ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

男爵 平沼騏一郎コミュの政治思想

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
明治元年三月十四日、明治天皇は天神地祇を親祭し給い、国是五条を立てさせられた。
世に之を五条の御誓文と申上げている。
この時宸翰を群臣に賜ったが、其の中には実に左の如き御言葉がある。
 天下億兆一人も其所を得ざる時は皆朕が罪なれば今日の事朕自ら身骨を勞し心志を苦め艱難の
 先に立ち古列祖の盡させ給ひし蹤を履み地跡を勤めてこそ始めて天職を奉じて億兆の君たる所に
 背かざるべし
一人も其所を得ざる時は皆朕が罪なりとは洵に畏れ多き御言葉で、日本国民たる者の恐懼感激に堪えざる所である。
此の宸翰を拝する毎に考えらるることは、輔弼の職に在る者が独り至尊をして社稷を憂えしむるの罪万死に当ることを牢記し、相勗めて蹇々匪躬の節を效すと共に、一般国民も亦各其の職域を恪守し、夙夜勤勉、皇室の忠良なる臣民たることを心懸けねばならぬと云うことである。

思うに政治の本旨は万民をして各其の所を得しむるに在る。
個人も繁栄し、大衆も繁栄し、誰一人繁栄せざるもの無き時は、則ち国家の最も繁栄する時である。
少数のみが繁栄して多数の繁栄せざるは真の繁栄ではない。
真の繁栄の無い所に国家の繁栄は有り得ない。
我が国は開闢以来此の本旨を以て政治の標幟となし来っている。
時に治乱あり世に盛衰ありて此の本旨の徹底せず、国勢為に振わず、国権為に伸びざりし時代もあったが、此の本旨が政治の第一義たりしことは、毫も疑いなき事実である。

西洋の歴史を見るに政治は少数の富豪又は権力者が多数の小民又は貧民を圧迫し、其の膏血を搾取して、独り自ら得たりとするを常とした時代があった。
此の如く少数の貴族が跋扈して其の横暴を逞しゅうする時は、多数の無産者は其の下積みとなり、あらゆる束縛を受けて利権は総べて浚われて仕舞うが、その反対に多数の無産者が団結して、之に反噛を加うる時は、少数の貴族は多勢に無勢で奈何ともしがたく、散々前の恨みを返えさるることとなる。
詰まるところプロレタリヤとブルジョアとが相互に復讎を繰り返えして、闘争の絶ゆる時が無いと云う情勢である。
政治の本旨を誤れる結果でなくて何であろう。

我が国の政治は対立関係を認めない。
国民の各個が繁栄する時は国家全体が同時に繁栄し、国家全体が繁栄する時は国民の各個も同時に繁栄する。
別言すれば人も栄え家も栄え、一町村、一府県、山川草木皆栄えて始めて国家が栄えると云う政治である。
仁徳天皇が『百姓の貧しきは朕の貧しきなり、百姓の富めるは朕の富めるなり』と仰せられたのは恐れながら古今東西を通じたる政治の要道で、万古不磨の聖訓であると確信する。

而して上下一体、総べての物を同時に繁栄せしむる為には、先ず各自が自己本位の観念を一掃して、自他共に幸福を得るの理念を涵養し、相互に之に向って協力するの方法を講ぜねばならぬ。
これが先決必須の用件である。
孔子は『己れの欲せざる所は人に施すなかれ』と云い、我が国の諺にも『我が身をつねって人の痛さを知れと云ってある。
自他共に此の理念を堅持すれば、如何なる場合でも如何なる事業でも、協同一致の態勢を取ることが出来る。
これが個人も国家も同時に繁栄するの根本義で、政治の要道は全く此に在る。

聖徳太子の憲法十七条中に『背私向公』と云う御言葉があり、近頃は又『滅私奉公』と云う言葉も出来た。
此の背私、滅私は私心を去れと云うこと、即ち各自の利己主義を棄てて、協同一致で国家全体の向上を図れと云うことである。
一旦緩急の場合、義勇公に奉じて一身を犠牲にすることは、国民として固より当然のことであるが、国民全体が自己の総べてを棄てて仕舞えば、国家も同時に無くなって仕舞う。
背私向公、滅私奉公とは決して左様な不道理な言葉ではない。
考え違いをしてはならぬ。
利己主義即ち自己本位は絶対に排撃せねばならぬが、国家全体と共に個人の繁栄を講ずるのが背私向公、滅私奉公の目標である。
これは極力奨励せねばならぬ。

現今の流行語たる『公益優先』も同様で、往々其の趣意を誤解している人がある様だ。
即ち公益のためには個人はどうなってもよいと云う考を持っている人があるやに見受けられる。
飛んでもないことである。
国家社会を善くする為には、同時に個人をも善くせねばならぬ。
個人を犠牲にして国家社会の善くなる道理はない。
啻に善くならないばかりではない。
結局社会の衰運、国家の滅亡を招来する。
近時中産階級を圧迫して没落の悲運に陥らしめ、或は中小商工業者をして失業又は転業の已むなき状態に立至らしめているのは宜しくない。
時局の手前、法律の威力の上から、不平不満を噛み殺していても、所謂怨嗟の声は口から耳に伝えられる。
遂に道路語るに目を以てするに至れば、国家の不祥之より甚だしきはない。
是れ実に国家自ら衰運を促進するもので、為政者の三思すべき所である。

背私向公は臣民の道徳律であり、滅私奉公、公益優先は個人々々の精神上の基準であるが、国家の政治は個人と国家と同時に繁栄するものでなければならぬ。
万物皆その所を得て共に繁栄し共に向上する所に国家の進運があり発展がある。
予は為政者も国民も一様に此の進運を扶翼し、此の発展を推進するの義務あることを痛感するが故に、新年の初頭に当り、敢て所懐の一端を開陳した次第である。

(平沼騏一郎「公益優先の意義(政治の本旨を論ず)」『東洋文化』通巻百九十二号より、現代文風に改変)


     明治天皇御製

国民はひとつ心に守りけり遠つみおやのかみのおしへを
あがた守こゝろづくしのほど見えて藁家の煙たちまさりけり
いとなみはその家家にかはるらむ立つる煙はひとつなれども

コメント(2)

曾お祖父様は、平沼氏と同郷の先人だったのですね。
仰る通り、人格者としての一面が伺える逸話です。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

男爵 平沼騏一郎 更新情報

男爵 平沼騏一郎のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング