ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

岡山 賢人塾コミュの西郷さん

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
西郷さんが大好きです。
時を越えて 西郷さんの風を受けたい!

マイミクの朗人さんの日記を転載いたします。
今年最後のトピックです。 

皆様のご健康とご多幸を心からお祈りします。

==============

新春から新しい大河ドラマ「龍馬伝」が始まります。
明治維新を語る時、欠かせないのが西郷隆盛さんです。

「敬天愛人」。  西郷隆盛さんが座右の銘としていた言葉です。私は西郷さんの大ファンです。この西郷さんについて次のようなエピソードを集めてみました。



公的な面の西郷さん

1.イギリスの公使バークスと西郷さん

最初は産経新聞「産経抄」(09年4月7日)からです。
幕末明治の日本を訪れた各国の外交官のなかでも、イギリスの公使バークスの傲慢さは際立っていた。
人と話すときも、机に足をのせ、靴底を相手に向けたままだった。

あるとき、西郷隆盛が、バークスに対して同じ態度を示した。
バークスが憤然として無礼をなじると、西郷はこう切り返したという。
「無礼なことはお互いにやめましょう。私はこれが貴国の礼儀かと思っていた」。

当時何かにつけて欧米人の高飛車的な態度に、へりつくばり卑屈さだけが目立つ政府高官のなかで、何とも溜飲の下がる思いのする西郷さんについてのエピソードです。

2.戊辰戦争での西郷さん

敬天愛人をモットーとした西郷隆盛の遺訓が残されています。
西郷さんが残した言葉は、庄内藩の有志の手によって「南洲翁遺訓」にまとめられています。

戊辰戦争で幕府側についた庄内藩の人間がなぜ西郷さんの遺訓なのか、と思われるかもしれませんが、この「遺訓集」刊行の経緯に、西郷さんの人柄が表れているようです。

庄内藩は、新政府と戦って全面降伏しました。勝利した官軍によって武装解除されるのが普通です。ところが、西郷さんは逆に官軍から刀を召し上げ、庄内藩に丸腰で入って行かせたのです。

荒くれ武士の乱暴狼藉を未然に防ぐための措置でしたが、敗者への配慮、敬意でもありました。勝った側から刀を取り上げ、負けた方の帯刀を許したのですから、庄内藩の人々は驚きました。

その後、西郷さんが下野して郷里に戻ると、西郷さんの度量の大きさ、人柄の素晴らしさを慕った庄内藩の若い武士たちが、鹿児島まで教えを請いにやってきます。

中には庄内藩主酒井忠篤公の姿もありました。また、庄内藩士のなかには、制止を振り切り、西郷さんにしたがって西南の役の従軍、戦死した人たちもいました。

そうした西郷さんの薫陶を受けた庄内藩の人たちが、学び取った西郷さんの教えを編纂し、後世に残してくれたのが、「南洲翁遺訓」なのです。

この「南洲翁遺訓」について、稲盛和夫氏は人生の教訓として座右に置き、幾度となく読み返したと言われます。


私人としての西郷さん

3.百姓になりきっていた西郷さん

薩摩に帰っていた西郷さんが、ある日、近くの畑で一日中汗にまみれて働き、夕方、馬を曳きながら家に帰る途中のこと、突然、ものかげから一人の少年武士が現れ、
「おい、老爺(おやじ)! これを修繕してくれ」
と鼻緒の切れた下駄を差し出した。
身分制度のきびしい薩摩では、武士が下駄の鼻緒を通行人や商人に、平気で直させる風習があった。

西郷は、
「へぇ、じきに直して進ぜますから、しばらくお待ち下され」
とていねいに修繕した。
「おまちどうさまで」
とさしだすと、少年武士は、
「のろまだな、こんなことぐらいもっと早くするもんだ」
とお礼も言わずに行ってしまった。

翌年のある日、西郷が知人のところで碁を囲んでいると、その席へうやうやしく茶を運んできた少年がいた。

その顔を見た西郷は、笑いながら声をかけた。
「覚えておるかい。去年の今頃、畑からの帰り道で、下駄の鼻緒を直してあげた老爺(おやじ)じゃ」
少年は肝をつぶさんばかり驚いて、
「知らぬこととはいえ、ご無礼の段、何とぞお許しくださいませ」
と、平伏した。

西郷はそれを手で制し、
「あのとき、わしは土百姓に相違なかったのじゃ。あやまることはない」
と大きく笑いながら、
「ただ、あのときは、いくら武士でも、人を使ったら一言ありがとうのお礼ぐらいはいわぬといかん、と思ったことを覚えているよ」
とつけ加えたということである。

日常における西郷さんの「えらぶらない」人の好さと包容力が出ており、何とも言えない魅力を感じます。
「能ある鷹は爪を隠す」です。

5.ある日の明治天皇と西郷さん

沖正弘先生の「瞑想ヨガ入門」よりまとめました。

いつも悠々としている西郷隆盛を驚かそうと、明治天皇は、あるとき水盤に水いっぱいを持ってこいと命令しました。
そうしておいて侍従の一人に廊下の曲がり角のところに待ち伏せさせ、西郷隆盛がそこを曲がろうとしたときに、「わっ!」と言わせて驚かせました。

すると、西郷隆盛はゆっくりと水盤を廊下に置いてから、「ああ、びっくりした」といったといいます。不意打ちですからまったく驚かなかったわけではないでしょう。

おっかなびっくりで、前傾姿勢でふうふういって水盤を持っていたら、「わあっ!」とびっくりした拍子に手をすべらせて水盤を落として腰を抜かしたでしょう。

この様子を見ていた明治天皇は、西郷ほどの人物を試そうとした自分が悪かったと反省したといわれます。

6.門番に叱られた陸軍大将

次は明治になってからの話で、マイミクの吉川さんの日記(2007年12月14日)より転載します。

宮中で宴会が催されたときのことである。
宴会が終わって、玄関に出てみると履いてきた下駄がない。
仕方ないので、西郷は裸足で帰りかけた。門のところに来たら、
門番に誰何された。

「誰だ!」
「陸軍大将、西郷隆盛である!怪しいものではない!」
と言えば問題なかったのだろうが西郷はそれをしなかった。
裸足姿を見た門番はますます怪しいと訝った。

ところがそこに右大臣、岩倉具視が馬車で通りかかり尋問を受けている
西郷を見た。「西郷さん何事ですか?」

それを聞いた門番は直立不動になり、非礼を詫びた。
西郷はなだめるように
「いやいや、裸足で歩いていたおいどんが悪かった。これから気を付けもうす。許っしやんせ」
陸軍大将に頭を下げられ門番はますます恐縮した。




坂本龍馬の西郷隆盛評:
なるほど。西郷というやつはわからぬやつだ。
少しくたたけば少しく響き、
大きくたたけば大きく響く
もしばかならおおきなばかで
利口なら大きな利口だろう。


今も根強い西郷人気とは、ユーモアさえ感じさせる西郷さんのあまりにも大きい人間的スケールに圧倒されるばかりです。
西郷さんにほんの1ミリでも近づきたいだと、あらためて痛感しました。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

岡山 賢人塾 更新情報

岡山 賢人塾のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング