ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ダイナマイト・キッドコミュのダイナマイト・キッド、安らかに・・・

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年12月5日。60歳の誕生日に、ダイナマイト・キッドが天国へ・・・

藤波や初代タイガーとの名勝負、スミスとのタッグでファンを魅了してきたキッドが・・・



燃え尽きたキッドの人生。安らかに眠って欲しいです。

コメント(3)

堀江ガンツさんの、キッド追悼コラムです。

<嵐のように生き、刃物のように闘う。ダイナマイト・キッドよ、永遠に!>
https://news.goo.ne.jp/article/numberweb/sports/numberweb-832779.html
12月07日 17:00Number Web

“爆弾小僧”ダイナマイト・キッドが自身の60歳の誕生日である12月5日、帰らぬ人となった。

 1980年代前半、空前のプロレスブームを巻き起こした初代タイガーマスクのデビュー戦の相手であり、最大のライバルであったダイナマイト・キッド。

 当時『ワールドプロレスリング』実況の古舘伊知郎アナウンサーが「全身これ鋭利な刃物!」と称したとおり、すごみを漂わせる危険な佇まいと、カミソリのような切れ味のファイトで多くのファンを魅了した。

 身長173cmという小さな身体ながら、常に全力で相手に攻撃を仕掛け、また全力で相手の攻撃を受けきる。

その命を削るような闘いぶりは、今も伝説としてファンの記憶に残り、また世界中のレスラーたちに多大なる影響を与えた。

 しかし、自らの身体を顧みない過激すぎるファイトは代償も大きく、引退後は車椅子生活となり、後年はほぼ寝たきりの生活を送っていたことも知られている。

 プロレス黄金時代を全力で駆け抜けていき、何も言わずに静かに去っていったダイナマイト・キッドのレスラー人生をあらためて振り返ってみたい。


☆空前のプロレスブームを起こすきっかけ。

 ダイナマイト・キッドこと本名トーマス・ビリントンは、1958年イギリス・ランカシャー州生まれ。12歳でランカシャーレスリングのトレーニングを開始。

“神様”カール・ゴッチや“人間風車”ビル・ロビンソンを輩出し、劇画『タイガーマスク』に登場する虎の穴のモデルとしても知られる“蛇の穴”ビリー・ライレージムでも修行を積み、16歳でプロデビュー。

 19歳でカナダの名門ハート一家にスカウトされカルガリーへと渡ると、その過激なファイトで一躍現地のトップレスラーとなった。

 '79年7月、国際プロレスに初来日。

'80年からは新日本プロレスに参戦し、'81年4月23日にタイガーマスクデビュー戦の相手に抜擢されると、これまで誰も見たことがないような名勝負を展開。

ダイナマイト・キッドの名を一躍世間に轟かせるとともに、タイガーマスク人気爆発により、空前のプロレスブームを巻き起こすきっかけを作った。


☆リング内外で“危険”でありつづけた。

 タイガーマスクとの一連の試合があれほどまでに人気を博した要因は、タイガーの華麗な空中殺法だけではない。

ふたりの闘いは、常に緊張感に満ちた、ストロングスタイルの真髄ともいえる闘いだったことが、何よりの要因だ。

 ひとたびリングに上がると、キッドから一切の妥協は消える。

ケガのリスクを恐れない危険な闘いを自らに課すと同時に、それに対戦相手が対応できなければ、相手を壊すことも厭わなかった。

だからこそ、一瞬の気の緩みも許されない、緊張感あふれる試合となったのだ。

 またキッドは、試合以外でも常にファンの目があるところでは“爆弾小僧”であり続けるプロでもあった。

ファンの前では一切の笑顔は見せず、サインを求める色紙を差し出されれば、その場で破り捨て踏みつける。

 入場時に観客がふざけてコスチュームを引っ張ったりすれば、容赦なく殴りつけたことも1度や2度ではない。

それらはすべてダイナマイト・キッドとしての危険なイメージを守るための行動であった。


☆「身体がパンクする予兆は……」

 そしてキッドは自分がキッドであり続けるために、危険を顧みない激しいファイトを続けていく。

こうした試合の連続は、キッドの身体を徐々に、そして確実に蝕んでいった。

キッド自身、自伝で「俺の身体がパンクする予兆は、タイガーマスクとの抗争の頃からすでに始まっていた」と語っている。

 しかも、キッドの身体を蝕んでいったのは、激しすぎるファイトだけではなかった。その最も大きな要因は、アナボリック・ステロイド(筋肉増強剤)をはじめとした薬物の乱用だったのだ。

 当時のアメリカのプロレス界は、ハルク・ホーガンに代表されるマッチョなヘビー級レスラー全盛時代。

いまでは考えられぬことだが、マット界にステロイドが蔓延し、多くのレスラーが当たり前のように使用していた。

(続く)
堀江ガンツさんのキッド追悼コラム、続きです。



◆あまりにも刹那的なキッドの生き方。

 '83年のタイガーマスク引退後、ライバルを失ったキッドは、全日本プロレス参戦を経て、'85年にアメリカ最大のメジャー団体WWFと契約する。

身体の小さなキッドの場合、大きなレスラーに対抗するために身体を大きくする必要があり、また人の何倍も受け身を取るため、受け身を楽にするための筋肉も必要だった。

そのため、ステロイドの過剰摂取が始まり、さらに鎮痛剤との併用が日常化してしまったのだ。

 その上で、全米を飛び回るハードスケジュールの中で過激な試合を続けた結果、'86年12月、キッドの身体はついに悲鳴をあげた。

試合中のアクシデントにより、第4第5椎間板断裂の重傷を負い、戦線離脱。医師からは引退勧告を受けることとなったのだ。

 それでもキッドは、まだ麻痺が残る中、痛み止めを打ちながらリングに復帰。そしてステロイドを打つことで、リングに向かう気持ちを奮い立たせた。

もはや、キッドはステロイドなしではいられない身体になっていたのだ。

 当時の気持ちをキッドは、自伝で次のように語っている。

「ケガをしていようが、大観衆が俺の名前を叫んでいれば、その期待には何としても応えなければならない。

身体が動こうが動くまいが、やるしかない」

 あまりにも刹那的であるが、それがキッドの生き方だった。


◆プロレスも家族も33歳で失って。

 ステロイドはキッドの肉体だけでなく精神をも蝕んだ。“理不尽な怒り”という副作用によって、私生活でも極めて攻撃的な人間になってしまったのだ。

そしてバックステージでのケンカなど、トラブルを日常的に起こすようになる。

そして椎間板断裂の大ケガ以降、かつてのような激しい試合ができなくなり、トラブルも絶えなかったキッドは、'88年に解雇同然のケンカ別れでWWFを離脱する。

 その後、全日本プロレスのリングに復帰し、日本とカナダを往復する生活を送るようになるが、キッドの試練はさらに続いた。

ステロイドの副作用による性格の激変に耐えられなくなった妻・ミシェルに見切りをつけられたのだ。

 ある日、キッドが全日本のツアーを終えてカナダの自宅に帰ると、そこはもぬけの殻で、テーブルの上には祖国イギリスへの片道航空券だけが残されていたという。

キッドはカナダを永久に去り、離婚が成立すると、すべての財産を妻と3人の子供たちに譲り渡した。

 またWWF離脱後、体調は悪化の一途を辿り、'91年12月6日、全日本の日本武道館大会で引退を発表する。

この時33歳。金と名誉、さらには天職であるプロレスと家族まで失ったキッド。残ったのは、身体中の痛みだけだった。

(続く)

◆2016年につきとめられた居場所。

 その後、'93年にイギリスで現役復帰。

身体はボロボロでまともな試合ができる状態ではなかったが、全財産を失ったキッドが金を稼ぐ手段はプロレスしかなかったのだ。

'96年10月には日本のみちのくプロレスにも参戦。

そこで、同じくプロレス活動を再開していた初代タイガーマスクとの再会をはたすが、キッドの身体は痩せこけており、もはやかつての爆弾小僧の姿はどこにもなかった。

 このタイガーとの再会マッチを最後にキッドは完全に引退。プロレス関係者との連絡を一切断ち、マット界から姿を消した。

 そのため引退後のキッドの近況は断片的にしか知ることはできなかったが、2016年10月にNHKの『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』でタイガーマスクを取り上げられた際、番組はキッドの居場所を突き止めることに成功。

現在の様子を多くの人が知ることとなる。

 キッドは'13年に重い脳卒中にかかり、晩年は介護施設で暮らしていた。傍らには現在の妻ドットの姿があった。

キッドが引退した翌年、ふたりは出会い結婚。妻はキッドが有名なプロレスラーだとは知らなかったという。

だからこそ、リングを降りたキッドが心を許せる人だったのだろう。

 ダイナマイト・キッドは、妻ドットと出会うことで、ようやくトーマス・ビリントンに戻ることができ、故郷で静かな余生を過ごしたのだ。


◆たった10年の太く短い現役。

 キッドが表舞台で活躍したのは、せいぜい10年強とあまりにも短いが、その後のプロレス界に与えた影響はあまりにも大きい。

 日本の獣神サンダー・ライガーをはじめ、'80年代後半以降の世界のジュニアヘビー級レスラーは、ほぼ全員、キッドの影響を少なからず受けている。

 そして、小さな身体であってもヘビー級の世界トップで闘うというキッドが作った道筋は、その後、弟子でもあるクリス・ベノワに受け継がれ、現在のトップ、AJスタイルズやケニー・オメガにまで続いている。

 ダイナマイト・キッドは嵐のように激しく生きて、あっという間に我々の前から去ってしまった。

しかし、キッドが残した遺伝子は、いま世界中に広まり、これからもずっとプロレス界に生き続けることだろう。

 ダイナマイト・キッドよ、永遠に!

文=堀江ガンツ

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ダイナマイト・キッド 更新情報

ダイナマイト・キッドのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。