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時間(とき)や季節の移ろいコミュの薮入り  初閻魔(えんま) など

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【薮入り】一月十六日

★昔は奉公人が、正月及び盆の16日前後に暇を許されて、帰省を許されたわけです。奉公人が盆・正月に国もと、親元に帰ることを言うのです。ほんの1日ほど親元に帰ったのです。
 年に2回だけが、丁稚(でっち)さんと呼ばれる見習い期間中の奉公人は最初の三年間は薮入りをもらえなかったそうです。辛い丁稚奉公から解放され親元へ帰って、里心が付いたらいけないからという配慮からだったのです。

★この「薮入り」の習慣は、戦後、盆休みとお正月の休みとして残ることとなりました。ボーナスもその名残と思われますね。サラリーマンは、戦前まで続いた丁稚制度の名残恩恵を受けているのでしょうか。^^;
 
★★丁稚制度があったころ、正月の薮入りには、主人 から衣類万端与えられ、小遣いをもらって親許へ帰ります。
 親は帰ってくる息子のために、用意万端準備して、息子を待ち受けるのでした。
 
 最近は、「薮入り」という言葉はほとんど使われない。それは、戦後の義務教育の延長や労働法規の整備が影響した結果、丁稚という仕組みがなくなったからなのです。
 落語の「薮入り」というお話は有名ですよね。

★★落語の「薮入り」先代 三遊亭金馬師匠の十八番(オハコ)であったと聞きます。
 昔の丁稚奉公では年に2度、盆と正月の16日に薮入りと言い実家に帰ることを唯一の楽しみにしていたころのお話です。
【あらすじ】はここに書きました。↓
 →

コメント(7)

「薮入り」落語
【あらすじ】
 両親は、息子が薮入りで、帰って来るのを幾日も前から楽しみにしているものでした。
 前日にもなると息子を、どこに連れて行ってやろうか?とか何を食べさせようとか?一睡もしないで待っているのです。
 薮入りの当日、玄関を朝早くから掃除をして、今か今かと待っていると、やっと奉公に出した息子が帰って来ます。
 
 さっそく息子に新しい着物を着せて銭湯に行かせるのです。
 息子が置いていった紙入れ(財布)の中を見ると、5円札で3枚も入っている。15円といえば 冬至では大金!。

  大金を見た両親は びっくりして、息子が、悪い心でも起こしたのだと思い込みます。
 息子が湯から帰って来ると、親父さんはいきなり 息子を殴ってしまうのです。
 
 泣き出す息子を母親がなだめながら このお金はどうしたのかと訳を聞くと、ネズミを捕まえては交番に持って行ったり、懸賞に当たって貰ったお金をコツコツと貯めたり、していたのです。
 そして、今日は薮入りと言う事で 奉公先の主人に預けておいたお金を、持って帰ってきた。という親孝行なお話だったのです。
 それを聞いた両親は、感動したという 心温まるお話なのです。

  落語には「オチ」があります。そのオチがは「これからも ご主人を大切にしろよ。」「これもやっぱりチュウ(忠)のおかげ。」お後がよろしいようで。ということなのです。^^!
★★「薮入り」という言葉は、都から草深い田舎に帰ることを意味します。本来は、嫁や婿が実家に帰る日を言いました。今は、いつでも里帰りでるので、こういう風習も消えていますね。^^;

★わたくしの子供の時 実家にはお手伝いさんが居ました。そのお手伝いさんは 薮入りになると ため息をついて窓の外を眺めていました。
 まだ子供だったわたくしは、「どうしたの?」と聞いたことがありました。
 
 そうしたら お手伝いさんは「今日は薮入りといって 故郷に里帰りする日なのだけれど・・・わたしは天涯孤独なので 帰るところが無いのよ・・・。」
 子供だったわたくしは、とっさに「帰れなくても良いと思うわ。だって、Mari.のこのおうちが ○○さんの 本当のお家だからね。^^」
 その時 わたくしは、お手伝いさんに ↑こういうようなことを言った事を今でも覚えています。そのとき お手伝いさんの目には 涙が光っていたことも鮮明に覚えています。
 
 奉公している人には 国もとや、親元の故郷は 懐かしさもひとしおのものだったのでしょうね。
 
★★また、1月16日は「閻魔(えんま)様」の縁日でもあり、そのため「地獄の釜のふたが開く」と言われてきました。
 初閻魔です。1年で最初の閻魔の縁日の日です。お盆にもあります。
 
★わたくしは、京都では東山の 六道詣りで有名な「六道珍皇寺」という、臨済宗建仁寺派のお寺の閻魔様を参ったことがあります。六道とは→この下に書いています↓
 
 神奈川では 鎌倉の円応寺に閻魔様がおられますよね。品川の東海寺は 昔は山門を開いて信徒を入れ、人々であふれたというのですが わたくしは、行ったことがありませんが今ではどうなのでしょうか。
★閻魔様のこと↓
 
【閻魔(えんま)様】のこと
★江戸時代「閻魔参り」という歳時がありました。
 当時の人々は皆どこかの寺に所属していて、その寺ではどんな宗派も「極楽往生」という、死後極楽浄土に行けるのだという教えを説いていました。
 
★「極楽往生」出来ない場合、という対比として経典の中で「地獄」という場を説明していたのです。
「悪業や罪を犯す人間は地獄に落ちる」という戒めはずっと以前からありました。
 この地獄が具体的に形成されたのが「往生要集」で895年に完成され、その説明は今日まで続いています

★これは 本来の仏教の教えですが、それとは別に中国唐末から始まる「十王信仰」というのがあり、これによると地獄には「十王」がいて、「閻魔王」はその一人と説明されていました。
 その後日本にその経典も普及し、さらに「閻魔王」が「閻魔大王」となり、「死者を極楽浄土に送るか地獄に送るかを決めるのは閻魔大王様だ」となったのであります。
★★「六道」とは、

わたくしがコメント3に書きました「六道珍皇寺」には 
六道詣りというのがありますが その【六道】とは 次のものです。
仏教の輪廻転生の思想の中の、

・地獄道
・餓鬼道
・畜生道
・修羅道
・人道
・天道

★六道とは、この六世界のことをいい、現世で死ぬと、この六世界で輪廻を繰り返すといわれます。六道の辻は、現世と来世の境目とされます。
「六道珍皇寺」には初閻魔という縁日もあるのですね。
六道詣りには観光で参ったことがあったのですが
冬の行事については知りませんでした。
機会があれば、初閻魔にも参らせて頂きたいと思います。
六道詣りでは余りの人の多さに
小野篁の井戸が見つけられませんでしたので。(苦笑)

昨日から参加させて頂いたhoo-m**と申しますが
早速、自分が知っている話題を拝見し
つい嬉しくなってコメントしてしまいました。スミマセン。
★>hoo-m** さま

初閻魔の日は 昔はわたくしは お参りについていったことがあります。
わたくしは 子供でしたから 閻魔様に「舌を抜かれる」のが怖くて 口をきつくぐんだまま 早く帰りたかったことを 今でも尾乱します。

hoo-m** さま、コメントや トピなどどんどん書いてくださいね。(^^)!
★★わたくしが 横浜から 西宮に引っ越してちょうど 一ヶ月となりました。
 西宮は 大阪と神戸の間で、とても静かな住宅街が多いという印象があります。わたくしの住んでいるところは 高い建てものがほとんどなく、2〜3階建ての閑静な住宅地がほとんどです。
 横浜に居たときと違って 近所のみなさまがとても礼儀正しく笑顔で挨拶をすることです。
 笑顔で挨拶というのは 田舎などでは当たり前のことですが、東京や横浜では必ずしもそうでなかった事を感じていましたから・・・。
 いつも 老若男女たがわず近所の人は新入りのわたくし達にも笑顔で接して下さるのでとても助かっています。

★近所の庭の南天の実がたわわに実っています。お天気のいい日には小鳥がその実を食べに来ています。生垣のピラカンサスも 真っ赤に色付いています。山茶花の花も満開になりました。

【2008年】
★★今日は、16日の(水) 友引 です。

 今日は、 麦の日 【やぶ入り】 初閻魔 芥川賞、直木賞発表 新山神社裸参り などとわたくしのカレンダーにはあります。
 薮入りのことを書いておきますね。^^
 

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