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反キリスト教コミュのキリスト教

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何もなかったのでとりあえず書いてみます。

えーと、北欧のブラック・メタルバンドみたいに真剣に
キリスト教を憎悪したり悪魔崇拝してたりするわけでは全く
ないのですが(むしろイエスの生涯やキリスト教の歴史には興味あるし)、人間の自然な欲望を否定することや、歴史上キリスト教が神の名のもとに犯してきた虐殺など、色々納得いかない部分はあります。まあ、キリスト教に限った話ではないのですけど。
 でも、だからと言って教会を燃やしたりしたノルウェーの
ブラック・メタルバンドやサタニストたちは、彼らが憎悪したキリスト教徒よりもっとバカだと思うけど。(彼らの音楽は好きだけど)
 

コメント(85)

>まりさん
まー勘弁してやってください。
信じろ!って言うわけでもないですし。

お願いというか…信じてる人を特殊な人と見て欲しくないなぁ
というのが俺の気持ちです。

クリスチャンに変な人が多いのも事実です。
んでも、これは教会側の責任でもあるんで、
俺たちも日々努力しなけりゃいかんでしょう。
>ペコポコさん
あくまで一例なんで、みんな、こんなんではないですよ;;

>>変な牧師や神父に当たった真面目な信者はホント災難ですよね…
これは俺もそう思います。
俺も今の先生でなければ、キリスト教なんて
興味もたなかったかもしれないっす。

幸い、今のトコロそれほど怪しい牧師先生や教会員には会ってないんで
ラッキーだったかもしれません。

あと…牧師先生の経済状況は…
結構きつそうです…
>コアランさん
まぁ興味をもってどこまで突っ込んで調べるかは
個人個人違うでしょうねぇ…

俺としてもノンクリスチャンの人よりは詳しくなりたいところですが
世の中勉強家も多くて、全然歯が立たない相手もいますw

ちなみに聖書は何語で読まれました?(´ω`)
>ふにゃさん

聖書は基本的に日本語のです。
講談社のフェデリコ・バルバロ訳と、
聖書協会の新共同訳のヤツ。
それと、英語の聖書も、ときどき参考にしました。
訳によってニュアンスがかなり違ったりしてますからね。
それらを総合して、判断しています。
ホントは、
ラテン語、ギリシャ語、ヘブル語で読んだほうがいいわけですが、
歯が立たないので断念しました(笑)
>コアランさん
この辺も面白いですよ〜
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html

訳的なトコロも突っ込んでるんで
結構楽しめるかもしれません。
>ふにゃさん

そのサイトは、結構有名ですよね。
以前、参考にさせて頂きました。
>ペコポコさん。
ひょっとしたらその人むちっちゃ凄腕の個人投資家で
株の鬼かもよ、ww。
>ペコポコさん。
選民意識を植え付けて洗脳、、、
これは宗教始まって以来権力闘争の為やら金儲けの為にずっと
やって来た基本の基本戦略っぽい、ww。
何でもかんでも神サンで片付けられたら、そりゃあ政治家や
資産家はそこを利用せずには居れんわな,ww。
信じなっかたら地獄行きじゃ〜!!ってアホかいな、ww。
リッチになった誇大妄想さんは奥さんの遺産が大きかった?
再婚相手が権力者の娘?資産家かも。
今更ながらの書き込み、ご容赦ください。

私も不良クリスチャンで、聖書を一字一句読んだこともみたことも無いのですが「神を信じれる」ことがすごい、という書き込み(まりさんかな?)について、私見をひとつ。

「神を信じる」これはなかなか理解できませんよね〜。これをクリスチャンの方がどのように理解されているか、おそらく千差万別だと思います。

私の場合はというと、「自分ではどうしようもない力で生き生かされている」ことを実感すること=神を信じる、というより信じざるを得ない、という感じでしょうか。

例えると、自然科学の法則は我々が作ったものではないですし(観察して知ることができたのは人の努力ですが)、野菜や果物もテクノロジーでは作れません、土と太陽の光がないとできません。あとは、何やかんや生きてても地球は寿命を迎えて最後はドカーンっと爆発してしまいますし。科学的発見だと、この宇宙にも寿命があります。

生活の側面だと、これほど文明が発達して、貨幣でなんでもやり取りできると「自分ひとりで生きてきた」と錯覚を覚えてしまいますが、地球がなきゃ生きていけないし、子どもの頃、親が親身に育ててくれなかったらこう成長していません。親も、いろんな要因(ごはん食べたり、教育を受けたり、仕事でうまくやってったり)が重なって事故・病気もなく健康的に生活し、そして私の存在もあります。仏教ではこれらあらゆるもののつながりを縁起というのかもしれません。

自分が幸せで楽しく生活をしているとき、そう感じることができた元、こういうものの総体・全体へ感謝の気持ちがわいてくる。この全体が私にとっての神、なのかもしれません。私の母は仏教ですが、何か良いことがあると人への感謝とともに「良い縁に感謝します」と良く言ってるけど、同じ意味かもしれませんね。
こんなことを言ってしまうと他のクリスチャンに猛反発されてしまうかもしれませんが。。。私の中では「神」に意思はないと思ってますよ。ただそこにある者、宇宙万物を支配するもの、みたいな。スピノザの「汎神論」に近いかもしれません。神がいると自分の存在が明解になります。この慣性系は誰が(何が)作ったのか、なぜ存在してるか。なぜ宇宙があって人があるのか、まだ「神」なしではどうも語れない気がして。いや発見されたところで、「じゃあその外は?その原因は?」っていたちごっこだから、やっぱり神は存在しているのかな。はやく、科学的発見によって、神の領域が狭まることを期待してます。

>“神”と“因果因縁”ってすごくかけ離れた概念だと思いますよ。

確かにすごくかけ離れた「概念」ですよね。概念として説明したら、この2語を並べて共通性を見出すのはかなり難しいかもしれません。私の観念(この用語も仏教用語ですが・・・なかなか宗教的な哲学を発端としない用語、概念ってホント少ないですよね)としては、それに近いものとして捉えています。

トンデモ自論を展開してしまいました。失礼・・・。
そこまで行くと既に日本土着の宗教観「八百万の神々」
に近いですね。仏教の「神々」やキリスト教の「一神教」からは
かなり離れた考えになってきます。

・・・キリスト教やめたら?

ユダヤ教の聖書を基にした宗教
(キリスト教/イスラム教も含みます)は、
「宇宙は人のために神が創った」っていうのが基本に
あります。ぜったいぃ、ありえません。

我家にはダックスフントがいました。
このワンコは、間抜けで、人なつっこく、ダメ犬で
とても可愛かったです。
・・・が、昨年ガンで苦しみながら死にました。
本当に悲しかったです。

キリスト教的に言えば「動物は人のために創られたもの」って
ことになります。デカルト派キリスト教徒は、犬は物と同じという考えから、「動物の苦痛(受苦/受難)」を認めていないと聞きます。
じゃあ、あんなに苦しそうに鳴く犬の声は、なんだったの
でしょうか?
>キリスト教的に言えば「動物は人のために創られたもの」ってことになります。デカルト派キリスト教徒は、犬は物と同じという考えから、「動物の苦痛(受苦/受難)」を認めていないと聞きます。

詳しいですね、そこらの教説やら学説やら、私はトンと詳しくないで勉強になります。
動物の苦しみを認めない教派もいれば、詳しくは知らないのですが、うるさいくらいに認める教派もいると聞きます。グリーンピースとか鯨捕鯨に反対するグループも、そういう類の影響があると聞いてます。なんだかはた迷惑ですよね、悲しいときは悲しく、鯨食いたいときは食いたいのに。

>我家にはダックスフントがいました。
このワンコは、間抜けで、人なつっこく、ダメ犬で
とても可愛かったです。
・・・が、昨年ガンで苦しみながら死にました。
本当に悲しかったです。

それは、とても悲しいですね。私も経験があります。人が死ぬより寂しい。なんで悲しいんだろう?って考えたことがありますが、動物はしゃべらないからかな、っと私は実感しました。人の場合は、言葉の記憶があるのに、飼ってた動物の場合って「人なつっこさ」「愛らしいしぐさ」とかそんなのが記憶に濃くてしばらく抜け殻のように沈んでしまいました。互いに信頼関係があったならなおさら。。

というわけで、アブラハムの神を崇めるユダヤ・キリスト・イスラム教は、神と自分の一対一の関係が大切なので、いろんな人、いろんな考え方があると思います。私も異端視されてしまう立場に近いですが、「一般常識から外れる、マイノリティ」みたいなものです。一般常識から外れようと、日本国民にかわりはないように、異端であろうと、同じ神を信ずるクリスチャンにかわりはないですね。
>ぜーんぶ偶然じゃなんでいけないんでしょう?なんかが働いてなきゃいけないんでしょうか?そんなになにもかもが人間の頭の中で説明つくもんじゃないし、つけなきゃいけないわけでもないですし。

いいと思いますよ。「まったくその通りっ!」って感じです。これは人間の力ではどうしようもありませんし、頭で考えたってまったくいた仕方ありません。絶対にかえられない、目の前に立ちはだかる「現実」。そんな中にも「いい偶然」もあれば自分にとって「悪い偶然」もありますよね。運が良くて「いい偶然」にめぐり合え続ければいいけど、神様(あ、また出しちゃいました^^;)は平等だから、絶対にいやな偶然もあるし、そこから生じる嫌な現実もある。そんなとき、その嫌な偶然を周囲の人、モノなど環境のせいにせず、神様のせいにしてしまう(=神様のせいだから仕方ない、考えて行動せよってことかって感じに)。環境のせいにしたら自分の非が見えなくなるし、変えられない環境を前に、前進できない。結果として「よい偶然」になるように、自らを振り返り、考え、そして行動する。

私にとっての神様はそんな存在かな?

>キリスト教で言う“神”って、あまりに人間の想像の延長上に縛られてるんで、だからかえってありえない気がします。

いろんな人がいますよ、ホント。私も相当かわってますが、要は、どんな状況でも自分にとって「プラス」にならなければ「神様」の存在はいてもいなくても、意味ないと思います。
>いや、環境のせいなのに“私が悪いんだわ、きっと…”っていうのがキリスト教でしょ?環境が悪いんなら環境のせいにしちゃなんでいけないんでしょう?抜け出すなりなるべく影響を被らないようするなりすることになるわけです。

私が悪い場合もあるし、そうでない場合ももちろんあります。そういう客観視できる冷静さ、落ち着いて対処する行動力を私は信仰の中から学んでます。でも、こういうのって、別に信仰してるからうんぬん、ってわけではなくて、もともとできる人もいますよね〜。そういう能力をお持ちの方、ホントに尊敬します。

ただひとつ、切にお願いしたいことは、「○○=キリスト教」、「○○=仏教」、さらに例えると「○○=○○会社」のような、ステレオタイプにはいたって欲しくない、ということかな。その中にも、いろんなタイプの人がいます。話をする、聞く上で、その固定観念が「あなた」や「わたし」を本質的に理解するのに邪魔になってしまうかもしれません。
そう、結局その人ありき、って感じですよね。私は親キリスト教か反キリスト教かあいまいな発言をしてるのもそのためですよ。

しかし、ペコポコさんの「カルト指定」なかなか興味深いですね。立正佼成会や創価学会は「カルト指定」に含まれますか??
>ひーくん
 貴方のことは、書き込みを読ませてもらって、かなり話のわかる
 偏っていない人間性を持った方だと思います。

 しかし、私は「反キリスト」以前に「反宗教」なので
 私の中には「カルト」の区分はありません。
 (極論すれば、全てカルトってことになりますし)

 日本人としても、偏った私の「反宗教観」は
 以下の「トピック」の中に書きました。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8804139&comm_id=302863
アルビノさんの「反宗教」観を読ませていただきました。

私も以前、まったく同じように考えてましたよ。宗教なんて世の中を都合よく解釈するための詭弁に過ぎん、とか(笑)。宗教をやってる人は、神や仏に甘えてるのではないか、弱い人間ではないか、そんな風にも思ってました。それで、熱心に信仰をされている方を傷つけてしまったこともあります。今思えば、あのころの私は「反宗教教原理主義者」みたいな感じでしたね。

まぁ、いわるゆ「宗教体験」というやつで私は変わったのですが、それ以来、反宗教ではなくなったと同様に宗教を信仰する信者、からも脱したような気がします。信仰なり、信念は人の自由で押し付けるものではない。これは宗教をやってようが、宗教に否定的だろうが、同じことだなと思って、今はどちらの立場も尊重できます。ただ、時折、それでも自分の信仰心・信念を押し付けようと互いに傷つけ合っている状況を見ると胸が痛みますが。これは「宗教」に限ったことではありませんね。
はじめまして。今更ですが、書き込ませていただきます。

私は中学から6年間キリスト教の学校に通っていました。そこでは毎日の礼拝や宗教の時間がありました。
私は宗教自体は否定しませんし、ある宗教を信仰している方もおかしいとは思いません。それは個人の心情ですから、そういう人もいるだろうなぁ、と思う位です。
ただ、宗教が救うのは個人の心だけだと思います。
「父なる神にキリストの名を通して祈る」事で戦争の起きている場所が平和になるでしょうか?どこかで飢餓で苦しむ人たちの空腹が満たされるでしょうか?虐げられる人たちの苦痛がやわらぐでしょうか?
そんな事はないのです。祈る事で救われるのは戦争・飢餓・迫害などで苦しむ人たちに心を痛めている信者自身だけです。
それをあたかも皆で祈れば世界は必ず救われる、と言わんばかりの態度。祈っていれば飢餓の人たちの前にパンが振ってくるとでも信じていそうな態度で語られると、なんて偽善的な、と思ってしまいます。
キリスト教が世界を救わなかった、戦争を引き起こした例はいくつもあります。

聖書は一応旧約・新約ともに読みました。現実的にあり得ない事はいくらでもあるしそれは到底信じられませんが、私が気になるのは存在するはずのユダの福音書が収められていない事です。後の弟子たちがユダをキリストを売り渡した絶対悪に演出するために削除したように思えるのです。処刑執行後の行動について書いている福音書も一つしかありません。

どうしてもうさんくさいなぁ、という印象を拭えません。
どーもはじめまして。

悠姫さんと同じ意見でどんな宗教信じても人それぞれでいいんちゃうって思ってます 

が、

キリスト教だけは嫌です。ハラワタ煮えくり返るぐらい嫌いです。
中東の人たちだけでよろしくやってくれればいいやと思ってます。
もうちょっと心を広くするとすれば、イスラエルと白人たちでよろしくやってほしいです。日本に邪教を浸透させないで欲しいと切に願います。

・・・ってなんか、嫌いになるに至るまでを全部書こうと思ったんですけど、なんかページ足りないんで(;´Д`)

ちょっと、全部書いてからURL貼ることにしましたー。
宗教をもたない人間はいないよ。
「教会・教団」は邪悪な存在だと思うけど、それは宗教じゃない。
自分、雑多教ですが・・。
正月は初詣に行って、適当にお参りして、餅食って・・。
そんな感じですかねぇ。そういう自然体が一番だと思いますけど。
学問で大事な時とかは、太宰府天満宮に行き、○○受かりますよーにって手合わせて、成功 大成したら、ありがとうございましたーってお礼に行くとか。
厄払いとか。適当ですけど。
チャールズ・ダーウィンの話を子供の頃に耳が痛くなるほど聞かされました。

「ダーウィンはね、元々クリスチャンなの。でも、一度神様に背いて神様を捨てたの。で、進化論というものを発表したんだけど、死ぬ間際にね、"アレ(進化論)は間違っていた。神こそ本当の神だった"と言って、またクリスチャンへと立ち返ったの。やっぱり神様が正しかったのよー。ダーウィンもそれを認めて死んでいったのよ。でも、そんなダーウィンでもまた温かく迎え入れてくださった神様はとてもすばらしい御方なのよ。人間の犯した罪を一身に受けてくださるの」



ハイ、ここで質問なんですけど、ダーウィンは死に間際に本当にこんなこと言ったんですか?死ぬ間際に立ち返ったんですか?w
なんか、クリスチャンが都合のいいように作り変えて伝えているような気がしてならないのですが・。
キリスト教国のしきたり上、葬儀をキリスト教でやった、
ってことなんじゃないですか?
たぶん、墓地も教会が管理していて、
しきたりに逆らうと、遺族が埋葬場所にも困ることになるから、
やむを得ず、そういうことにしただけではないかと(^^;
なるほどー。それだと納得いきますもんね。
何かと、自分達は正しいという物言いに変換できるチリスト信者はすごいですよね。
ダーウィンの回心の話は捏造。
たしか日本のどこかの教会が勝手にでっち上げた話のはず。

ただし、現在の「進化論」は
ダーウィンの提唱した「進化論」とは全くの別物であるのも事実。
>ただし、現在の「進化論」は
>ダーウィンの提唱した「進化論」とは全くの別物であるのも事実。

↑この説も捏造では?
ダーウィニズムが否定されたと思ってるキリスト教徒は多いようですが、それはキリスト教に都合のいい考え方を植えつけられてると思った方が良いですよ。
自然選択を根幹とするダーウィンの説は、現在の進化論でも主流の概念とされているはずです。
とりあえず、なぜクリスチャンホームに生まれながらも
クリスチャンにならずに、反キリスト教になったのか、ちょっと長いですけど書いてみました。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12914659&comm_id=1555851&page=all
愛はですねぇ。。
何なんでしょう?

神様は誰よりも貴方を愛されてる。貴方のために死んで下さった。


めっちゃ恩着せがましいですよね。
愛とは、洗脳では?

自分も答えは出ませんねぇ。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=1245771

上のコミュを参照にしてみたらいかがでしょうか?
愛だの神だのジーザスだの色々とおっしゃってますし。
何かわかるかもしれません。
はじめまして

皆さんが学んだ世界史には重要なことへの記述がありません。

例えば、コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは偉大な功績だと言う一文を見ても分かる通りです。

大事なことは何も書いていない。

コロンブスの目的地はアメリカではなく日本でした。

イタリアのジェノバ出身で商人の家で育った彼は同じイタリア人のマルコポーロの東方見聞録の話を聞いて育ち、いつか日本に行って大量の金銀財宝を持ち帰り大金持ちなってやろうと言う野心を抱きました。

「コロンブスのアメリカ大陸発見は、世界史上前人未到の大壮挙であり、我々は幼いころからコロンブスの卵の寓話とともに人類の発展、幸福のために寄与した偉人であり英雄である」と教えられてきました。

人類が新大陸を発見したのではありません。

地球のほんの一隅に位置するヨーロッパ人が始めてアメリカ大陸のあることを知っただけで、そこには紀元前4万年も前からモンゴロイドが住み暮らしていました。

氷河期にはベーリング海峡は地続き同然の氷で覆われており東洋のモンゴロイドは歩いてアメリカ大陸に渡り暖かい南の大陸に広く展開して平和に暮らしていました。

白人が発見した先住民はそのころに渡ってきたモンゴロイドの子孫です。

コロンブスは自分が到達したところを東アジアの一部と考えその後も3回もここに来ていながら死ぬまで新大陸とは知りませんでしたから、発見ではなかったのです。

その後に起こる人類史上最悪の悲劇はここから始まったのです。

彼はスポンサーであるスペイン王との間に「持ち帰った富の十分の一を取得できると言う契約の元に、手段は平和的だろうが武力行使であろうがかまわない」(という当時の契約書も存在する)。

つまり、この探検が当初から日本での収奪が目的であったことが明らかになっている。

1492年8月3日パロス港をたって二ヶ月、船員達に殺されそうになったときにやっとたどり着いた島にサンサルバドル(救いの御子キリスト)と名前をつけるほど怯えていたにもかかわらず、現在のハイチを発見したときには、これを勝手にスペインのものと言う意味のエスパニョーラ島と名づけるほどの傍若無人な態度に変わっているのも白人らしいところである。後にスペイン人のバルボアがパナマ地峡を横断して太平洋側に到達して(1513年)初めてここが新大陸とわかったのである。
フィレンツェ生まれのアメリゴ・ベスプッチがアメリカ大陸北西岸を探検し著書にまとめたことによって初めて大陸であることを知ったのである。

ちなみにその名をとってアメリカ大陸と言うのです。

普通なら発見者の名前が冠されるはずの地名をコロンボ大陸と言わないのはそういう理由からなのです。

コロンブスのあと1521年コルテスはメキシコにあったアステカ帝国を滅ぼし、ピサロは1532年にペルーのインカ帝国を征服した。

その間たったの三十年ほどの時間である。

ここで特記しておかなければならないのはスペイン王の名の元ということと並んでキリスト教の神の名のもとに行われていた殺戮行為であったことです。

ドミニコ教会司祭が書いた目撃談を示す。

「数人のキリスト教徒が乳飲み子を抱いた一人のインディアンの女と出会った。彼らは連れていた犬が腹を空かせていたので、母親の手から子供を奪い、生きたまま犬に投げ与え、犬は母親の目の前でそれをがつがつ食いはじめた。…出産して間もない女達が捕虜の中のいたとき、もし赤ん坊が泣き出すと、スペイン人たちは子供の足をつかんで岩に投げつけたり、密林に投げ込んだりして、赤ん坊が確実に死ぬようにした」(トーマス・バージャー著)『コロンブスが来てから』

恐ろしいのは、上記の記述が司祭が書いた懺悔書ではなくローマ法王に当てたほんの日常に起こった日誌の中に書かれていることです。司祭そのものもこれが悪い事だと言う認識で書いたものではない事なのです。

こう考えると、白人の歴史に書けない部分が存在するのは、当然でしょう。

キリスト教の坊さんですら我々有色人種を人間として見ていないのですから。
また、彼らの認識から書く必要も無かったともいえます。

中米ホンジュラスでは、先住民組織が、コロンブスを集団殺害・婦女暴行・侵略・奴隷貿易・文化破壊などの罪で裁判にかけ、判決は98年10月12日の『コロンブスの日』に言い渡された。
今でもホンジュラスではコロンブスの日には手鎖をつけられたコロンブスの肖像画を掲げて行進する先住民の姿を見ることができる。

キリスト教国は最低です。

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