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飛鳥昭雄コミュのカッバーラ探求

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最近mixiを始めた新参者で古幸徳と申します。
このコミュニティはとてもレベルが高くてすばらしいと感じましたのでよろしければ参加させてください。
私は飛鳥先生の4番目の弟子です。

さてこのトピックを立てるに当たって日本古代史の物部氏のネタで始めさせていただきます。私についてもっとおしりになりたい方はこちらをごらんください。http://da-vinci.seesaa.net/

『記・紀』神話の「神武東征」説話では、神武軍が「熊野」から「ヤマト」へ出ようと山道を進みあぐねていたとき「高倉下(たかくらじ)」と「八咫烏」が現れたとあります。彼らは葛城地方の土豪であった可能性が高いです。

『山城国風土記』や『新撰姓氏録』『古語拾遺』などによれば、「八咫烏」は加茂の祖加茂建角身(かもたけつのみ)の化身であったといいます。つまり八咫烏は加茂氏の祖先であり、さらに明確に言うならばいくつかの系統がある加茂氏のうち、山城国葛野(かどの)の鴨氏が八咫烏の子孫であるということです。

ではつぎに高倉下について見てみましょう。まず記・紀の叙述を詳しく見てみましょう。神武東征の折りに現在の熊野の辺りで、突然大きな熊が出てきて、すぐさま消え失せてしまいました。その姿を見た神武天皇とその軍隊は、熊の毒気に当たって昏睡状態に陥ってしまいます。その時、熊野の土豪の高倉下が一振り剣を天皇に奉ると天皇は失神から目覚め、剣を受け取り熊野の山に住む荒ぶる神を切り倒しました。そこで天皇は高倉下に剣の由来を尋ねると、「夢に天照大神と高御産巣日神が建御雷神を召し出し、『葦原中津国は騒々しいため、神武天皇の群も芳しくない。汝降りて平定せよ』と命じたが、『私が行かなくとも、私が平定した剣があるので、それを降ろしましょう』といいました。」と高倉下は答えたのです。この剣は甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮の祭神となっているのです。
高倉下とは、神を祀る高い庫の主という意味と思われます。『先代旧事本紀』によると、高倉下は物部氏の祖神、饒速日命の子となっています。この神話は石上神社の神剣をもって神武天皇の御魂鎮(みたましずめ)(鎮魂儀礼)をはかったことを表現していると思われます。「高倉下」は葛城のオワリ氏の祖でもあります。これを信じるならば、尾張氏と物部氏は同属ということになります。

私は童謡「7つの子」の解き明かしから八咫烏とニニギノミコトの間になにか特別な関係があったのではないかと考えました。先代旧事本紀によるとニギハヤヒはニニギノミコトの兄ということになります。記紀によると天照大御神の子がであり、その子がアメノホアカリとニニギノミコトであるとされています。先代旧事本紀ではこのアメノホアカリとニギハヤヒが同一神であるとしている訳です。これならニニギノミコトは物部氏の祖神であるニギハヤヒの弟となり物部氏と強いつながりをもつことになります。
一方物部氏の祖先に高倉下がおり、彼らと八咫烏は熊野においてまるで連携するように神武天皇を助けています。やはり、八咫烏とニニギノミコトには特別な関係があるようですし、これは八咫烏と物部氏の特別な関係を表しています。

前にこのようなことを書きました。失われた十支族と秦氏は一緒に弓月国(クルジア)から朝鮮半島にやってきて、いっしょに日本に渡来した。そのいっしょに渡来した部族はスサノオに象徴される物部氏と八咫烏に率いられた秦氏の先発隊である葛城氏であると考えました。そしてその根拠として

・物部氏はまず北九州に漂着した。根拠は旧事記で32神と25部族の物部氏が渡来したことが記載されており、しかも彼らの名前がしるされていて、現代の筑紫地方に彼らの名前が地名として残っているのです。
・もっとも原始的な銅鐸北九州で発見され、その後大和でもっと発展した銅鐸が見つかっています。銅鐸は明らかに大陸文化と縄文文化の融合でもたらされたものです。
・そしてもっとも衝撃的なのが熊野神社は昔スサノオを祭ってたという事実です。熊野神社は八咫烏の根拠地であり、熊野神社がスサノオを祭っていたということは初めから、八咫烏様と物部氏は同盟関係にあったということが伺えます。さらにいうならば、イスラエルは12支族によって分割統治されていました。彼らは日本で同じことをしょうとしたのです。

 やはり、八咫烏と物部氏はともに日本に渡来したのではないでしょうか。記紀の編者がは天津神と国津神をごちゃ混ぜにして史実を抹殺し、古代の日本歴史を曖昧な神話にしてしまいました。なぜそんなことをする必要があったのか。新しい仮説を立てたいと思います。天津神とはイエスとその12使徒の子孫を意味し、国津神はイスラエルの支族や土着の豪族を表しているのではないか。そして国津神のなかでもイスラエルの支族は天津神に近く位置づけられているのではないかということです。


ニギハヤヒについてもう少し掘り下げてみましょう。ニギハヤヒをスサノオの子とする伝承もあります。ニギハヤヒはスサノオの第5子として、出雲の須賀の地で生まれました。若い時の名前を大歳と言いました。 京都の八坂神社には、「第5子大歳」と書いてあります。大歳が二十歳を過ぎた頃、スサノオが、これからいよいよ九州平定の計画を実行に移し始めたとき、この遠征に大歳を連れて行っているのです。父、スサノオから十種の神宝をもらって、そして、とうとう日本一の米の産地である大和平野へ乗り込んだ、というか、その時代まで、大和を制していたナガスネヒコという大和の原住民の妹の三炊屋姫(みかしぎひめ、別名:とみやのひめ)を娶ってニギハヤヒ尊は大和に乗り込んだのでした。ナガスネヒコは、戦わずして、ニギハヤヒの客分
として従属したのでした。 私はニギハヤヒは天照の子孫ではなく、スサノオの子孫とするこちらの伝承が正しいと思います。スサノオは新羅に降臨したとされます。物部氏は半島を経由してやってきたスサノオの子であるニギハヤヒの子孫だと思われます。

そして物部氏に関して特筆すべき事柄があります。それは彼らが十種神宝(とくさのかんだから)を所持していたということです。十種神宝の法は神道最大の秘術と言われているのです。十種神宝は澳津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死反玉(まかるがえしのたま)、足玉(たるたま)、道反玉(ちがえしのたま)、蛇比礼(へびのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物蜂比礼(くさくさもののひれ)があります。

十種神宝の法は十種神宝を使い「ひと、ふた、みよ、いつ、むゆ、ななや、ここのたり。ふるえ、ゆらゆらとふるえ」と唱えれば死者も蘇るといわれました。

ちなみにひぃ、ふぅ、みぃという数え方はそもそも天照大御神が天の岩戸に隠れたときに神々が唱えた祈祷文だったのです。日本語の祈祷文は次の10の音からなります。
「HI、FU、MI、YO、ITSU、MU、NANA、YA、KOKONO、TOWO」
これは日本語では全く意味がわかりませんがヘブライ語では次のように訳されるそうです。
「誰が、そのうるわしめ(女神)を出すのやら。いざないに、いかなる言葉をかけるやら」

 つまり十種神宝の法は太陽の神の復活の儀式だった訳です。そしてこの十種神宝は生命の樹の10のセフィロトに対応するのです。つまり、十種神宝の法は生命の樹に象徴される神殿の儀式が伝承されたものだったのです。

コメント(13)

ついに掴んだ八咫烏様の正体!!

お正月の自由な時間を利用して、古語拾遺という本を研究していました。私は古典が苦手なので四苦八苦でした。(こんなことなら高校時代もっとまじめに勉強しておくのだった。)そして私が捜し求めていたことを見つけることができたのでみなさんにお伝えします。

 まず、この古語拾遺という奇妙な題をもった本のいわれは斎部広成(いんべ ひろしげ)という人が平城天皇からの依頼を受けて「古語の遺(も)りたるを拾う」と題して807年2月13日に撰上した書であるとのことです。この「古語の遺(も)りたるを拾う」とはどういう意味かといいますとまず、古語というのは昔から口伝で伝えられてきた神代についての伝承のことです。なぜ口伝だったのかというと二つ説があり、1つは文字がなかったから、もう1つは昔の人は神聖な神代の伝承を文字に残すことを嫌ったからという理由が考えられます。近年、漢字伝承以前にも、日本には文字があったとする説が有力になっていることから後者が正解だとかんがえられます。ならば、これはまさにユダヤのカッバーラとそっくりです。ユダヤ人は古来、知識の漏洩を恐れて、もっとも神聖な知識は選ばれた者のみに口伝で伝えた訳です。その知識をカッバーラと呼びます。さて「古語の遺(も)たるを拾う」にもどりますが「古語の遺(も)りたる」とは古来からの伝承のうち古事記や日本書紀などからもれてしまったもの、つまり書かれていないことを拾う、つまり取り上げて本にしましたということで、まさに忌部氏に伝わるカッバーラの部分的公開だった訳です。

さてこの古語拾遺の中に忌部氏の祖神についての記述がありますので引用します。

其の高皇産霊神(たかむすびのかみ)〔御存知の通り、原初三神の一神です。〕の生みませる・・・・・・・男の名は天太玉命(あめのふとたまのみこと)〔天照大御神が天の岩戸に隠れた時に、祝詞(のりと)を唱え天照大御神を引き戻した二神のうちの一神で忌部氏の祖神。ちなみにもう1人の神は天児屋命(あまのこやね)であり、こちらは中臣氏の祖神。こういう訳で天皇家の祭祀は忌部氏と中臣氏にまかせられたのです。〕(斎部宿禰が祖なり。)太玉命の率たる神の名は天日鷲命(あめのひわしのみこと)(阿波の国の忌部等が祖なり。)手置帆負命(たおきおひのみこと)(讃岐国の忌部が祖なり。)彦狭知命(ひこさしりのみこと)(紀伊国の忌部が祖なり。)櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)(出雲の国の玉作が祖なり。)天目一箇命(あめのまひとつのみこと)(筑紫・伊勢の両国の忌部が祖なり。)

ということで、忌部氏が過去に日本中に分布していたことに驚かされます。そして押さえておきたいのが玉作というのは出雲の玉作氏のことでこの文からも玉作氏は忌部氏の支族であると考えられます。さてここで問題になってくるのが櫛明玉命(出雲の国の玉作が祖なり。)です。日本書記によると天照大御神はニニギノ尊に三種の神器を与えた後、ニニギノ尊は地上に降臨する訳ですがその際に五部神と呼ばれる5人の神を随行しています。天児屋命(あまのこやね)と天太玉命(あめのふとたまのみこと)は祝詞を奏上する役、天細女命(あまのうずめ)は神懸かって神託を告げる役、そして櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)は祭器である勾玉の製作者、石凝姥命(いしこりどめ)は祭器である鏡の製作者です。

私は3種の神器のうち特に重要なのが八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だと考えています。なぜなら他の二器が神社に祭られているのに対し、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だけは常に天皇陛下が保持されているからです。

 さて、櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)についてさらに知る為には櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)が祭られている神社の社伝を調べればよさそうです。そこで櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)を祭っている玉祖神社の社伝を調べると櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)は別名玉祖命であり、三種の神器の一つである八坂瓊曲玉を造られたとあります。又さらなる別名として羽明玉命、豊玉命、玉屋命とも称するとのことです。

 ここで私ははたと思い当たることがありました。ひとつは三種の神器を作ったのは忌部氏である可能性が高いということ。そしてもっと重要なことがあります。以前から加茂氏の先祖は八咫烏であると書いていますが、具体的な記述として新選姓氏録には加茂氏の祖神である鴨建津之身命(かものたけつのみのみこと)が大烏(八咫烏の長)に変化したという記述があります。鴨建津之身命の父親は天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)です。玉作氏の祖神、櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)と加茂氏の祖神、天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)。そっくりな名前です。そこで天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)を祭っている櫛玉命神社の社伝を調べると天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)の別名は櫛玉命,櫛玉姫命,天明玉命,豐玉命。櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)の別名は玉祖命、羽明玉命、豊玉命、玉屋命でした。比べてください。両方に豐玉命の名称があるではないですか!!つまり櫛明玉命=天櫛玉命となり、加茂氏の祖先、八咫烏は忌部氏の支族である玉作氏と同族だと考えられるのです。簡単に言えば忌部氏=八咫烏=加茂氏です。この視点で天皇家を見ると随分いろんなことが浮かびあがってきます。

加茂氏の祖先、八咫烏は忌部氏の支族である玉作氏と同族である。この説を古幸徳独自の説として正式に発表します。古幸徳独自の説と書きましたが私の説はあくまで飛鳥先生の研究の土台の上に成り立っていることを付け加えておきます。
さて、忌部氏=八咫烏=加茂氏という結論に至りました。この結論に至った鍵は忌部氏の支族である玉作氏の祖神、櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)=玉祖命=羽明玉命=豊玉命=玉屋命。加茂氏の祖神、天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)=櫛玉命=櫛玉姫命=天明玉命=豐玉命であることから櫛明玉命=天櫛玉命となり、忌部、賀茂も両氏が共通の祖神をもつと考えられることから忌部氏=八咫烏=加茂氏という結論に結びついたのです。
しかし、この話はこれでは終らないのです。物部氏の祖神は饒速日命(にぎはやひ)です。籠神社に伝わる伊福部臣の系図によれば大己貴命の第八代に櫛玉饒速日命の名が見えます。あれっと思われませんでしたか?饒速日命に櫛玉がついています。櫛玉饒速日命では櫛明玉命=天櫛玉命にそっくりです。そこでもう少し調べてみることにしましょう。困った時は神社に聞けです。奈良県北葛城郡河合町の廣瀬神社(ひろせじんじゃ)の社伝によるとこの神社の相殿に祭られている櫛玉命とは、饒速日命のことであるとのことです。ちなみにこの神社を守る社家である樋口氏は饒速日命を祖神とする物部氏の末裔であり、社家の邸宅内には饒速日命を祀る境外末社・饒速日命社があるそうです。あなたの周りにいる樋口さんは物部氏の末裔かもしれませんよ。話がずれてしまいましたが、分かったことは饒速日命=櫛玉命。櫛玉命=天櫛玉命=櫛明玉命ですから、物部氏と忌部氏と加茂氏は同じ祖神をもつことになります。
 さらに、饒速日命には正式な名称があります。『先代旧事本紀』によると、饒速日命はアメノオシホミミの子でニニギの兄であるアメノホアカリと同一の神であるとされ、その名を「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)というとあるのです。飛鳥先生はこの事実から
 「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」
=「天照国照彦(あまてるくにひこ)」「天火明(あめのほあかり)」「櫛甕玉(くしみかたま)」「饒速日命(にぎはやひのみこと)」
=「天照国照彦」=「天火明」=「櫛甕玉」=「饒速日命」
=「天照大神」
という明快な解き明かしをされています。こうして神々は唯一絶対神に収斂されていく訳ですが、この日本という国には二重、三重の仕掛けが施されているようですね。あくまで飛鳥先生のこの結論に基づいた上でさらにかくされた秘密をさぐっていきましょう。
物部氏と忌部氏と加茂氏は同じ祖神をもっています。しかもその神は天照大御神と言うのです。これはどういうことでしょう。さて『先代旧事本紀』では同一人物とされていた饒速日命とアメノホアカリでしたが『新撰姓氏録』では饒速日命は、天神(高天原出身、皇統ではない)、アメノホアカリは天孫(天照の系)とし両者を別としています。
 頭の中がどうかなってしまいそうですが、この謎解きに挑戦しましょう。まず、『新撰姓氏録』では饒速日命は、高天原出身ではあるものの皇統ではないとされます。これを私流に解釈すると物部氏はイスラエル(高天原)出身ではあるもののイエス・キリストの子孫(皇統)ではない。しかし、反面物部氏の神である饒速日命はまたの名を天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命といい、天照大御神=イエス・キリストである。また物部氏の最大の特徴は彼らが祭祀集団であり、神道の中心となる祭祀を護持していたということです。その最も重大な祭祀は十種神宝の法であり、これはイスラエルの神殿の儀式に相当します。そして、忌部氏も、加茂氏も祭祀集団であり、忌部氏は三種の神器を作ったと考えられます。これをイスラエルの神殿に対比させるとまさに神殿の至聖所に安置されたアークの中にある三種の神器です。また忌部氏は八咫烏、加茂氏と姿を変えながら常に天皇を護持してきました。私の結論は物部氏はレビ族を中心とするイスラエルの十支族の末裔、忌部氏=八咫烏=加茂氏はイエス・キリストの子孫(天皇家)を護持するイエスの12使徒の末裔と考えられます。いずれにしろ彼らの神は天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命=天照大御神=イエス・キリストだったのです。
古幸徳さん

こんにちは、初めまして^^
私も古くからの飛鳥昭雄ファンの一人です^^
非公式ながら元飛鳥先生正式HP管理者シグマ氏から、飛鳥昭雄グッズコレクター?の称号を頂きましたw

カッバーラ系は難しくて理解しにくいですが、好きなジャンルです。
また時間を見てじっくり拝見しますね。
以後宜しくお願いします。
物部氏が太陽の神の復活の儀式である十種神宝の法を保持していた祭祀一族であったという結論にたどり着きました。では、彼らはなぜそのような秘法を保持していたのでしょうか?私はその答えを出雲大社に見いだしました。出雲大社には大国主大神が祭られています。大国主大神は大国主命(おおくにぬしのみこと)ともいいます。さて、物部氏の祖神は饒速日命(にぎはやひのみこと)です。では饒速日命(にぎはやひのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)の関係はというとこれが一筋縄ではいかないのです。今回はそこは一時おいておいて大国主命(おおくにぬしのみこと)も物部氏の祖神という前提で話を進めます。

さて、出雲大社を他の神社と差別化する最大の特徴を挙げよと言われたらみなさんは何をあげるでしょうか。私はかつて出雲大社が高層建築だったことを挙げたいと思います。「金輪御造営差図」というものがあります。これは古代出雲大社の建築平面図として伝わってきたものです。しかしあまりに異様なスケールに、どちらかといえば信憑性が疑われてきました。なぜなら、柱の太さが1丈(3m)もあるのです。9本描かれている柱のそれぞれは、3本の木を金輪(鉄の輪)で1つにたばねてあるのです。神道において、柱は神を意味しますので、3本の柱が束ねてあるということは3人の神が1つの神会を構成していることを意味します。

そして古代の出雲大社は高層建築でした。その根拠として平安時代の書物『口遊(くちずさみ)』が挙げられます。その中で、全国の大きな建物の順として「雲太、和二、京三」と記されています。これは出雲太郎、大和二郎、京都三郎のことで、それぞれ1番出雲大社本殿、2番東大寺大仏殿、3番京都大極殿を指しています。出雲大社は日本で1番の建物と記されているのです。当時、東大寺大仏殿は棟高15丈でしたから、この記述が正しければ16丈の高さもおかしくはないということになります。工学博士・福山敏男と建設会社・大林組プロジェクトチームは古代出雲大社の復元シュミレーションに取り組みました。歴史的背景はもちろん、建設に関わる綿密な検証による復元シミュレーションです。その結果、壮大な柱の列を見せて16丈の古代出雲大社が姿を現したのです。少なくとも技術的には、16丈(48m)の高さが可能なことが実証されたのです。


出雲大社では、地下祭礼準備室の建設計画にともない、平成11年9月から建設予定地の発掘調査を実施しました。そこで驚くべき発見があったのです。3本をたばねて1本とした巨大な柱の根本部分が見つかったのです。1本の木の直径が約1.3mで、3本をたばね1本とした直径は約3m。まさに『金輪御造営差図』の通りです。さらにその後の調査で、心御柱(しんのみはしら)ともう1本の側柱(がわばしら)が出土しました。どちらも3本の柱材をたばねて、1本の巨大な柱としています。
高さ48mと伝えられる『金輪御造営差図』の建築のありさまが、具体的な姿として表したのです。実際に16丈の本殿があった可能性がきわめて高くなりました。

さて、話はここからが本題です。数ある日本の神社の中でなぜ出雲大社だけがこのような高層建築にしなければならなかったのでしょうか?国内で神道をいくら研究しても満足な答えは得られないでしょう。しかし、意外なところに答えを見いだすことができます。それは旧約聖書ヨシュア記22章10節です。「ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、カナンの地にある、ヨルダン川のほとりの地に来た時、そこ、ヨルダン川のそばに1つの祭壇を築いた。それは大きくて遠くから見える祭壇であった。」これはイスラエルの12支族の土地分割の際、ヨルダン川の東側に分けられたルベン族、ガド族、マナセの半部族が独自に築いた幕屋であると考えられます。なぜならば、西岸の部族達がルベン族、ガド族、マナセの半部族が別の神を礼拝し始めたのではないかと心配した時に、ルベン族、ガド族、マナセの半部族の説明を聞いて満足したとあるからです。つまり東岸の部族もイスラエルの神を礼拝していることを、西岸の部族に知らせる為に高層神殿を造った訳です。この後もルベン族、ガド族、マナセの半部族は強いつながりを持ち続けたと考えられます。そして彼らは出雲に入って高層建築である出雲大社を建立したのです。つまり、物部氏の祖先はルベン族、ガド族、マナセの半部族と考えられる訳です。
ぐっちいさん、お知り合いになれて光栄です。
これから同じ飛鳥ファンとしてよろしくお願いします。
今回はスサノオの続きの予定でしたがおもしろいネタが入りましたので、そちらに変更させていただきます。

皆さんは象徴学というという言葉を聞いたことがあるでしょうか?実はカッバーラにとってこの象徴というのは非常に重要な意味を持ちます。カバリストにとって命とも言えるのが神から与えられる啓示です。そして啓示は心と精神そして霊に働きかけます。象徴は言葉では伝えられない神聖な知識を直感、言い換えるなら精神に伝える働きがあります。

例えば世界で一番有名な象徴と言えるかもしれないダビデの星。またの名を六芒星といいます。これは二つの三角形が重なって出来ています。カッバーラにおいて三角形が意味する物は、天上の3神(天父、御子、聖霊)であり、三角形は最も完全な形とされます。さらに上向きの三角形がアルパつまり始まりを意味するのに対し、下向きの三角形はオメガつまり終わりを意味します。日本風に言えば陽と陰、阿と吽と言えます。

つまり、ダビデの星は始まりにして終わり。つまり創造神を意味します。さてここから今回の本題です。では四角は何を意味するのでしょう。カッバーラにおいて四角は正確さを意味します。さらに言うならば正確さ=神の律法=神聖さと言えます。さて今度は四角形を二つ重ねてみましょう。続きを読んでくださる方はhttp://gekiyasu.nu/をごらんください。
まさーん さんおっしゃる通りです。ただそこら辺になってくるとカッバーラが赤信号を点滅し始めます。あまりにも神聖な知識だからです。まさーんさんは非常に高い知識をお持ちだと思います。

さて今日はヤマタノオロチについて書きます。
まず、スサノオに関する記紀の記述を箇条書きにしてみましょう。
・ イザナギが黄泉の国から戻って禊を行った際、鼻をすすいだ時に産まれたと。
・ 日本書紀ではイザナギとイザナミの間に産まれたとしている。
・ イザナギは、天照大神に高天原を、月夜見尊に夜を、スサノオに、海原を治めるようにいった。
・ スサノオは高天原に滞在したが、そこで粗暴な行為をしたので、天照大神は天の岩屋に隠れてしまった。そのため、スサノオは高天原を追放されて葦原中国へ降った。
・ 葦原中国のある出雲の鳥髪山(現;船通山)へ降ったスサノオは、その地を荒らしていた八岐大蛇(八俣遠呂智)を退治し、八岐大蛇の尾から出てきた天叢雲剣を天照大神に献上した。
・ スサノオは、八岐大蛇に食われることになっていたクシナダヒメを妻として、出雲の須賀(すが)の地へ行きそこに留まった。
・ 『日本書紀』の一書では、高天原から追放されたスサノオは、新羅に降り、「私はここには居たくない。」と言い息子の五十猛尊(イソタケル)と共に土船で出雲へ渡ったとある。
聖書と比較すると天に住んでいた高い位の神が地上に追放される下りは天使ルシファーが天から追放されて地上にくるくだりと似ています。つまりスサノオ=ルシファーと言えるでしょう。しかし、スサノオ=ルシファーと言い切れないのは彼が心を入れ替えてヤマタノオロチを成敗した所です。
さて、また聖書と比較しましょう。聖書に無視できない成句があります。見よ。火のように赤い大きな竜である。これには7つの頭と十本の角があって、その頭に7つの冠をかぶっていた。
この聖句において7つの頭はローマ周辺の7つの丘、7つの冠はその丘にたつ七聖堂を意味します。10本の角は権力者を意味します。さてこののち竜はミカエルとの戦いに破れ、地上に投げ落とされるのです。さてここから新説を発表しましょう。なぜ竜は七つの首でないといけないのか?なぜヤマタノオロチは八つの首なのでしょうか?
カッバーラの中心に生命の木があります。この生命の木こそがカッバーラの全てを表しているといっても過言ではありません。生命の木には反対の物があります。生命の木が人間の霊的な進歩成長を表す物であるのに対して、死の木は人間の霊的な堕落を表しています。
つづきを読んでくださる方はhttp://gekiyasu.nu/をごらんください。
カッバーラの中には五芒星、六芒星、さらに七芒星、八芒星なんかもあるので逆に三芒星、四芒星なんかもあるだろうと作ってみました〜(いいのかな〜w)

一芒星、二芒星なんてのは不可能みたいですがw
で、作ってみると三芒星は唯の正三角形になるんでしょうか?…
三芒星なのでトリグラムとでもいうのでしょうかね。
でも芒星らしくそれぞれの辺の中心を結ぶと下向きの三角形が一つと上向きの三角形が三つで計4個の正三角形ができあがります。こうなると三芒星の中にも陰と陽があるみたいですね。そしてやはり上向きの三角形は3つとなって絶対三神を表しているかのようです。では下向きの三角形はルシフェルかなんかですか!?ちなみにこの下向きの三角形を大きくしてみると六芒星ができあがります。
またそれぞれの辺に逆向きの正三角形をくっつけてみると今度は下向きの三芒星(正三角形)が出来上がります。そのようにそれぞれの辺に三芒星(正三角形)を足していくとさながら万華鏡のように陰陽を反転させながら(上下に向きを変えながら)永遠に拡大していくでしょう。まさに三という数字はすべての始まりであり創造の始まりなのではないかと感じられます。
天の父が霊を創造し、御子が物質界を創造したのなら聖霊もまた創造の業が残されているのでしょうか?

それから四芒星(テトラグラム)ですが、どうも十字架になってしまうようです。この絵では十字手裏剣のようですね。別名をクロススターとも言い、一応存在してるようです。
4という数字が東西南北を表し、限りあるこの世を示すように十字架もまた死を表し、陰の象徴でもあるのでここでも死と四の類似性が感じられますね〜
ちなみにもう一つの絵は四角の辺の三角形を二等辺三角形にしてみたものです。つまりこれまた四芒星というより正四角形になってしまいます。
真ん中の四角を中心に絶対三神を表す三角形がくっついてる様はまるでケルビムのようですね〜
真ん中の四角を大きくすると八芒星にもなりますね。
これもまたそれぞれの辺に同じ二等辺三角形をくっつけていくと正四角形が陰陽(辺が東西南北を向いているのが陽なら角が東西南北を向いているのが陰ですかね)を繰り返しながら無限に大きくなっていきます。まさにケルビムですね。

なんかおもしろそうなので作ってみた次第。

ところで今日は飛鳥先生のお誕生日ですね!
(^-^)ノ∠※PAN!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*オメデトウゴザイマス*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*
三芒星というのは結局ピラミッドアイのことを指しているのかもしれませんね〜
つまり真ん中の下向きの三角形は神の左目であり、フリーメーソンで言うルシファーの眼であり、鏡像反転しないと逆さまのままで本来の姿を表さない逆木ではないかと。
またセフィロトでいうと上向きの三角形がケテル、コクマー、ビナーであるなら下向きの三角形はダアトであり神界へ通じる門を表しているとも思える。そして下向きであることから同時に鏡像反転しないとそのまま下へ向かって落ちていく死の樹にも通じているように思えますね〜
三芒星を立体化してみると4という数字が見えてきます。ピラミッドというのは前後左右どこからでも三角ですが上から見ると四角形になります。正三角形で作った正四面体もそれぞれの面は三角ですが4つあります。
つまり世界は日の栄と月の栄と星の栄の救いがあり、上向きの三角形を表し、また下向きの三角形で外の暗闇の存在も表しているのではないかと。そしてそれらは全て神の内にあるということですかね?
カッバーラにおいてヘブライ文字は大きな意味をもっています。

ヘブライ文字は右から左に書きます。א ב ג ד ה ו ז ח ט י כ ל מ נ ס ע פ צ ק ר ש ת
読み方と文字にあてはまる数字は順にא アレフ 1ב ベツ 2ג ギメル 3ד ダレツ 4ה へー 5ו ワウ 6ז ザイン 7ח へーツ 8ט テーツ 9י ヨーズ 10כ カフ 20ל ラメズ 30מ メム 40נ ヌン 50ס サメク 60ע アイン 70פ ぺー 80צ サーデ 90ק コフ 100ר レーシュ 200ש シン 300ת タウ 400

ヘブライ語でメシアのことを「משיח māšîaḥ [マーシーアハ]」と言いますが,このことばの数が「358」になります。「משיח」のつづりを数字としてよむと「מ(m)」は 40、「ש(š)」は 300、「י(y)」は 10、「ח(ḥ)」は 8 で、これを全部たしあわせると 40+300+10+8=358 だから、メシアの数は「358」ってことになります。こういうのをゲマトリアといいます。

たとえば、旧約聖書の『創世記』第49章第10節に、「王笏はユダから離れず/統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」という聖句があります。
この聖句を読むと王権がユダ族に伝えられていることがはっきりわかります。アブラハムの孫であるイスラエルの子供達の時代,それまで一つだった神権の鍵は二つにわかれ王権をユダが生得権をヨセフが継承したようです。
この「シロ」っていうのがちょっとナゾのことばで、いちおう土地の名まえだってことになってたりするみたいですが,そうだとすると「シロが来て」っていう訳はおかしいことになります。「シロが来て」のヘブライ語の原文は「יבא שילה yābhō šîlō [ヤーボー シーロー]」で、このふたつの単語をゲマトリアで計算すると、「י(y)」は 10、「ב(b)」は 2、「א(ʼ)」は 1、「ש(š)」は 300、「י(y)」は 10、「ל(l)」は 30、「ה(h)」は 5 だから、10+2+1+300+10+30+5=358 で,メシアの数とおなじなります。だから、「シロが来て」っていうのは「メシアが来て」ってことだっていう解釈になります。さらに、「王笏はユダから離れず」っていうんだから、そのメシアはユダ族の子孫だってこともよみとれます。
続きはhttp://da-vinci.seesaa.net/?1299311519

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