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私塾 靈明閣コミュの【5】物語日本史(上)P64〜76

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■概要(あらすじ(▼)、疑問点(□)、補足等(※))

■■■神功皇后

▼▼▼広開土王の碑
 日本武尊が亡くなり、その子、仲哀天皇が即位。神功皇后とともに九州の動乱を征伐に向うが長期戦に。仲哀天皇は亡くなり、長期戦の原因は朝鮮半島にあると見た神功皇后は、海を渡る。
 当時の朝鮮半島には、高句麗という強大な国があったが、中国に度々征伐され、南下。それにより押し出される形で新羅が九州に手を掛けたらしい。同時に侵略される百済を救うために日本も参戦。
 新羅は程なく降伏。日本に朝貢を誓う。このことは、「日本書紀」「三国史記」に記述があるらしい。
 このときの日本軍は、平壌まで進撃したらしく、それは414年に建てられた「広開土王の碑」によって確認できるらしい。

▼▼▼百済救済
 この参戦は、百済救済の為であり、そのことが、この碑によって証明される。
 同時に、「日本書紀」に記述のある「七枝刀(しちさやのたち)」が、奈良の石上神宮に現存することによっても証明されるらしい。

・大陸の強大な勢力が、朝鮮半島を侵略した場合、日本は危険になるらしい。
(それ故に、朝鮮半島の平和は、日本にとっても重要らしい。

・この参戦は、百済に請われて、、、ということらしい。
(九州の動乱を鎮めるため、、、って前に書いてあったけど?
(この時、神功皇后のお腹には、応神天皇がいた。

□百済救済のためなら、何故、平壌まで攻め入る必要がある?

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■■■応神天皇

▼▼▼文字伝来
 この勝利によって、朝鮮半島や中国との交通が頻繁になり、様々な文化が急速に発達。この時、文字が伝わる。
 その後、後継者問題が起こり、弟の莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)は大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)に皇位を譲るべく自殺。この大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)は、後の仁徳天皇である。

・仲哀天皇の死後、応神天皇がその後を継ぐが、年若く、神功皇后が摂政として実務を行う。
(この功績が見事であったとして、「神功皇后」の名が送られる。

※日本書紀に記述のある渡来人(帰化人)
・百済の裁縫に巧みな女性2人。来目衣縫(くめのきぬぬい)の先祖となる。呉服の起源?
(おそらく呉からの亡命者ではないかと思う。
・阿直岐
(百済から日本に派遣された使者、学者で帰化人。阿自岐神社の祭神。
・王仁
(漢字と儒教を伝えたとされる伝説的な人物。

※王仁と出口王仁三郎の関係?
 「王仁」という言葉自体に元々意味があるのか、彼にちなんで名づけたのか不明。

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▼▼▼御陵
・仁徳天皇陵は、ピラミッドより大きく、始皇帝陵よりも大きいらしい。
(これにより、日本の発達が窺い知れるらしい。

・「宋書」によれば、当時の日本は、朝鮮半島を保護国とし、宋もそれを認めていたらしい。
(当時の中国は南北朝時代であり、南の宋と北の魏が争っていたらしい。おそらく魏を牽制するつもりで、日本の朝鮮半島への影響を認可していたと思える

※八幡信仰
 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇が祭神とされ、三韓征伐の神功皇后の勝利は、その腹に応神天皇がいたからである、、、との伝説から、戦いの神として、代表的には源氏が守護神としていた。
 ただ民俗学の研究では「八幡」は大分県の氏神であるというのが一般的らしく、さらにもともとはインドからの渡来神であるとする説もあり、実は素性がよくわかっていない神様らしい。

平成20年3月9日 五月雨

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