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私塾 靈明閣コミュの【6】物語日本史(上)P77〜90

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■概要(あらすじ(▼)、疑問点(□)、補足等(※))

■■■継体天皇

▼▼▼皇統
 仁徳天皇没後80年も経つと、国は乱れ始め、当時の清寧天皇に子がなく、皇統の断絶の危機を迎える。
 そんな中、山部連の先祖「小楯」が、官命で兵庫県の氏族の新築祝いに出席。歌い舞う2人の少年が、その歌の内容から、皇統を継ぐものと判断し、感動。弟が先に顕宗天皇となり、兄が仁賢天皇となる。
 その後も断絶の危機は続き、仁賢天皇の御子、武烈天皇が御子が無いまま亡くなる。重臣が相談した結果、福井県から男大迹王(おおとのみこ)を迎え、「継体天皇」となる。

・外国であれば、ここで必ず革命が起こり、政権の交代がおこるらしい。
(そうならない理由に皇室の徳と道徳に筆者は着目しているようだが、それだけでは説明しきれるものではないと思われてならない。だからと言って、それを否定できる論理も存在しないのは事実であろう。

※山部連
・山部宿禰は天武13年(684)に「宿禰(すくね)」の姓を与えられた「連(むらじ)」姓50氏の一つであり、それ以前は山部連と称していたらしい。
・この「宿禰」というのは称号のことらしく、天武天皇が旧来の身分秩序に対して、皇族との関係が深いもの達を抽出し、皇族の地位を高めるために「八色の姓(やくさのかばね)」という制度を設け、その中に制定された八つの姓の一つらしい。
・山部氏は創建法隆寺に木材を提供する氏族として貢献したと言われているらしい。

※継体天皇
「継体天皇」は、天皇家の系譜として伝わるものは彼以降はほぼ正確であるとされ、現皇室との血縁が確認できる最古の天皇らしい。

□何故、「歌の内容」が皇統を継ぐものとしての証明となりうるか?
(識字率が高いわけではないだろうし、おそらく紙も高価で、情報伝達手段から考えれば、消去法的に口伝の形を取らざるを得ず、歌を知っているということは、その歌を謳い継ぐどこかの共同体に属している証明になりうるのだろうと思われる。ということは、当時の人々にとって、言葉は現実的にはそのような用途において、極めて効果的であり、軽軽しくも口に出すべきものではない、、、と考えられて不思議ではない。安易に他人の耳に入ると、皇位を簒奪される結果さえ齎すものだろうからである。これを情緒的に捉えると、「言霊」という考えが生まれて然るべきであろうし、又、言うべきことを婉曲して記述する方法論も生まれて然るべきであろう。つまり、日本文化の根源に必ずこういう感性が含まれているはずであり、そこが見えなければ、数多の芸術の真の意味も見出しづらいものであろうと思われる。

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▼▼▼王朝交代
・エジプトは、30回王朝が交代し、一王朝の寿命は、平均して約100年らしい。大雑把な中国の平均は、30回王朝が交代、それぞれ平均約150年らしい。
(これが起こる原因は定かではないが、少なくとも、どの国も倫理としてそれをよしとはしないらしく(まぁ現王朝が滅びを望むわけ無いから、そりゃそうだと思うが)、筆者はここで儒教を引き合いに出し、その原因に「道義道徳の荒廃」を見ているらしい。「政治形態が海外と同質である」、、、という視点に立脚すれば、日本にそれが起こらなかったことは、結果論としてそう見ることも出来るが、その「形態(文化)の違い」という見方も、忘却すべき視点ではないと思われる。

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■■■聖徳太子(上)

▼▼▼仏教伝来
 継体天皇の後、数々の天皇が即位され、当時の朝鮮半島は、百済が高句麗と戦争し、最終的に新羅に滅ぼされる出来事があったらしい。
 この頃、仏教が百済より伝来し、国としてこれを取りいれるか否かで、蘇我氏と物部氏(中臣氏含む)の間で政争が起こるが、朝廷は採用せず、だからといっても排除せず、蘇我氏の個人的な信仰は認めることとなったらしい。これに不服だった物部氏は、疫病の原因を「蘇我氏の信仰」故と主張し、朝廷もその考えに批准。仏教に関するものを廃棄する。

・大化の改新の前兆が垣間見えて、興味深いくだり。

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▼▼▼十七条の憲法
 聖徳太子という呼び名は、そもそも諡号であり、当時は厩戸皇子と呼ばれる。これは厩の前で出産した事実からそう呼ばれたらしい。
 太子は冠位十二階を制定。儒教の徳目を元に十二の身分を制定し、新しい身分秩序を作る。又、十七条の憲法を制定。治世の基本的な心構えを諭す。一条においては「和」を取り上げ、不毛な争いを牽制し、二条においてはその方法論として仏教を推薦し、三条においては君臣の関係を明確に意識することを表明。
 これらは儒教などの中国の古典にその論拠があり、それらを読みこなす知性が、太子には備わっていたということらしい。

※諡号
(主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名号

※推古天皇は女帝
(女性が天皇になるときは、次の天皇が幼いときなどの非常時等に、臨時になるものらしい。

※冠位十二階
(おそらく既存の身分制度(おそらく血統のみ)が腐敗し、現実に即した実力主義に移行する方法論だと思われる。だとするならば、現在の官僚制度の腐敗も、近い将来、ひょっとしたらこのような方法論が解決策に用いられる可能性もあるのではないかと思う。

※厩の前で出産
 日ユ同祖論でしばしば引き合いに出される秦氏を初めとする帰化人などにより、太子が聖人化される過程において、彼らの伝説と融合する形でこのような伝説が語り継がれたのではないかと思う。

□平和とは何か?
(この十七条の憲法から見出だせることは、私達日本人の抱く典型的な平和とは、いかなる理由があろうとも争わず、その原因を自分自身に求め、政治的には固定された身分制度、、、つまり競争を無くすことにその着眼点があるように思える。ここで用いられる古代の「平和」の意味と、戦後の「平和」の意味を同じ意味に解釈してはならないのではないか?と思う。前者はあくまで現実的な治世の方法論であり、後者は民族の断絶への恐怖を背景にした過大なイメージの集積から生じている、、、と思われるからである。これは「十七条の憲法」と「戦後憲法」を比較すると、より明確になるのではないかと思う。


■参考資料/余談等
・「逆説の日本史」井沢元彦
(彼なりの社会学的な「和」であり、十七条の憲法の解釈が成されています。

平成20年4月13日

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