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詩を書くのが好きな人コミュの疑問

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私は疑問でなりません。なぜ散文詩であると同時に叙事詩や物語詩という形態の詩がないのか 19世紀後半から実験的に生まれた散文詩はなぜ叙情詩ばっかりで散文詩叙事詩や散文詩物語詩を書こうとする試みがなかったのか。私が知らないだけで散文叙事詩や散文物語詩はあるのか。あったとしてもそれは詩的な小説で片付けられるのか?気になって夜も眠れません またみなさんの中に叙事詩や物語詩を書いている人はいますか?そもそも現代になって叙事詩や物語詩が書かれなくなったのも疑問でなりません。いろいろ考えすぎて最近眠れません。誰か意見のある人はお願いします。

コメント(2)

物語詩と呼んでいいかどうかは難しいところですが、物語の形態をとっている散文詩としては、粕谷栄市氏がお書きになっています。

叙事詩については、古代に書かれたホメロス叙事詩や、近代の、たとえば土井晩翠による「三国志」を扱った叙事詩のような、歴史を素材にしたスケールの大きい叙事詩は国内では読んだことがありません。

叙事詩となるとどこかしら劇的な部分があったり、神話的歴史的人物が作中主体として登場しますが、これらは、たいていその言語を使用している共同体内部では知られているのが前提の内容や人物です。したがって、これを詩の言葉で書いた場合、無意識的にであれ、読み手や共同体内部にナショナリズムを引き起こしかねない要素はあるかもしれません。ひとつにはそのような歴史に対する懐疑や反ナショナリズム的なところから、詩が書かれているからではないかと思います。

また戦後社会の進展にともなって、共同体意識は解体され多様化したので捉え方にも相違があり、「大きな物語」というものが詩として通用しなくなったと考えられるようになったのではないか。

さらに加えると、ある瞬間に立ち上がった詩情を、書く(「叙述する」)となると、そこに書き進めるという過程での時間の経過が入りこみます。起承転結は物語を構成する重要な要素で、しかしそれでは「瞬間」というものと乖離してしまうし、どちらかと言えば現代は「時間」というものも継続的なものとしてよりは、細切れに細分化され且つ分裂していると見る傾向のほうが強いのではないでしょうか。
その意味では、詩は物語を否定するといえなくもありません。

とはいえ最近では9.11(同時多発テロ)や3.11(東北大震災と原発事故)、中東やアジア内の緊張など、叙情の言葉が響きようのない圧倒的な現実というものがあるというのも事実なので、叙情から叙事へ向かう動きもあるかもしれません。しかしながら、ここでの叙事は、かつての叙事詩とは異なり、「大きな物語」になりえないものであると考えます。むしろ、そのような「物語」に収束されないものであると考えます(これは個人的にいえば、リアルを生きているということを物語にしてしまうのはまっぴらだからです)。

長文失礼しました。






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