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ストイコ ―氷上のエルヴィス―コミュの*武道と芸術とスポーツと―“道”をゆく龍とチェシャ猫

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 エルヴィスとは、エルヴィス・ストイコというフィギュアスケート選手のことで、私はこの人のことが、大好きなのです。スタイルのいい、“王子様”タイプがどうしても有利になりがちなフィギュアスケートの中で、背が低く手足が短く顔がでかい、という欠点を克服して、世界チャンピオンにまでなった、歴史的な名選手です。(ウィキペディアにはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A4%E3%82%B3

 エルヴィスは、4歳のころからフィギュアを始めたんだそうですが、もうひとつ、幼いころから習っていたものがあります。それが、なんと、空手なんですね。
 
 エルヴィスのご両親は、両方とも東欧からの移民で(お父さんはスロベニアから、お母さんはハンガリー動乱を逃れてハンガリーから)。いわば、当時の冷戦の狭間で、大国間の政治に翻弄されて生きていらしたわけですね。そして、たどり着いたカナダで、家庭を持ち、何とか幸せをつかんだ。そして、生まれた子供に、お二人ともがファンだったという、エルヴィス・プレスリーの名をつけた。
 
 エルヴィス―。この名には、豊かなアメリカ(に代表される西側)へのお二人の憧れが、ひょっとしたら籠められているのかもしれません。。
 そして、お父さんは、自分の身は自分で守れるように、と物心ついたばかりの息子に、護身術を習わせた。その中で、エルヴィスが選び取ったのが、ブルース・リーに憧れたこともあって、空手だった、ということのようです。
 しかし、このご両親の半生を知ると、“自分の身は自分で守れるように”という願いに、ものすごく重いものを感じざるを得ません。'70年代当時のことです、今ほど子供が危険にさらされてたわけじゃない。そんな時代に、幼い子供に護身術って・・

 そして、エルヴィスはフィギュアスケートと空手、両立させながら、成長してゆきます。そんなエルヴィスがダグ・りーに出会ったのは13歳のときでした。当時のダグはすでに、世界チャンピオンであり、五輪のメダリストでもある、B・オーサーを育てた名コーチ。エルヴィスは早速ダグに見込まれ、指導を受けるようになるわけなんですが・・・
 
 私が興味深いのが、そうなってもエルヴィスは空手を続けていた(ダグは続けることを許した)ということなんですね。もしこれが日本だったら、「無駄な筋肉がつくから止めろ」とか、「そんな暇があったらスケートの練習をしろ」とかいわれそうじゃないですか?
 
 空手のほかにも、エルヴィスは、ダートバイクで林道を走ったり、モトクロスをやったり、男っぽい趣味全開してゆきます。彼が、空手の黒帯を取ったのは16歳のときでした。
 もちろんフィギュアスケートにも熱中します。ジュニアのころから、彼のジャンプは高い評価を受けていましたが、
「ジャンプし、回転する機械」
などとも揶揄されていました。しかしダグは、
「これからの彼の経験が必ずや彼の芸術性を高めてゆくはずだ」
と述べています。
 そしてエルヴィスは順調に成長し、18歳('90年)4回転ジャンプを飛び、19歳('91年)に4−2のコンビネーションを完成させます。おそらく、このころのものでしょうが、エルヴィスのコメントが残っています。

 ****『トロント・サン』より引用****

 がっしりとした5フィート7インチの体躯、波打った黒い髪と東欧的な彫りの深い顔立ち、黒い眼・・ストイコは、スポーツに対して、ほとんどありえないような、不可解な見解を持っている。
「私(エルヴィス)は、スケートに、真のスポーツであってほしいのです。武術はスポーツであり、芸術との複合体です。私は、スケートにも同じことであってほしいのです。」  
(1991年、エルヴィス19歳のときの発言。ちなみに彼が空手の黒帯を取ったのは16歳のとき)

**引用終わり**

 この文章からすると、そうでもないかもしれませんが、この記者さん、エルヴィスのコメントにずいぶんと懐疑的です。ま、無理もないです。これを述べているのが19歳のガキです(ごめん、エルヴィス)
 わけのわからん理屈を持ち出して、若造が何言ってやがる、ぐらいにしか思っていなかったかもしれません。

 しかし、上に書いたことでもわかるとおり、エルヴィスにとって、空手(すなわち東洋武術)と、フィギュアスケートは、同じくらい近しいものでした。けして、付け焼刃や思いつきの発言ではなかったのです。おそらく彼は、ダグにも、これを口癖のようにいっていたことでしょう。
 
 そしてダグは、それをいかに実現させるかを考えていたに違いありません。下手をすれば、単なる際物で終わってしまう。そうさせることなく、エルヴィスのいうような、武術の持つ“美"そして“芸術性”を氷上で表現するにはどうすればよいのか。

 「技術のみのスケート」「マシーン」等と揶揄されていたエルヴィスが、こんなにも若いころから、“芸術とスポーツ、そして武術”について考えていた、ということは、ある意味、とても皮肉なことかもしれません。
 
写真はエルヴィスの空手の練習風景と、氷上のエルヴィス(リレハンメル五輪)不思議なほど、違和感ないですよねぇ・・


コメント(2)

堅い話ばかりつづくのもなんなので・・・
ちょっとエルヴィスに関するエピソードを。ダグ・リーはその印象的な笑顔から“チェシャ猫”と呼ばれていましたが、エルヴィスは、当時“ターミネーター”と呼ばれていました。新聞の見出しにもなったりしていましたから、かなり一般に浸透していたと思われます。(松井の“ゴジラ”みたいな感じかな)
 それを知ったとき、友人に「シュワちゃんほど肉ついてないと思うんだけど」というと、彼女いわく、
「ちがうね。『T−2』のほうだよ。R・パトリックのやったやつ。私、最初から似てると思ってた。」
確かに、それなら、納得、かな。『T−2』の公開は'91年だし、エルヴィスの活躍し始めた頃とも一致します。
 冷酷さを感じるほどの正確さ、強靭さ。そして、人間離れしている、とまで見える高い技術。そういったものがあいまって、こんなあだ名がついたのでしょう。

写真左、R・パトリック。中央がエルヴィス。(似てます?)

 しかし、エルヴィス自身、このあだ名を決して嫌がっていなかったようで、この単語を使って記事を書いた記者さんなどに、ニコニコ笑いながら、
「でも、僕はマシーンじゃないからね。ミスすることもあるかもしれないよ。」
などといっていたとか。

 しかし、いくら高い技術を持っていても、それだけでは上に上がれないのがフィギュアスケートです。採点競技である以上、ジャッジに技術点、芸術点共に高い点をつけてもらわなければトップには立てない。
 そして、当時はまだ、芸術といえば西洋のもの、ギリシア・ローマ以来の“美"、そして、バレエをはじめとする西洋舞踏の“美”が高く評価されていましたから、エルヴィスは悩んだ時期もあったろうと思います。

 自分の体格、体型。背が低く、骨太で、筋肉質で、頭が大きく手足が短い。太ったら、やせれば・・なんてもんじゃない。これは自分ではどうしようもないものばかりです。
 まして、おなじコーチに、B・オーサーが師事していて、すぐ身近にいた。手足が長く、顔が小さく・・スタイルは申し分なく、氷上で映えるオーサーが・・・

 しんどい時期を過ごしたんじゃなかろうか・・と思います。

 しかし、これが逆にエルヴィスに、自分を見つめる機会を与えてくれたのかもしれない。自分の技術が、自分の肉体が、自分の知識が、何をどう表現でき、また、できないのか。

 彼はとことん、それを見つめたんじゃないでしょうか。そして、行き着いたのが、幼い頃からやっている、空手だった。
武術を、いかにして西洋人も認める芸術へと昇華させるか。それが、次なる彼の課題となったわけです。
 
 エルヴィスの幸運は、そこにダグがいたことでした。ダグは、エルヴィスの考えを理解し、その実現の方法論をしっかりと叩き込んだ。
 単なる際物として終わらないよう、芯のしっかりとした芸術として成り立つよう、氷の上で、いかに滑るか、曲がるか、止まるかといった、まず、基本から、基礎から、がっちり教え込んだのではないかと思います。
 いかなる個性も、しっかりした基礎の上にこそ、花咲くものだということを、ダグは信念として持っていたのではないかと思います。
 本田武史がダグに師事するようになってから、見違えるように滑りが変わったのが、私には忘れられません。

 目先の技術にとらわれて、おろそかにされがちな“基礎”。その大切さをダグは知っていたのでしょう。
そんな、エルヴィスとダグが、リレハンメルオリンピックに向けて完成させたのが、このプログラムでした。
「ドラゴンーブルース・リー・ストーリー」
エルヴィス自身が尊敬している、というブルース・リーと、自分の中に培ってきた空手の技とを複合させて、まさに“氷上の演武”という仕上がりになっていました。
 いまでこそ、エルヴィスといえば、ドラゴン、といわれるくらい、彼のトレードマークともなり、評価も高いプログラムですが、発表当時は、ジャッジから、ものすごい拒否反応を示されたのでした。
「武術は芸術ではない」
それが理由でした。
 
 これは、リレハンメル五輪でのエルヴィスの演技ですが
http://www.youtube.com/watch?v=CpDaWDlwi2E
 会場中からスタンディングオベーションで迎えられたエルヴィスの演技、なのにあまりに低い芸術点にブーイングが起きています。そのなかで、
「あ、やっぱりね」
「ま、しかたないね」
といった、エルヴィスとダグの表情が印象的です。

 このへんは、以前の日記ともだいぶ重複してきますのでこちらを。

 『チェシャ猫は龍を支え見えざる敵と戦う』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=379813411&owner_id=2978091

 エルヴィスは、アマチュアスケーターとしての現役生活の間、プログラムに、クラッシックを一回も使っていません。エキシビにもです。徹底してます。(笑)
 冒険映画、アクション映画のサントラや、ロック、ポップス、現代音楽。この、リレハンメルのときは、確かテクノでした。(ステップが、ものすごかったんですよね〜、まさに足技のエルヴィスでした)
 これは、自分が、自分の肉体が、何をどう表現でき、また。できないのか。
 それを自らに問いかけ続け、出した答えのひとつでしょう。

 
 そして、ジャッジやマスコミといったもののほかに、エルヴィスが戦いを挑んだものが、もうひとつあります。
 
  それは、“時の女神”

 競技者にとって、キャリアを重ねる、ということは、技術が磨かれる、ということでもありますが、戦わなければならないものがもう一つ増える、ということでもあります。
 時の女神は残酷なまでに公平です。どんな偉大なチャンプも、華やかなスターも、彼女の力には抗いえない。その中をいかに生きていくか、それは人間性が試されるシーンでもあります。
 そういった思いを強くしたのが、ソルトレイク五輪でありました。
 ジャンプの王様、と呼ばれたエルヴィスにも、衰えは忍び寄っていました。ジャンプの高さが落ち、全盛期にはたとえクワド(4回転ジャンプ)であろうとも、転倒なんて考えられなかったのに。
 しかし、エルヴィスは、最後までカナダ王者のまま、オリンピック出場を勝ち取ります。
 そして、彼が選んだプログラムが、

 SPでは、和太鼓の鼓童の『LION』
http://www.youtube.com/watch?v=6yy5okToTgs

 FSでは、『Dragon: The Bruce Lee Story 』

 
 この選択の理由を問われ、彼は
「これが私自身をあらわしているものだから」と答えたそうですが、じつは、この二つともが、発表当時は、ジャッジたちにものすごく低い芸術点を付けられたものなんですね。それだけ思い入れが深かったということなんでしょうが、しかし、頑固なやつです(笑)

 そして、これは見る機会はありませんでしたが、エキシビションの演目には、

『ドン・キホーテ −ラ・マンチャの男より―』

が予定されていたそうです。ああ、エルヴィス、あなたって人は!

 これを知ったとき、ああ、見たかった、という思いとともにこれを選択した彼の心情に、涙が出てきました。
 
 ほんとうに、このソルトレイクは、王者が臨んだ最後の戦場であったのだ、メダルという名の勝利は与えられなかったけれども、本当に、彼は現役生活のすべてをかけて臨み、悔いのない演技をしたのだと思うと、あの、演技後の素晴らしい笑顔の意味が わかったような気がしたのでした。

 そして、このソルトレイクでは、ペア競技で、マスコミや2位の選手がジャッジの採点に抗議し、結局2位の選手の順位を繰り上げ、金メダルが2つ与えられた、という事件が起きていますが、それについて、エルヴィスは

「かれら(2位のカナダペア)は、Good loser(賢明なる敗者、とでも訳したらいいでしょうか)であるべきだった」

というコメントを出しています。短いですが、彼の人生すべてを物語る、重い一言ではないでしょうか。  

 彼がダグとともに目指していたものは、単なる勝利ではなかったのだ、とそのとき確信したのでした。

              (おわり)

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