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おさなごに学ぶ子育てコミュの真弓先生から学んだこと

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真弓先生のお話から

・逆さ仏

先年、行われた日本CI協会主催の「だから『弁当の日』をしよう」のイベントに参加させて頂きました。顔見知りのみなさまもおらて、会は進行しました。今日は久しぶりに真弓先生のお話を聞くことができると言うことで懐かしさを感じながら基調講演を待ちました。
今年で半世紀以上数十年間医師としての人生を歩まれ、投薬なし、注射なしの小児科医師として開業してから、母親と子どものために歩んでこられたのでした。「忘れないでくださいよ」と強調されたのが医療費の増大の件でした。

・日本の人口の推移
 人口が昭和30年で八千万人、現在は一億3千万人、およそ1.3倍になっています。しかし、医療費はなんと40倍になっている事実です。いずれ逆さ仏で若者の死を老いた両親が見送る事態が起きてくるでしょう。

 現在でも小児科医の目から見ると、大分前に西丸震哉が「41歳寿命説」を唱えたことが現実になってきているように思います。成人病など昔は無かったのです。昭和20年敗戦国日本の占領政策で、一気に変えられた食文化の結果が、このような逆さ仏の事態を招き、自給率40%にまで日本を追い込んでしまったのです。
 
 僅か60年前、敗戦の昭和20年以降この事態を占領後僅かに2年8ヶ月で達ししてしまったのです。保健所、教育委員会、大学病院を買収し、マスコミ4社を使って、欧米風でアメリカの財政が成り立つ食文化を確立してしまったのです。栄養学、義務教育、給食制度、減反などなど一気に変化させていったのでした。もう一つ大事なことは、人類は哺乳類であって、同じ哺乳類は地球上に400種以上居るのですが、それぞれが自分の種に合う血液から作られた母乳を与えていることです。

 ヒト族だけが多種の母乳を代用している事実です。また、母乳哺育は子どもの自立のために「断乳」することをしなくてはいけないのです。いつまでの乳製品を摂取しないことが大事なことです。ちなみに牛の体温は38度Cです。平熱が36度以下の子ども達が飲んでも消化吸収ができないのですから、健康が維持される筈がないです。教育委員会、保健所、医師会を占領して、如何に日本人を御しやすい人へと心身の改造を行っていくかが、実践されていきました。

 日本は神武天皇以来同じ食文化を継承して、マクロビオティックが提唱しているように食材は四方4里以内で作られたもので、旬の食材で賄われていくのが、本来のありかたであることを国民が守ってきたのです。大事に守られてきた日本のいのちの根底から守り抜くことを消し去ってしまったのです。憂うべき事態の本質をついたお話は忘れてはならない歴史上の事実であることをこころに銘記していきたいものです。

戦後処理をいかに効率的に実践して、占領政策を実現させていくかの日本上陸戦略は、明治38年にロシアとの戦いを制した時にすでにアジア戦略の新しい足がかりにするための「日本とはどういう国民か?」をテーマに極秘国家戦略で長年研究されていたことが報道されています。2千年にわたる優れた感性の備わった文化をどのように切り崩していくのかを、研究し尽くしていたようです。

・終戦直後の小学校では

 終戦後の昭和21年に国民小学校一年生として入学した時は、学校内は教材も無く、音楽室にも音程の狂った古いピアノが1台あるだけでした。勿論衣食住全部が何も無い時期でしたから、お弁当を持っていくのは当たり前でした。しかし、お弁当の内容は、朝ごはんのおかずを残しておいて、詰めていきました。

梅干を細かく刻んで、ご飯に混ぜ塩でむすんだものなどでした。当時の信州は寒かったので、冬は薪ストーブで暖をとりましたので、ストーブの周りに屏風状のお弁当掛けを置いて温めて食べました。丁度お昼ごろになると、お弁当の漬物の匂いが教室中に広がっていき、空腹感が増したものでした。

・アメリカの余剰物資を日本の飢えてる子供たちへ

 2〜3年すると「ララ物資」がアメリカから届いて大嫌いな粉ミルクによる栄養補給を2時限の休みにたっぷり飲まされたのでした。学校大好き人間になっていた4〜5年生からは、この脱脂粉乳と銀リスマーガリンのミルクを飲まされるのが苦痛でした。
 しかし、背の高さは4人姉妹の中で一番大きくなっていました。しかし、まだまだ明治生まれの両親に育てられた時代は体の中に教え込まれていましたので、日常食は今でも糠漬けや味噌醤油の味を継承していますが働く婦人になって社会に出て忙しい生活の中で、調理ができない事態が生じて、占領政策が次世代の育成に大きな影響を与えてきたことが、浮き彫りになってきます。

・保母としておさない子供たちと出会う

 そのお母さん達の育児を引き受けてきたのが、自分の選んだ保育者の道でした。朝早く眠い目をこすりながら、「はやくしなさい」の掛け声でメロンパン片手に保育園にくる幼い子ども達の願いはきっとご飯と味噌汁、煮っ転がしのおかずとお漬物が食べたかったことでしょう。

引き受ける保育園の給食もバタ臭い献立だったことが思い出されます。心身の根底を支えていくべき食内容がこんな風に大きく変化していき,気がつけば、男性化した女性、女性化した男性(?)切れる子ども、じっと座っていられない子ども達、学究崩壊などなど現代の日本社会には問題が山積している事態です。

密かな希望は胎内で各細胞に埋め込まれた宇宙の情報が食事を元に戻すことで本来の日本食の優しい保護のもとに蘇ってきてくれるのではないかと希望を繋げているところです。

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