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FM-TOWNSコミュのTOWNSが教えてくれた事

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皆さんはTOWNSで何してましたか?

私の場合です。
・J-SOUND+HEatでMML
・C言語
・F-BASIC386
・動くざんすが動かなかった

あまり今に生かせてません。ごめんねTOWNS。

コメント(45)

Linuxですかねえ。

当時、学校でEWSの実習なんてもんがあって、WSをいじる機会があって、そこからUnixへの興味が・・・

そのあと、NiftyでLinuxをTownsに移植してるってことで、カーネルイメージやらツールのバイナリーやらを落としたり。
CDを使った頒布があったので、それを分けていただいたり・・・

その後、SlackWareになって、いろんなコマンドが勝手に入ることに感動。

今でもmakeすることに何の抵抗もないのは、このころの苦労の賜物でしょうね。
初めてX-Windowが走って、Xengineが動いたときの喜びったら。
すっごい遅かったですけどねw
それ以外だと、プログラミング。

FM-7時代は大した力量もなかったんでちっちゃいプログラムばかり。
アセンブラも持ってなかったんでハンドアセンブルで。
Oh!FMについてたインストラクションコードハンドブック(創刊4号目あたりのおまけだったかなあ)を愛用してました。

Townsになって、関西電機のASMが安かったので(富士通純正のは高くて買えなかった。High-Cなんてもってのほかw)、それを買ってちまちまとプログラミング。
またもやアセンブラでw

実は386のAsmの後に、86のAsmをPC9801で書いて(シリアルドライバーとか)、386ネイティブは楽だなあと心底感じましたよ。

この当時作ってたソフトも大したものじゃなかったんで公開なんかしてませんけど、怪しげメモリーを刺したので、メモリーチェックソフトとか作ってみたり。
グラフィックビュアーを作って、ハードの恩恵にべったり与って意味なくズーム機能とか持たせてみたり。
ハードを直に叩いてたので、かなり下品なソフトではありますけど、そのときに培ったものは、今でもたまに役立ってますよ。
TOWNSに出会っていなかったら、ゲームの仕事をやろうなんて考えもしなかったと思います。
これとMSXには、人生そのものを変えられた気分。
・F-BASIC386 インタプリタ
で、遊んで勉強して、でもF-BASIC386 コンパイラが買えなくて、
・るんるんLINUXのSlackwareのGCC
で、C言語を勉強して、
・High-C コンパイラ
を買いました。
そっちの仕事をやってる今、人生変えられたと実感。

今はたまに、うんづで、当時から持ってるTOWNSゲームで遊んでます。
・ジェノサイドスクエア
・達人王
が、お気に入りかな。
フリコレのおかげで自分のソフトが誰かに使ってもらえるという楽しさを覚え、自分の職業にしたいと某ンニーに就職した。
当時はメールがまだ普及してなかったので、ユーザーと手紙でのやり取り。そして半年に一度のフリコレへの投稿。めちゃ楽しかった。熱かった。
ニフティで会議室とチャットに入り浸りつつ、フリコレで遊ぶというのが当時のTOWNSライフでした。
次第に自分でも何か作ってみたいと思い始めて、F-BASICに手を出そうとするも、お金がなくて本だけ買って終わり。
しばらくしてからLSI-C試食版を落としました(笑)
TOWNSがなかったら今ごろIT業界には関わってなかっただろうなぁ。
フリコレって買って一年ぐらい経ってから、
面白いソフト発掘したりしませんでした?(w >ALL
時間が経ってからもう一度覗いてみたりすると新しい発見がありましたね(笑)

自分はTOWNSを失ってもう何年も経ちますが、
未だに引っ張り出してきて覗くことがあります。

Windows用のEUPプレイヤーを探して思わず聞き直してみたり……。
仕事でHigh-Cでゴリゴリやってました。
CD-ROMの読み込み速度がシビアな案件で、あとどれだけチューンアップできるか、狂ったようにやったなぁ。

今思うTOWNSの良さは、ソフトのラインアップ、当時としての技術の先進性等々あるけれど、やはりCD-ROMを入れて起動してその中で完結する手軽さ、SCSI標準装備でGUIでキッチリ接続状態が見られるわかりやすさ、そういうところにあったと思います。
そして私は今もパソコンに関わる仕事をしていますが、今あの手軽さを実現してくれるパソコンはありません。そういう意味では、TOWNSから教えてもらいたいことは、今でもあると思っています。
めちゃめちゃ懐かしい!

えーっと、TOWNSが教えてくれたのは「作る事の楽しさ」ですかね。F-BASIC386を愛用していました。

当時は、TOWNSの熱烈なファンで、某N社のPC−*8なんかTOWNSに比べれば性能低すぎ!

とか、N社を敵対視していたものです。そんな自分も気が付けばNの社員・・・。
 自分がウンズで得たものは一言で言えばゲームを作るおもしろさでした。あと一応コンピュータの基礎的な知識(^^ゞ
 F-BASIC386コンパイラを使って同人を作ってました。とはいえ自分はもっぱらシナリオと絵。プログラムは途中で挫折しておりますけどね(__)
 当時はウンズで絵を描いて98のプログラマの元へ送って、そして先方から「縦横比がおかしい!」といつも文句を言われてました(笑)
 当時は機種によって縦横比がちがってましたからねぇ…(しみじみ
やっぱりC言語かな。
EINアプリを一本作ったきりだったけれど。
あとマウスでお絵描き(今のPS/2マウスだと線ががたついて
真似できない)。

最初の頃はBASICしか持っていなかったので、
BASICでADVゲームを作ろうとしたけれど、
友達にもらったCのデータ圧縮展開ツールをBASICに
移植したらCでは一瞬で済んでいた展開が1分もかかり
断念したことが…。
F-BASICと386ASMで、役に立たない物を書いてました(笑)
エディタは、Heatが一番お気に入りでしたね(^^)
実は、フリコレの何枚かに入ってたりします。
当時は、寝ても起きてもパソコン三昧で、
草の根BBSも運営したりしてました。
あの頃の、情熱と楽しさをまた味わってみたいです。

フリコレ10の金色のCDは宝物だったのですが、
最近行方不明になのがわかって、かなり凹んでますorz
初めまして。
親父の趣味が高じて、FM-77→FM-TOWNS HR100(だったかなぁ…)
という変遷を辿りました、私。

FM-77時代は、もうひたすら「Oh!FM」のショートプログラム打ってみる、
程度の楽しみしかなかったですが。
(無論すっごい楽しかったですけどねぇ、子供心に。麻雀やったりw)

あ、でもFM音源3音ポリとPSG3音ポリ、ってのは楽しかったです。
譜面見ながらえっちらおっちらMLL打ち込んでみて、
「うわぁ、こんなハーモニーになるんだぁ!」って感動しました小学生。

中学生、いよいよTOWNS導入。
当時放送していたTV番組、「タモリの音楽は世界だ!」
あの番組でやってるシーケンス作業が楽しそうで。
思わず買っちゃいました、「Euphony ? MTR」。
あとRolandのSC-55とMIDIインターフェイス一体型のヤツ(名前失念)
お年玉ためて、がつっとw

これはいい環境でした。DTM初体験には贅沢過ぎるかなぁ、などとw
MIDI IN用のコントローラーキーボード買って、いろいろやってました。
この貴重な体験が無かったら、音楽関係のお仕事に興味は持たなかったのかなぁ、などと。

その環境でフリコレに投稿した作品、怖いもの見たさで聴きたいなぁ、などと。
クラシックのピアノ曲だったんですが、はて、今聴くとどーなんだろう。。
タウンズが教えてくれたコト。

・パソコンが真価を発揮するのは、作るツールとして使った時だということ。
(TownsGEAR/F-BASIC386にはお世話になりました)

・日本経済がバブリーだったということ。
・富士通がシェア奪取に必死だったこと。
(東京ドームの電脳遊園地/Expo90の花博会場でのそれを超えるPCのプロモは今後恐らくないのでは?)

・優れた製品が市場を制するとは限らないこと。
・マイナー製品を使うことは、とても不便だということ。
・「先見の明」があっても、周知の手段がまずければ、おいしいところは全部持っていかれてしまうこと。
  TOWNSが国内初(のはず)のサービスや技術:
   CD-ROMドライブ標準搭載
   マルチメディア
   プレインストールモデル発売
   386ネイティブモードの標準サポート
   アバターを使ったビジュアル通信
   CDブート(スイッチオンプレー)
  
で、結局その先見の明が高じて早々と独自アーキテクチャ撤退!
HR20でF-BASICつかってソフト使ってました。
結局、フリコレを何枚かもらっておしまいといった感じでした。
大作はカブのゲーム。(いまはやっている株ではないです。)

えっと、F1のレースゲームよくやっていました。
あの画面がくるくるまわるやつですが・・・。名前忘れましたorz
あるだけメモリのアロケーションがリニアに出来ること(笑)
当時、会社でWindows3.1とかのプログラム作ってて嫌になりました。

ちなみにTOWNSでは変なツール(PSとかSSのゲーム画面ローダ)しか作ってませんでしたが、プログラムは非常に楽でした。特に、あの画面モードの多さにも助けらましたね。ゲームのCD-ROMから取り込んだデータをオンメモリで変換してデータをVRAMに転送して表示できましたんで>コミケ(晴海時代)で売ってたりしました

PSのスーチーパイ2のミユリの部屋の解析が面倒だった記憶が(笑)TOWNSじゃねぇ〜〜〜
CD版の中古が安く売っていたので英雄伝説3、windows3.1対応って
書いてあるから買ってみました。
さっそくタウンズのウインドウズ3.1を起動し、プレイしてみると、
ゲームは認識するんですが、exeを押すとフリーズしてしまい、
結局遊べませんでした(笑)
とりあえず、壁紙だけ盗んでそれっきりです(爆)


いまだに動かない理由がわかりません。
↑英雄伝説3のWindows3.1対応ってやつは
PC-98x1シリーズ専用だったと思います。
Windows3.1のソフトではなく、
そのDOS窓で動く98DOSソフトだったりします(^^;
>まみりんさん
すげぇ〜!
すごいっすね。普通に感動です。
98の何かを見ているとは思っていましたが、
分かってもらえるレスが返ってくると嬉しいです。
ありがとうございました。

失礼でなければ、まみりんさんはあのタウンズ界(?)で
有名なBBSのまみりんさんですか?
そんなに有名って事はないですが、
TOWNSで草の根ネット(まみりんBBS)
を運営していた張本人です(笑

その当時は英雄伝説3のTOWNS版が
出る事を期待してたんですけどね(^^;

TOWNSの性能的には作れたんだろうけど
どれだけ売れるかわからない上に
曲をTOWNS用に作り直さないと
いけなかったのが原因かと思われ(ぉ

98ではFM6+SSG3+リズム音源という豪華な仕様でしたから。
TOWNSはFM6+PCM8なのでSSGとリズムが足りないorz

↓個人的にEUPで再現した事もありましたが(ぉ
http://blog.nsk.ne.jp/mami/entry/7861.html

P.S.あとZOOMのオーバーテイクも出て欲しかったな〜。
まみりんBBS・・・記憶にある(笑)
学校の回線で、電話料金を気にせずアクセスしてた様な(^^;)
その当時、ホストは某国民機でしたが、私も運営してました。
CyrixCPUにKT-BBSのターパスで改造して怪しいBBSを(爆)

EUPと言えば、Heatの再生画面がお気に入りでした。
MMLを改造して遊んだりもしてたなぁ...
 TOWNSは私にとって1台目のパソコンです。
T-OSの他に、MS-DOS6.2,Windows3.1がプリインストール済みだったので、
DOSバッチファイルの作り方やWindowsの操作方法をTOWNSで学びました。

 おかげで、その数年後に職場で一人1台のパソコンがあてがわれても、
仕事ではパソコンで苦労せずに済みました。
|パソコンの性能の違いが、戦力の決定的差ではないと
|いうことを・・・教えてやる。

教えてもらいました。
シェアの大きさには勝てなかったんですね。
FMRよりTownsのFM−OASYSがさくさく動いて使いやすかった。
当時「16bitアプリと32bitアプリとの違いだ」
って聞いたんですけどやっぱりそうなんですか?
ハイレゾ対応していなかったのは不満でしたけど・・・
はじめまして。久々の書き込みになりますが

私はTOWNSでUNIX覚えました。ニフティのフォーラムでLinuxを移植している方々がいて
その成果を使わせてもらっていただけですが、個人所有のUNIXマシンで何やっても
いいという経験はTOWNS Linuxが初めてでした。kernelバージョンは1.0未満でしたね。

あのときの経験は仕事で役立っています。
TAMAO様

買いましたねぇ、私も秋葉原で。SIMMの時代、メーカー純正とは値段の
桁が違っていたと思います。
今の自作パーツの相性保証なんてものはまったく期待できない時代で、博打でしたね。
それだけに動くと嬉しかった。
FM−OASYSは仕事で使ってましたが、
会社のFMRはハイレゾ対応の70でしたが、
メモリが1MBしかなくてすぐ作成限界になってしまい、
1文書を沢山分割しなければならなくて面倒だった。
稟議書あげてもFMRの増設メモリは2MBで
20万円くらいして通らなかった。98用は安かったのにね。

自宅のタウンズはUR20だったけど、IOデータの
8MBを当時破格の6万8千円で増設した
自慢の大容量メモリマシンだったので、
ワードハンター(当時貴重なCDROM辞書)がオマケ付きの
タウンズ専用FM−OASYSを5万円で購入して、
システムサコムの130MBハードディスクに
インストールして使用したところ、

「なんだ!?この異常なスクロールの速さは!」
「いくらページを進めても作成限界にならないじゃないか!」
「本当に保存終わったのか、一瞬じゃないか!」

しばらくはこの世のものとは思えないほどの快適さに
脳内麻薬出まくりでした。

タウンズが教えてくれた事は
書類の作成は「図形移動」と「図形複写」で楽勝だ、と言う事です。
(いや、勘違いですけど。)

あぁ、いい時代だったなぁ。
RDOLFです。

TOWNSが教えてくれたこと。
何と言っても、「大容量ゲームはメディアが命」「CDはゲームが楽」という
ことに尽きました。

初代が出た頃にやっとこさ77AV40EXを手に入れた私としては、目玉TOWNS
は高根の花でありました。
就職して、会社業務の学習の都合上、EPSONの98互換機を購入、
自宅マシンですから当然ゲームにも使いましたが、98のゲームはFDで
やると入れ替えが頻繁でめんどいし、HDDインストールするにしても
やたらと時間がかかる。

TOWNSはCD一枚放り込めば、メディア無交換でCDDAサウンド付フル
サイズゲームのプレーができたマシンですからね。

できました。
32ビットCPUの威力かな。

6809でゴリゴリ書いていたのが馬鹿らしく感じました。
オールベーシックでもタウンズのほうが速い。

でも結局タウンズでもマシン語を使いたくなって、一部だけ使いました。
今日、TOWNSのユーザーになったものです。
昔、友人宅でTOWNSを触らせてもらってました。
ゲームが当時としては凄かったという思い出があります
TOWNSのゲームは凄いという事を教わりました。
そしてT−OSの使い易さも記憶に残ってます。
あまりにも便利にできていてこれではパソコンの勉強にならないとひそかに思ってました。
98の場合HDDを使うためにDOSの知識が必要でしたけどCD−ROMから直接起動できるTOWNSには不要の知識でしたその時点でわね。
ホビーパソコンとしては最高のものではないでしょうかTOWNS
WINDOWSの対等がもう少し遅かったらもっと長生きできたパソコンではないでしょうか
386系CPUを積んだマシンでスプライト機能をもってるのはTOWNSだけだと思います
世界的にみても非常に個性的なパソコンではないでしょうか
スプライト機能をくししてゲームでも作ってみたいですね
TOWNSが教えてくれた事・・
パソコンは、頭の良い人たちだけのものではないということ。
当時、パソコンなんて、
キーボードを高速でカタカタ出来る人が使うものだと思っていました。
しかし、TOWNSはそうじゃなかった!!
しかし、マリオペイントの続きのような感覚で使っていたので、
中学生だった私には高価なおもちゃでしたが…。
その1
CDで変なアレンジつけられてがっかり=
よかれと思ってやったことが裏目になること
その2
拡張子EXPでしたっけEXGでしたっけ。なんだかすごいんだな32ビットパソコン
その3
コンピュータはCPU性能だけじゃない、バランスなんだってこと


なんだかんだいってもうんずと過ごした日々は楽しかった(泣


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