一方の内政面は、経済面での功績を上げることには成功したが、朴正煕の死亡で民主化への期待を高めていた国民には、クーデターで政権を握った全斗煥ら新軍部を認めることができず、政府に対する大規模な抗争が次々と発生した。その為、全政権は「正義社会の具現」(정의 사회 구현)をスローガンとして、国民の関心を政治からスポーツや娯楽などに移そうとした。実際、韓国プロ野球はこの時代に始まって現在でも続けられて世界クラスの成績を残しているし、のちのソウルオリンピックは東西冷戦の終結ムードの中で大きく盛り上がった大会となった。だが、1985年頃から光州事件における虐殺的鎮圧の真相が明るみになり、続発する人権蹂躙と権威主義的独裁などによって、民主化を求める国民の批判を受けた。