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気ままな雑談ルームコミュの日本沈没 発見者の苦悩

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田所博士と渡老人の会話

渡  「田所さんかな?」

田所 「台風が近づいているようですね……」

渡  「あんた……とうとう行かなかったんじゃな……」
   「そうじゃろう、と思っていたが……」

田所 「動くジープがあれば……」
   「山へのぼろうと思ったんですが……」

渡  「こうなっては、とてものぼれまい」
   「いよいよ……じゃな。あと、どれくらいじゃろう……」

田所 「2ヶ月かそこらでしょう……」
   「人間が生きられるのは……もう半月か、3週間か……でしょうね」

渡  「田所さん……。あんたいくつじゃった?」

田所 「六十……五ですな……」
   「大学におとなしくつとめていれば、今年、定年です。退官記念講演というのをやって、あとは……」

渡  「65か……若いもんじゃの……」
   「なぜ、死になさる……」

田所 「わかりません。   悲しくて……」
   「悲しい……からでしょうね。私はどうも……いい年をしてますが、人間が、子供っぽいのです……」

渡  「悲しいから……ほう……」

田所 「私は  最初黙っていようと思ったんです」
   「あれを見つけたとき……学会からは、だいぶ前から敬遠されていましたし……最初は私の直感の中でしか、あれは見えなかった。  そう……いつか、はじめてホテルでお目にかかったとき、自然科学者にとっていちばん大事なものは何か、とたずねられたのに、カンだ、とお答えしましたね。  その直感の中で、あれが見えたとき、私は、もちろん身の凍るような思いを味わった。だけど、同時にその時、このことは、どうせ誰にいっても証明できないし、すぐにはわかってもらえないに決まっていると思ったので……このことは、自分の胸の中にだけ、秘めておこう、隠しておこうと思ったのです……」

渡  「いずれわかることじゃ……」

田所 「しかし……ずっと遅れます……」
   「……対策の準備も、……何よりも、この変動の性格を見ぬくのが遅れるため、あらゆる準備は、一年以上……いや、2年でも遅れたでしょう……。今のアカデミズムでは、間際になっても、まだ、意見の対立があってごたついたでしょうからね。  科学というものは、直感だけでは、受付けてくれませんからね。証明がいるのです。たくさんの言葉や、表や、数式や、図表をならべたペーパーがいるのです。開かれた心にうつる異常の相、などというものはだけでは、誰も耳を傾けてくれません。まして私は……アカデミズムから憎まれてましたからね……」

渡  「遅れて……それでどうなる?」
   「犠牲は2倍にも、3倍にもなったじゃろう。……準備が……誰も知らないうちから、商社の連中を使って、ひそかにはじめた手配りが、2年も遅れていたら、あんなに手まわしよく、大勢の日本人救出できなかったじゃろう。だからこそ……あんたは、あらゆることに堪えて……最後には、酔っぱらいのマッド・サイエンティストの汚名までかぶって……粉骨砕身してくれたのじゃ、と思ったが……」

田所 「それは……そうです……。しかし……本当は……、本当は……私の直感を……私の見たあれを……わたしが、自分の直感をたしかめるために、無我夢中で集めた情報や観測結果を……隠しておきたかったんです……。そうして……準備が遅れて……もっとたくさんの人に、日本と……この島といっしょに……死んでもらいたかったのです……」
   「おかしな話でしょう。  本当をいえば……私は日本人全部にこう叫び、訴えたかったのです。……みんな、日本が……私たちのこの島が、国土が……破壊され、沈み、ほろびるのだ。日本人はみんな、おれたちの愛するこの島といっしょに死んでくれ。……今でも、そうやったらよかった、と思うことがあります。なぜといって……海外へ逃れて、これから日本人が……味あわねばならない、辛酸のことを考えると……」

渡  「田所さん……あんた、やもめじゃったな?」

田所 「ええ……」

渡  「なるほどな。……それでわかった。あんた……この日本列島に恋をしていたのじゃな……」

田所 「そのとおりです」
   「ええ……惚れるというより、純粋に恋をしていました……」

渡  「そのかぎりなく愛し、いとおしんできた恋人の体の中に、不治の癌の徴候を見つけた。……それで、悲しみのあまり……」

田所 「そうです……」
   「そのとおりです。……私は……あれを見つけたときから……この島が死ぬとき、いっしょに死ぬ決心をしていた……」

渡  「つまり心中じゃな……」
   「日本人は……おかしな民族じゃな……」

田所 「でも  一時は、あつくなって……日本人ならみんな、きっとわかってもらえる、だから訴えよう、と思ったこともありました……」
   「でも……結局、自分の惚れている女に、大勢の人たちもいっしょに心中させることもないと思って……」

渡  「べつに独占したかったわけじゃあるまい。……あんたが訴えかければ、その気になったものが存外大勢いたかもしれん……」

田所 「わかってもらえるはずだ、と思ったんです……」
   「日本人は……ただこの島にどこかから移り住んだ、というだけではありません。あとからやって来たものも、やがて同じことになりますが……日本人というものは……この四つの島、この自然、この山や川、この森や草や生き物、町や村や、先人の住み残した遺跡と一体なんです。日本人と、富士山や、日本アルプスや、利根川や、足摺岬は、同じものなんです。このデリケートな自然が……島が……破壊され、消え失せてしまえば……もう、日本人というものはなくなるのです……」
   「私は……それほど偏狭な人間じゃない、と自負しています……」
   「世界じゅうで、まわってこなかった所は南極の奥地だけです。若いころから、いたるところの山や、大陸や、土地や、自然を見てまわりました。  もちろん、国や、生活も見ましたが……それは、特定の自然に取りかこまれ、特定の地塊に載っているものとして見たんです。私は  なんというか  地球というこの星が、好きでしたからね。そうやって、あちこち見まわったうえで、私は日本列島と恋に陥ったのです。そりゃ、自分が生まれた土地というひいき目もありましょう。しかし  気候的にも地形的にも、こんな豊かな変化に富み、こんなデリケートな自然をはぐくみ、その中に生きる人間が、こんなラッキーな歴史を経てきた島、というのは、世界じゅうさがしても、ほかになかった。……日本という島に惚れることは、私にとっては、もっとも日本らしい日本女性に惚れることと同じだったんです……。だから……私は生涯かけて惚れぬいた女が、死んでしまったら、私にはもう……あまり生きがいはありませんし……この年になって、後妻をもらったり、浮気する気もありませんし……何よりも……この島が死ぬとき……私が傍でみとってやらなければ……いったい、誰がみとってやるのです?……私ほど一途に……この島に惚れぬいたものはいないはずだ。この島が滅びるときに、この私がいてやらなければ……ほかに誰が……」

渡  「日本人は……若い国民じゃな……」
   「あんたは自分が子供っぽいといったが……日本人全体がな……これまで、幸せな幼児だったのじゃな。二千年もの間、この暖かく、やさしい、四つの島の懐に抱かれて……外へ出ていって、痛い目にあうと、またこの四つの島に逃げこんで……子供が、外で喧嘩に負けて、母親の懐に鼻を突っこむのと同じことじゃ……。それで、……母親に惚れるように、この島に惚れる、あんたのような人も出る……。だがな……おふくろというものは、死ぬこともあるんじゃよ」
   「日本人はな……これから苦労するよ……。この四つの島があるかぎり……帰る?家?があり、ふるさとがあり、次から次へと弟妹を生み、じぶんと同じようにいつくしみ、あやし、育ててくれている、おふくろがいたのじゃからな。……だが、世界の中には、こんな幸福な、温かい家を持ちつづけた国民は、そう多くない。何千年の歴史を通じて、流亡を続け、辛酸をなめ、故郷故地なしで、生きていかなければならなかった民族も山ほどおるのじゃ……。あんたは……しかたがない。お袋に惚れたのじゃからな……。だが……生きて逃れたたくさんの日本民族はな……これからが試練じゃ……家は沈み、橋は焼かれたのじゃ……。外の世界の荒波を、もう帰る島もなしに、渡っていかねばならん……。いわばこれは、日本民族が、否応なしにおとなにならなければならないチャンスかもしれん……。これからはな、帰る家を失った日本民族が、世界の中で、ほかの長年苦労した、海千山千の、あるいは蒙昧で何もわからん民族と立ちあって……外の世界に呑みこまれてしまい、日本民族というものは、実質的になくなってしまうか……それもええと思うよ。……それとも……未来へかけて、本当に、新しい意味での、明日の世界の?大人の民族?に大きく育っていけるか……また、どこか小さな?国?ぐらいつくるじゃろうが……辛酸にうちのめされて、過去の栄光にしがみついたり、失われたものに対する郷愁におぼれたり、わが身の不運を嘆いたり、世界の?冷たさ?に対する愚痴や呪詛ばかり次の世代に残す、つまらん民族になりさがるか……これからが賭けじゃな……。そう思ったら、田所さん、惚れた女の最期をみとるのもええが……焼ける家から逃れていった弟妹たちの将来も、祝福してやんなされ。あの連中は、誰一人として、そんなことは知るまい。また将来へかけて気づきもしまいが、田所さん、あんたは、あの連中の何千万人かを救ったのじゃ。……わしが……それを認める……わしが知っとる……それで……ええじゃろ……」

田所 「ええ……。わかります……」

渡  「やれやれ……わかってくれたら……何よりじゃ……。あんたが……考えてみれば……最後の難物じゃったな……。実をいうと、あんたをな……そういう思いのまま……死なせたくなかった。……本当は、それが心残りじゃったが……今、あんたの話を聞いて、わしも、やっと日本人というものが、わかったような気がしたでな。……日本人というものは……わしにはちょっとわかりにくいところがあってな……」

田所 「どうしてですか?」

渡  「わしは  純粋な日本人ではないからな……」
   「わしの父は……清国の僧侶じゃった……」

田所 「渡さん……」

               (昭和49年)小松左京原作 『日本沈没』より

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