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日本文化体験交流塾コミュの第4回講演「江戸のころから、寺社は観光名所だった」の報告

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ポイント
・江戸の神社の境内は、見世物小屋、相撲、手品など、まるで一大エンターテインメント街のようだった。
・全国各地のご本尊が浅草寺や回向院等を借りてご開帳していた。今、国立博物館で薬師寺の菩薩像が見られるが、昔も同じようなことがあったようだ。

以下、国際人のための江戸・東京文化講座第4回、安藤優一郎博士の講演、「江戸のころから、寺社は観光名所だった」によると、いつの世も、神社・仏閣の参詣は、宗教的な行為ですが、江戸時代の神社は、それだけにはとどまらず、都市観光のメッカでもあったようです。浅草寺や回向院の境内は、芝居、見世物、相撲、落語、人形浄瑠璃、曲馬、軽業、手品など、まるで一大エンターテインメント街であったようです。
ヨーロッパの多くの都市では、中心部に教会と市庁舎があり、その前の広場では、露天商や大道芸が盛んに行われていますが、江戸の神社は、それ以上に楽しい空間であったかも知れませんね。

●江戸の観光地
江戸の観光地は、寺社(浅草寺、回向院、寛永寺、深川永代寺)広小路(火除け地として建物が建ててはいけなかったところに出店などが立った)隅田川沿い、芝居町、吉原等でした。

● 寺社境内は、まるで見世物小屋のならぶ興業地
寺社境内の内部は、まさに今で言うエンターテインメント街で、芝居、相撲、見世物小屋などが集中していました。「大芝居」といわれる常設小屋である江戸三座だけではなく、各神社の境内も「小芝居」(宮地芝居)といわれ、歌舞伎の興業が行われていました。また、ラクダやゾウなどの見世物、外国人をかたどった生き人形など、様々な興行が人気でした。また、飲食店や小間物店(日用品やみやげ物)も立地してスーパーマーケットのような感じでもあったようです。

●地方の神社のご本尊の出張サービス
ご本尊開帳(神仏を公開する)のときは特に人が集まります。居開帳のほか、出開帳といって、長野市の善光寺など、各地のご本尊が、東京の有名な寺社を借りて(浅草寺、回向院等)ご開帳していていました 。江戸にいながらにして色々な地方の本尊が見られました。(今、上野の国立博物館で薬師寺の日光・月光の菩薩像が見られますが、昔から同じようなことがあったようですね……感想)
お賽銭や芝居、飲食店など、消費経済の活性化につながっていたようで、どれだけ人が集められたかでご開帳の成否が決まったという側面もありました。江戸名所図会の回向院開帳の図には「富本」「市川」などと書かれたちょうちんが見受けられます。これはちょうちんを奉納して、名前を売り込むのと同時に、信仰心を示したものでしょう。

●外国人が記録を残してくれた
幕末の日米和親条約の後、各国の公使館が寺社に置かれ、麻布の善福寺はアメリカ公使館、高輪、東禅寺にはイギリス公使館がありました。浅草寺などの詳しい様子は実は日本の人には当たり前で、ほとんど記録が残っていないのですが、外国の人が書いたものが資料として沢山残っているようです。
プロイセン公使のオイレンブルクが書いた遠征記には回向院、浅草寺などの詳しい内部の様子が書かれています。風神雷神図のことを書いているのであろう、という一節もあります。スイス使節団代表アンベールが、西洋画風に浅草寺の札まきをスケッチした絵も残っています。
トロイの遺跡を発見したシュリーマンが有名になる前に日本に来た際の旅行記には、境内の見世物小屋や飲食店などの活況に、「かくも雑多な娯楽がまじめな宗教心と調和しているとは、私にはとても思えない」と書き残している。これは現代の外国人観光客でも感じる感想かもしれませんね。

コメント(1)

講義要旨ではわかりにくいですが、図版や資料を使い、外国人の話も日本で有名なシュリーマンを出してきたりとかなり分かりやすく説明してくださいましたね!

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