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言語学コミュの助詞「は」と「が」に関する頓珍漢な回答

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下記のような助詞「は」と「が」に関する初歩的な事実誤認に基づく、頓珍漢な回答があります。
まずは、こうした事実誤認を明らかにするところから始めるしかないのかもしれません。

No.8
回答者: 1311tobi 回答日時:2022/10/02 13:12

>むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 は 】いました。
 強い異和感があります。【が】にするべきでしょう。
 説明は……そういうものだからです。それでダメなら、〈未知の「ガ」、既知の「ハ」〉でいいと思います。

>>こういうこった。最初に出てくるときは「が」だけど、次に出てくるときは「は」。日本語ってそういうものなの。理由をちゃんと説明するのはものすごくむずかしい。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13168938.html


最初に「は」が出てくる事例。

 童謡:『海』 作詞:林柳波

   海【は】広いな 大きいな
   月がのぼるし 日が沈む

   海【は】大波 青い波
   ゆれてどこまで続くやら

   海にお舟を浮かばして
   行ってみたいな よその国


 『旅の終りに』 作詞:立原 岬

   流れ流れて さすらう旅【は】
   きょう【は】函館 あした【は】釧路
   希望も恋も 忘れた俺の
   肩につめたい 夜の雨

 汽 車  作詞:不詳  作曲:大和田 愛羅

   今【は】山中 今【は】浜
   今【は】鉄橋 渡るぞと
   思う間もなく トンネルの
   闇を通って 広野原


 最初に「が」が出てくる事例

 童謡『夏の思い出』 歌詞:江間章子

   夏【が】くれば 思い出す
   はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
   霧のなかに うかびくる
   やさしい影 野の小径(こみち)

   水芭蕉(みずばしょう)の花【が】 咲いている
   夢見て咲いている水のほとり
   石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
   はるかな尾瀬 遠い空
                       
 文部省唱歌 『月(つき)

   出た出た 月【が】
   まるいまるい まんまるい
   盆のような 月【が】

   隠れた 雲に
   黒い黒い まっ黒い
   墨のような 雲に

   また出た 月【が】
   まるいまるい まんまるい
   盆のような 月が//

>>最初に出てくるときは「が」だけど、次に出てくるときは「は」。日本語ってそういうものなの。

ではありませんね。

>>理由をちゃんと説明するのはものすごくむずかしい。

いいえ。
きちんと、

  「が」と「は」の使いわけ
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=96276567

他で何度も説明していますが????

単に理解力の問題ですね!!
まずは、日本語の言語事実を正しく理解することが第一です。■

コメント(24)

相変わらず、取り止めのない頓珍漢な理解を露出されているようです。

自力まとめサイト チャレンジ日記──「は」と「が」
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12413966405.html
相変わらずのコメントが見られます。

「は」と「が」についてー検証 桃太郎
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12768886473.html

>むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 は 】いました。
 強い異和感があります。【が】にするべきでしょう。
 説明は……そういうものだからです。それでダメなら、〈未知の「ガ」、既知の「ハ」〉でいいと思います。
 ただ、下記のような文学作品もあるそうです。

【チャレンジ日記──「は」と「が」 毒抜き編 〈1〉〜〈9〉】の〈1〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.html

こういうこった。最初に出てくるときは「が」だけど、次に出てくるときは「は」。日本語ってそういうものなの。理由をちゃんと説明するのはものすごくむずかしい。//

一体、何が言いたいのか全く意味不明。

言語表現、文法とは何かの基本的な理解が全く無く、そのこと自体が自覚されていないと言う他ありません。

単なる日々の感想以上ではありません。

>>日本語教育で言われるセオリー通りではないものが結構あるんです。

当然、ここで展開しているように日本語教育で言われるセオリー自体が誤っているからで、科学的、論理的な思考ができないのでは?

>> こうなると、3つとも「が」が自然。理由はわからんって。

それを明らかにするのが科学的、論理的な言語論、文法論です。

しかし、それには対象の本質を明らかにする論理が必要です。

一体、言語、文法をどう理解しているのか、どうしようとしているのか???
相変わらずの御乱心、御乱行!!

本質坊主の珍生態【22】錯乱? 「が」の用法〈2〉
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12769228459.html

ご乱心召されたのですか!

>>[4]

>>文法的な違いは、「が」は格助詞で「は」は副助詞のため、異なるものです。

少し言葉足らずなところがありますね。

「が」と「は」の使いわけ
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=96276567

で明らかにしたように「は」には<副助詞>と<係助詞>があり、また「が」には<格助詞>と<接続助詞>がありそれぞれ意義が異なります。

この語のもつ意義の相違により品詞区分がなされているということです。■
>>[6]

>>、副助詞と格助詞は同一の仲間として分類し、

これらは、<助詞>という同一の仲間で、意義が若干異なるので「副」と「格」と区別されています。

>>接続助詞と終助詞は助詞という仲間から外し

これらも、あくまで<助詞>という同じ性格なので同じ仲間になっています。

品詞区分の根拠を明確にする必要がありますね。
>>[7]

>>効果的な反論

三上もまた、「単純な英語文法」の発想を抜け出ておらず、言語表現を支える認識の構造を捉えることができていません。認識論的に検討しないで語と語との係りを論じているかぎり問題の解決にはなりません。三浦つとむによる反論を下に示します。

三浦つとむ『認識と言語の理論 第二部 言語の理論』(1967年刊)から
  第四章 言語表現の過程的構造(その二) (4) 判断と助詞との関係
http://okrchicagob.blog4.fc2.com/?tag=%E8%AA%8D%E8%AD%98%E3%81%A8%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96II-4#368


 日本語の表現構造には「――は――が――」というかたちをとる場合が非常に多い。英語の文法などを学んだ人びとにとっては、これが奇妙に映るようである。「象は鼻が長い」について、草野清民が「象は」を総主となづけて以来、この構造は文法学者の間でいろいろ論議されている。たしかに、文は主語と述語とから成立するものだという考えかたでこれを見ると、三つの項から成立していて主語らしきものが二つもあるから、異常に見えることはたしかである。

だが主語に対する述語という考えかたは、いわばスーツケースの標準規格のようなもので、風呂敷を使うときにはスーツケース的に見えるときもあるがそうはみえないときも多いから、形式論をふりまわして日本語の表現構造を解釈しようとすることに問題がある。内容のどのような構造がこの形式としてあらわれているのか、それを考えなければならない。われわれの言語表現は、立体的な認識構造を線条的に単純化してとりあげるという要求にこたえるように努力している。

判断のちがいに対して係助詞といわれるものを使いわけるのは、対象の構造に主体的表現を対応させる日本語の特徴的なありかたであって、これを利用するところに立体的な対象に対する立体的な認識構造を単純な文で示すという独自な形式が生れたわけである。前にも述べたように(『認識と言語の理論 第二部』第四章の三(p.474)――引用者)、これには二つの系列があって

   父は頭が白い。
   紳士は金髪がお好き。

は認識構造がちがう。「父」と「頭」は一つの実体の全体と部分の関係にあるが、「紳士」と「金髪」とはそれぞれ別の実体である。ここでの「は」は特殊性をとりあげるものであって、「父」のからだの特徴的なありかたや「紳士」の生活の特徴的なありかたについて語ろうとするのであるから、一方は「頭」に他方は「お好き」にむすびついている。そして「が」はそれらの特殊性そのものをさらに目に見えるような現象の面からとりあげ、個別的なありかたにおいて扱うのである。

「頭」を見るならば現象的に「白い」し、「お好き」なのを見るならば現象的に「金髪」なのである。対象はまずその特殊性において、さらに特殊性の側面の個別性において、二重にとらえられながら一つの文に統一して(3)表現され、立体的な認識が「は」と「が」の使いわけで区別して示されている。

「反作用はつねに作用と方向が反対で大きさが等しい」という科学の法則の表現も、やはり立体的な認識を扱っている。「は」は普遍性をとりあげて「つねに」以下にむすびつき、普遍性の中での部分的な現象をとりあげるときに「が」が使われている。

いうならば「――は――が――」の形式は、日本語的なスーツケースとして独自性を持つと見るのが適当であろう。助詞について説明しながら、この形式について正しく解説することが、文法書の任務であるように思われるのである。

(1) 判断そのものが立体的なのであって、対象を全体の中で位置づけるときには特殊性としてとらえながらも、さらにその特殊な存在がある属性を持っているか否かについては肯定したり否定したりするわけである。対象の立体的な構造が判断の立体的な構造をみちびき出すことを、反映論としてつかめないような不可知論的な判断論では、言語学の正しい協力者になれないのである。
(2) 文語の場合に多いところから、文語ではいくつかの係と結を認めるが、口語ではほとんど結としてのかたちが存在しない。それゆえ「しか」が特に注目されることになる。
(3) この二重の把握の統一を、時枝は入子型構造の例としてとりあげているが、判断のちがいにまですすんではいない。
>>[10]


>>父は…と、紳士は…は主題の提示で、
頭が白い…と、金髪がお好き…が主題の説明とすればすんなり構造が理解できるように思えてしまうのですが…

確かに、意味が理解でき後付けで現象を解釈すれば判り易いでしょうが、問題は話者が文を表現するときに何故、「は〜が〜」を使用するのかです。

まさか、主題を提示し、それを説明しようとしてなどと考えてはいないでしょう。日本語の初級学習者に「は〜が〜」は主題を提示し、それを説明しようとする時ですなどと説明しても、「主題とはなんですか?」とキョトンとされるだけです。「〜が××です。」の「〜」とどう違うのですかと質問され回答に窮するだけです。

つまり文の意味の理解の問題ではなく、「は」「が」がどのような意義を持ち、話者の認識を文に表現する時にどのように使い分けるのかを説明しないと文法的な解明にはならないということです。■
>>[12]

>>簡略化できないかな〜

簡略化以前にまず、助詞とは何かを明らかにしないとそれ以外の範囲が不明ですね。

まずは言語の本質と、品詞区分の体系が必要です。■
>>[14]

>>言語の本質ってのはなんなんでしょうね

言語は絵や音楽などと同じ表現ですが、絵や音楽は直接感性的な表現です。

しかし、言語は音や絵という感性的な側面ではなく、その感性的で普遍的な形に結び付いた超感性的な側面である概念による表現で、形(音やインクの跡)と概念を規範(語彙規範、文法、文章法)で結び付けた特殊な表現です。

生成文法はこの規範という意志の特殊なあり方が捉えられないために、これを生まれ付き、つまり生得的なものとして遺伝子だなどと誤った捉え方をしてい、ます。

この辺は、下記の批判を参照下さい。

チョムスキー文法論の逆立ち的性格
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHGG3.html#GJBHGG33
>>[14]

>>言語の本質ってのはなんなんでしょうね

もう少し補足すると、言語は対象→認識→表現という過程的構造を止揚した規範を媒介とした概念認識の表現だということです。

この規範の媒介による過程的構造を捉えられないために、心理的な活動だとか人間の活動だとかいうピント外れな理解がされているのが現状です。

京都大学

言語科学講座
自然言語の構造と機能の解明

言語は人間を大きく特徴づける認知能力であり、思考やコミュニケーションをはじめとする多くの機能を担っています。この心的機構の仕組みの解明を通じ人間の心の作用を理解することを目標にして、言語の構造と機能、他の諸認知能力との関わりを理論言語学的に探究するとともに、言語体系の法則性や言語変化のメカニズムを比較言語学的に明らかにするための教育研究を行います。
https://www.h.kyoto-u.ac.jp/academic/gr/course1/course15/

東京大学大学院総合文化研究科
言語情報科学専攻

人間は、言語に特化した「言語能力」を持っているという立場から、生成文法研究は、その能力の本質を明らかにしようとしています。一方、言語使用に特化しない一般的な心の働き(認知能力)がどのように言語使用を可能にするか、という視点から言語を捉える考え方に認知言語学の研究があります。さらに、心の働き全般と言語能力との関係を哲学的に考察する研究も行われています。
なお、言語情報科学専攻は、このような「ことばと心・脳」の関係を軸に、21世紀COEプロジェクト「心とことば:進化認知科学的展開」の幹事専攻となり、多くのメンバーが拠点形成に関わっていました。//
http://gamp.c.u-tokyo.ac.jp/field/kokoro.html

のように、認知言語学、生成文法という誤った言語学を教えているのが現状です。

ゆる言語学ラジオ
も生成文法に基づいていますね。■
>>[14]

なお、

言語学の理論的研究を阻害する諸バイアス
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/search/200080030497/?lang=0&cate_schema=3000&mode=0&cflg=1&codeno=journal

のような現状に対する反省は出ていますが、残念ながら弁証法の論理を捉えられないために言語表現の調和する矛盾という本質を捉えられないのが現状です。

マイケル・トマセロ(Michael Tomasello、1950年1月18日 - )はアメリカ合衆国の認知心理学者。ドイツ・ライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所の所長を務める。フロリダ州バートウ出身。

なども同じレベルです。■
>>[18]

チョムスキーの生成文法は情報科学、いわゆるサイバネティクスという機械論の発想を取り入れ、

言語データから得られたあまり数多くない規則を脳中に貯えており、そしてそこから無限に多くの文を生成するという言語能力を人間の頭の中に想定した。この生成・変形の過程的構造を説明するために、頭の中に〈表題構造〉と〈深層構造〉とを区別し、この結合関係を規定する〈成分構造規則〉と〈変形規則〉を論じる。すべて文法のありかたを人間という装置の内部構造で説明しようというわけである。

ということで、種々批判を受け修正をしていますが、あくまで人の脳中に人類普遍の文法があるという誤った信仰を基に議論を展開しているということです。

この人間機械論に対し、認知という生物反応を持ちだしたのが現在流行の認知言語学です。

しかし、これも表現過程を捉えられない自然科学的な形式論理を基にしており人の認識という言語表現の根本を捉えることができていないというのが現状です。

先にも説明の通り、言語は感性的であると同時に超感性的でもあるという矛盾の実現なので、この矛盾の運動を捉える唯物弁証法の論理に依らないと解明できません。形式論理という固定的な狭い範囲しか扱えない論理では解明できないということの自覚が必要です。■
>>[18]

>>この出発点自体に難癖つけちゃってる気がするな〜

その通りです。

人は普遍文法を生まれつき持っているという誤った理解から出発しているということです。

そうなってしまうのは、言語とは何かが理解できない近視眼的な機械論的言語観に原因があるということです。■ 
>>[14]

>>言語の本質ってのはなんなんでしょうね…(マジ質問)

言語はどんな矛盾を含んでいるか  【1】 言語の二重性
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=99395270

を提示しましたので参照下さい。■
相変わらず、「は」「が」については不毛な議論が繰り返されています。

本質坊主の珍生態【28】扱い 象は大きい。象は鼻が長い。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12772431370.html

では、

>>これは考えはじめると奥が深そ。

といつもの問題先送りで全く何の進歩もありません。
永久にこんな嘆息を繰り返すつもりなのでしょうか?

象は鼻が長い。関係代名詞
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13212852.html

は適切な質問ですが、残念ながらまともな回答は無く、当方が詳細に説明しておきました。
但し、理解できるか否かは疑問ですが。

この問題は、膠着語である日本語と屈折語である英語の言語類型の相違を正しく理解し、英文法の天秤型構造を理解する必要があります。この辺は、

「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=92623359

英語:5文型説の誤り ― 形式主義文法論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=95037837

他を参照下さい。

言語表現の本質的な理解なしに、こうした不毛な議論をいつまで続けるつもりなのでしょうか?■
>>[22]

No.12

回答者: アスナロウ 回答日時:2022/11/02 16:04

・象は動物だ。

>日本語では、「象は動物」という対象認識が先に詳しく述べられ、最後に指定の<助動詞>「だ」が全体を肯定判断する入子型の構造になります。

この発言は相変わらずおかしいです。詞「象は動物」と辞「だ」の関係を入れ子と言うのであれば、風呂敷とは何だとあなたは言うのですか?




>(日本文法口語篇・254ページ) 「梅の花」を一の詞とし、それに「が」という辞が附いて、「梅の花が」を一の句と見ることができる。

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