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「引き寄せの法則」研究会コミュの異常なほどの引き寄せ力です。

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ミレニアムという言葉は、9.11にかき消されて、すっかり死語になってしまったけれど、僕は1999年に、岸田秀先生に和光大学で出会ったときに、学長は千野栄一先生で、ミレニアムは1000年という意味だから、ちょうど「1000年で一番栄える学長」だなと思い、そのときに鈴木千沙絵と千麻優という芸術学部の学生コンビに出会い、二人とも千という字が名前にあり、「二人でちょうど西暦2000年だな」と思い、童貞を棄てて初体験するのはこの二人がふさわしいと思ったが、1999年の世紀末とミレニアムの予言は僕のことだったのか、やっぱり僕は仏陀の生まれ変わりだったのかと衝撃を受け、岸田秀先生はキリストの生まれ変わり、僕は仏陀の生まれ変わりということは、全世界の注目を集めて全ての発言と行動が監視され記録され盗聴され盗撮されていると思い、毎日何度も誰もしゃべらないオルゴールの音だけの電話がかかってきて、一人暮らししても母親に毎日電話する以外誰とも話せず、弟も公安警察に連行され電気ショックを受けて独房に隔離された為に恐怖でオナニーもセックスも出来ず童貞でうつ病で、家中の窓とドアの鍵が閉まっている確認するために、何をするにも10分しか集中力がなく、2000年からの一人暮らしで完全に孤独になり障害者になってしまった。
和光大学では、千野栄一、岸田秀、小森陽一、松枝到、前田耕作、西研、上野俊哉、野々村文宏、谷内田浩正、関根秀樹らに師事。和光大学の押井守監督と俳優の田中健の講演会に出席し、生で講演を聴く。辺見庸の公演は欠席。さらに和光ではアラーキーの講演もやっていたが、アラーキーといえばエロなので、童貞の僕には抵抗がありいけなかったが後悔する。2002年には西研先生に誘われ、明治学院大学のシンポジウムに岸田秀先生とともに出席。見田宗介、宮台真司、加藤典洋、橋爪大三郎らの講演を生で聴く。卒論は「現象学と本質」のタイトルで、岸田秀主査、西研副査で「優」の評価で大学八年目で卒業。学園祭では渋さ知らズのライブを体験。大学時代にローリング・ストーンズ、エアロスミス、U2、マイケル・ジャクソン、スティング、ビースティー・ボーイズのライブを体験。ピアノをピアニストの大南匠に師事。
さらに和光大学の千野栄一ゼミで、金築美和という人に合い、この人とは静岡県富士市の実家の近くの郵便局で、年末年始のアルバイトでも一緒だった。東京都町田市の和光大学の千野栄一ゼミでも「静岡県富士市から来ました。金築美和です。」と自己紹介していた。東京の大学のゼミと、富士の郵便局のバイトの両方で一年中合うなんて、運命的なスピリチュアルな体験で宿命の人かと思ったが、岸田秀先生の「人間の本能は壊れている」と言う教えを守り、この人とも何もなかった。
さらに、サンフランシスコにホームステイしたときに、ロスのディズニーランドにツアーで行ったときに一緒だった日本人の女の子に、日本に帰ってきたときに小田急町田駅で「馬場君!」と呼び止められ、ばったり出くわした。
地球の裏側であった人に日本でも出くわすなんて、なんて不思議なんだろう、彼女には運命の出会いだと思われたかもしれないが、僕は何人もこのような出会いをしていても、岸田秀先生の「全ては幻想」と言う教えを守り童貞を守ってきた。
さらに和光大学上野俊哉ゼミでは鎌川愛という人がいて、この人とも恵比寿駅でばったり出くわした。
しかし大学8年目で卒業した後も何とか自立して彼女を作ってセックスしたいと思ったが、就職氷河期のワーキングプアとネットカフェ難民のさきがけで、塾講師とウェイターのアルバイトをしたが、給料が月4万円が最高で、ボーナスももらったことがなく、年収50万にいったこともなく、社会保険庁に障害診断書を申請してから何年も年金給付まで係り、それでも一年で100万円ももらえず、そこからさらに病院代と薬代と保険証代が取られ、生活は苦しく先の見通しは立たない。
親にも障害者として認めてもらうまで何年もかかり、説教をされ続け、岸田秀先生に『日本がアメリカを赦す日』英訳アメリカ発売に協力をと言われ、全世界を救い、日本の国益を守り、売国勢力に騙されないように全世界に発信してきて成功して、岸田掲示板は馬場で持っていると言われてきた。
しかし、いたずらに日本の矜持を重んじる内的自己の立場でアメリカを倒すのではなく、またいたずらに卑屈にアメリカに媚びる外的自己の親米でもなく、アメリカのインディアン虐殺のトラウマから今の911自作自演テロの真実までを暴き、そのトラウマに向き合ってもらい、本当の意味でアメリカの病理を直してもらい、その上で日本がまったくアメリカに媚びることなく、日本の矜持も重んじて、対等にアメリカと親交を深めたいと言う親米という立場を目指している。

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1998年に和光大学で上野俊哉ゼミに入り、初めて音楽に詳しい人に僕の音楽の詳しさが評価されるチャンスが訪れ、サンフランシスコにも語学留学して僕の洋楽の知識が通用することが分かったが、音楽の知識だけで、僕のミュージシャンとしての実力を知らない上野先生には、「ミュージシャンは無理だよ。それより勉強しなさい。」と言われ傷つく。

僕は幼い頃から母にピアノを習っていて、高校も吹奏学部でトロンボーンを吹いていて、トロンボーンよりもギターがやりたかったのだが親と部活の方針で辞められず大嫌いだったのだが、それでもピアノはソナチネ、ツェルニーやジョージ・ウィンストンやアンドレ・ギャニオンやサティやショパンが弾けたのだが、今では一年に一回くらいしか昼間おきて練習することが出来ず、10年前よりもピアノもギターもトロンボーンもはるかに下手になっていて、ついにアメリカの CDBabyでアーティスト契約ができるようになったけれど、今の僕にアーティストとして何が出来るのかわからない。

どうせ今のようにアメリカでアーティストデビューできるようになるのなら高校時代からの全米No1アーティストになるという夢は単なる誇大妄想としてあきらめずに初心貫徹していればよかったのだが、1999年から4年間大学を留年しその間岸田秀先生に「人間の本能は壊れている」「日本はアメリカの属国」「人間は家畜」「日本人は分裂病」「全ては幻想」と教わり、その間親に実家に引き戻され、富士から町田まで、原付バイクと新幹線と横浜線と小田急線で通学しなければならず、さらに精神病で富士の近場ではなく、親の方針で東京の狛江の慈恵医大第三病院まで通院しなければならず、さらに卒論は『日本がアメリカを赦す日』をアメリカで英語版発売する岸田秀先生に提出しなければならず、さらに全米でミュージシャンデビューの夢の妨害をされ続けてきた。

さらに母は居間で英語教師とピアノ教師をやっていてその間音を出せず、弟は大学時代2回も精神病で入院し休学していたので僕が送り迎えをしなければならず、さらに大学卒業後実家に戻され東京進出をあきらめ、働かざるもの食うべからずで、就職氷河期のアルバイトで塾教師とウェイターでも、家中の皿洗いと洗濯を全自動洗濯機ではなく二層式の洗濯機で任され、父が退職するまで、なぜか父のうんこのついたパンツは分けて洗いなさいと言われ、父は退職するとちゃんとケツを拭くようになって、とたんに全自動洗濯機に買い替え、自分で洗濯するようになった。

弟は新幹線通学で僕が送り迎えをした甲斐があって、2回も休学したが無事卒業し、AIGに就職したため今度は弟は車を使い始め、僕は富士山の山奥から出られなくなり、AIGをリストラされると今度はゴミ収集場に就職し、毎日作業着を着て不潔な仕事をしてる彼と同じ風呂に入るとなんか不潔な感じがするのだが、僕より精神病がひどかった弟が見事に立ち直ったのに僕はアルバイトも首になって何をやっているのかと父と弟が二人で説教してくる。

そして家では身長180センチの父と弟よりも背が低い170から176センチを猫背で伸び縮みする僕が格下に思われているが、岸田秀研究室ホームページでは長い間僕が岸田秀の後継者とみなされ、僕にアメリカのブッシュ政権のイラク戦争に反対する義務があると誤解され、実際何年も学術的な英文の引用を掲載し続け、また日本語で自分の主張もし、全世界に発信し、自分のマイスペースでも日本とアメリカの世論に働きかけ、それらの義務を果たしてきたのだが、何の契約の報酬もなく、親にも知られず何も認められていない。

僕は岸田秀ゼミよりも上野俊哉ゼミの人なのに、上野俊哉のブログも掲示板もなく、岸田秀の後継者だと誤解され、思想家よりミュージシャンを目指しているのに、5年以上間接雇用され、僕が呼び出され、ブッシュ政権は間違っているのか小泉改革はどうなのか僕の意見が求められ、なぜ僕一人が岸田掲示板で答える義務があるのか分からないが、なぜかアメリカでも英語版で『日本がアメリカを赦す日』を発売した岸田秀への質問に対して僕が答える義務があるらしく、そんな重責に何年も晒されてひどいうつ病になり、昼夜逆転し、結局何の収入も報酬もボーナスも仕事も地位もなく、アメリカの政権交代も達成したが、僕はまた一からミュージシャンを目指さなければならない。
まず、日本が侵略国家と言うのは濡れ衣という点について、マクロで長期的には英米に嵌められたいう点でそのとおりだと言えるが、短期的に現在は当てはまらず、単なる言い訳としかいえないだろう。

長期的なマクロな歴史の視点では、日本は幕末にロスチャイルド、サッスーン財閥の英米の手先となった長州、薩摩に倒幕をされて以来、一貫して英米の手先であり、日清日露戦争では英米の都合で彼らの中国叩き、ロシア叩きに使われ、太平洋戦争もまた、彼らの陰謀と都合で、日本を追い詰め弱体化し、英米の軍需産業の儲けと景気拡大と原爆の実験に使われた。

そもそも本物の天皇家であった孝明天皇は、英米の手先であった岩倉具視に毒殺され、そこで本物の天皇家は断絶してしまい、代わりに大室寅之助を明治天皇としてすり替え、英米の一神教のコピーとして、本物の天皇ではないただの田吾作の大室寅之助を一神教のエピゴーネンとして、現人神と崇めたのも英米の政策のコピーである。

その点で、明治維新のときから、日本は英米の下僕の薩長に操られた、英米の手先の国であり、彼らにとっては自分たちをひたすらコピーしてくれ、ひたすら自分たちの都合の良いように動かせる都合の良い国であり、天皇家も何のオーセンティシティもないアフリカのボツワナと同じくらいに国債に価値のない、英米には尊敬できない国なのである。

英米の手先である日本がアジアを侵略すると言うのは、英米がアジアを支配するのと同じ意味であり、しかも日本は英米のような露骨な植民地主義を取らなかったそうである。しかし一部では南京大虐殺のような卑劣な行為があったとされるが、それもまた日本が侵略国家であると言うよりは、日本の事実上の支配者である英米の方針で、彼らの植民地支配と現地人や黒人に対する奴隷扱いのコピーである。

そして日本は日独伊三国軍事同盟を結んで英米の支配から逃れようとした時期もあったが、もともと英米の支配下で英米に情報が筒抜けである日本がそのような裏切りに成功するはずもなく、ヒトラーのユダヤ人虐殺の影響が南京の虐殺にも影響したのかもしれないが、そこでヒトラーの仲間として敗戦国として、一度も英米に勝って独立することなく、英米の下僕に戦後も舞い戻ってしまった。

日本が英米の下僕から脱したのは岸田秀先生が初めてで、『日本がアメリカを赦す日』を英語版でアメリカで発売した岸田秀先生のことを英米に紹介し、その理論をさらに敷衍した僕が、彼らに、イラク戦争やアメリカの政策は間違っていると言うチョムスキーやポール・クルーグマンの英文もまた英文で引用し紹介し、彼らに認めさせ、歴史上初めて英米の失敗を日本から暴き、彼らの方針を間違っていると指摘し、全世界にアメリカの失敗をマイスペースで広めた僕が、日本で始めて英米に洗脳されていない日本人、英米の手先でない日本人として世界で知られている。

しかし、いまだに英米に洗脳されている多くの田吾作日本人たちは、イラク侵略に無償で給油活動をするという英米の下僕マインドをいまだに抜け出せないでいる。

彼らはいまだに、日本は英米の手先と言う感覚で、日本人は英米に劣っているという劣等意識なのか、実際に劣っている田吾作なのか、英米のイラク侵略戦争に肩入れしている。

その点で、日本は今でも侵略国家の一翼を担っている。日本は侵略国家と言うのは濡れ衣を言うのであれば、今すぐ英米のイラク侵略から撤退し、自衛隊はイラク侵略の後方支援軍と言う不名誉な英米侵略軍の片割れから、あくまで日本の国防のための国益のための自衛軍と言う立場を確立しなければならない。

サブプライムローンとイラク戦争で威信が失墜したアメリカの下僕と言うマインドセットの呪縛から解放され、アメリカのケツ舐めコピー外交を辞め、すでにアフリカ並みに失墜した日本の国債を回復し、明治維新から百年以上続いた英米コンプレックスと言う田吾作国家から、今こそ脱却すべきだ。
 岸田秀は僕が和光大学卒業後、先生の『日本がアメリカを赦す日』の英訳アメリカ発売に協力して岸田秀研究室ホームページ課外掲示板を僕が書いている間に、『靖国問題の精神分析』を出版して、なぜ岸田は僕の卒論の後に、こんなキモい問題に口を突っ込んで、岸田掲示板に書いている僕に新たな問題に巻き込みながら、僕は個人的に靖国思想と関係なく、研究室出身者として誤解されると困るし、大変遺憾だと思ってきたが、そして実際に岸田の本を読んでも中身もいまいち面白くなかったが、テレビを見て、岸田が触れていなかった靖国の問題が改めて分かった。
 それは、今でも沖縄での戦死者や大部分の餓死者の遺体を放置し、クラスター爆弾などを製造、販売しながら、日本製のクラスター爆弾の戦死者が世界中に何十万人も放置されているということだ。この人たちは、大戦後60年以上も、供養もされず、遺体が野ざらしになっている。
 それで、毎年、小泉などが参拝しているのは、実際の戦争被害者の一部分だけと、戦争加害者ばかりで、全然戦争被害者全員なんかに哀悼の意などをささげていない。
 そういう意味で、靖国はまだ、戦争被害者全員を供養するという義務を果たさず、大部分の仏教徒を無視し、神道の形式で恣意的に一部の人だけを供養し、毎年参拝しているだけで、残りの何十万の日本人の被害者とアジアのそれ以上の犠牲者を無視し、取り残したまま、一部の戦争被害者と大部分の人命を軽視し国体を信奉する国家主義の加害者ばかりを、あいまいにごちゃ混ぜにされた立場が逆の人々だけを、国家主義者でない仏教徒などの大勢の人をいまだに無視し供養しないまま、未完成でまだ全員集まっていないのに、国家神道という新宗教で戦争犯罪者ばかりを優遇し、いる人だけで先に参拝をしてしまっているだけで、大いに問題である。
 それに敗戦後の戦死者が0という数字も実績といえない。いまだに戦死者は供養されずに何十万人も沖縄などに放置されている。いまだに敗戦は続き、天皇も責任を取らずに、アメリカの戦争を支持し、世界でも数少ない残虐な兵器、クラスター爆弾を輸出しながら、世界中のクラスター爆弾の戦死者は膨大に取り残されている。それにワーキングプアなどの戦争のような苦しい現実は続き、自殺者は先進国1位で膨大な死者を出している意味では、ある意味戦争の被害と同じような状態である。
 したがって日本はいまだに戦争を反省せず、今でも世界中の戦争に参加しながら、世界中の弱者や人命を軽視し、国内の弱者にも思いやりのない、戦前や戦中と同じメンタリティなのではないか?
 こういうことを岸田秀は言っていなかったので、あの本は未完成で失敗作で議論が煮詰まらず、いたずらに靖国問題に口を突っ込みながら、岸田研究室出身の僕に次々と関係ない歴史的な大問題に巻き込み、結局このような本質的問題を解決していないという意味で、岸田も靖国関係者と同レベルの低次元かもしれない。それとも岸田はこのような議論を喚起しただろうか?
 岸田秀研究室ホームページ掲示板は荒れっぱなしだったのですが、まさかこの掲示板が岸田研究室卒業生の僕の役割だとは気づかず、僕は、高級バイキングレストランのウェイターをしたり、塾の講師のアルバイトをしたりしていたのですが、岸田先生の『日本がアメリカを赦す日』の英訳発売が、先生の当初の発表よりも半年も遅れているのが気がかりで、7年前から英訳出版企画があるのも知っていましたし、出版情報もずっと追いかけていて遅れているのも知っていて、ホームページが荒れているのも知っていましたから、ここで僕が、たくさんの英語の原書をバイト代で買って研究し、この掲示板が荒れているのを、良質な言説で立て直すのが、アルバイトよりもはるかに大きな僕の使命なのではないかと思い、田舎の富士では、ウェイターと塾の講師以上の良いバイトを見つけるのは、今後困難ではないかと思いながらも、潔くバイトをやめ、6年前から気がかりで、僕の仕事なのか良く分からないが、何かうまくいっていないようで、僕もバイトに集中できないので、ネット活動をあまりされない岸田先生に代わって、岸田関連のネット活動が僕の本業だと悟るところがあり、この6年間邁進してきました。
 田舎の富士で、ウェイターと塾の講師のバイト以上に良いバイトが見つからない予想どうりの結果になっていますが、ホームページの建て直しに専心してきたのは、大いに効果が上がり、当時は端にも棒にも引っかからなかった岸田秀研究室ホームページが、ヤフーの岸田秀英語検索で複数あるなかで1位に検索され、世界中で検索されるまでになりました。
 しかし、この仕事に頭を使ってきたこの数年、この岸田先生の世界進出の大事業を中心になって進めてきたこの僕には、1円も還元されておらず、僕には何の報酬も財産にもならず、親に支配され食べさせてもらっている状況で、まったく自立できず、岸田先生の前作『親の毒 親の呪縛』が見事に当てはまっている状況で、苦しいばかりです。
 しかも、その間に非公式掲示板と岸田秀ファンクラブはなくなってしまい、それらの掲示板で活発で、良質な議論をされていた方々はどこに行ってしまったのか分からず、あるのは、この研究室課外掲示板と公式ページだけになってしまい、しかもいるのは、英語の原語の研究発表をし続ける僕1人だけという状況が続いていました。
 その活動を続ける中で、岸田秀研究室ホームページはヤフーの岸田秀英語検索ランキングを上昇し続け、ついには1位になり、長い間、国際的に岸田秀をネットで検索すると、まずこのページが出るというネット上での地位を築いてきました。
 これまでの、僕のこの個人的な研究活動とネット構築業績、情報分析能力を評価していただいて、僕の今の窮状をすくっていただけないでしょうか?

 それで、こんなことを書いていると、雑に読んでいる人から勝ち組だと勘違いされるようで、以前、岸田先生を教えを守って正しい勝ち組の生き方を守っていくなどと書いている人がいましたが、よく読めば分かるように、現状では、僕は典型的な負け組みです。というか、表面的には勝ち組み的な業績を上げているように見えるのかもしれませんが、僕のところにはまったく還元されて折らず、1円にもならず、個人的にはまったくどん底の状況です。しかし、このどん底状況は、研究業績や情報分析が統合的に把握されていない現状によるもので、後世振り返ると、僕の個人的な業績というのは世界的にネットの世界にあると思います。
余計なことを書かなきゃ良かったと反省。言説のクオリティがどんどん下がってyahooのShu Kishida英語検索ランキングもどんどん下がってきているし、このままだと僕の人気も落ちる心配があるな。だけど、囚人並みに待遇が悪い生活を送っているのに、何年も世界一の言説空間を期待される方がまちがっているとおもうな。昼間は不調でろくなことが書けないのに、夜になると寝なきゃいけないのにどんどん頭がさえてきてしまっていつも深刻に困っていて、岸田秀研究室掲示板以外でもいろいろなところに助けを求めたり、病院に言ったりしているけれど、根本的に解決していない。その点は岸田先生と志同じく抜本的に改革が必要だと思っている。というか、岸田先生の『日本がアメリカを赦す日』英訳企画に巻き込まれ、実際にはほとんど僕一人で、アメリカの大義の幻想性を暴き、ネオコンを批判し、打ち倒して、日本の真の独立のためにかなり尽力してきて、その成果たるや計り知れないものがあると思うのだが、日本の政府はそれに気づかず、いまだに対米ケツなめ外交の姿勢をとられては困る。二元外交というより、そもそも外務省とは根本的に外交の姿勢が違うし、彼らとは全然関係ないし、彼らの存在意義や、仕事も無意味だと思うな。

でも、思い出してみると、僕は大学時代に購読の授業のときに、岸田先生に、「まず、アメリカを何とかしないといけませんね。」といったことがあり、それがその後の英訳企画になったのかは分からず。だが、当時から僕は岸田先生と、日本やアメリカや世界や地球を良くする為にはどうすればよいかを考えた末の発言で、大局的な方向性として、僕の考え方も岸田先生と同じで、7年前から変わっていないと思う。しかし、卒論で現象学を取り上げたときに、岸田理論も盛り込み、「すべては幻想のようで、正しい客観性は把握できない。」としたのは語弊があり、何の契約もしていないのに、その後の先生の退職年度詐称や、事実を知る当事者として正式に契約してお給料をもらって原稿料をもらって書きたいし、実際経済的に非常に困っているのだが、不正を見逃すことができず、何の見返りもないのに、何年も岸田研究室ホームページの誤りを正し続けてきた。それで、岸田先生の英訳出版企画が当初の計画から遅れているのも分かり、他のホームページでも正式の情報がなく、非常に不安になり、心配になり、研究室掲示板に書き続け、すっかり岸田関係者のように、卒業後も巻き込まれてしまった。

しかも、僕が書き始めた当時は英訳本発売の企画真っ最中だったので、国際的に通用するように英文の引用などを、何の契約もしていないのに、『日本がアメリカを赦す日』のアメリカ発売が遅れている岸田先生をたすけるために、また就職できずやることがなく、給料もなく、絶体絶命の自分も助けるために、ひたすら打ち込んできました。その成果は絶大で、当初はイラク戦争に賛成だった日本とアメリカの世論も、当初から反対だった岸田先生の側に移ってきました。しかし、僕はもともとアメリカ自体が嫌いではなく、アメリカ文化が大好きで育ってきたので、この件でアメリカに目をつけられ、テロリストのように扱われたのでは割が合いません。これは、ハイリスク・ハイリターンでしょう。
ついに引き寄せの成果が出てきました。
世界中のスーパーモデルが僕のマイスペースに引き寄せられてきます。
僕のマイスペースでフレンドになっているのは、ケイト・モス、リンダ・エヴァンゲリスタ、タイラ・バンクス、ジゼル、カロリーナ・クルコヴァ、ナターシャ・ポーリー、エマニュエラ・デ・パウラ、アドリアナ・リマ、シャネル・イマン、アレッサンドラ・アンブロシオ、カーラ・ブルーニ、ラクエル・ジマーマン、アナ・ベアトリス・バロスなどです。
これほど世界中のスーパーモデルを引き寄せて、マイスペースでフレンドになっている人もなかなかいないのでは?
これも僕の引き寄せのパワーでしょうか?
マイスペースでは全世界のフレンド数3500人突破しました!!!
ジェーン・バーキン、ジゼル、イマン、タイラ・バンクス、カーラ・ブルーニ、アドリアナ・リマ、リンダ・エヴァンジェリスタ、ニコール・リッチー、リンジー・ローハン、ナターシャ・ポーリー、ミーシャ・バートン、ビヨンセ、エマニュエラ・デ・パウラ、レオナルド・ディカプリオ、クリスティアーノ・ロナウド、ガブリエル・ガルシア・マルケス、デニス・クシニッチ、トム・フォード、ミック・ジャガー、ポール・マッカートニー、ソフィア・コッポラ、ハル・ベリー、ウマ・サーマン、シャロン・ストーン、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、モニカ・ベルッチ、サルマ・ハエック、ティム・ロス、ヴィヴィアン・ウエストウッド、アラン・マッギー、ティモシー・リアリーともフレンドです!!!
 「おそらく農林中金は、ABS(クレジット・デリバティブ)を一人(1行)で最大時、10兆円ぐらい買っている。そしてすでに大損を出しつつあった。ところが高谷正伸専務理事と河野良雄副理事長(現理事長)は、強気の姿勢を崩さなかった。それで『高い格付けの商品が従来の数倍の利回りになり始めた』などとほくそ笑んでいる。
  この時期にABSはアメリカの金融市場ですでに投げ売りになり、暴落を開始していたのである。だからこれらの特殊な外債(債権担保証券)類が、中古(再売買)市場で価格暴落するがゆえに、『数倍の利回り』になるのである。農林中金の幹部たちはこの時、国際金融実務の世界で非常識きわまりない判断をして、さらに買い増して傷口を広げた。狂っているとしか思えない。この者たちの責任を追及する声が、なぜ日本国内で上がらないのか。彼らの判断と行動は、明らかに背任罪(商事特別刑法)に相当するのである。はっきり書こう。彼ら農林中金の最高幹部たちは、この時実損で15兆円ぐらいの損害を、全国の農協組合員たちだけでなく日本国民全てに与えているのである。この実損(実際の損害金)は、まだ明らかにされないで隠されている。」
副島隆彦/『ドル亡き後の世界』/p.164./祥伝社
XJAPANのTOSHIが、宗教団体に洗脳され騙されて、ボランティアで宣伝活動に使われ、全収入を巻き上げられていた問題。他人事と思えない。僕も岸田秀に洗脳されてただ働きで宣伝活動に利用されていたようだ。
フレンドが3600人以上いたマイスペースをリセットしてから再開して、まだフレンドは400人にしかなっていません。でも相変わらず、マイスペースは外人ばかりです。
その代わり、アメーバブログでは680人以上にアメンバーに承認されました。しかも日本人の若い女の子ばかりで、もてもてのようです。
でも調子に乗っていると、岸田秀の『日本がアメリカを赦す日』英語版アメリカ発売に無償でボランティアでタダ働きで協力させられ、危険な目に合わされ、『全ては幻想』『人間の本能は壊れている』という教育を岸田秀に和光大学で8年も受けて、日本とアメリカの政権交代の為に何年も必死にネットをやってきたのに、33歳になっても無収入で童貞で貧困で、騙されていたようです。
BOOWYやGLAYやラルク・アン・シエルや黒夢やジュディーアンドマリーやテレサテンやジュン・スカイ・ウォーカーズやエレファントカシマシやくるりや渡辺美里や筋肉少女帯のプロデューサーの佐久間正英の出身校として有名な和光大学卒業。大学時代、岸田秀、上野俊哉、西研、野々村文宏、千野栄一に師事。ピアノを大南匠に習う。高校時代は吹奏楽部でトロンボーンを吹く。 趣味はエレキギター演奏。
http://ameblo.jp/shintaro92/
ここは、あなたの日記ではありません。
ご自分のスペースでどうぞ。
Shintaro Baba のマイスペース、ついに全世界のフレンド数が1万人を突破しました。

http://www.myspace.com/shintarobaba108

マイスペース上では、新たに僕のショパンとサティのピアノ演奏を公開しました。

僕のページを訪れて、僕の記事を読んでくださったり、演奏を聴いてくださる皆様に感謝しています。

以前言及した鎌川愛さんとはフェースブック上で再会し、フレンドになれました。しかも彼女、ギタリストの村冶佳織さんのお友達ということで、アーティストを目指す僕には、そのことが驚きの発見でした。

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