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京都・保津川下りNewSコミュの保津川下りについて(^O^)/

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【保津川】

京都府の中央部丹波高地に源を発し、山間をめぐりめぐって園部から亀岡から亀岡市に至り、再び山間の峡谷16Kmを流れて天下の名勝嵐山につき、鴨川と合流して淀川に入る。この川の亀岡から嵯峨嵐山(京都市右京区)までを、峡谷の美と船下りで有名な保津川という。

【保津川下り】

「川下り」というのは、保津川の水流をりを利用して下流に流れにある京都・大阪に物資を輸送することにはじまった言葉である。いわゆる水運であって、この歴史は古く京都に都が造営される以前、長岡京に都があった頃から行われ、その後京都嵯峨の天龍寺をはじめ臨川寺、大坂城築城、伏見城造営と、保津川の水運を利用して、筏によって遠く上流の丹波から木材が輸送され、その資材は整えられたのである。
木材だけでなく、慶長11年、川大名といわれた京都の豪商角倉了以(スミノクラリョウイ)によって水路が開かれてからは、米・麦・薪炭なども高瀬舟で輸送されるようになった。
それまで、丹波からの物資は、標高200M以上の峠(老の坂)を人馬で通って越えなければならなかった。

丹波の豊富で質のよい木材・穀類・薪炭は、戦後の昭和23年頃まで水運によって京都に運ばれていたが、山陰線の開通(明治23年)により、また戦後のトラック輸送の発達によって、筏と荷船による水運利用は次第に姿を消していった。
ところが保津川峡谷の自然美は四季を通じてすばらしく、巨岩をはじめ、囲じょうする山々と、しぶきをあげて落流する水、神秘をたたえた鏡のような渕など、変化に富んだ景観は、まさに人の目をとらえて離さない。従って明治の28年頃から、遊船として観光客を乗せた川下りがはじまった。筏や荷船が姿を消した今では、専らこの観光の船下りとなったのである。
亀岡から嵯峨まで16Kmに及ぶ保津川下りは、今日世界的に有名な船下りとして知られ、年間通じて約30万人の観光客が訪れ、四季それぞれの自然美とスリルを満喫している。

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