言葉に頼るのが西洋人だとすれば、不可能であると知りつつテレパシーを夢想する(「長年夫婦やってきたんだから、わかって当然だろ。愛してるなんて言わせるなよ」と夫が妻に言っているシーン、ドラマでよく見かけますね)のが日本人。テレパシーなんてばかばかしい話ですが、「I Love You」(ほかならぬこの私があなたを愛しているのです)だなんて、いちいち主語を明確にして話さなくてもわかりあえたら、それが一番理想的だとは思いませんか?(こんな例を、恥ずかしげもなく使っている私。一人突っ込みの多い私は、間違いなく太宰の精神的兄弟です)