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1976諫高卒業コミュの僕の髪が肩までのびて 1

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『序章』
僕の名前は高橋昌弘。通称“マーチン”。17歳、長崎県諫早市生まれの高校3年生。僕の田舎は人口9万人くらいの県の中央に位置する、のどかな田園都市である。どうしてマーチンかというと、僕の田舎では友達の名前の最後に“チン”をつけて呼ぶはやりがあって、“まさひろ”の“ま”に“チン“がついて出来た”あだな“だ。英語のMartinとはちょっと違うけど、幼稚園児の頃からこのあだなで呼ばれているため “高橋”と呼ばれてもピンとこない。
僕は小学6年生の時にビートルズの最後の新譜“レットイットビー”のシングル版をお年玉で買って以来、
サイモンとガーファンクルを経て、今はロックミュージックの虜になっていた。毎晩ラジオから流れてくるロックのサウンドにまわりの友人たちは夢中になっている一方、一応進学校にいる僕たちにとっては、来年の“大学受験”って奴が大きな悩みの種である。 
ある日、友人のひとりで1年の時同級生だったターボが、僕のところにやって来たところから、この物語は始まる。



『代役』  
      
いつもの昼休み。窓から吹き込む5月の風が気持ちいい。もうすぐ嫌な梅雨が始まる前に、すこしばかり幸せな気分にしてくれる季節だ。生徒たちは思い思いに時を過ごしている。宿題を写させてもらっている奴に、教室のすみに集まって“セブンティーン”を見ている女の子たち。豆単で一生懸命英単語を暗記しているガリ勉君。それらのクラスメートに囲まれて、僕は新刊の“ミュージックライフ“を読みふけっていた。ミュージックライフは僕らロック好きな少年達のバイブルだ。クイーンの記事を読んでいた僕は、人の気配を感じて目をあげた。そこにターボが立っている。ターボは理科系の3年9組で、そこは文科系の僕の3年4組と同じく国立系の大学を狙うクラスだけど、僕らは二人ともどちらかというと国立大学に行きたい訳ではなく、“どっかの大学に入ればいいや”ってノリである。ターボと僕は高校1年の時に同級生だった。運動神経に優れた奴だけど、体育会クラブが嫌いなのか、僕らと一緒に写真部に所属して昼休みにタバコを吸う仲間だった。女の子の間では、学年でも屈指の人気者だ。僕もターボも髪を伸ばして、学ランの下にはVANのTシャツやボタンダウンシャツを着ている。ズボンはスリムで、靴はリーガルのスニーカー。当然、襟のフックは外している。
ミュージシャン気取りのスタイルで僕らなりにツッパているつもりな訳だ。

コメント(94)

その9、読んだよ。
なんだか、かわいらしかねえ。

読みながら、顔がへらーっとなるよ。ふふふ。

ところで、四方堂って、紫芳堂じゃないかい?

あそこは昔和菓子屋さんで、「力久(りきひさ)」って呼んでいたよ、わたしたちは。
力久さんだから、カキュウになるんだね。
家をついだ力久くんは、うちの姉ちゃんの同級生やった。

リキヒサのマルボーロはおいしかったあ。

そのうち洋菓子を作り始めて、モンブランがびっくりする安さで、しかもおいしく、よく食べたよ。
シュークリームもね。

わたしはアーケードで育ったからねえ。

本田魚屋、本村くだもの屋、大島パン屋、峰松酒屋、坂本薬局、江口時計屋・・・、残っているのは何件だろうね。

中央軒のラーメンは、開店したときから知ってる。
あのまえは、来来軒というラーメン屋で、うちの姉ちゃんと同じ年のきれいなお姉ちゃんがいた。
名前ど忘れ。
で、中央軒の裏がうちの家とくっついていたから、台所から、「林さーん」と呼んだら、「はーい」と返事するという風で、台所からラーメン5杯もってきて、と注文してたのよ。
あまりにも身近だったから知らなかったけど、おそこはおいしいと評判なんだね。

ああ、なつかしい。
なつかしいとばっかり言っているけど、ほんとになつかしいよ・・・。
その9はちょっと照れくさかったけど、抜かす訳にもいかず。

四方堂は紫芳堂やったかね?
きっとそうだ。

一階はお菓子屋さんやもんね。今もそうかな?
オイもアーケードは近かったけん大体思えとるね。

キヨシヤ電器、山田衣料、古川楽器、大島文洋堂、、
立川塩屋、吉原金物、小林呉服店、岩崎電機(自伝に登場)、
木村かばん、福田うなぎ、平古場靴屋、、、

懐かしかろ?(笑)
岩崎電気屋の創業者は、うちのおじいちゃんを「にいちゃん」と慕ってたくらいで、我がファミリーとは親しかったのよ。

最初にうちのおじいちゃんに、電気屋を開かんね、と頼んだ人がいて、うちのおじいちゃんは商売ができん性格の人だったから、
「おいは商売にはむいとらんけん」と断って、そこでいつも一緒にいた岩崎のおじちゃんが、「そんなら、おいがすっけん」といって、あの店ができたのよ。

うちのおじいちゃんちもなくなったしね・・・。

さびしかあ。

あのアーケード街、裏に入ったら、それぞれの家がくっついていてさ、外から見たのと、また全く風景が違うんだよ。

貝田病院もうちとお尻同士がくっついていて、窓から、「貝田さーん」と呼べるしくみになっていたわ。

我が家は、アルプス・パチンコ、峰松酒屋、貝田病院、広渡さん、中央軒、江口時計屋と全部くっついていたよ。

わたしは従姉妹のえりちゃんと、おじいちゃんち、つまり原口はんやの2階から、アーケードを通る人を眺めて、楽しんでいた。

上空から見る神様の気分よ。

水害だけど、わたしは実はおろされるはずが、水害騒ぎで時期を逸したので、この世に生まれたのよ。

死者は700人くらいと思ってたけど、800人以上だったんだね・・・。

人生って、不思議だよね・・・、なんで私が私で、あなたじゃないかとか思い始めると、アタマがごちゃごちゃになるね。
shohojiの家の裏はそんな造りだったんだね。
貝田も懐かしい。どうしてるんだろ?

うちは、きまま食堂や中村餅屋と隣あわせで、そこの親戚の兄ちゃんとか、子供連中と窓から行ききしてたねえ。

>わたしは実はおろされるはず。
結構衝撃的なお話、、、。でも生まれてよかったよね。
水害の死者数は、ウエブサイトから引っ張ってきたけど、
一説には500数十人ってのもあるみたい。
うん、生まれてきてよかったよ。

生まれてきたから、生まれないはずだった、って言えるんだもんね。
おもしろいよね。

福田さえこさん、彼女にはすぐ上に兄弟がいたんだけど、水害のとき赤ちゃんで、お母さんがおんぶして水の中を避難していて、はっと気づいたら、背中の赤ちゃんは流されていなくなってたって。
残酷な話だよね。

やはり水害は、多かれ少なかれ、諫早の人間にはなんらかの影響を及ぼしているんだね。

紀元書房のおじさん、覚えている?
詩人で有名な人。

最初の奥さんも子供も全部水害でなくしたんだって。

それをうたった詩もあるよね。

うちは当時おやじが失業中で、生活のため、はんやの横で「梅園」という喫茶店をやってたのよ。
ま、わたしの生まれる前だから聞いた話だけどさ。

で、うちの母が言うには、その日は蒸し暑くて、たくさんその喫茶店で氷を食べていったらしいけど、その人たち、みんな死んじゃったって。
紀元書房のおじさんも家族で氷を食べていって、おじさんだけ生き残ったと。

おじさん、まだ元気かなあ。
アーケード街をまた復活させよう、という人が、なんかおもしろいこと思いついて、活気を取り戻せたらいいのにね。

世界で一番古いアーケード街っていうのが、ブリュッセルにあるよ。
1860年代のもの。
きれいなブティックが並んでいて、今も活気あるよ。
泥棒も多いけど・・・。
全体としてもすごくきれいで、上階はアパルトマンになっていて、やっぱり人が住んでいる。
芸術家とかがね。
あんな風に作り変えたら、また流行るかもね、栄町アーケード街も。
劇場つくってパフォーマンスやらせるとか、コンサートやるとか・・・。
言うは易し・・・、それにスポンサーがいないとね、こういうことは・・・。
紀元書房のおじさん、上村さんって言ったけ。
そんな悲惨な水害体験したのか、、。福田さえこのところも、、。
おじさん元気なのかな?辻クリーニングの横だったよね。

アーケード街は、諫早商工会議所の若い奴?なんかが提案して誰かが動かんとね。そもそも若い子がいるのかね。
パフォーマンスさせるってのはいいアイディアじゃない。

外国人なんかが入ってきて活性化するのも面白いかも。
でも観光資源がないのがちょっと苦しいよね。
紀元書房って、本諫早駅の前あたりで、古賀饅頭やも会ったね、角に。


けんじくんって、商工会議所でなかったかい?

>そもそも若い子がいるのかね

わはは。

>観光資源がないのがちょっと苦しいよね

うん、でも、諫早はいいところだよ、今にしてしみじみ感じる。
売り込むタネはいっぱいあるよ。
今流行のスロー・ライフよ。

ところで、「おろされるはずだった」って、軽く言うと、衝撃を受ける人もいるのだと忘れていた。ごめん。

うちの母が子宮が弱くて、上のふたりを母親のない子にしたくなくて、というのが理由だったのよ。
水害のせいで時期を逸して、予想通り子宮破裂、未熟児、親子ともども死ぬところだったのが、両方助かったのよ。
特に、私なんて仮死状態で、死んでいると思って放っておかれて、自力で息を吹き返したときは、みんなびっくりだったらしい。
「わあ、赤ちゃんも生きとった!!」
ってね。
だから、いつも、自分は運がいいと、もしかしたら、すごい人間かもしらん、と思ってたよ。
この年になってようやく、べつにたいした意味ないってわかったけどね。
よく、「ひねくれなかった?」って聞かれていたけどね、ひねくれるどころか、自慢だったのよ。

ね、マーチンも事故かなんかで、奇跡の生還じゃなかったっけ?
なんかそういう記憶があるけど・・・、間違いかな?
shohojiも記憶力がよかねえ。
2歳頃に、自宅の前の道路で、当時の3輪軽トラックに轢かれて
死にそうになったよ。”よう助かったね”って事情を知ってる人から
いつも言われたよ。
俺も運がいいと思ってたけど、最近はそうでもなかなって思う。
>俺も運がいいと思ってたけど、最近はそうでもなかなって思う

わはは。わかるよ。その気分。

わたしなんか、「奇跡の出生」だから、「自分は特別な人間に違いない」って思い込んでたもん、がはがはと照れ笑いしつぃまうわよ。

みんな一緒なんだよね、結局。

でも、ありがたいとこでござんす。感謝よ。
ヘー、shohojiさんも、マーチンさんも生命力が強いんだ。

マーチンさん
その9読みました。保健室のくだり、おなかかかえて笑ってしまいました。上別府センセもびっくりだったでしょうね。そういえば、センセの娘さんとは、2年の時同じクラスだっと思う。よく出てくる小林センセの娘さんとは、3年の時いっしょだったな。親が同じ学校にいるというのは、どういう気分なんだろう?私だったら嫌だろうな。 yuki
yukiさん、
上別府先生も小林君にも娘さんがいたね。親が学校にいるって嫌だろうね。
特に小林君は評判悪かったからあのおとなしい背の高い小林さんも
辛かったんじゃないかな。

保健室の話も殆どホントの話だからねえ。
整理して書いてみると、いろいろ面白いことがあったなあ〜って。
あまり過去を懐かしんでもしょうがないけど、いい思い出は取っておきたいよね。
>正林先生にもおこられたことあるなあ。服装違反でものさしでつつかれたよ。

うんうん、わたしなんて授業中よく怒鳴られてたよ。

「しょーほーじさーん、それは制服ではありませーん」って。

亡くなられたそうですね。

かよこさんが甲子園に行ったこと、忘れてた!!

そうだ、そうだったわ。
私の記憶違いかもしれないけど、3年生の時、小林さんがお父さんと一緒にドーナツ(?だったかな)を作ったって持ってきたことがあるような気がする。普段の小林先生とイメージが違いすぎて、みんな(と言っても、それをもらった数人だけどね)びっくりしました。味の方は、忘れましたが・・・。                            yuki
私の記憶違いかもしれないけど、3年生の時、小林さんがお父さんと一緒にドーナツ(?だったかな)を作ったって持ってきたことがあるような気がする。普段の小林先生とイメージが違いすぎて、みんな(と言っても、それをもらった数人だけどね)びっくりしました。味の方は、忘れましたが・・・。                            yuki
僕の〜最終章上げました。あ〜終わった。
諫早高校のコミュでお知らせしたら、一人から反応がありました。
もっと、御所院とかも記述すればよかったかな、、。
わあ、終わってしまった。
さびしかねえ・・・。続編を書いてくださいな。

その後のみんなのこと、とか。
青春パート2、待つ。

おもしろかったよ。
みんなを知っているし、場所もわかるし、声まで聞こえてきそうだった。

でもさ、こばんママさん同様、コンサートが記憶に全くないのよ。
なんで?
美術選択だったから???????

諫高コミュで反応した女の子のエピソードもおもしろかったね。
はるかアメリカで、珍しく出会った日本人が諫早の人だったって、おもしろいよね。
こばんママ、
どうもありがとう。でもおかしいなあ知らなかったなんて、、。(笑)
番外編だったんで、卒業アルバムには載ってないよな〜。

shohoji、
知ってる人が出てくるとそれだけでも面白いよね。
でもこれだけ書くのに相当時間かかっているから簡単に続きはできましぇん。(笑)

次回書くとしたら、大学時代に遊学したLAの話かな〜。
時系列で古い順に整理していかないと。(笑)
>大学時代に遊学したLAの話

これは知らない人が出てくるね。

たのしみ、たのしみ。

準備してくださいませ。
マーチンさん
いつの間にか、最終回になってしまってたんですね。お疲れ様でした。ホント、おもしろかったし、感謝、感謝です。

今日、グランドパレスの前を通っていたら、諫高同窓会という看板が目に入りました。それで思い出したけど、南条君からは、その後連絡ありません。電話の後、mixiのこと、もっと詳しく書いた手紙も出していたんですが・・・忙しいのかな?私自身も、最近、えらくばたばたしていて、その後、全然広げることができなくてすみません。 yuki
shohoji、
引退したら、もしくは僕の〜が間違って映画化になったら、
書きます。(笑)
とりあえず今の仕事を成功させないと、、。サラリーマンじゃないからねえ。

yukiさん、
おつきあいありがとうございました。
みんなに読んでもらって恥ずかしいやら嬉しいやら、、。(笑)
同窓会やりたいねえ。
>マーチン

とりあえず、今の仕事を成功させてください。
わたしは成功を祈らせてもらいやす。

ところで、みなさん、久本さんに手紙出して、10日はたったので、もう着いたんじゃないか・・・と思うんだけど、反応ないですね。
ネットつないでないかな?
せめて喜んでもらえたことを期待しますが・・・。

残念。

メンバーは何かの拍子に、ポコンと増えることを期待します。

「えーっウッソー」とかって、mixi内でばったり会うこともあるかもしらんしね。

ヴァーチャルだけじゃなくって、本当の同窓会やったら楽しいでしょうねえ。
マーチンの自伝小説が終わったら、やはりまた静かになってしまったね。

先日わたしのマイミクさんになったriceさん、なかなか魅力的なおじょうさんですが、彼女のお父さんの実家は、諫早の慶巌寺なんだって。
1年諫早で暮したそうです。
お父さんが亡くなって、住職は叔父さんだそうだけど、1年に1回は諫早に行くとのこと。

mixiって、おもしろい空間ね。
慶巌寺って本明川の道具屋旅館の近くだよね。

Mixiは確かに面白い空間だ。
その後メンバー増えないね、、。(苦笑)
そうそう、本名川沿い。

ほんと、静かだし、増えないねえ・・・(苦笑2)。
1年前のやりとり見てたらすごく面白い。

ところで、マーチンさんの日記はまだ残ってるのですか。

URLクリックしたら、なにやら怪しげなサイトに行ってしまうんです。

出来ることなら読みたい!
ほんと、マーチンの自伝小説、消えてるね。

ところで、マーチン、どうしてるかな?

おおがさんの登場を気づいてないみたいね。

メッセージ送ろうかな。
 マーチンの「僕の髪が肩までのびて」のサイトですが、ただいま閉鎖中です。本格的に、出版へ向けて、リテイク中みたいです。
 実は、この小説もどきを目にした元マガジンハウスのデザイナーがすごく気に入ってくれたみたいです。目黒の某インチキライブハウス界隈では、諫早弁と諫早バンドがブームになってます。
 その人のHPのhttp://www.mag-internet.co.jp/atalanta/の最近のダイアリーに諫早弁やマーチンの「僕の髪が肩までのびて」が登場しますよ〜。

 
>本格的に、出版へ向けて、リテイク中みたいです。

へえええ、すごいね。
>「僕の髪が肩までのびて」

早く読みたい!
>中野先生なつかしい!
前田せんせいと比較してたなあ。(発音とか・・・)

話がすごく前後しますけど・・・

私、受験で滑り止めというか、肝試しじゃない、度胸ためしのつもりで受けたある私立大学に落ちたんですよ。
それがすごいショックで・・・
その時、中野先生が「大我、落ちたのか・・・」ってなんともいえない表情で声をかけてくださったのを覚えてます。

前田先生は、卒業後ターミナルの前でばったり会って
「○○大学に行くのか、僕は○○大学に行って欲しかったな」なんてことを言われました。
もう入学を決めてたので今更何を、って思いましたけど。

授業中、白岩くんに向かって、「きみはシライワなのか、シロイワなのか、シライワってなんか下品な感じがするな」って言ってたのを覚えています。

でもいい先生でしたね。

あと、数学の峰せんせい、覚えてます?
当時独身だったので、見合いがどうのこうのとからかっていたなあ。
こばんママさん

おお!
ありました。
ありがとう!
>数学の峰せんせい

センセするのをやめられたそうです。
久本せんせいに聞きました。
「むいてなかったんだよな」
と、おっしゃっていました。
>数学の峰せんせい
「むいてなかったんだよな」


うーん、なんか納得。

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