ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

フィリパ・ピアスコミュの“The Shadow-Cage”におけるストーリーテラーとしてのPhilippa Pearce 白須康子 その2

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
I. 短編に描かれるスーパーナチュラルな世界 まず最初に、ピアスが短編という形式を好んで用いる理由、およびスー パーナチュラルな世界を描くことが多い理由について考えてみたい。

<短編作家としてのピアス> ネズビット(E. Nesbit, 1858―1924) やメイン(William Mayne, 1928―) 等の並外れた多産系の作家を比較の対象からはずしたとしても、今までに ピアスが生み出した作品の総数は決して多くはない。彼女は主に短編作品 を書く寡作の作家である。しかし、タウンゼンド(Townsend, 1996) らが 指摘するように、ひとつひとつの作品の質が高いという定評を得ているこ とは確かだ。なぜピアスの場合は一つの作品を書き終えてから次の作品を 発表するまでに人一倍時間がかかるのだろうか。この疑問に対する手がか りになると思われる記事がここにある。これはもともとピアスがBBC の 子ども向けラジオ番組で『まぼろしの小さい犬』(ADog So Small, 1962) という第三作目の長編がどのように創作されたかについて語ったことを文 字化したものである。彼女は物語を書くとはどういうことか、そして、そ の過程はどのようなものであるかについて次のように述べている。

ABOOK THATIS worth writing, that you really care about, is only partly made. . . . from the very beginning―perhaps even before you think of writing a story at all―the story must grow. An idea grows in your mind as a tree grows from a seed. The idea of the story is a seed, and it grows with the slowness of natural growth. . . .
I shall tell you mostly about growth and the encouragement of growth―the cultivation, as a gardener would say; and there will also be something about making, as a carpenter makes.
(Pearce, 1967: 317)

このようにピアスは物語を作るというよりもむしろ心の中でその物語の種であるアイディアを暖めながら、それが木のようにゆっくりと育つのを待 ち続ける作家なのである。だとすれば長編の物語を書くためにはより周到 で長い「栽培」期間が必要なわけで、ピアスがこれまでに発表した4編 の長編の間のギャップが一作目と二作目では3年、二作目と三作目は4 年、三作目と四作目の間には結婚や出産、夫との死別等の彼女の人生の節 目となる重要な出来事が起こっているが、実に11 年という長い空白があ るのもうなずける。 ピアスが短編に専念するようになるのは1965年に長女を出産してから である。2000年に行われたイギリスの新聞のインタビューで、ピアスは 「当時は短編を書く時間しかなかった」と述懐している。また、同じイン タビューの中で、「読者は登場人物のことをよく知ることができる小説の 方を好むものだ」というのが出版社の考えであるが、ピアス自身は「いろ いろな人々と束の間の出会いを楽しむことができるパーティーのような短 編が好きだ」(The Guardian, 2000) と公言している。それでは、短編小 説とはどのような特徴を持っているのだろうか。ディキンソン(1982) は 次のような点を挙げている。

短いゆえに、短篇小説には細部の選択(その結果として節約と強 調)が必要であり、そのゆえに、何よりも大切な統一(全体的効 果、単一の効果 )が可能となる。・・・あらかじめ定めた計画が なければ .... 作家は短い紙面で選択による統一効果をあげられる筈が ない・・・。短篇小説は本来、意識的な技術を要するものである。 (ディキンソン、1982: 76)

一つの物語を自然に育て、完成度の高いものに仕上げるためには決して妥 協しないピアスとしては、文章の長さが限られた短編という形式の中に彼女の想像力の産物をひとまとまりの完成体として凝縮させ、まるでひとつ の建築物を創造するかのように、緻密な設計図に基づいて物語世界を構築 することに喜びとチャレンジを感じているのではないだろうか。これには ピアスがBBC 時代に積んだ脚本家としての修業が大きく関与しているよ うに思われる。実際、上記のインタビューで、ピアスはBBC 時代にあら ゆる種類の物語を20分の番組用に書き直さなければならず、その結果、 「縮約するために物語の構造を素早く見抜くことを身につけた」(The Guardian, 2000) と述べている。 そして、もうひとつピアスが短編を好む理由は、彼女が1959年以来続 けているストーリーテリングの活動と密接に関係しているように思われ る。子どもたちに読んで聞かせることを常に念頭において作品を書くと、 彼らの集中力が持続できる時間をどうしても考慮に入れる必要がある。も ちろん、ストーリーテラーは長編の物語を途中まで紹介して、続きは子ど もたちが自分の手で実際に本を手にとって読むように動機付けをすること はよくあるが、短編であればその物語を最初から最後までひとつの完結体 として語り聞かせることができるからだ。

<幽霊物語作家としてのピアス> 次に、ピアスが超自然の存在や超常現象を扱った幽霊物語を書くことを 得意とすることについて考えてみたい。このようなスーパーナチュラルな 世界が描かれている作品は、その超自然的、非現実的要素のため、手法の 上ではファンタジーの系列に分類される。では、ピアスはファンタジーを どのように解釈しているのだろうか。彼女はファンタジーを定義して、 「現実の限界から開放され、遊びの自由を得ることによって、リアリズム だけでは表せない、より根本的な事柄を、非現実の出来事として表現する。 それによってさらに深く現実の中に踏み込むことができる」(「朝日新聞」、1986年8月26日)ものであると述べている。つまりファンタジーの世 界はピアスにとって現実とは全く関わりのない、別個の切り離された世界 ではなく、むしろ現実と地続きで、しかもより深いレベルで現実を認識す る場を与えてくれる領域なのである。 トールキン(J. R. R. Tolkien, 1892―1973) の『ホビットの冒険』(The Hobbit, or There and Back Again, 1937) やC. S. ルイス(C. S. Lewis, 1898―1963) の『ナルニア国物語』(Chronicles of Narnia, 1950―1956) な どの初期のファンタジーは「分離」→「周辺」→「統合」もしくは「全体 性の回復」という明瞭な物語構造を持っていた(工藤、2003: 24)。彼ら の主人公たちは日常の世界と決別して非日常の世界へ冒険の旅に出る。そ して、そこで得た経験や知恵を携えて、ひとまわり成長した人間として再 び日常の世界へ帰還するというパターンである。そこでは日常と非日常の 世界が分離して存在していた。それに対して、ピアスのファンタジー作品 の中に登場する主人公たちが入り込む異界は、彼らのすぐ身近に、まるで 現実と表裏一体を成すかのように並列して存在している世界である。そこ では日常と非日常、現実と非現実、自然と超自然といった明確な対立が見 られない。ピアスにとってはどちらも同質のリアリティーをもって迫って くる真実なのであろう。このような世界観がピアスをリアリズム作家でも あり、ファンタジー作家でもあることを可能にしているのではないだろう か。 さて、今度は幽霊物語に対するピアスの見解を検討してみよう。1986 年に来日した時に山田太一との対談でピアスは次のように述べている。 私は、スーパーナチュラルの話を書くのが好きです。それには読 む人の、恐怖をかきたてるような話と、・・・スーパーナチュラ ルの手法を使って、現実の奥の深みにある実体にふれていく話があります。

私は、スーパーナチュラルの手法を使わないかぎり、 物語で人間のかかわり合いを深く探ることはできないと幾たびと なく考えてきました。 (『世界』498号、1987: 212)

この中でピアスは自分の書いた幽霊物語を2 つの種類に分類しているが、 前述の彼女によるファンタジーの定義と同様、ここでも現実の世界との密 接なつながりが強調されている。ファンタジーもリアリズムも両方手がけ ながら、ピアスは本質的には「冷静なリアリスト」であると猪熊(1990: 32) は言い切る。常に厳しく現実を見据えて、その奥に潜む真実を効果的 に描くためにはスーパーナチュラルの手法しかないという強い信念を持っ た作家の姿がここにある。それと同時に、ピアスにはエンターテイナーと しての側面もあることを忘れてはならない。同じ対談の中で、この論文の 後半で具体的に分析する「影の檻」(“The Shadow-Cage,” 1977) につい て、それは「読む人の恐怖をかきたてる話」の方に分類されるもので、ピ アスはその物語を「徳育的な意図なしに、単にこわがらせられるのが大好 きな子供たちを楽しませようと思って書いた」(『世界』498号、1987: 213) と言っている。

恐怖に関して、1995年にピアスが編集した子ども向けの幽霊物語集 『恐怖と歓喜』(Dread and Delight: ACentury of Children’s Ghost Stories, 1995) の序文で彼女は子どもにとっていかに‘safe fear’(安全な 恐怖)が必要であるかを説き、更に幽霊物語の意義については次のように 説明している。

Certainly they [ghost stories] can entertain, and that is no small virtue. The fear they induce should be pleasurable―the delightis in the dread, and the fear should be imagination-widening. Fear becomes awe and wonder: the Present relates itself to the Past, the Known to the Unknown―to the Unknowable. (Pearce, 1995: xix)

ここでピアスが述べていることは、ホリンデイル(Hollindale, 1997) が児 童文学作品を分析する際の拠り所となる用語のひとつとして提唱している 「エピファニー」(“epiphanies,” 喜びの啓示)に通ずるものであると思わ れる。ホリンデイルは子どもが成長する過程で自分が今人生の節目を迎え ていると感じるような瞬間をエピファニーと呼び、それは具体的には “irreversible movements forward into adult life, achievements of independence, confidence and control, proofs of self-value and of value in the eyes of others” (Hollindale, 1997: 119) であると述べている。ピア スは表面的には単に子ども読者を怖がらせて楽しませようという意図で物 語を書いたとしても、その基底には必ず主人公の子どものエピファニー的 体験が盛り込まれているはずである。そこで、以下で試みる「影の檻」の 作品分析を通して、主人公の恐怖体験が‘safe fear’の枠組みの中で、い かなるエピファニー的体験につながっているかを考察する。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

フィリパ・ピアス 更新情報

フィリパ・ピアスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング