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素九鬼子コミュの四国遍路

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コミュニティができてから3年。時間が経つのは早いものですね。
書こう書こうと思いながら、ずっと書けずにいましたが、
2007年の秋、四国遍路へ行ってきました。

自転車で13日間。野宿と善根宿でのお接待をいただきながら、
1番から88番、そして高野山を巡りました。

僕の四国遍路には、素九鬼子と小林キユウ(カメラマン)と
小さい頃に見たドキュメンタリー番組の記憶が貼りついています。
ふとしたときに、四国の風景と、彼、彼女らのことを思い出します。

コメント(5)

2007.9.30


今回の旅で決定的に分かったのは、「僕は旅に向かない人間だ」
ということである。旅の中にいて思うのはいつも日常のことばかり。
結局自分を、自分自身を、その広い大地に投げ出すことはできなかった。

四国で出会ったお遍路さんたちの中に、旅自体を生活にしているという
人たちが何人かいた。仕事を辞めて旅に出て、四国遍路はその中の
通過点だというお兄さんはその内の一人だし、寿命が尽きるまで
八十八ヶ所をまわり続けるというおじいさんもまたそうである。

旅を日常にしている彼らに共通してみえたのは、「捨てることを厭わない」
という気質だった。例えば何かの記念に物を残しておいたり、
その時の感情を忘れないように書き留めたり、そういう考え方を
彼らは持ち合わせていないようだった。移動に身をさらすということは、
それだけ膨大なエネルギーが自分の中に入ってくるということを意味する。
そのいちいちを取り込んで、反芻して、整理して、収めるという作業を
していると荷物ばかりが増える。フットワークが重くなる。
彼らはそのことを身をもって知っているようだったし、むしろそういう
気質をもった人たちだからこそ、旅人としてその世界で生き残って
いるように思えた。僕らの当たり前からすれば、旅は非日常で、
ある種の息抜きであったり、特殊な学びであったり、「生活」という
一つの直線をはずれたポジションに置かれることが多い。
でも、そこで生きる人たちも確実に存在するのだ。
驚くべき新陳代謝の良さをもって。彼らは移動し続ける。
そして捨て続ける。物理的にも精神的にも一つの場所に留まらない。

たとえそれがどんなに些細なことであっても、僕はなくすことが怖い。
忘れることが怖い。形あるものはいつかなくなる、と頭の中では
分かっているつもりでも身体がいうことをきかない。
旅に向かない僕はだからこそ僕なんだけれど。

旅人は本当に気持ち良いくらいにかけ離れたところを歩いている。
羨望も嫉妬ももてないようなところを。
短い文章が、一編の小説を読み終えた時のような感慨をつれてきました。
metoronさん、ごぶさたしています。
なんだか最近、また四国の景色をみたくなっている自分がいます。
TABIOさん

はじめまして。
お住まい、香川なんですね。とても懐かしいです。
涅槃の道場という名がぴったりな、穏やかな土地だったと
記憶しています。

「遍路を生きる」人たちのサッパリした顔というのは、
いったい何を表すのでしょうね。
「手放す」という概念すら手放すことができれば、そういう
場所にたどりつくことができるのでしょうか。
意味ばかりを求める日常の中にいて、少しうらやましくもあります。
反面、今の生活は手放したくないという欲も、あります。

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