉


「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第五の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――最大の贈り物にして最もすばらしき祝福は、何にもまして「英知」であったし、これからもそうあり続ける。それは人を確実に「守るもの」である。それは人を助け、強める。「英知」は神からの「使者」であり、「全知なる方」という神の御名の「啓示者」である。それを通して、人の地位の高尚さが顕示され、明示される。それは全てを知り、生存の学び舎における最高の「教師」である。それは「案内者」であり、傑出した地位を授けられている。その教育的影響力により、地上の生存物は、諸々の天よりも輝く宝石のような精神を吹き込まれた。正義の町において、それは比類なき「話者」であり、この「話者」は九の年にこの「啓示」の喜ばしき知らせをもって世界を照らし出した。世界の基礎が築かれ始めた頃に内なる意味の階段を登ったものも、そして発言の説教壇で玉座についた時に聖なる「意志」の働きを通して二つの言葉を宣言したものも、この類なき英知の「源泉」だったのである。最初の言葉は報酬の約束を布告し、二番目の言葉は罰の不吉な忠告を発した。この約束は希望を生み、忠告は恐れを引き起こした。このようにして世界秩序の基礎は、これら二つの原則の上にしっかりと確立されたのである。「英知の主」、「偉大なる恩恵の所有者」は崇高なり。





   第六の葉


 「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第六の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――人間の光とは「正義」である。圧制や暴虐の残待や残虐という逆風によってそれを消すことなかれ。正義の目的とは人々の間に和合をもたらすことである。神の英知の海はこの崇高なる言葉の内にうねりを上げるが、世界の諸々の本にはその言葉の内なる意義を収めることはできない。もし人類がこの衣服で飾られたなら、人類は、「その日、神は神の豊富さによってあらゆる者を満足なさるであろう」)[6] という発言の太陽が、世界の地平線の上にまばゆく輝いているのを見るであろう。汝ら、この発言の価値を理解せよ――それは「栄光のペンの樹」が結んだ高貴な実なのである。それに、耳を傾け、その教えに従うものは幸いである。まことにわれは言う。「神の意志」の天から送られることは全て、世界に秩序を確立し、その民族の間に和合と友好を促進するための手段なのである。「この虐げられた者」の「舌」は「彼の最大の牢獄」からかくのごとく語った。





   (続く)



 

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