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言語学コミュの言語はどんな矛盾を含んでいるか : 【6】言語表現の持つ矛盾

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先に【1】〜【5】を提示しましたが本 Topi は、

三浦つとむ(『レーニンから疑え』芳賀書店,1964)の「6.言語表現の 持つ矛盾」を話体にし適宜表記を改め加削し たものです。原論文は同書を参照下さい。

先の概念と結び付く感性的な手掛かりは、まず現実の生活の中での事物の区別のしかたから実践的に導かれ、自然成長的に作り出されてくるだろうということも、想像するに難くありません。現実の生活の中では、犬と猫とを鳴き声で区別することから、犬の概念にはワンという聴覚映像が感性的な手掛かりとして結び付き、猫はニャアーゴという聴覚映像が感性的な手掛かりとして結びついたであろうということも、想像するに難くありません。童謡にも、「ニャゴは黒ニャゴ、首輪は赤で、ニャゴよニャゴ、ニャゴよとおどる、ニャゴほしや。」とありますが、人類の歴史においても個人の成長の過程に於いても、擬制語が多く使われる時代があります。この時代にあっては、概念の感性的な手掛かりも、また言語としての音声の在り方も、対象の感性的な在り方から導かれて来るものと考えられるのです。同じように、太陽と月とは目で見た形が違うところから、太陽の概念に円形の視覚映像が、月の概念に三日月形の視覚映像が、それぞれ感性的な手掛かりとして結びついていたであろうということも、想像するに難くありません。象形文字が使われる時代には、概念の感性的な手掛かりが概念以前の視覚的な在り方から導かれて来るものと考えられるのです。だが、問題はこんな方法でいったい何処までやっていけるかという点にあります。

その問題は一応後回しにして、話を認識から表現の方に移すことにしましょう。絵画と言語との本質的な違いは、絵画が視覚を表現するのに対して言語は概念を表現するという点にあります。ペン画の描線も、文字の描線も、同じペンで描くことができます。しかし、絵画にあっては、対象が形や色などで視覚的に捉えられ、これに対応した感性的な形や色などで表現されているのに、言語にあっては、対象がたとえ色であってもそれを種類としての面で捉えて概念を作り出し、この概念に対応した音声や文字などで表現されています。なるほど象形文字は見たところ絵画的ではありますが、その感性的な形は書き手の対象から直接に引き出されて来たものではありません。対象は満月でも、感性的な形は表現の上での社会的な約束ごととして定まっている三日月形を使うのであって、この点で絵画と本質的に違っています。一部の映画理論家は、映画の一ショットを言語の一単語と同じように扱って、「映画言語」などと呼んでいますが、これも本質的な違いを無視したものと云わなければなりません。

概念は対象の種類としての面を反映しているのであるから、これに対応した表現ということになると、表現もやはり音声や文字などの持つ感性的な特殊な形に於いてではなく、音声や文字の種類としての面に於いてなされることになります。言語表現は他ならぬ音声や文字の種類を創造するということです。言語は感性的な面と超感性的な面との統一という、矛盾を持った表現であるけれども、【言語としての表現はその感性的な形の面でなくそれを超えた超感性的な種類の面に於いてなされており、感性的な形の面はさらに非言語的な表現に活用される可能性を準備している】ということになります。擬制語も、象形文字も、身振り言語も、この点では何ら変るところがありません。クンクン鳴く犬もやはり「ワンワン」と呼び、木が十本あってもやはり木を二つ並べて「林」と書き、紙幣を表現するために親指と人指し指で円形を作るというように、感性的な面での対象との対応はもはや存在しないのであって、全て概念を種類の面で表現しています。なる程、見たところ、言語の意味の違いはその感性的な形の違いから読み取られてはいます。しかしこれは、【超感性的な種類の違いを感性的な形の違いにまで具体化して創造しなければ、読み手や聞き手の感覚にその違いを訴えることが出来ない】からなのであって、感性的な形の違いそれ自体が言語としての表現の違いだということを意味するものではありません。ところが、私たちは音楽や絵画などのように、感性的な形その物が表現であるような創造にたくさん接しているから、【この経験に基づいて言語も又その感性的な形そのものがその内部の表現であるかのように錯覚しやすい】のです。ここに言語理論にとって一つの落とし穴があります。例えば、理論的に超感性的な面を無視しても、現実の超感性的な面が果たしている役割が消滅する訳ではないから、何かの機会にどうしてもこの面の問題にタッチしなければならなくなります。その時にこの面に対する解釈は書き手話し手の表現以外のものにならざるを得ないから、ここからこの超感性的な面の存在が神秘化され、言語はついに謎であるというような結論へ行き着きかねないのです。私たちは、先ず対象から始め、慎重に論理構造を追跡してこないと、現象に引きずられてこの落とし穴に落ち込んでしまいます。

初めに、私たちが色の変化に対して主観的な幅・主観的な境界線を持ち込むこと、その幅の中ではリンゴの色もニンジンの色も血の色もその違いを捨象して、皆同じ種類に属するものとして扱うことを確認しておきました。これは近似的な捉え方をすることであって、主観的な色合いではありません。色の理念でもありません。この対象の扱い方と、論理的に全く同じことが、表現に於いても繰り返される点に注意しなければなりません。【私たちは、音声の連続的ななだらかな変化に対して主観的な幅・主観的な境界を持ち込み、その幅の中では音声の違いを捨象して、皆同じ種類に属するものとして扱う】のです。この幅の広さは、英語と日本語とで違っています。英語では〔m〕と〔n〕と〔ŋ〕を区別していますが、日本語ではこれらを区別しないで全て「ン」として扱っています。【音韻と云われるのは、この言語表現に於ける幅を持った音の種類に他なりません】。主観的な音声でも音の理念でもないのです。

文字による表現も、やはり一定の幅が与えられていて、その幅の中では文字の形の違いが全て捨象され、皆同じ種類に属するものとして扱われます。ただ、「字韻」などと呼ばれないだけで、本質的には同じことです。「末」という文字は、楷書はもちろん、行書や草書で、どんなに崩して書こうと、少しも差し支えありません。原稿用紙になぐり書きにした文章を、活字でキチンと印刷しても、表現を歪めたと怒る作家はいません。その幅の中では、形を変えることが何ら表現を変えることにならないからです。だが、もしも、下の横線を上のそれよりも長くして「未」にすれば、表現を歪めたとかミスプリントだとか云われるに違いありません。なぜなら、文字がこれによってそれまでの幅の外に出てしまい、違った種類に属するものに転化してしまったからです。■

コメント(3)

ここで述べられた音韻についても未だ言語学では正しく理解されていません。

規範ということが正しく理解されていないために、文法が文を形成する規則というレベルの理解から進展していないのが現状です。■
音韻の本質である、下記指摘も未だ正しく理解されていないのが現状です。


【私たちは、音声の連続的ななだらかな変化に対して主観的な幅・主観的な境界を持ち込み、その幅の中では音声の違いを捨象して、皆同じ種類に属するものとして扱う】のです。この幅の広さは、英語と日本語とで違っています。英語では〔m〕と〔n〕と〔ŋ〕を区別していますが、日本語ではこれらを区別しないで全て「ン」として扱っています。【音韻と云われるのは、この言語表現に於ける幅を持った音の種類に他なりません】。主観的な音声でも音の理念でもないのです。//


参考までに、Wikipediaの機能主義的な理解を引用しておきましょう。

音韻論では言語音の機能面に着目して抽象化をおこなう。ただし、研究の方法や抽象化によって定義された概念は学派により大きく異なる。

島岡・佐藤(1987)によれば、音声学は、音声の正確な観察とその記述、および音声が生じる過程や機構の解明をねらいとしている。一方、音韻論は、言語体系に占める音声の位置づけ、およびその役割や機能に関する事柄を解明することをねらいとしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E9%9F%BB%E8%AB%96#cite_note-1
下記指摘は、言語表現に伴う非言語表現の側面を言い表したもので、いわゆる書道、歌唱などが成立する根拠です。



概念は対象の種類としての面を反映しているのであるから、これに対応した表現ということになると、表現もやはり音声や文字などの持つ感性的な特殊な形に於いてではなく、音声や文字の種類としての面に於いてなされることになります。言語表現は他ならぬ音声や文字の種類を創造するということです。言語は感性的な面と超感性的な面との統一という、矛盾を持った表現であるけれども、【言語としての表現はその感性的な形の面でなくそれを超えた超感性的な種類の面に於いてなされており、感性的な形の面はさらに非言語的な表現に活用される可能性を準備している】ということになります。//

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