彫刻家、岡崎和郎の作品と人物を語り、伝えるコミュニティです。
次世代へ正しく伝えることにより、現代のゴミの文化(岡崎さんの言葉)に隠れたこの宝石を拾い上げ、いっしょに学びましょう。きっと新しい世代の中にもうひとつの文化的宝石が生まれることにも繋がるでしょう。
岡崎和郎は1930年に岡山市に生まれ……
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今日も彫刻を作り続けています。
裸足で立った岡崎の『…………』を知ろうではありませんか。
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<……岡崎作品を見るときには、何かそれに似たものを感じるのである、いや、こじつけるわけではないが、世の中の現実状態がところどころ崩れていくときの、いくつかの認識の比重の変化、気圧、変化のようなものかもしれないけれど、寒冷前線の波打際で、たまらずに雪が降り出してきたような作品。……> 赤瀬川原平
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<ちょっと見には、その表現の「軽ろみ」によって、さしかけや庇にみえるかもしれないが、実は、本体である美術が腐食してしまって、「ひさし」でもつけないと倒れそうだというジョークでもある。庇を貸して母屋をとられる、というのはかなり実感のこもった文句なのだが、寝殿造の庇のように、母屋を完全にとりかこんで、ついに本体を無化してしまう長期展望をもった作戦の開始宣言といってもいいかもしれない。> 磯崎新
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<岡崎和郎は一種の哲学者であり、一種のユーモリストであるのだ、と思う。これを要するに、物思いと笑いのアーティストと言いかえてもよさそうだが、ニュアンスはすこしちがう。岡崎さんにはまず言葉の発想があり、それにともなうジョークの気分もある。岡崎さんの哲学では、たとえば物思いは物を思うこと、物について思うことであり、この「オブジェ思い」の過程には、たいてい言葉が介在する。それがまた、彼の作品のユーモアの起点でもある。>
巖谷國士
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岡崎和郎は一組の作品を箱におさめて
GIVEAWAY PACKと命名した。
物にひとつの道をつけてやる、
物にそれぞれの道をつけてやる、
それが彼自身のやりかた。
瀧口修造
困ったときには