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あげみのはなしコミュの淑女の手遊び

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 俯せになる時、わたしは右頬を下にする。
 頭の両脇に軽く握った手を置いて、全身の力を抜いて脚を投げ出す。目をつぶる。ゆっくりと息を吸いながら臍の下の空間を膨らませるようにお腹を持ち上げると、頬や両の肘と膝、爪先に体の重心が掛かる。そのまま息を止める。自然に体に力が入る。しばらく時間をおいて、再び脱力しながら細く長く息を吐く。それを幾度か繰り返す。疲れている時や嫌なことがあった時など、吐息と一緒にそれらの悪いものが自分の中から抜け出ていくような気がする。
 特に疲れていなくとも、帰宅したわたしはまずベッドに倒れ込んで俯せに体を横たえる。いつの頃からか、多分小学校高学年か中学の頃から、それがわたしの習慣のようになってしまっていた。それから息を吸って、止め、吐くことを繰り返す。これはわたしにとって、一種の儀式のようなものだ。
 本当にどうしようもなく疲れている時などは倒れ込んでそのまま寝入ってしまい、深夜中途半端な時刻に目を覚ますこともたまにある。けれどそうして目を覚ましたわたしはやはり儀式を行う。そして普段のわたしは、緩慢な深呼吸を繰り返す儀式を終えればきっぱりと起きあがって着替えを済ませ、日によって順序はまちまちであるものの、調理をし、食事を摂り、入浴する。持ち帰った仕事があれば片付ける。
 大袈裟に言えば外の世界から自分だけの空間に戻ってきたわたしは、その儀式を通して初めて、自分を切り替え、リラックスして眠るまでの時間を過ごすことが出来るのだ。それは、親元を離れ一人暮らしをするようになってずいぶん経つ今でも変わらない。仕事を持ち帰った場合でも儀式を済ませてからでないと手を付けられない。毎日その手順をきちんと踏まないことには、帰宅後のわたしは何をすることも出来ない。ただ漫然とテレビを観ることすら出来ない。思えば奇妙な癖をつけたものだ。

 わたしと彼は向き合って座る。彼はあぐらをかいている。わたしは足先を自分の左に流して横座りしている。
 わたしは右手を彼の左の膝に乗せて、左手で彼のペニスの先端を触る。彼のペニスは大きく張りつめている。
 この状態の彼のものに触ることが出来るのはわたしだけだ。わたしにその状態のものを触られることが出来るのは彼だけだ。わたしの濡れた性器を触ることが出来るのも彼だけだし、彼にそうした性器を触られることが出来るのもわたしだけだ。二人はそれぞれ別の異性にそうすることもそうされることも不可能だった。世の中には多くの男女がいるというのに、お互いがたった一人の相手でいられることが奇妙なことに思われる。わたしは彼のことが確かに好きだけれども、世に言う熱烈な愛というものとは違うと思う。それは彼にしても同じことだ。性欲がないというのではない。かつて何人かの女性に恋をしてきた彼にしてみれば、わたしが彼女たちと特別に異なるという訳でもない。わたしにしても好意を持った男性がいなかった訳でもない。ただ、他の人とは出来なかったのだ。
 わたしは彼が現れることなく一生セックスが出来なくても、それは別に構わなかった。彼は自分がセックスが出来ないということに小さな焦りにも似たものを持っていたようだが、わたしと出会ったことでその焦りが解消されて喜んでいるのではないと思う。焦りは確かになくなったことだろう。彼はわたしに出会えて嬉しいのだろうと思う。わたしは彼に出会うことが出来てとても嬉しい。だがそれらは何ら特別なことではないのだ。二人は出会う時まで、自分にとって自然に生きてきたし、二人が出会うこともそれぞれにとってごく自然なことだった。お互いがお互いにとって特別な存在であるということを殊更に言うことはない。そうやって気負うことはない。わたしは自分が彼に恋していると言うことも、彼から恋されていると言うことも、何か未だ気恥ずかしい。
 けれどこれをありふれた恋と呼んでもいいのだ。こうした形の恋があってもいいと思う。そこから始まってもいいと思う。

 わたしは、父が好きだった。年頃になっても父親のことが好きな娘もさして珍しくはないと思う。どちらかといえば「お父さんなんて」となってしまうことの方が多いのかもしれないが、娘が父親を好きなのは珍しいことではないと思う。わたしも、父が好きだった。けれど、わたしは多分多くの娘の場合とは違っていた。
 わたしは、父に欲情していた。子供の頃から。

 初めて男を家に呼んだ時、彼を外に待たせて「儀式」を済ませ、それから迎え入れた。
 何度かそれを繰り返すうち、なぜ待たせるのかを尋ねられる。少し勘違いしている彼は尋ねる。「部屋でも片付けてるの? 俺は多少汚れてたって気にしないし、いつもきれいにしてるじゃない」
「そうじゃないの」
「じゃあどうして?」そこには取り立てて責める様子もなく、無邪気に純粋に、ただ不思議に思っているだけのようだった。
 わたしは男に儀式のことを教える。
 一緒に住むことを申し出る。
「卒業してからにしよう」
 男はそう答える。
「どうして? もったいないじゃない。どうせこの先一緒に生きていくのに」
「なんとなく区切りをつけたいから。そうしないとけじめがつかないような気がして」
「なんに対して?」
「自分に」
 彼はまだ学生だ。わたしとちょうど一回り離れている。学生である彼がアルバイトをしている陶芸教室で、わたしは生徒として、彼は先生として知り合った。

 わたしはこれで父とセックスをしなくても済む。幼い頃から父に欲情していながら、わたしが実際に父と交わることを望んだことはただの一度もなかった。ただ父をオナペットにしてオナニーをしていればそれで満足だった。儀式の後、それで済まず父を想像してオナニーに耽ることがままあった。けれどそれは始終そうしなければ収まらないというほどのものでもなく、いつもの儀式のうち数回あるいは十数回に一度の付け足しのようなものであった。けれどその付け足しのわたしの中で占める割合はけして小さなものではなかった。
 想像の中でわたしは父のものをくわえ、舐め、挿入すらした。わたしの想像の中の父に自分を玩具のように扱わせもした。けれどそれを実現させることには特に執着しなかった。
 性の芽生えの頃、わたしはただ父のことを思うと「あそこ」が熱くなることに気が付いた。そしてそこを触るととても気持ちがいいことに。
 思春期、様々な知識を覚えていった頃のわたしは、自分の想像の中で父と行為に及ぶことを止められないまま、恐れた。想像の中だけのこととはいえ、それが常識的に「いけないこと」だということは重々承知していた。なんの経験もないままに耳年増になっていくわたしの中に「罪悪感」が芽生えたのだ。わたしは一時期、その罪悪感にずいぶん苦しめられた。けれどわたしはある時、自分が現実の父にそうしたことをすることやされることを望んではいないことに気が付いた。
 わたしには性欲がある。わたしは誰にも欲情しない。ただ父一人を除いては。わたしが父に欲情しているのは確かだが、わたしは現実に父とセックスすることを望んではいない。そうであれば、わたしは彼以外に欲情する対象を持たないのだから、わたしが彼をオカズにしてオナニーすることは、これはもう仕方ないことなのだ。
 わたしはそう考えた。特に間違っているとは思わない。そう考えると気が楽になり、自分が特別変わっているとも思わずに済むようになったが、誰に言えることでないとも思った。わたしは催せば、堂々と父をオカズに自分の指で気持ちよくなってきた。誰に話せる訳でも話す訳でもなかったのだから、「堂々」というのは当たらないかもしれない。敢えて言うなら自分自身に対してのことだろうか。
 それが三十数年生きてきたわたしの性生活の全てだった。不満などなかった。わたしはそれで十分に満足していた。けれど、それは出口のないことだったのだ。
 わたしは今でも、もし自分がその出口がなかった頃のままだったとしてもよかったと思っている。それが普通でないことは知っている。人と違うということただそれだけのことが、ただそれだけで不幸の原因になるとは思えない。もし他人と違うということただそれだけが原因で不安になり不幸だと感じる人がいるのだとすれば、その人には余程自分というものがないのだろう。考え方や価値観、好きなものや好きなこと、何一つ自分で決めることが出来ない人なのだろう。
 わたしは生まれてからずっと、それはたまには嫌なことも悲しいことももちろんあったけれども、穏やかにしあわせだった。それは彼を得た今でも変わらない。変わったことといえば、彼を得たそのことで、それ以前の自分には出口がなかったのだと言えると思うようになったことくらいだった。出口があろうとなかろうとわたしはわたし。それでいいと思う。
 わたしたちは触れ合う。指で掌で肘で腕で腿で膝で足で背で腹で尻で胸で髪で顔で全身の皮膚で瞳で。口に含み、啜り、舐め舐められ、手を添えあてがい、呑み込む。お互いの律動に身を委ねる。

 わたしは、愛している。衒うことはない、今ではそう言える、堂々と。殊更人前に立って大声で言うことでないけれど。わたしが他人に儀式のことを話したのは、後にも先にも彼以外にない。そして、愛されている。未だわたしは彼に欲情しないでいる。けれど構わない。彼がわたしに欲情しているのかどうか、わたしは知らない。それも構わない。
 わたしは、今も昔も変わらずしあわせだ。

 けれど、ほんの少しだけそのしあわせは大きくなった。
 




                      了   (2003/01/09-14) 
 

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