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ハプスブルグ家コミュの第3章 ハプスブルグ家の夜明け

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12世紀、ライン河の上流のブルックという小さな町に、かつて小貴族がいた。

そこは深い森のなかにあり、鷹が舞う場所であった。

その貴族は居城の名「ハビヒツブルグ(鷹の城)」にちなみ、自らの家名を「ハプスブルグ」とした。

運命のいたずらがなければ…彼らは、帝国の一諸侯で終わったはずだった。

運命のいたずらとは…「大空位時代」である。

    

1254年以来、帝国には皇帝がいなかった。

つまり、シュタウフェン朝(ホーエンシュタウフェン朝)断絶以降皇帝が必要とされなかった・・・皇帝不在という一大事である。

シュタウフェン朝の第6代皇帝フリードリヒ2世は、母方がシチリア女王であったため幼年時代を教皇インノケンティウス3世の後見の下で過ごし、彼の支持を得て神聖ローマ皇帝となった。

彼はその生い立ちが故にイタリア政策に奔走した。

彼にとっての故郷はドイツではなく、イタリアだった。

フリードリヒ2世は北イタリアのミラノを中心とする親教皇派の都市同盟ロンバルディア同盟と激しい抗争を繰り返した。

そのため、その治世の大半をシチリア・イタリアで過ごした。

彼はほとんどドイツにいなかったため、ドイツ国内では聖俗諸侯に大幅な特権を認めざるをえなかった。

そのため大諸侯の力がますます強まり、皇帝によるドイツの統一は困難となった。

フリードリヒ2世の死後まもなく、シュタウフェン朝は断絶し、以後20年間にわたって、神聖ローマ皇帝が実質的に空位となる、いわゆる大空位時代(1256〜73)が訪れ、国内は混乱をきわめた。

この間、オランダ伯やイギリスやフランスの傀儡皇帝が立てられたが、事実上は無皇帝時代であった。

にもかかわらず帝国が存在しえたのは、第2章で解説したように、神聖ローマ皇帝とは選帝侯たちの傀儡でしかなかったからである。

         

この好機に勢力を急速に拡大してきたのが、ボヘミアだった。

ボヘミア王オットカルはウィーンを占領し、このままでは帝国が危うくなると諸侯もローマ法王も危惧した。

そんな中、1273年に皇帝に選ばれたのがハプスブルグ家のルドルフ1世であった。

「選帝候」たちは真面目で忠実だが、戦死しても家系が断絶してもなんら惜しくない人材としてルドルフを選んだのだった。

そんな候補は、腐るほどいたのだ。

   

ルドルフは皇帝としてオットカルにウィーンの返還を迫るが、オットカルは応じない。

かくして1278年、両勢力がウィーン北東のマルヒェルトで激突した。

この「マルヒェルト決戦」でルドルフは勝利を得、ハプスブルグ家の地位を著しく向上させた。

そしてその後150年に及ぶ「選帝候」時代を経て1440年、ハプスブルグ家のフリードリヒ5世が皇位につき、その後1918年まで実に5世紀弱にわたってハプスブルグ家は、皇位を維持し続けたのである。

     

ハプスブルグ家は決して恵まれた家系ではなかった。

しかし、どうしてこのような状況下で、皇位を維持する事ができたのであろうか。

そしてどうしてかの「選帝候」を押さえ、皇帝家を作りあげることができたのだろうか。

それは彼らが中世ヨーロッパという戦闘社会の中で生き残る術を身につけていたからに他ならない。

政略結婚である。

        

フリードリヒ5世はポルトガル王女エレオノーレと結婚し、莫大な持参金と年金を得て、凋落寸前のハプスブルグ家を立ち直らせたのだ。

そして息子マクシミリアンをブルグント(ブルゴーニュ)公国公女マリアと結婚させた。

ブルグント公国はブリュッセルを都とし、フランスのブルゴーニュから、ベルギー、ルクセンブルク、オランダにまで広がっていた国である。

なかでも現ベルギーにあたるフランドルでは、イギリスから安く輸入できる羊毛を使った毛織物業が盛んで、都市は富を集めていた。

まだまだ田舎貴族にしかすぎなかったハプスブルグ家のマクシミリアンは、この繁栄を見て目を見張り、都市文化のなんたるかを知った。

そして宿敵フランスと相対するために、彼は王宮をチロルのインスブルックにおいた。

そして、フランドルの華やかな分化を、この地に持ち込んだのである。

        

多くの芸術化が各地から集まってきた。

マクシミリアンは彼らを保護し、面倒をみた。

また、彼は多くの戦争にも直面した。

その財政は、豊かな銀や銅にあった。

採掘権を富豪のフッガー家に与え、見返に莫大な財政支援をとりつけた。

またチロルは岩塩の産地でもあり、皇帝は塩税で貴重な財源を得ることができた。

こうして「中世最後の騎士」「最初のルネサンス人」と呼ばれたマクシミリアンのもとで、ハプスブルグ家は繁栄への礎を築くのである。

  

またこうして飛び地を領土として獲得した結果、そこに挟まれる土地もハプスブルグ家の影響を受けるようになっていった。

彼らはごく自然にハプスブルグ家当主を『皇帝』と呼び、事実上帝国の属国として存在するようになった。

東方の帝国から現ベネルクス、スペイン、イタリアという広大な地域を支配する大帝国は、こうして形成されていったのである。

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