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真宗大谷派コミュの「繰出」について

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別トピで「位牌」についての質問があったのですが、話が混乱してもいけないので、別トピを立てさせてください。

法名(戒名)を木札に書き入れた物をひっくるめて、いわゆる「位牌」と呼ぶことが多いのですが、禅宗では、黒漆塗の一枚板に、金で文字を彫り入れるのが正式だそうです。
それに対して、何枚かの白木の木札に法名を書きいれ、上部を取り外して、札を入れ替えることで、前面の法名を替えることができるようにしたものを「繰出」というそうです。

今まで私も、ご門徒さんからお尋ねがあると「正式には、法名軸」とお答えしてきました。けれども、「真宗興隆会」から出版されている小冊子の「仏具の正しいおかざり」のページに、この「繰出」が掲載されていました。

そこで質問です。
「繰出」は、
1)他宗でも使うのでしょうか、それとも真宗(浄土真宗)独自でしょうか。
2)もともとは、正式とされていたものでしょうか、それとも特定の地域や作法の一つの流れの中で、使われていたものだったのでしょうか。
3)たとえば日めくり式の過去帳のように、正式ではないが、便宜上つかわれてきたのでしょうか。

ご存知の方がいらっしゃいましたら、お願いします。

コメント(28)

以前、実家(新潟の長岡です)の仏壇を大掃除したときに繰出し位牌が出てきて驚いたのは覚えています。私も真宗で位牌は絶対に使わないと固く信じこんでいたもので。

父(1932年生まれ)に聞いてみたところ、自分が生まれる前に幼くして死んだ兄弟姉妹がいたらしいので、その位牌だろうとは思うが、祖父が死んだ後ではわからない、ということでした。

ということで、少なくとも戦前戦中の越後の大谷派では使われていたのは間違いありません。中の法名は当時の住職が書いたのはほぼ間違いないでしょうから、おそらく当時は認められていたものと考えるのが自然なんじゃないでしょうか。

なお、仏具屋のサイトをいくつか回って調べたところでは、他宗では繰出し位牌はごく普通に使われているようで、やはり三十三回忌が明けたところで塗り位牌から移すという、法名軸と過去帖の関係と同じ使われ方のようです。「真宗でも一部では使われています」とはっきり書いていた仏具屋もありましたし...。
なるほど、亡くなってから年数が経ち、法名軸の枚数が増えたりしたとき、連名の法名軸を作ったり過去帳に移したりするように、使われるのですね。
当方のご門徒さまのお内仏にも、前住職が書いた繰出があります。
「標準語」みたいに、それまでその地域で当たり前だったことに対して、本山(教団)が定めた標準を「正式」と呼んでいるように感じました。

うちは地方寺院ですがお内仏で繰出し普通に使っます。入っている法名みると江戸時代あたりの住職さんのもあるので昔からの習わしなのかと…門徒さんも繰出しつかわれてますね。法名軸と併用してますよ
位牌は元々儒教のものですので、仏教では使わないのが基本だと思います。

また歴史的観点は地域性や戦争時の国家神道の影響もあると思います。

私のお参りしているところでも位牌も繰出もありますが、元々真宗寺院が多数な地域だからか戦前のものはほとんどありません。

僕はこれが大切だと思うのですが、位牌は官位をつけるというものです。
お内仏は浄土をあらわします。浄土に位を入れ込むのはやはり違うと思っています。

怒られたりもしますが、説明をして法名軸、総法名軸に変えて頂くようお願いしています。

詳しいことは教務所駐在や本山に確かめられるのが確かと思います。
ありがとうございます。わかりました。以前にも本山の先生とそのようなお話をしたことがあります。私もいつかは正しい法名軸にしていただく事を願っていますが、住職いわく「昔からの地域の習わしだし、繰り出しを書く事も門徒さんとの大切なつながりだ。いきなり変えても門徒さんが困惑するだけだ。聞かれたら「正式には…」と教えてあげれば良いのではないか。」といっています。
私は様々なことの本山流(正式)を地方でどう取り入れるかを更に勉強していきたいと思っています
僕も初めは杓子定規に言っていたんですが、やはり各々に思いや思い入れがあって、泣かれたこともあります。

中々難しい事だと思います。

ただ本山がこういっているから正しい、正式だということではなく、位牌とはどの様な性質のもので、お内仏とはどういうものであるかをこちらが考える必要はあろうかと思っています。
本来の意味、本来の願いをはっきりさせなければならないと言うことですねグッド(上向き矢印)
OKでするんるん
Lさん

位牌を使っていた事実はあると思います。

しかしながら位牌を今も使い続け、認めていっていいのかといわれれば私は使うべきではないと思っています。

何が正式という問題にもなろうかと思いますが、宗門が歴史的にも総て正しいことをしてきたか?宗祖の教えを湾曲させることはなかったのか?

私は位牌の元々の意味合いから考えて、やはり使うべきではないと思います。

前にも述べましたが、杓子定規に否定していくのではなく、意味合いもわかりそのうえでどうするのか?

正式であり、歴史的背景はこうである。では自身は位牌をどう思うのか?
ひいてはお内仏をどのような場として考えていくのかということだと思います。
そうですね、やっちゃってますね!それは同意見です。仏壇も形式他宗派から様式をもってきているし、声明もそうですね。

それでも私は位牌は考えていくべき問題だと思います。

宗門のしてきたことと、一僧分がしてきたことはまた違うのではないでしょうか?

白書院も額も学生の頃は無くしてしまえばいい、撤廃すべきだと思っていましたが、ただ撤廃しても、臭い物に蓋をするだけで中身は臭いままであると思います。

してきたこと、やっていることに立って考えて行動することが大切だと思います。

突然の書き込み失礼します。
 
私どもの地方でも白木の位牌などが御内仏に置いてある家庭もあります。
真宗寺院が九割の地区ですが 禅宗も数カ寺あります。

どうも、禅宗の作法と混ざって代々伝わっていることもあるようです。

ある若奥さんが おばあさんにお荘厳について質問されたとき
おばあさんは教えてくださるそうですが すべて
「昔からそうしとるから」
と言われたそうです。

どこかで真宗の作法でないことが混ざって伝わっても
代々 訂正も去れずに伝わっているようです。

私はよその家庭に行って
「ここの荘厳はまちがっている」
と言った事は一度もありません。
施主さんに恥をかかせてもいけないと思うからです。
特に法事の席などでは施主さんが恥をかかないように
ぴりぴりしておられ、ご住職も注意しにくいそうです。

真宗門徒として生活していくと ひとつひとつ
自然に直していくことが出来るのではないでしょうか。

いとしばさんの意見に同感です。
あのう・・・
皆さんの地方では過去帳の位置付けってどうなっているのでしょうか。

うちは位牌の代替品に過去帳を勧めているのですが・・・
位牌とか繰出は必要ないですよね。


うちの門徒さんのお内仏にも置いてあるところはあります。

歴史的に…ということもありますが、僕は我々僧侶の責任でもあると考えます。


それは我々僧侶が、門徒として先頭に立って教えを聞いていくべき僧侶が問いかけてこなかった、ということです。


僕が一番大切にしたいのは悪いものはすべて無くしていくことではなく、位牌であれ繰出であれ、それがなぜあるのか、何が問題なのか、ということを問うていくことじゃないですか?

あくまで宗門に関わる問題は我々真宗門徒一人一人の問題でしょう。

問題があるから無くしてしまえじゃ責任は自分じゃないどっか別のところにいってしまうじゃないですか。

ちなみにあくまでお内仏はお内仏です。


あくまでご本尊中心の生活が我々真宗門徒の生活です。

亡くなった方の魂が霊が中心ではないのです。


僕は位牌や繰出は魂や霊が中心の生活の表れだと考えます。

そしてそれを形に表したものが「先祖壇」つまり「仏壇」があるのです。

箱の形や有無ではないでしょう。


自分の都合に合わせて良ければ感謝、悪ければお祓い、浄化する。


親鸞という方はそういったことを無くするんじゃなくて、そうしていかなければ生きていけないということを「よきひと」に出遇って懺悔されていかれた方でしょう。

どこまでもそれしかできないんじゃないですか?


それを抜きにしていろんな問題を語るのであれば、それは地獄の世界ではないでしょうか?
過去帳は使いますよ!

お内仏の形によっては軸かからないものもありますから。


みなさんのお言葉痛いですね…。

僧分の責任、一人一人。

誰がどこにたって何を聞くのか!

なんかすいませんm(__)m
ガイドラインっていりますかねexclamation & question


ガイドラインができるといいこともあるけど、みんながそれに合わせることしかしなくなってしまう。


ガイドラインも大切だけどその前に我々が教えを聞き作法を熟知し、それを伝えていく、そのための努力を我々がしていくことが先決じゃないでしょうかexclamation & question
ガイドラインというかお内仏の荘厳は正式なものはあります。
同朋会館ではおきゅうじにピンク色の紙を使います。が、その通りにできるお内仏は少ない様にも思います。

お荘厳にしてもそうですが、なぜ?が必要なんであろうと思います。
なぜ計らいを入れないのか!なぜ位牌を入れないのか!
正しい荘厳をしても名号や本尊を隠してしまっては本末転倒のように思います。
正しいものを知り、考えたうえで何を大切にすべきかを問題視する必要があるんではないではないでしょうか?
確かに現代はインターネットが普及して便利です。


しかし、そういう時代だからこそ、あえて生の言葉できちんと伝えていく、このことが大切じゃないかなって思うんです。


そして曖昧にしてきたのは先輩たちかもしれません。
が、今まで、も曖昧にしてきたかも知れませんが
今、も曖昧にしてるんですよ。


だから、我々が先輩のしてきたこと、言ってきたことをよく聞法し、ひとつひとつ確かめながら後に伝えていくことが大事なんじゃないですか?

オンラインの必要はありますか?

もし素早さとか気軽さを求めるものなら、それは僧侶各々が電話や直接できるよう努めればいい。


それができないならば、お寺ってなんなのでしょう?
僕もスカホリFATMANさんに同意ですね。

前に生まれんものは後を導き
後に生まれんひとは前を訪え

問われ続けますよね。
それと、もう一つ言わせて頂くなら…


僕は画一的なものを作ってそれにはめ込むことはよくないし、やってはいけないと思っています。


確かに基本的なものはあっていいと思いますが、みんなが右へならえで無疑問的に型にあわせてやってしまうのなら新興宗教となんら変わらないと思うからです。


共に考えていくということも必要じゃないでしょうか?


門首や我々僧侶が絶対ではないんですから。
「繰出」に関して、
トピ主さんが指摘された真宗興隆会編『門徒の仏事手帳』を見ますと、「繰出」が図示されているページの仏壇の写真が明らかに名古屋仏壇の様式なので、名古屋方面では「繰出」が慣習としてよく用いられているのではないかと思います。

しかして、この冊子では「繰出」をまた「法名基」と表記してあります。
「法名基」という言葉は私のところではほとんど聞かないものなのですが、法名を記した板のことを意味するようであります。

それで思い出すのですが、名古屋別院ではたしか須弥壇に門徒の「法名基」なるものを(御骨とともに)安置しているらしいのです。この「法名基」というのはおそらく上記の「法名を記した板」のことではないかと思います。

真宗では位牌を用いない(実際には高田派などの諸派では認められているようですが)というなら、この「法名基」はどうなのでしょうか?
法名基というのは初めて聞きました。

なんとなく想像はつきますが、どの様な種のものなんでしょう?

>いとしばさま

これは私の地方のところでも相当するものがあります。
お御堂の外陣の壁に永代経についた方の法名を板に書いてずら〜と並べてある寺がありますよね(高額進納のものだと漆塗り金箔押しのゴージャスなものになっていることがあるようで。自坊はこういうことはやってませんが)。これも「法名基」の一種と考えられます。

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