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お金・法律・思想の義務教育化をコミュの新5科目

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これは、つまり今の日本の5科目


「国語」「数学」「英語」+「理科」「社会」





「お金」「法律」「思想」+「語学」「理数」



というキー概念、つまり「新5科目」によって再編、再構築していきたい、小1から高3まで、という主張ですね。


そして数学の大部分をお金科目へ組み込み、歴史教育に関しては、日本史は国語科目が思想科目が誕生するとともに消滅するように割愛、消滅させ、歴史の学習は「世界史」のみ、つまり日本史の学習を世界史科目の中で行うように、世界史の一部として学習できるよう(実際そうですよね? 日本はこの世界の一部なのだから )にし、その世界史科目をそれぞれ「金融史」、「法律史・政治史」、「思想史」、に再編、再構築し、それぞれ「お金、法律、思想」科目の中へ組み込む、という企画ですね。


さらには「語学」と「理数」に関しては、学校(小1〜高3)での試験は廃止し、逆に生徒が先生を優・良・可の3段階にて評価するようにし、生徒が社会から評価されるもの差しを資格取得学校に再編、生まれ変わっていただく学習塾、予備校業界へ完全に丸投げ、つまり「英検、TOEIC」「数検(数学検定)」「物理検定」などに丸投げする、という企画ですのでね。宜しくお願いします。つまり、逆を言えば学習塾、予備校業界から、「国語と社会」の2科目、新5科目で言えば「お金、法律、思想」の3科目の学習を行う機能を基本完全に無くしてしまう、消滅させてしまう、そういう企画とも言えるかも知れませんね。


教育5科目のこのような再構築によって、如何に「お金、法律、思想」の3つが、この現実のビジネス社会を渡っていく上での唯一の命綱であるのかが非常に鮮明に浮き彫りとなり、小中高での学習が非常に熱を帯びた熱いものとなり、つまり、盛り上がったものと成っていく筈だと思いますのでね。人生の殺人的な断崖絶壁を登っている最中に足を滑らせた場合、その足を滑らした人の身体を力強く支えてくれる唯一の命綱は、実は「お金、法律、思想」の3種類の縄がよじれてできている、そういう構造、構成になっているのだ、誰が掴んでいる命綱も、…その赤裸々な現実がこの新5科目の創設によってより鮮明になってくる事でしょう。よい事ですよ。


それからこの「新5科目」への再編は、一言で言えば、「大企業のサラリーマンとして一生を終える」という人生から「大組織を飛び出してアントレプレナー(起業家)になる」という人生を選ぶ、選択する人を増やす政策、とも言えると思いますしね。アントレプレナーとは、真剣勝負なのであって竹刀勝負なのではない訳ですから。勝負(=ここでの勝負とは「負けるが勝ち」も含めた意味での勝負(弁証法)ですのでね(笑))に負ければ借金、負債という鮮血が切り傷から吹き出し、最悪出血多量で死亡してしまう、そんな危険との背中合わせの戦い、なのですからね。起業家になる、社長になるっていうのはね。まさしく今の日本が求めている企画、政策なのではないか?、そう私は感じますね。


「理数系科目離れ」問題、「語学教育全般」に関する問題の深いところは、それぞれ「理数系科目離れ問題」トピ、「語学教育とはどうあるべきなのか」トピにて深いところの話をしていきたいと思っていますのでね。

コメント(24)

とにかく、今深刻な社会問題になっている「理数系科目離れ」や「外国語教育非能率化」問題、「母国語文化保護」問題(大和民族のアメリカ・インディアン、ニュージーランド・マオリ、オーストラリア・アボリジニー化問題)だけでなく、全般的な日本の学力低下問題、教育亡国化問題を好転させるキーとなる基本的な考え方というのは、毎日学校で学ぶ内容が「(勉強していて)面白い、楽しい、好きだ、為になる、役立つ、学習する必要がある」という感情を生徒さんに植え付けられるかどうか、抱かせる事ができるかどうか、という部分と、あとはこの現実のビジネス社会を最低でも約40年間泳いでいく期間、誰もが必ずそういう人生を歩みますが、「自分がしている仕事、ビジネス、歩んでいる人生に、短刀直入に直接役立つ内容にその学習内容がなっている」ように教育システムを変えていけるかどうか、大人になってからでも気軽に本当に必要な学習は、やりなおせられる、学習し直せるようにそのシステムがなっているかどうか、生涯学習が振興される、促進されるようになっているかどうか、だと私は思いますのでね。この新5科目への再編、再構築は、一応その目的には近づいた内容になっているように自分は感じてますのでね。
また、このような教育5科目の再構築によって、語学、はもちろんな事、それよりもなによりも先ずいわゆる理数系科目において、実質的な“飛び級”制度を導入できるようになる、この教育5科目の再構築によって、事もこの新5科目のメリットとして私は強調したいですね。先ず語学ですが、このようなシステムを導入すれば、例えば中学生でありながらすでに英検1級に合格してしまうような生徒さんも、自然に生み出せるようにもなる、という事なんですよね。実家が経済的に豊かであるのなら、英会話の専門学校に集中的に通い、中学生で既に英検1級に合格してしまう、なんていうタイプの生徒も出てくる可能性がある、という事で、しかも、そういう語学の達人が、自然に小中高校の学園社会に存在、生息できやすくもなる、とも思うのですよ。勉強ができる子が学校で浮いて、勉強が苦手な子からの虐めを受ける、という事も少なくできる、と思うのですよね。それもこの語学、理数系科目に関する政策のメリットとして強調したいですね。私が念願している、いわゆる自然科学系のノーベル賞を受賞されるような科学者が日本の学校社会から生まれ易くなるのではないか?、エジソン、アインシュタイン、本田宗一郎のようなタイプの科学者が生まれ易くなるのではないか、という事ですね。もしこの教育5科目への再構築後、明らかに日本の学校社会がそういう社会に変わっていってくれたら、この教育新5科目の企画者として、こんなに嬉しい事はないですよね。
語学教育非能率化、理数系科目離れ問題が叫ばれて久しいですが、この新教育5科目のように教育科目を再構築し、逆にその「大切だ、大切だ、なんとかしなければならない、なんとかしなければならない」と病人がうなされるように日本社会全体が久しく呟き続けているテーマ、語学教育、理数系科目離れ、ですが、こうして小中高校での試験を廃止するなどの思い切った施策を実行に移す事で、更には「お金」科目の義務教育化などで、現実の世の中はとにかく、“金”だけがものを言う、政治の世界など、そうなってはいけない世界ももちろんありますが、そういう現実社会の赤裸々な現実を学ぶ事によって、ビジネスに役立てる、繋げる、人生に単刀直入に役立てる、という明確な目的意識に根差して、更には学校で試験をして“くれない”という不安感から逆説的にビジネスに繋がる活きた語学と理数系科目のスキルがつき易い語学学習、理数系学習をする社会に生まれ変われるのではないか、と私は感じますね。食べろ、食べろ、と鼻先に健康食をつきつけるのではなく、逆に食べるな、食べなくていいよ、と健康を害している人から健康食を遠ざけ、そうする事で、害した健康を改善したいという明確な目的意識の元に、自ら進んで健康になる為の一つの手段として、自ら進んで隠しておいた健康食を探し出してきて、計画的に食する、それも漠然と健康に良いから、という理由からではなく、具体的にこういう症状の不健康には、こういう健康食、食生活が最も効率的だ、みたいな感覚で、ね。 鼻先に突きつける(=勉強しろ、勉強しろ)ではなく、逆に目に見えない所に遠ざけて、自ら進んでそれを探して、それを食する方向にそれを持っていく、という事ですよ。イソップ童話の風と太陽の太陽の政策(確か金大中大統領の対北朝鮮政策の基本ポリシーだったような気が…(笑))は、学習にこそ言える、という事ですね。無理矢理押し付けるのではなく、自ら進んでそれをやる、やりたい社会的雰囲気を作り出すべきなんですよ。
それから私は、このように教育5科目を再構築する事のメリットとして、大学卒業資格の更新試験制度
と絡めて考えていけばなおさら、一般の大卒の方々に「お金・法律・思想・語学・理数」5科目、全科目に渡っていわゆる家庭教師のアルバイトを行う機会が増えていく可能性が出てくる、そういうメリットも強調しておきたいですね。先ず、25・30・35・40・45・50・55・60歳の計8回、大学卒業資格に更新試験制度を導入する形となれば、その更新試験全てに恐らく、特にお金・法律・思想の3科目の技能、スキルを試す部分が必ず含まれてくる訳ですから、60歳まで更新試験をクリアする学習をし続けていく際、苦手な科目に関しては家庭教師を個人的に雇ってでも更新試験をクリアする、そういうタイプの社会人の方が発生する可能性があるっていう事ですよね。そういう部分からつまり一般の大卒の方々に家庭教師などを副業としてやれる方が増える可能性がある。更に「教えるは学ぶの半場なり」という諺もあるように、人に教える事は、その人に教える行為を通じて自らがその科目を学習している、し直しているという面も発生する行為とも言える訳ですから、そういう機会、つまり家庭教師という副業を行う事を通じて全国民的レベルにて生涯学習が振興される雰囲気が日本に生まれてくる筈でもある。つまり、家庭教師という副業にて稼ごうとしたら生涯に渡って、その副業の為の技能・スキルを磨き続けていく必要が出てくる、そういう事ですね。これは、英検・TOEIC、数学検定、物理検定、化学検定試験にも当てはまる考え方ですよね。数学検定3級の取得を目指している社会人に、数学検定2級1級資格保有者が家庭教師をして稼ぐ機会が発生する筈である、という事ですよ。アルビン・トフラーという8〜90年代位に活躍したアメリカの学者が言っていたコンシューマー(消費者)からプロシューマー(消費者であり生産者)というパワーシフトが、日本の教育産業に起こりやすくなるのではないか、そういう事ですね。
更に私は、小学校はともかく中学・高校の補習授業に関しては、その中学・高校の卒業生で、自分の出身中学・高校へ仕事帰りに寄れる就労環境にある人であれば、自分の出身中学・高校、母校にて補習授業の教師をするというアルバイトをする社会人も生み出す事ができるとも思いますよね。基本的にその中学・高校の現役の教師をされておられる教職員の方々が補習授業も担当するべきですが、それがかなわない場合、そういうやり方で補習授業を行う事もできるのではないか、そういう事ですね。


或いはその中学・高校とは全く関係のない、つまり卒業生ではない一般の社会人の方が補習授業のアルバイトをやれる環境を整えても良いですし、ね。
60歳まで家庭教師の副業にて副収入を安定して得たいと考えられるのならば、「お金・法律・思想・語学・理数」の5科目のどれか1科目を、継続して商売にできる程までにそのスキルを磨いておくべきですよね。そうすれば、そのスキルで安定した副収入を家庭教師というアルバイトで得る事が出来ますからね。或いは2〜3人を自宅に招いてミニ学習塾のような形にまでその副業としての家庭教師業を発展させる事ができるようにもなるかもしれませんしね。そうすれば、副業としての家庭教師業にて更なる副収入が期待できますし。
それから、大学卒業資格の更新試験制度対策の家庭教師に関しては、自分の卒業大学の先輩などを、mixiなどの自分の出身大学のコミュニティにて探すなどして、需要(=家庭教師して欲しい)と供給(=家庭教師したい)のマッチングを図ればよいと思いますしね。

つまり、30〜60代の同大学同学部の先輩で、25歳時の同大学同学部の後輩に当たる人物の更新試験の家庭教師のアルバイトをされたがっておられる方と、家庭教師を受けたがっておられる20代の方が、お互いに出会えばよい訳ですからね。こういうmixi的な会員制のサイトなどで。速やかに家庭教師という商売が成立する筈ですよね。
なお、付け加えておけば、私は「お金」「法律」「思想」の3科目に関しては、一切飛び級制度は設けない方が良いと思いますね。同級生と和気あいあいと学習して行くべきですよ。大阪の橋下市長が「全科目に飛び級制度を設けるべきだ」みたいな発言をしていましたが、私は彼のそういう考え方は間違っていると思いますね。「教うるは学ぶの半場なり」を考えれば、この3科目に関して言えばむしろ学力に差のある者同士が組んで学習していった方が逆に国全体の学習能率が上がるように感じるからですね。大学卒業資格に更新試験制度が導入されれば、この3科目は文字通り仕事から引退するまで、或いは死ぬまで学習を続けていく分野となる訳ですからね。偏差値至上主義教育下の勝ち組人間の彼らしい嫌味な考え方であるな、と感じましたよ。
小中高校でのテスト、大学卒業資格の更新試験時のテストで高い点数を取る事が目的なのでは“なく”、あくまでも実社会の現実のビジネスに応用できる基礎学習を身につける事が、特に小中高校での学習のポイントな訳ですからね。試験の為の学習ではなく、ビジネスの為の学習、生活環境をより良くする為の学習、ですからね。試験の為に人生があるのではなく、人生を豊かにする為に試験制度を設ける訳ですから。
タクシービジネスを始める為には二種免許が必要ですが、その資格(試験)に受かったら、後は試験の結果ではなく、試験の結果は一切関係なくタクシーの運転手としての総合的な実力だけが物を言う訳、ですからね。22〜70歳時の人生は。
それから付け加えれば、数学検定、即ち数検には、英語の能力を試す資格で有力なものに「英検」と「TOE?C」があるように、数検にもその資格に数種類をという種類の選択の幅を設けるべきである、とも思いますね。資格に市場競争の原理が働く方が、その資格をより実社会にて役立つ内容にしていこう、という企業努力が働くと感じるからですね。各資格を試験する業者に。そう思いますよ。英検だけよりTOEICやTOEFLなど数種類あった方がよいのと一緒でね。それは物理検定、化学検定にも言える事ですよね。
ここに書いておきますが、このトピに書き込むのは4-5年ぶりですが、私は英語教育の義務化をやめて、英語教育を語学教育と概念を改める事のメリットとして



英語帝国主義から日本を、日本語圏を守れる効果が発生する




を挙げておきたいですね。アメリカ語、イギリス語を英語、即ち




「英」雄が話す言「語」と翻訳



し、それを義務教育化するという政策は、白人・アングロサクソン人を英雄民族、栄光民族として崇拝し、その英雄、英雄的民族の言語を義務教育で学ぶ英語民族に支配された日本列島インディアン=大和民族、白人に対するカラード民族としての日本人、それを卑下する、という意識を助長して良くないと感じるから、ですね。フランス語、スペイン語はフランス語、スペイン語なのに、どうしてアメリカ語、イギリス語を英雄の語、すなわち「英語」と表現するのか?それは前々から気になっていた私の疑問でしたのでね。


宗教的に日本國教会という企画の中でアメリカ宗教、イギリス宗教に日本の宗教を近づける、それに対するバランスとして外国語教育から英語特別扱い主義を拒絶する、排除するという考え方ですね。宗教もアメリカ・イギリス、言語もアメリカ・イギリス化、を推進したら、それこそ私はヤマト民族の滅亡を後押ししたヤマト民族の裏切り者、という事となってしまいますのでね。そういうイメージを持たれないようにする為に、ここにこういう一文を書いておきますね。


近づける替わりに遠ざける、でバランスを取る、ですね。
反対の視点の記事ですね。やはり平成9年頃の新聞記事ですよ。
私は民族浄化、ジェノサイドは日本列島には起こらない、と思いますね。英語民族によるヤマト民族の浄化をはじめ、ヤマト民族による在日朝鮮人の浄化、アイヌ民族の浄化、などは。万が一これが日本列島に起こったら、国際的に大問題となる筈ですしね。ヤマト民族がアメリカ・インディアン、ニュージーランドマオリ、オーストラリアアボリジニーなる事はないでしょう。参敬運動は、神道仏教をも肯定、奨励する宗教イデオロギーという面がありますし、何よりも御先祖供養、祖先崇拝を奨励するイデオロギーでもあるから、ですね。参敬運動は究極的には「精神・不動・霊」の三語に帰依する事を勧める運動とも言えます。この三語は、伝統的、古典的、歴史的な含蓄ある普通の日本語ですしね。
何処かで書いた記憶がありますがまたこのトピにも書いておきますが、「語学」科目の中で、日本語、あるいは日本語の古典、各地の方言、を取り上げたって良い訳ですからね。取り上げるのも自由な訳ですからね。小学校一年生から「語学」科目が誕生する事にもなる訳ですから。もちろん小1から英語、中国語、フランス語などの外国語を取り上げる学校があっても良い訳ですが。全て各小学校の自由になる訳ですから。また、その部分で各校の個性を作り出す事もできますし、ね。他校との差別化を作り出す事にもなるという意味ですね。
このトピに書いておきますが、ネットの小中高のそれぞれのホームページで、或いはWikipediaで、それぞれの学校で採用している教科書、新5科目全ての科目の、それぞれの出版社名を箇条書きで表示するように当然するべき、でしょうね。その方が小中高の入学試験を受験する事を検討中の親御さんや生徒さんには、志望校を絞り込み易くてわかりやすくて良いと思いますよ。例えば私の母校の



川崎市立梶ヶ谷小学校


のページがあるとすればそのページの中で



=採用教科書の出版社名一覧=


お金科目---日経出版
法律科目---有斐閣
思想科目---山川出版社
語学科目---東京書籍
理数科目---旺文社





みたいな感じで一覧表を表示するスペースを設けてね。大学の出版部刊行版の教科書、というパターンも良い、かもしれませんね。
18の続きになるかもしれませんが、語学に日本語と外国語を共存させた教科書を作るように、理科と数学、即ち「理数」の教科書、私は無理やり一冊の教科書の中に、理科と数学両方を採り入れる形式にするべきだ、とも思っていますね。例えば理数教科書が300ページだとするならば、1~149ページまでを理科、150~300ページまでを数学、みたいにするなどして、ね。とにかく無理やりにでも5科目という形式にして行った方が、教科書を、新5科目という概念にした方が分かり易いと思いますよ。この改革が。
繰り返しになりますが、お金法律思想はガチガチに入学試験、試験、考査をやり、語学理数は授業を受けるだけで試験を完全廃止、ですのでね。一つの例外もなく。全国の小中高全てが。
なんか最近また自民党が英語教育に関する顰蹙を買う改革をやったみたいですね。私はお金法律思想を義務教育化すべきだ、という主張をしている人間です。絶対に私のアイディアの盗作はさせないですよ。自民党には。ここにそうはっきり書いておきます。自民党さん、よろしくお願いしますよ。
私の改革案では、小学校一年生から語学科目を創設し、語学科目は授業を受ける事だけ義務化し、学校内での語学科目の試験を完全に廃止にする、ですから。よろしくお願いします。語学科目の試験は全て学校外の業者へそっくり丸投げする案です。
ちなみにここにも書いておきますが、「文部科学省」は「教育省」と名称を変更します。科学とかちっとも科学的でない名称は廃止にし、代わりにも「教え育む」、という優しさを感じさせる名称に変更にします。よろしくお願いいたします。市民社会党の政策です。

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