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中世石造物コミュの層塔

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『層塔』
『層塔』 の語源はサンスクリット語の 『ストゥーパ(stûpa)』 で、土饅頭型の墓の事を指していましたが、それが中国に伝わり、木造建築と結合し、現在みられるような塔の形をしたものになりました。

 塔の層数は基本的に3や7の奇数が基本で、塔身に石仏や梵字を刻んだものがあります。

 石造層塔は、白鳳時代から造られ始め現在に至っています。


(写真は 『宇治浮島十三重塔』 鎌倉時代)

コメント(33)

『源融塔』 (京都市下京区・鎌倉時代)
 東本願寺の別邸 『渉成園』 の印月池の中島の後方と云う、凄く分かり辛い所にある層塔です。

 基礎と塔身、一番下の笠のみが当初のモノのようで、そこから上は後補のもののようで、一番上には何故か宝篋印塔の笠が乗っかっています。

 池の中にあるものなので、遠目にしか見ることは出来ないのですが、塔身にはしっかりと石仏が彫られ、格狭間もゆったりとした膨らみを持っています。
『廃万福寺塔婆』(広島県世羅郡・南北朝時代)
 広島県世羅郡の万福寺跡に立つ層塔です。
 宝珠は欠損していますが、全高は4.19mあります。

 軒部分が非常に厚く、力強さと無骨さを感じさせるモノです。

 基礎部分に、応安三年と云う北朝年号と、藤原行光と云う大工の名前が刻まれています。
『満月寺』 (大分県臼杵市・鎌倉時代)
 臼杵磨崖仏群の向かいにある満月寺の境内にある五重層塔です。

 元々境内には2基の層塔があったのですが、1基は洪水で近くの川の護岸が崩壊した時に補修材料として使われたそうで、昭和に入って発掘調査をした際に発見された残骸を利用して修理されたのが、この塔です。

 ニコイチだな。 ニコイチ。

 笠にはコンクリによる補修跡か見られます。
 塔身には梵文と『正和四年』と云う年号と願主名が彫られてます。
 梵字は深く勢いがあって力強く、また梵字の下の蓮弁は抑揚のついた洗練されたものとなっています。
『王子九重塔』(大分県臼杵市野津町・鎌倉時代初期)
 天正年間に薩摩島津氏の侵攻により焼失した 『延萬寺』 の層塔です。

 初重軸部を大きくとって四方に坐像を彫り、光背には羽形を線彫し、坐像の下には蓮座が彫られています。

 各層とも軸部が太く、軒の出が少ないので全体として重量感があります。
『竹林寺』(広島県東広島市・室町時代)
 国指定重要文化財である 『竹林寺・本堂』 前にある層塔です。
 
 室町時代、この地を治めていた平賀氏が供養塔として立てたモノらしいです。

 軒に比べ軸部が太く重量感がありますが、どことな〜く洗練されていない…… モッサリ感があります。
 
『青目寺』(広島県府中市・鎌倉後期)
 元は亀ヶ岳の山頂にあった大寺院なのですが、南北朝期から衰退し、江戸時代末になって廃寺になった塔頭の宝物類を集め、現在地に移動してきたそうです。

 この層塔も山頂から移されてきたもので、初重軸部は背がやや高めで、かなり風化していますが胎蔵界四仏の梵字が彫られています。
 屋根の流れは緩やかで、軒は全体的に反っています。

 サイズ的にはそこまで大きくなく、そこまで洗練された形ではありませんが、どことな〜く、素朴な力強さを持つものです。

『正応5年』 の銘あり。
『詩仙堂』 (京都市左京区・室町?)
 江戸時代初期の文人石川丈山が造営した山荘 『詩仙堂』 の茶室前にある層塔です。
 
 近くまで行けないので、なんとも云えませんが、格狭間の形を見る限りでは室町期のものでないかと思われます。
『清涼寺』(京都市右京区:平安後期)
 伝、檀林皇后の塔。
 
 初塔身は背の高い四角柱で、1層目、2層目は軒の反りの少なく、すらりと伸びた当初のもの。
 それ以上は後補のモノです。
『青目寺』(広島県府中市:鎌倉時代)
 弘仁4年に開山された青目寺に残されていた、正応5年の銘を持つ層塔です。
 塔身部は他部分と比べ高く、軒は先部分だけが緩やかに反る形で、小さいながらも古式的であります。
『層塔群』(鹿児島県南九州市)
 清水磨崖石塔群の近くにある石塔群です。
 
 年代は不明……

 ただ、塔身部が太いので、江戸期以前の古いモノだと思われます。

 私的には、鎌倉時代ではないかなぁ〜 と思います。
『岩屋層塔』(大阪府南河内郡太子町:奈良時代後期)
 巨石から削りだされた石塔です。
 現在は三重塔ですが、当初は五重塔ではなかったのか? とされています。

 台になっている石の大きさから云って、かなりの大きさの石から削り出されたモノのようで、その労力にはのさがるモノがあります。
『鹿谷寺跡十三重石塔』(大阪府南河内郡太子町:奈良時代後期)
 奈良時代の寺院跡に立つ、一石から削り出された石塔です。
 その為か軒の出は少なく、その反りも小さなものです。

 また初重軸部には納入孔があります。
『奥山久米寺跡』(奈良県高市郡:鎌倉後期)
 奥山久米寺は、奈良初期に創建された、塔、金堂、講堂が南北一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置を持つ大寺院跡に立つ寺で、層塔はその塔跡に立っています。

 初軸部に彫られている梵字は薄く、半ば消えかけています。
 基礎部には、珍しく楔痕があります。
『塔の森十三塔』(奈良市長谷町:奈良後期)
 冗談抜きに、山の中にあります……

  元々は近くにあったとされる塔尾寺の経塚ではなかったか? とされるもので、現存する層塔では、たぶん唯一ではないかと思われる六角形の笠と軸をもつ層塔です。

 初軸部には蓮華文が陽刻されています。
 基礎部には格狭間が彫られていますが、枠がありません。

 ちゅ〜ワケで、珍しい形の層塔です。
『隼人塚』(鹿児島県霧島市:平安末)
 その建立目的は、熊襲の祟り鎮めのためにとも、隼人の乱の死者を供養するためにとも云われる層塔ですが、最近では平安時代末に造られたとされる説が有力視されています。

 傘と塔身を別石で造り、各塔身に薄肉彫りの仏像が彫られています。


 近年、この形に復元されたのですが、昔のままでの良かったかも〜 と思います。
『大隈国分寺』(鹿児島県霧島市:平安末)
『康治元年』 の銘のある層塔です。
 近くにある 『隼人塚』 の層塔に比べると、鈍重で素朴さに溢れる層塔です。

 笠部の軒反りは非常に緩やかで、裏側に二重の垂木を削りだしています。 

『隼人塚』 共々、鹿児島県下に見られる層塔の祖形となった層塔だと、考えて見るのですが、どんなもんでしょうか? (w`;
『島津義久供養塔』(鹿児島県霧島市:江戸初期)
 金剛寺跡にある島津義久の供養塔です。
 
 木造層塔を忠実に模した形の層塔で、笠の下部には垂木が削り出されています。
 また軒は先端のみを反らす形で、軒先が外へ向け流れるように広がり、江戸期の層塔の特徴を見ることが出来ます。
『城泉寺:七重塔・九重塔』(熊本県湯前町:鎌倉時代)
 基礎に『寛喜二年』の銘をもつ層塔です。
 笠部と軸部を別石で作る古式タイプで、笠部下面に二重の垂木、隅木を削りだしています。
 軸部各面には阿弥陀如来像が彫られいます。

 九重塔の一部には朱の彩色が残っています。

 七重塔・九重塔共に同じ年に出来たものなのですが、九重塔側の方が細部にわたり繊細さがるような感じがします。

 
 ちなみに、同じ場所にある十三重塔はレプリカ。
『永国寺』(熊本県人吉市:鎌倉時代)
 嘉禄三年の銘のある層塔です。
 笠と塔身が別石で造られた層塔で、笠部の下面には、筋状に垂木が刻まれ、隅木も彫られています。 また笠部の下面の一部には朱色の彩色が残っています。

 下り棟の反りは穏やかで、塔身の各面には石仏像が彫られています。
 
『願成寺:三重塔』(熊本県人吉市:室町時代)
 相良氏の菩提寺である 『願成寺』 の本堂前にある層塔です。
 塔身は別石で造ってあり、各面に仏像が彫られていますが、塔全体のサイズで見るとかなり小さくバランスの悪さを感じさせます。

 笠部には精巧に瓦葺が彫られていますが、せせこましさを感じさせるモノがあります。
『願成寺:七重塔』(熊本県人吉市:鎌倉時代)
 先の層塔の裏手にある層塔です。
 
 塔身、何箇所かは後補のようですが、基本的に無地で、笠部下面に二重の垂木、隅木を削りだしています。
 城泉寺の層塔と比べると、やや力強さが足りない気がします。
『黒山層塔』(滋賀県伊香郡:鎌倉〜室町)
 黒山は塩津街道が出来るまで北陸へ抜ける唯一の道であった為、大いに栄えた場所で、40余りの寺院があったそうで、その寺院群にあった石塔群を一ヶ所に集めたものです。
『善通寺・足利尊氏利生塔』(香川県善通寺市:室町)
 足利尊氏が南北朝の戦乱による犠牲者の霊を弔い国家安泰を祈るために建てた木造利生塔が焼けたので、その代わりに建てたとされる層塔です。

 とすれば、室町時代のモノとなるのですが、ただ塔身部の背が高く、鎌倉末か最悪南北朝期まで遡れるものではないか? と思わなくもないのですがねぇ……

 どんなもんでしょう?
『藤戸寺層塔』(岡山県倉敷市:鎌倉中)
 倉敷川沿い 『鯛よし』 と云う岡山では有名な鯛焼き屋の向かいに 『藤戸寺』 はあります。

 源平合戦の折、藤戸合戦で功績をあげた佐々木盛綱が、源平両軍の戦死者を弔う法要をこの寺で行ったことでも知られる寺なのですが、層塔は本堂脇の土檀の上にあります。

 基礎は低く、縦長の初軸部の四方には半肉彫の仏像を彫り、東面に『寛元元年十月十八日』の銘があります。
 笠部は厚みがあるものの、全体的に緩やかに反っています。

 相輪は後補。


 小さいながらも鎌倉中期の層塔の特徴を良く示す塔です。 
『国津神社十三塔』(三重県津市:鎌倉後期)
 元々は山中の山王権現社にあったものですが、明治時代に国津神社に合祀され現在地に移されたものです。

 無地の基礎に、阿弥陀、弥勒、薬師、釈迦の如来像が彫られた初軸が載っています。

 笠部は力強く、それでいた整った形をしています。

 相輪は後補で、当初の物は層塔の脇に置かれています。
 
『白山神社』(石川県輪島市:鎌倉)
 明泉寺塔を代表とする初軸部に仏龕をもうけ、各笠部に精巧な細工を施す写実的な層塔がいくつかあります。
 輪島市にある白山神社の層塔もその一つです。

 笠部は緩やかに伸び、初軸部の仏龕には石仏が収められています。
 ただ、笠下部の垂木は明泉寺塔と比べると細工が甘く、明泉寺塔より時代の下るものとおもわれます。

『明泉寺』(石川県鳳珠郡:鎌倉時代)
 白雉三年に開創されたとされ名刹、明泉寺内にこの層塔はあります。

 笠部と軸部は別石で作られ、非常に写実的な層塔です。

 九州の層塔にも同じような写実的な層塔はありますが、それと比べると洗練された美しさを持ちます。
 
 境内内には数々の石造物と、この塔と同じタイプの塔の残欠があります。

 四・五重目の軸部、五重目の笠と相輪部は昭和45年の解体修理時に新たに造られた物です。
『八幡神社層塔』(石川県珠洲市宝立町:南北朝)
 別名『軍艦島』とも呼ばれる『見附島』の近くにある神社の境内にひっそりと、この層塔はあります。
 元来は五重塔だったと思われますが、現在は初軸部と二重目の軸部、四層目、五層目の笠部を残すのみとなっています。

 初軸部は4枚の板石を組み合わせる形のもので、中には石仏が安置されています。 この初軸部に北朝年号の『永和二年』の銘が刻まれています。
『永昌寺層塔』(鳥取県倉吉市:鎌倉時代)
 昭和初期に岩倉城跡から出土した層塔で、初軸部、十二重目と十三重目の笠を補い、永昌寺に移設されたものです。

 基礎は2つに区切ってそこに格狭間を入れており、笠の逓減率も良く、重量感もあり、良品と云えるものでしょう。
於美阿志神社石塔婆(奈良県高市郡明日香村)
平安後期

本来は十三重の塔だそうです。

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